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ロマンチックが止まらない

 ダイニング・ルームに入ってきたクララを見て、僕は思わず目を瞠った。


 紫のドレスを着たクララは、息を飲むほど美しかった。そこには見たことがないような貴婦人がいた。 

 照明を落とし、いくつもの燭台に灯るロウソクの火が、柔らかな光で彼女を照らしている。

 少し大人びた髪型と化粧を施されたクララは、妖艶な色香をまとっていて、僕は一瞬にして意識が飛びそうになった。


 それは、さすがにまずい。今夜は絶対に、失敗はできない。


 僕は席を立ってクララを迎え、その右手を取って甲に口付けをした。これは淑女への儀礼だった。

 さして特別なことではないのに、僕はものすごく緊張している自分に気がついた。


 それでも、クララがそれに頬を染めてはにかむと、やはりなんだかすごく特別なことをしているような気分になった。


 いや、それはクララだって誰だって、照れるだろう。こんなベタな雰囲気作りをされたなら。


「素敵な部屋ね。カイルはいつも、こんな風に晩餐をしているの?」 


 そんなわけはない。これは演出だ。


 女性は、ロマンティックなもてなしが好きだと聞いて、いろいろとマーサと執事の助言を参考にしただけだ。

 彼らから生暖かい目で見られるのには閉口したが、僕ではこんなこと考えつくわけがない。


「いや。今日は初めて君と、一緒に夕食をとるから」


 椅子を引いて席に座らせると、僕たちはまずは食前酒で乾杯した。


 女性が好きそうなピンクのシャンパンに、真っ赤な苺を添えてある。

 クララはあまり酒が強くないのか、これだけで、もう真っ赤になって、目が潤んでいる。

 さすがにその顔は、僕の心臓に悪い。


 彼女の酔いが回らないように、僕はさっそく食事を運ばせることにした。空っぽの胃にアルコールはきついだろうと。


 クララはあまり食が進まないようだったが、「美味しい」と言ってくれた。実際、食事は本当に美味しいのだが、緊張のせいか、僕もあまり食べられなかった。

 だが、最高の食材を揃えてくれた料理人たちには、後で礼を言っておかなくてはいけない。特別ボーナスを出してもいいだろう。


 食事中はマナーを慮って、あまり話すことはない。それでも、僕たちはポツポツと話をした。

 気まずくならない程度に会話を続けた、というのが正しいかもしれない。それは料理のことだったり、この屋敷のことだったり。

 だが、肝心の婚約のことについては、僕も触れなかったし、クララも聞いてこなかった。


 暗黙の了解で、その話題はタブーとなっていた。


 デザートのいちごシャーベットを食べ終わった頃、クララが言いにくそうに聞いてきた。


「あの、カイル。謹慎中だって聞いたんだけど。喧嘩したって……」


 そこから来たか。ヘザーからの情報だとは思うが、あまり心配をかけるようなことは知らせたくなかった。


 コーヒーが給仕されるまで待ってから、僕は慎重に言葉を選んで答えた。


「未熟な人間なのを恥じてるよ。でも、相手に怪我はない」


 これは本当のことだし、クララが聞きたかったのはそれだろう。ヘザーには、ローランドのことは聞きにくいはずだ。


 クララは、ローランドへの気持ちを見透かされないように頑張っていた。そうでなければ、僕を好きだと嘘までつくはずはない。


「カイルは?怪我はしてないの?」


 驚いた。ローランドを殴った僕を責めるどころか、怪我の心配をしてもらるとは思わなかった。これは不意打ちだ。


 僕は、にやけそうになる顔を引き締めて、努めて平静を装った。


「ないよ。謹慎も明日までだし」


 クララはほっとしたように、嬉しそうに微笑んだ。笑顔が眩しい。


 これは反則だ。君が僕を気にかけてくれるのは嬉しい。でも、過度の期待を抱かせて、僕の気持ちを弄ばないでほしい。


 それでなくても、すでに理性で制御可能な範囲を、ゆうに超えているのから。


「謹慎中なのに、家にいなくてよかったの?」


 ……僕がずっと家にいたら、君は寛げないだろう?


 一応、僕はこの家の主で、王女に君に関する全権を委ねられている。そんな男が側にいたら、常識的に考えても、女性が怖い思いをする。


 僕は普通の男だし、好きな子と一つ屋根の下に暮らしている状況下では、理性が飛ぶことだってあるかもしれない。

 夜なんて正に拷問なのに、よく耐えていると思う。褒めてほしい。


「王宮への出入りを差し止められただけで、外出は問題ない」


 殿下だって、クララと僕が家に籠もっているのは好まないし、王女からは別任務が下されている。これに関しては全く問題なかった。


 だが、その外出で君への贈り物を買い漁っているというのは、あまりバレてほしくない事実だ。


 僕は精神安定のために、コーヒーを飲んだ。カフェインで少し落ち着けるといいのだが。


「そうなの。よかった。今日はどこに行ってたの?」


 そういう会話の流れになるのか。これはむしろ、僕に好都合だ。

 今日の話になるのはいい。例の婚約の話へと持って行きやすくなる。


 失敗はできない。慎重に慎重に。とにかく言質を取ればいいんだ。


「預けていたものを、取りに行ってたんだ。ヘザーが来たときに、家にいなくてすまない」


 そう言うと、クララの顔が真っ赤になった。


 ああ、そうか。ヘザーの前でも同じことを言ったし、どさくさでキスまでしたんだった。

 僕を意識してくれているなら、嬉しいんだけれど。羞恥や憤怒で赤くなっているんじゃないことを祈るしかない。


「わ、私こそ。勝手にヘザーを家に入れてしまってごめんなさい。その、あのときのことなんだけど……」


 クララはゆでダコのように真っ赤な頬をしたまま、僕から目をそらした。

 怒っているようには見えないから、言うなら今がチャンスだ。


 とにかく、クララの同意が得らればいい。


 僕は立ち上がって、クララの手を取って立たせた。そして、さりげなくサロンの暖炉の側に誘導した。


 僕も緊張していたが、クララも緊張しているようだ。


 それはそうだろう。どう見ても、この状況は求愛行動に続くはずで、その先への決定権はクララにあるのだから。


 僕はその場に片膝をつき、クララの右手を取って言った。

 これを言うには相当の勇気が言った。だが、このチャンスを逃したら、もう言える気がしない。


「クララ、僕と結婚してほしい」


 クララを見上げると、顔を真っ赤にしたまま、明らかに動揺していた。


 やはりダメか。クララはローランドとヘザーの婚約で傷心だ。今なら思わず「はい」と言ってしまうだろうと狙ったのだ。

 さすがに、そういう卑怯な思惑通りには、簡単には物事は進まない。


 そう思って落胆しかかったとき、クララから意外な言葉が滑り出た。


「どうして、私と?」


 どうしてって、君が好きだからに決まっているだろう。やっと他のやつらを遠ざけたんだ。どれだけこの日を願ったことか。


 君を誰にも渡したくない。心から愛しているんだ。


 こんなことをストレート言われたら、クララは引くだろう。怯えてしまうかもしれない。それは、今この状態では得策ではない。


 落ち着け。とにかくクララが『はい』と言える状況を作るんだ。その後でゆっくりと時間をかけて、距離を縮めていけばいい。


「北方から、君を守りたい。今それができるのは僕しかいない。王女にも頼まれている」


 なぜだろう。真っ赤だったクララの顔が、急に青ざめたような気がする。


 そうか、こう言われては、もう僕の求婚を断れない。だから、ショックを受けた。そういう解釈が妥当だろう。


 だが、いやいやだろうとなんだろうと、君が側にいてくれるならそれでいい。この申し込みを受けてくれ。絶対に幸せにするから。


「分かりました」


 クララは俯いて小さくそう言った。しぶしぶ承知したということだろうか。


 さきほどまで熱かった手が、今は氷のように冷えて震えている。まるで全身で泣いているように。

 こんな風にして、ローランドへの未練まで奪われるとは、思ってみなかったのかもしれない。

 悪いとは思う。だが、僕はもうなんども引いた。今はもう引く気はない。


 それでも、クララが少しでも安心できるよう、僕は言葉を続けた。


「今すぐに結婚するわけじゃない。当面は婚約者になるだけだ」


 それを聞くと、クララはなぜか寂しそうに瞳を揺らした。暖炉の火のゆらぎが作った錯覚かもしれないが、僕にはそう見えた。


「形式だけの婚約者……ということ?」


 クララがそれを望むなら、僕は喜んで受け入れる。結婚するまでは、君には触れない。

 ここまで耐えたんだ。これからもできるはずだ、たぶん。


「そう思ってくれていいよ」

「……よろしくお願いします」


 よし、これでいい。婚約は同意の元に成立した。これで僕たちは正式な婚約者だ。クララを守るのは僕の役目だ。命をかけて彼女を守る。


 僕がホッとしてクララに笑いかけると、クララも僕に微笑んだ。……かわいい。


 このままクララを抱き上げて、寝室に閉じ込めてしまいたい衝動をなんとか抑えて、僕はポケットから小箱を取り出した。


 今日はこれを取りに行っていた。婚約指輪だ。


 ローランドが用意したような高価なものではないが、クララの細い指に映えるような意匠を凝らしている。


 クララは黙ってそれを受け取り、そして蓋を開いた。そして、驚いたように目を瞠り、小さく呟いた。


「チューダー・ローズ」


 それは、僕にとっては全く予期していない言葉だった。そして、クララの口から、さらに想定外の言葉が続いた。


「貴方は私の騎士様ですか?」


 真剣な目で僕に問いかけてくるクララに、僕はその問いの意味を測りかねて口をつぐんだ。


 見つめ合ったまま黙り込む僕たちを、暖炉の火が温かく照らしていた。



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