隣国の騎士
隣国の王女とは初対面だった。もちろん、その従者である騎士とも、そうであるはずだった。
それなのに、隣国の従者は、遠い昔に会った誰かを彷彿させた。真っ黒なマントとフードで闇に紛れてはいるが、その気配には覚えがある。
そして、その従者の手をとって馬車から降り立ったのは、闇色のコートでも覇者の輝くオーラを抑え切ることができず、殿下でさえ霞んだように見せる女性だった。
「おひさしぶりね!アレク。会いたかったわ!こんな時間にごめんなさいね」
そう言って、殿下と抱擁をかわす隣国のセシル王女は、シルバーブロンドの美しい女性だ。
その従者は王女専属の騎士だった。それは忠誠という騎士道からの話で、本来の彼は魔術師だ。
王女の影のように、気配を溶け込ませているが、それが逆に彼の魔力の高さを証明していた。
「カイル、案内を頼む」
殿下がそう言うと、その隣国の騎士は殿下に黙礼をして、スタスタと僕のほうへと歩いてきた。
この男は僕を知っている。僕もこの男を知っている。遠い昔に、遠い場所で。
殿下と王女が王宮の奥へ消えていくのを見送った後、僕は彼のほうを振り返っていった。
「お疲れでしょう。すぐに部屋にご案内いたします」
「…よろしく」
王女の騎士は口数が少なかったが、先ほどの警戒ぶりがどこへ行ったかと思うくらい、くつろいだ様子だった。あれほど巧妙に気配を隠していたのに、今はもうそれすらもない。
あまりの変わりように、こちらが拍子抜けしたくらいだ。
この騎士の部屋は王女の部屋の隣だ。内側のドアで行き来ができるが、王女側から鍵がかかけられている。
たぶん、殿下はこの騎士が王女に付いて来ることを知っていた。だから、このような部屋を用意させたのだろう。
部屋に通しただけで、その場を辞そうとすると、その男は僕を呼び止めた。
「ずいぶん久しぶりなのに、そんなに急ぐことはないだろう」
その男は立ったまま、僕を見つめて笑った。よく見れば確かにどこか昔の面影があった。
「レイ。隣国の高名な魔術師というのは、お前だったんだな。知らなかったよ」
「お前こそ、まさか、お貴族様とはな。あんなチビが、いつのまにか騎士か。時間というのは恐ろしいな。それで、劇作家になるって夢はどうなった?」
姿は変わっても中身は同じだ。こいつは僕が知っているままだ。
同じ孤児院で一緒に育った、あのレイだ。
「今でも適当には書いてる。でも、いつの世もそう思い通りにはならない」
「はは。違いない」
レイは楽しそうに笑って、そうしてふっと真剣な眼差しを向けた。
「約束の女は見つかったか」
「ああ、まあな」
僕がそう言うと、レイはそれ以上は突っ込んで聞いてはこなかった。
昔から察しがいいやつなので、何かを感じているんだろう。
好きな女はいる。だが、彼女は僕の恋人ではない。たぶんこの先も、彼女が僕のものになることはない。
「お前はどうなんだ。恋人はできたのか」
僕がそう問うと、レイは黙ってテーブルの上のワインを開け、グラスに注いだ。
その色は、遠い昔にどこかで見た血の色のようだった。
「早朝から飲むのか?」
「構わないだろう?長旅で疲れてるんだ。少し眠りたいしな」
確かに、王女の前では見せなかった疲労が、今のレイからは感じ取れる。相当な無理をしているのかもしれない。
それは魔力のゆらぎにも見て取れた。つまり精神的にもかなりの重圧があるということだ。
「……そうか、王女か。彼女がお前の永遠の恋人なんだな?」
「どうだろうな。想像に任せる」
昔からレイが求めていたのは、命をかけて仕えるに値する主君。王女の持つあの空気は覇王のものだ。レイがずっと探していた、永遠の恋人そのものに。
彼はグラスを高くかかげた。
「我が女王に!おのが血を捧げん」
芝居がかったその仕草を見て、僕は思わず吹き出した。
「それは演劇のセリフだろ?全く昔のままだな。俳優は廃業してないのか?」
「当たり前だろう。王女に飽きられないためには、一人で何役もこなせないとダメさ」
レイはワインを飲む干すと、遠くの眩しいものを見るように目を細めた。
そうして、僕のほうに向き直ると、真面目な顔で言った。
「こんなところで会うとは思わなかった。正直、初めはなんの因果かと思ったよ。だが、運命とはそういうものだ。すべてがジョークだ」
「そうだな。すぐに俺だって分かったのか?」
「そりゃ、わかるさ。お前だって分かったじゃないか」
確かに僕もこいつはレイだと思った。仕草や気配、オーラというのもあるかもしれない。
だが、実際には微かに漏れた魔力だ。巧妙に隠してはいたが、僕には感じることができた。
「おれは魔術師だ。それなりにプロだから、お前の魔力も読める。お前だって、それだけの魔力量だ。鍛えていなくとも、俺の魔力を読めただろう」
僕は魔法というものを学ばなかった。学ばないことを選んだ。
だから、魔力をコントロールするためと、その基本的な使い方しか知らない。
だが、レイのように訓練された魔術師というのは、もっと多くの能力もをにつける。
それには人の心を、未来を、運命を読むことも含まれる。予言を行う西の賢者のような。
レイの指には高位の魔術師だけが持つことを許された、赤い宝石の指輪がはめられていた。
殺した敵の魂を吸うと言われるそれは、血のように赤く妖しい光を讃えている。
隣国はすでに何度か北方と剣を交えている。今は休戦状態だが、戦場での魔術師の活躍は聞いていた。
レイはすでにそこで多くの血を流してきたのだろう。
「ひどい状況になったな。レイ、勝てるか」
「五分五分だな。向こうにも凄腕の魔術師がいる。簡単じゃない」
「シャザードか。悪魔とも堕天使とも言われている。もう対峙したのか」
「……あいつは俺の兄弟子だ。実力は俺が誰よりも知っている」
「あいつも西の賢者の弟子なのか?」
レイは黙って頷いた。
「あいつは、堕落した魔術師だ。己の欲で動く。止められなければ世界は破滅する。それがやつの狙いだ」
「止められるか?」
「絶対に止める。容赦はしない」
シャザードは、北方に与している世界最高峰の魔術師だ。だが、指導者のために動いているわけではない。互いに利害が一致しているだけだ。
いずれは袂を分かつはずだが、それは世界の滅亡のときになるかもしれない。
それでも、こちら側にレイがいれば、まだ勝てる可能性がある。生き延びることができるなら、戦う価値はある。
愛しいものたちのために、守りたいものたちのために。あいつのために。
こいつはすでに覚悟している。刺し違えてもシャザードを倒すことを。
「行くのか」
「ああ、近いうちに。天は自ら行動しない者に救いの手をさしのべない……だろ?」
レイは冗談めかして演劇のセリフを吐いたが、北方の情勢を鑑みれば、一刻の余裕もない。戦火の足音はひたひたと近づいている。
そして、今回の王女の来訪が、その最後の防波堤になるはずだった。
「お前の王女はうちの殿下と婚姻を結ぶ気だ。それでいいのか」
王女からは、ほんのわずかだがレイの魔力が感じられた。王女とレイは愛し合っている。
殿下もそれを黙認しているし、レイが魔力の注入量を意図的に押さえていなければ、二人の仲は公然の秘密となっただろう。
それなのに、王女が毎夜、殿下に抱かれることに、お前はどう耐えるつもりなんだ。
僕は耐えられるだろうか。もしも、あいつが僕を愛しているなら、それでも僕はあいつを手放せるだろうか。
あいつの幸せのために、身を引くことができるだろうか。
レイがどうやって自分の心に折り合いをつけたのか、それを知りたいと思った。
「俺には身分がない。魔力だけで成り上がった男だ」
「理由はそれだけか?それならなんとでも……」
この国には騎士爵もあるし、功績のある平民には一代限りだが男爵位も与えられる。
レイほどの功績があれば、どの国でも伯爵以上の爵位を差し出して、その懐に取り入れようとするだろう。
「この婚姻は北方への押さえだ。壊すわけには行かない」
「……もし北方を敗れれば」
「そういうことは、そのときに考えればいい」
「だが、それでは王女は」
「黙れ!」
レイは怒気を込めて、僕の言葉を制した。レイの表情には苦渋が滲んでいる。
これは僕が踏み込んでいい領域ではなかった。おそらく、王女とレイにとっては、すでに決定事項なのだ。
黙り込んだ僕を見て、レイは表情を崩した。僕が落ち込まないように。僕が気に病まないように。
こいつは、昔から、兄貴気質の強い男だった。
「そう深刻になるな。いいんだよ。これも縁だ。運命とは、最もふさわしい場所へと、その魂を運ぶ」
レイはまたも懐かしいセリフを切った。そして寂しそうに笑い、今度は逆に、ずいぶんと突っ込んだ質問を、かなりストレートに口にしてきた。
「お前はどうなんだ?もう抱いたのか?」
「……俺はお前とは違う」
僕の答えを聞いて、レイは心底おかしそうに笑って「残念だな」と言った。
そんなことを言われる筋合いはないが、実際はその通りだと思った。残念だった。
「まあ、いい。しばらくよろしく頼む。その彼女には会えるのか?」
「たぶん」
僕は返事を曖昧にぼかした。
そのときは、まさかクララがすぐに王宮に上がることになるとは、夢にも思っていなかったから。