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恋バナ

 殿下は周囲にニコニコと愛想を振りまきながら、それでも足早に出口のほうへ歩いてきた。


 そのせいか、周囲のあいつとローランドへの関心は相当減ったように思う。

 それは殿下の思惑どおりだろう。殿下だって、あいつを晒し者にしたくはないはずだ。

 あいつを知っているなら、そんなことはできるはずがない。


 殿下が出口あたりに差し掛かったタイミングで、僕は目立たないようにメモを手渡した。

 殿下はさっと目を通して、殿下に従って会場を下がってきた者たちに言った。


「みな、すまない。宰相殿からの連絡だ。執務室へ戻るぞ」


 僕たちは殿下に続いて退出することになった。だが、ローランドはまだ戻ってきていない。


 それはあいつと一緒だから。ローランドには職務よりも大事なものがある。そして、それを優先する度胸もある。

 立場を考えればフェアな勝負とはいえないけれど、ここは殿下の負けだった。


 それでも、ローランドのために、少しだけフォローが必要だ。このまま放置するのは得策じゃない。あいつのためにも。


「ローランドがまだ残っているようですが」

「連れきてくれ。彼の父、宰相からの連絡だ」

「御意」


 殿下の命令なら、ローランドの様子を見に行く口実になる。予想通りだった。


 ローランドが無茶をするとは思わない。だが、あいつの無事だけは確かめておきたかった。殿下だって同じ気持ちだろう。


 だから、これは利害が一致したというだけだ。


 僕は殿下に軽く頭を下げると、すばやく会場へと向かった。


 会場に入ると、楽団の音楽とダンスをする者たちで、急に非現実へ引き込まれたような気がした。


 僕はあきらかに場違いだった。


 なるべく目立たないように壁際を通り、テラスのほうへ近づいた。


 貴族は見栄の塊だ。ゴシップや噂が好きな割には、人の色事を覗き見するような無粋なものはいない。そんなことをすれば、自分に悪評が立つからだ。


 テラスのあたりには、影の薄い令嬢たちが数名で流行りの本の話をしているだけだった。その中には、あいつの友達もいた。


 ヘザーと言っただろうか。あいつの隣で、いつもローランドを見ているやつだ。たぶん、僕と同じ理由で、ここにいるのだと思う。


 彼女はローランドが制しきれなかった男たちを、向こう側から撃退した。おそらくはローランドのために。

 あいつに近づく男たちを排除し、ローランドの願いを叶えてやるために。


 ローランドは直情的だ。それは魅力であり、また短所でもある。女を口説くのに有利なこともあるが、その相手があいつだったらどうだろうか。


 あいつはまだローランドを愛していない。つい最近まで、僕がローランドの恋人だと勘違いしていたくらいだ。男として意識さえしていなかった。


 あいつの性格からして、そんな相手から強すぎる情熱をぶつけられたら、困惑するだけだ。そうなったなら、フォローが必要だ。二人を結びつけるために。


 そういう役目を、僕とヘザーがしている。思う相手は違うけれど、願いは同じだ。


 近くを通った給仕のトレイから、僕はシャンパンを取った。今はアルコールがほしい。ぐっと煽ったが、何の味もしなかった。


 本当は分かっている。僕は嘘をついている。ローランドとあいつのことを思ってなんて、それは偽善者のセリフだ。

 本当はあいつが心配で仕方がない。ただそれだけだ。だから、僕はここにいる。


 そして、ヘザーも同じ気持ちだと思う。ローランドが心配なのだろう。もちろん、あいつのことも、同じように気にかけてはいるはずだが。

 愛するもののために、どこまで自分を犠牲にできるか。痛みが深いほど、喜びが大きい。

 僕たちは愚かな同志だった。


 そのとき、ローランドが一人で戻ってきた。


 何があったかは顔を見ればわかる。後悔と苦渋を足して割ったような顔だった。

 どうやら失敗したようだ。それはまあ、想定内だ。相手があいつなのだから。


「殿下が呼んでいる。あれは宰相殿からの連絡だった」

「…分かった」


 そのままローランドに続こうとしたとき、やつはテーブルからグラスを取り、給仕に水を注がせた。


「悪いんだが、これをクララ持っていってくれないか。テラスにいるから」


 ローランドはそれだけ言うと、グラスを僕に押し付けて、さっさと会場の出口へ向かっていってしまった。


 人に後始末をさせるというのは、褒められたものじゃない。だが、ローランドがそう言うのなら、僕が行っても誰も文句はないだろう。


 僕は自分にそう言い聞かせた。


 テラスに出ると、少し奥まった壁際に座り込んでいるクララを見つけた。

 特に怪我などはないようだが、たぶんローレンスの熱に気圧されたのだろう。


「平気か?」


 クララは少しきまり悪そうに微笑んで、差し出された僕の手を取った。


 ここは比較的涼しいのに、彼女の手は驚くほど熱かった。頬もバラ色に染まっている。


「ローランドは帰った。頭を冷やすべきだな。あんたも少し落ち着いたほうがいい」

「どうして、ここに?」

「殿下の命令。それとバリケード。痴話喧嘩はゴシップになるから、気をつけろよ」


 クララはそれを聞くと更に頬を染めて、僕が差し出した水を一気に飲み干した。そして、少し長めの深呼吸をした。


「ありがとう」

「どういたしまして」


 それ以上は何も言わなかった。言う必要もなかった。


 こいつには少し時間が必要だ。たぶん、いろんなことを整理するための。


「ローランドは、私を好きだったのかな」


 クララは俯いてつぶやいた。それでも、僕にはっきりと聞こえるように言ったので、独り言ではない。

 たぶん、何らかの返事を期待している。


「やっと気がついたのか?」

「でも、ローランドの恋人はカイルだって……」


 こいつ、まだそれを信じていたのか!


 僕の演技力もなかなかだと言いたいところだが、いい加減、気付いてもいいだろう。

 どう考えても、ありえない話なんだから。


 それにしても、恐ろしく鈍い。鈍感にもほどがある。人の痛みには敏感なくせに、自分への好意や愛情には疎いというのは、本当に始末に負えない。


「あいつは分かりやすいだろ。いつもあんたにべったりだったじゃないか。バレバレだ」

「そんなの……。だって、ローランドにはカイルがいるから、全部、友情表現だと思ってたし」

「あれは愛情表現だったろ?あんだけ執着されて、なにが友情だ。これだから、恋愛未経験者は」

「こ、恋ならしたことあるわよ!」


 僕はため息をついた。こんなネンネが、いったいどんな恋をしてきたというのか。


「本の王子様?さっき令嬢たちが話してた、最近流行りの『真実の愛』とかいうやつ?」

「違うわよ!そんなこと言って、カイルこそ恋愛未経験でしょ?恋人の噂も聞かないし、放課後はいつも一人で、学園のあちこちをふらふらしてたじゃない!」


 これには驚いた。こいつが僕の行動パターンを知っているとは思ってもみなかったから。意外な事実だ。

 なぜだろう。なるべく会わないように、こいつに気づかれないように、極力気配を消して警護していたのに。

 恐ろしく鈍感なくせに、変なところだけ目が効く。こいつは本当に厄介な女だ。


 それでも、こうして話している間に、いつのまにかこいつは元気になっている。それだけで僕はホッとした。ここに来た甲斐があったと言っても過言じゃない。


 恋バナというのは女の大好物だというから、こいつもそれをしたいのかもしれない。


 そう思って、僕は自分のことを話した。嘘をつかずに、それでも少しだけ真実を外して。


「好きな女はいる。でも、僕の恋人じゃない」

「え…、女?」


 そこか!これはこいつの願望なのか?そういう趣味…腐女子とかいう…があるのか?

 僕には理解できない世界だが、僕を使っての妄想だけはしないでほしい。想像しただけで死ぬ。


 僕が呆れた顔をしたので、さすがにそれ以上はまずいと思ったらしい。

 ここに来てようやく、僕は同性愛者という汚名から解放されるのかもしれない。冤罪なのだから、当たり前なのだが。


「それで、どんな女性が好きなの?」


 クララは遠慮がちにそう聞いてきた。相手が男じゃなくて申し訳ないが、僕には確かに想う人がいる。


「おっちょこちょいで、思い込みが激しくて、お転婆で、よくしゃべるし、よく食べるし、すぐ人を信じるし、お人好しでバカで、どうしようもないやつ。人のことばっか心配しておせっかい。なんにでも馬鹿正直に一生懸命になる。そして、すごく鈍い」


 僕があんまりスラスラと言うので、クララはちょっと面をくらったようだった。


「そうだったんだ。そういうタイプの……女性が好きだったんだ。ごめん、誤解して」

「僕はあいつが好きなんだ。あいつがあいつであれば、どんなタイプでも気にしない」


 僕の言葉を聞いて、クララは驚いたようにぽかんと口をあけ、しばらく僕をじっと見ていた。

 そしてハッと我に返ったように目を逸らした。


「あの、その話、前にも聞いたっけ?」

「あんたと恋バナをした覚えはないけど?」


 僕はわざと茶化してそう言ったが、内心では少し動揺していた。

 たぶん、したことがあると思う。こいつが覚えていると思わなかったので、あまり深く考えずに口走ったことを後悔した。


「僕はもう戻る。一緒に来るか?」


 エスコートのために手を差し出すと、クララが手を重ねてきた。

 その小さな手は、さっきは火のように熱かったのに、今は氷のように冷えていた。


 少し震えていたように思ったのは、僕の勘違いだったかもしれない。


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