一夜の過ち
クララが可愛い。可愛すぎる。
薄紫から濃紺へと移り変わる色のドレスは、クララの白い肌によく映える。裾に行くほど多くなるビーズが星のように瞬いて煌めきに、まるで夜空に吸い込まれるような気がする。
だが、ドレスのどんな意匠であっても、クララ本人の美しさに敵うものはなかった。
肌はつやつやと瑞々しく、瞳は潤んで輝き、頬はピンクに色づいて、唇はふっくらと赤みを差している。
化粧をする必要がないくらい、内側から色香がにじみ出ているのだ。
寝不足なはずなのに、そんなことは微塵も感じさせない。
そして、そんなクララの変化を周囲が見逃すはずもなく、僕たちは屋敷内で非常に生暖かい目で見られている。
気を使って誰も何も聞かないが、それがかえって具合が悪い。いっそ聞いてくれれば、一線は越えていないとはっきり言えるのに。
昨夜のクララは酔っていた。
最後のデザートには、ちょっと度数の高いアルコールが使われていた。僕には風味付け程度だからといって、クララにとってもそうだとは限らない。
シャンパンであれだけ赤くなるのだから、彼女は相当弱かったはずだ。
その証拠に、デザートを食べたほぼ直後に、僕を下敷きにして眠ってしまうくらいだから。
いくらなんでも、酔っている女性をどうこうするわけにはいかない。
そういうことは、ちゃんと正気のときにお互いの同意があってから、いや、結婚するまではダメだろう。
とはいえ、僕は正常な男だし、求婚を受けてくれた婚約者があれほど積極的になってくれたら、それ相応の対応をしても、おかしくないと思う。
なので、みなの見解はそれほど間違っているわけでもなくて、なんというか、まあ、とにかく一線は越えていないということだ。
支度ができたというので、僕は花束を持ってクララを迎えにいった。
僕を見て真っ赤になって俯くクララと、クララを見てたぶん同じくらい赤くなって目をそらす僕。
見ているほうも恥ずかしくなるようなベタなシュチュエーションなので、使用人たちはさっさと下がっていった。
こういう場合は、やはり男である僕が、先に何か言うべきだろうか。
とにかく彼女を褒める。見たそのままを言えばいいのだから簡単なはずだ。『すごくきれいだ』と一言でいい。
いや、待て。それは昨夜、熱に浮かされたように何回も言ったので、今更素面で言うのは逆に照れる。絶対に無理だろ。
「あの、カイル。そういう格好初めて見たんだけど、すごく素敵」
しまった。僕が悩んでいるうちに、クララに先を越されてしまった。
しかも『すごく素敵』って、それ、昨夜も何回も言ってくれた言葉だ。
「ありがとう。君こそ、すごくきれいだ」
すこしぶっきらぼうな言い方になってしまったのは許してほしい。なんとか動揺を隠し、顔がにやけないように注意していたせいだ。
もちろん、僕の顔を見れば、たぶん何を意識しているのかなんてバレバレだろう。自覚できるほど顔が熱くなっている。
僕の言葉を聞いて、クララもさらに真っ赤になった。彼女も同じ気持ちのようだ。何だこれ、羞恥プレイか。恥ずかしすぎる!
それでも、彼女が僕を意識してくれるのが嬉しくて、心地よくて、もう今日はこのまま二人だけで、寝室でまったり過ごしたいと思ってしまう。
いや、それはダメだ。とにかく公式に殿下に、婚約の報告をしなければ。
それでやっと、名実共に、クララは僕のものになるのだから。
僕はそっと花束を差し出した。クララにプレゼントしようと、今朝、急いで用意したものだった。
「君に似合うと思って。喜んでもらえると嬉しいんだが」
「……嬉しいです」
なぜ急に敬語に? そう思ってクララを見ると、花束に顔をうずめていた。
そのせいで顔は見えないが、耳やうなじまで真っ赤だ。
ああ、そうか。昨夜、ピンクの薔薇の蕾のようだと、僕が何度も彼女を褒め讃えたからか。
正気では考えれないような、キザなセリフだ。忘れてほしい。
だが、恥じらう彼女を見て、僕はますます煽られてしまった。
僕はクララの手を取って、椅子から立ち上がらせた。そして彼女の小さな両肩を引き寄せて、キスをしようと顔を近づけたところで、花束の応酬を受けた。
なぜ、今更、キスを拒否られるんだ?
「ごめんなさい。私、昨夜はちょっとおかしくて」
それはどういう意味だろう。どういう展開だ?次に何が来る?
「だから、忘れてください!」
そっちの方向に行くのか。それはありなのか? いや、もちろん、まだ引き返せる関係ではあるけれど。
つまり、クララにとっては、昨夜のことは忘れたい間違いで、僕が一人で勝手に舞い上がっていただけということか。
それはショックだ。かなりの打撃だ。
僕は、今度こそ本気で、動揺を隠さなくてはならなくなった。
あんな夜を過ごした後で、こんな事を言ってくるということは、ずいぶんと勇気がいったはずだ。
それでも、そう言ってきたということは、それだけ昨夜のことは、クララには消したい過ちなんだろう。
「酔ってたからね。心配しなくていい」
僕は酔っていなかった。それに、周囲にはもう既成事実と思われているんだから、そんな消去みたいなことはできないし、そこは君も心配するところだと思う。
むしろ、責任を取って今すぐ結婚してと、強引に迫ってくる流れでもおかしくない。
そうは思ったが、クララがホッとしたような顔をしたので、僕は言葉を飲み込んだ。
正直、ものすごいショックだったけれど。
僕はまだ、彼女の心を手に入れていなかった。つまりは、そういうことだ。
「ありがとう」
それは、何に対する礼なんだ。これ以上の追い打ちをかけないでほしい。
いくら騎士として、心身の鍛錬を積んでいると言っても、精神的打撃が強すぎる。
でも、そういうことなら、なおさら外堀から埋めていくのが得策だ。
なんとしても、今日の婚約報告で、正式に承認される必要がある。忘れて、なんて言えなくなるように。
「さあ、行こうか。何事もなく終わるとは思うけど、今日だけは僕から離れないで」
クララは真剣な顔をして頷いた。
確かに、北方の脅威はあるかもしれないが、クララは僕が命をかけて守る。
だが、むしろ敵は、ローランドであり、殿下であり、会場中の男たちだ。
そちらを牽制するためにも、周囲には相思相愛だと思わせておきたい。
頬を染めて僕の腕を取るクララは、めまいがするほど可愛い。やっぱり可愛すぎる。
この可愛い人が、公の場で男たちの視線に晒されるなんて、考えただけでも気が狂いそうだ。
こんなことなら、昨夜、一線を越えておくべきだった。
僕は、最後の最後で詰めが甘い自分に、舌打ちをしたい気分だった。
次は【第二章】最終話です! ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。
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