王家の紋章 [クララの視点]
私は、また夢を見ている。ヘザーの指に輝くルビーは、貴方の血の色のように赤かった。
ぼやけていく視界の中で、雪に飛び散った血は、真紅の薔薇の花弁を散らしたかのように鮮やかだった。そして、思わず手を伸ばした私の指も、確かに真紅の貴石で飾られていた。
『これは母の形見の指輪だ。君に持っていてほしい』
貴方がくれたのは、たしかに赤い石の指輪だった。でも、ヘザーの婚約指輪ような、大粒の石ではない。
中心に金で丸く雌しべが細工され、それを銀の花弁が取り囲んでいる。その周囲に、さらに花弁に見立てた、赤い石が置かれていた。貴石を留める部分は銀細工で葉に見立てられ、花弁はそれぞれ五枚。
チューダー・ローズ
王家の紋章が、そのまま指輪になったものだった。これは貴方を守る出生の証拠。なぜ私が持つことができるだろう。貴方が持ってこそ、その輝きは本物になる。
そして、これがあれば、貴方は生き残れるはずだった。
『僕には、もう要らないものなんだ。でも、母のことは覚えていてほしい』
愛する母親の形見で、貴方は私を飾りたいと言った。
この赤は、母から子へ、そして子孫へと伝えていく血の色。いつか生まれる、私たちの子に伝えていくべき品。
それは身分や家柄という枷はなく、ただ幸せに末広がっていく、子の未来を願うもの。
貴方はそれを私の指にはめ、そしてそっと口付けた。
『これは僕の血の色だ。この血にかけて、君を必ず守り抜く』
唇を噛んだのだろう。貴方が唇を離した後の指輪は、全体が赤く染まっていた。
私は慌てて貴方の首に腕を回し、その唇から流れる血を吸い取った。
貴方が私のために流す血が、これで最後であるように祈って。
その祈りは叶わず、貴方の血は流された。そして、それが私たちの最期となった。
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「お嬢様!クララ様!起きてください!」
聞き覚えのある声に、私は薄く目を開けた。
ああ、やっぱり夢だった。やっとあの人に会えたのに、どうして目が覚めてしまうんだろう。
いえ、そうじゃない。あれは過去のこと。もうあの人はいない。もう、会うことはできない。
「マリエル?なんでここに?」
マリエルは、チャキチャキとカーテンを開いて、ガバっと窓を開けた。時間的には夕方だろうか。外は薄暗くはなっているけれど、日はまだ落ちきっていなかった。
私、どうして寝てたんだっけ。夢の余韻なのか、記憶が少し、ごちゃごちゃしている。
「もうっ。お昼寝には遅いし、就寝には早すぎます!そういう自堕落な生活をしていると、婚約者様にも、愛想尽かされますよっ。結婚前なんだから、少しは猫かぶっていただかないと!」
婚約者。それはなんの話だっけ? そもそもマリエル、なんでここにいるかって質問に、答えてないけど。
「なんか、状況よく分かんない」
私はベッドから降りた。どうして部屋にいるんだろう?あ、そっか、カイルが……。
「あれ。なんで寝間着なの?ドレスどうしたっけ?」
私は急に現実に引き戻され、ちょっとパニックになった。
それを見たマリエルが、やれやれとため息をついた。
「ヘザー様が、男爵家へいらしたんですよ。旦那様にご報告をって。それで、慣れたメイドがいないとお嬢様が心細いだろうからって、私をこちらへ派遣してくださいましたの。こちらに到着したら、執事様にお熱を出したことを聞いて。心配した来てみたら、当人はグースカ寝ていて。カイル様が、お気の毒でしたわ。私が来るまで、ずっと側についていらしたんですよ!」
「カイルが?側に……」
私は全身がカーっと赤くなっているのを自覚して、両手で頬を押さえた。
だってそれって、カイルに、寝顔見られたってことでしょう?
まさか、着替えはカイルじゃないよね?
……しくじったわ。もっと素敵な下着を付けておくべきだったって、違うっ!そうじゃなくて!
なんでカイルが。あれ?何がどうなったんだっけ……。
「お嬢様、やっぱりお熱ってそれだったんですね。それ、はっきり言って、知恵熱です!お子ちゃまお嬢様には、刺激が強すぎたのかと」
「え?ちょっ。どういうこと?マリエル、何か知ってるの?」
「は? 何言ってんですか? 婚約者の寝室に寝てるし、客人の前でもキスしちゃうほどラブラブだって聞けば、そりゃ、なんかもう、知ってるというかバレバレというか? 初心なお嬢様にはちょっと展開が早すぎて、そりゃあ、熱も出ますわよ。でも、カイル様って、実はむっつりスケベだったんですね。手が早いったら!うふふふ」
待って、違う。それは違う!やめて。それをメイドネットに載せられたら、私、もう外を歩けないから!羞恥で死ねる。
カイルと、そ、そんな関係とか、ないないないない!
何がどうなっているのか分からずに、それでも何か言おうと頑張ってみたが、ただ口がパクパクと動くだけで、一向に言葉は出てこない。
更にパニックを加速させる私を見て、マリエルが「ブーッ」と吹き出した。
「冗談ですよ。初心なお嬢様と奥手のカイル様が、そんな簡単に、先に進むなんて思ってませんってば!でも、だからこそ、私もヘザー様も萌えるんですよ。カイル様なんて、もう伏兵もいいとこじゃないですか!秘めた恋。鳴かぬホタルは身を焦がすってね」
意味がわからない。マリエル、意味分からない。
でも、とりあえず「大人の階段登っちゃったね疑惑」は回避できた。
階段登ってないよね、私。ちゃんと服、着てるもの。
それでもまだ混乱している私をよそに、マリエルは衣装戸棚を開けて、中のドレスに歓声を上げた。
「どれもすごく素敵じゃないですか!どうしたんですか、このドレス」
「あ、それはカイルが買ってくれて……」
そこまで言って『しまった』と思ったけれど、もう後の祭りだった。この、手を組んで目をキラキラと輝かせた乙女を止める術は、もう存在しない。
「凄まじく愛されてますね。どれも、クララ様の美しさが引き立つためだけに、選ばれたものですよ。並の男のセンスじゃないわ。男なんて独占欲で『コレ俺のもの!』みたいなの趣向を出してくるけど、これはどれも下心なし!純粋にクララ様の崇拝者じゃなきゃ、これは選べないですわ」
マリエルはきゃあきゃあ言いながら、ドレスから普段着まで一通り確認してから、シンプルな紫のビロードのマーメイドドレスを選んだ。
「今夜はこれにしましょう。カイル様が、お嬢様の具合が良くなったなら、一緒に晩餐をって。コルセットがいらないタイプで、着脱も楽だし。しかも手触りがいいから、カイル様も撫でたくなっちゃうと思いますわ!」
「マリエル、あのね。えーと、婚約っていうのは、たぶん私に、恥をかかせないようにっていう配慮であってね。あと、なんかヘザーが色々と誤解していたから、それに助け舟を……」
私がしどろもどろになりながらも、なんとかそう言うと、マリエルはふーっと息を吐いた。
そして、持っていたドレスを着替用の衝立にひっかけた。
「ヘザー様の婚約のことは、知ってますわ。あのローランド様が心変わりをするとは、正直驚きましたけど。でも、それより萌えたのは、それを知ったカイル様が、ローランド様を殴ったってことですわ」
「え?カイルがなんで、ローランドを?」
「お嬢様!天然も、いい加減にしてくださいまし!そこまでいくと嫌味ですよ。ローランド様は、許嫁だったクララ様から、あっさりヘザー様に鞍替えなさったんですよ!カイル様としたら、そりゃ、お嬢様に対する誠意がないって怒るでしょうよ。ローランド様がいると思ったからこそ、カイル様は恋心を忍んでこられたんだろうし」
マリエルは恋愛小説の読みすぎだと思う。どこからどこまでが作り話なのか、もうすでに全部がアヤシイ気がしてきた。これ以上は聞かないほうがいいように思う。
ただ、カイルがローランドを殴ったというのは気になった。マリエルの言っていることが本当だったら、カイルは私を……。
いや、ちょっと待て!それは都合がいい考えすぎる。世の中、そんなに簡単に両思いとかになるなら、恋愛小説とか流行らないから!
なんでもかんでも、物事が恋愛に結びついてると思うのは、それは女子だけの話だ。
男性には男性の世界があるんだし、何かのっぴきならない事情があったのかもしれない。
それでも、カイルの力になりたい。カイルを支えたい。そして、カイルの気持ちを知りたい。
マリエルがてきぱきと私を着替えさせている間も、私はずっとカイルのことを考えていた。




