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19/25

フェアプレー

 店の外は、かなり冷え込んでいた。とにかく僕は、一刻も早くクララをべルダの店から連れ出したかった。

 

  まさか、あんな形で、クララがローランドの婚約を知ってしまうとは、思ってもいなかった。迂闊だった。

 昨日の今日で、こんな電光石火に話を進めるなど、どう考えてもおかしい。


 クララの様子を窺うと、やはり動揺しているようだった。


 そうだろう。つい先日まで自分に愛を語った男のことだ。ショックを受けるのは当然だ。

 しかも、相手の女性は自分の親友。聡い彼女のことだ、何か不自然な意図に、気がつくかもしれない。


 僕の歩調が少し早かったからか、クララは息を切らしていた。

 彼女は下を向いたままなので、その感情を読むことはできない。

 それでも、吐く息はますます白く、とても寒そうに見えた。


 僕は一旦立ち止まって、クララから離れた。


「寒いな。どこかでお茶を飲もうか」

「もう少し、このまま歩きたい」


 クララは白貂のコートを来ているが、このままでは少し寒いだろう。

 僕は魔法を使って、彼女を覆う空気を暖めた。そして、その手を取った。


「わかった」


 さっきより速度を落として、僕はクララの手を引いたまま歩き出した。


 高級店が立ち並ぶ通りはアーケードになっていて、地面に雪はない。だが、クララが倒れてしまうのではないかと心配だった。


 この数日で、彼女の世界は激変したと言ってもいい。適応できなくても、不思議ではない。


 僕らは手をつないだまま、ゆっくりとアーケードの中を歩いた。


 ショーウィンドウに映るクララは、ずっと下をむいたままで、もしかしたら泣いているのかもしれない。

 それなら、クララの気の済むまで、こうやって歩き続けよう。僕はそう思った。


 昨日、執事が書斎に戻ってきたのは、僕が机に向かって数十分くらい経った頃だった。


「旦那様。ジャケットのポケットにこんなものが」


 机の上に置かれたものは、黒いビロードの小箱で、誰が見ても中は指輪だと分かる代物だった。


「僕から返しておく」

「承知いたしました」


 そのまま出ていこうとする執事を引き止め、クリーニングの必要はないと、ジャケットも置いていかせた。


 ローランドにとって、クララが着ていたこのジャケットは特別なはずだ。この指輪も。

 僕の勝手で、触れていいものではない。


 だが、万一のこともある。中を確認しなくてはいけないだろう。僕はそっと箱の蓋を開けた。


 そこにあったのは、筆頭公爵家の象徴であるエメラルドをダイヤが取り囲んだ、息を呑むような美しい指輪だった。

 たぶん、王室御用達の宝石店で誂えたものだろう。あそこくらいでしか、こんな高級品は扱えないはずだ。


「べルダのオーダーメイドに、公爵家のエメラルドか」


 僕には与えてあげられないような贅沢な生活を、ローランドは難なくクララに保証できる。財力も男の魅力の一部だろう。クララにとっても。

 いや、クララはそういう生活を望むタイプではない。ローランドと自分を比較して、僕が単に卑屈になっているだけだ。


 ローランドは本気だ。これは財力の誇示ではない。あいつの本気の証拠だ。

 あの襲撃がなければ、あいつはクララにプロポーズしていただろう。

 そして、今、クララと一緒にいるのは、僕ではなくてローランドだったかもしれない。


 殿下との仲を疑っている今、ローランドに取り付くしまはない。だが、誤解はすぐに解けるだろう。

 それなのに、それを待たずに攫うようにクララを連れてきてしまったことこそ、僕が恥じなくてはいけないことだ。


 これは、彼にとってはフェアじゃない。


 僕には殿下のような地位も、ローランドのような財力もない。

 それならばせめて心だけは曇りなく、フェアな勝負をして、彼女の気持ちを勝ち取らなくてはならない。


 それが、僕がクララにできる、唯一の本気の示し方だ。


 僕は書斎を出て客間に入り、ベッドに横になった。まだ夜明けまで少しある。今は眠れるだけ眠っておいたほうがいい。


 朝のうちにローランドに会って、もう一度だけチャンスをやろう。

 もしも、ローランドが正気に戻っていたら、きっとクララを奪い返しにくる。そのときには、この指輪が必要になるはずだ。


 そして、それを受け取るか受け取らないかは、クララが決めることだ。

 僕がその選択肢を奪ってはいけない。彼女の人生は、彼女が選ぶべきなのだから。


 だから、朝の比較的早いうちに、僕は屋敷を出た。


 クララはまだ眠っていたようなので、好きなだけ寝かせておくように女中頭のマーサに指示した。

 彼女には、できるだけゆっくり休んでほしかったから。


 王宮に到着すると、僕は真っ直ぐに執務室に向かった。ローランドがいるとしたらそこしかない。


 途中でヘザーとすれ違った。頬を染めて息を切らしていたが、僕に気がつくと立ち止まった。


「カイル様、クララのこと、ご存知ですか」

「ああ」

「元気ですか?」

「大丈夫だ」


 ヘザーはほっとした様子で、よろしくお願いしますと僕に頭を下げた。

 彼女はそれ以上のことは聞かず、そのまま王女のサロンのほうへ歩いていった。ずいぶんと急いでいるようだった。


 彼女も休暇中のはずだ。なぜ王宮にいるのか知らないが、ずいぶんと幸せそうな印象を受けた。


 そのとき、前からローランドが歩いてくるのが見えた。


 あの色男が、今日はずいぶんと崩れている。昨夜はあのまま徹夜したのだろう。

 ローランドは僕に気が付き、そして、僕が持っている物に気がつくと、その場で立ち止まった。


 僕の手には、ローランドのジャケットがあった。


「そのジャケット、なんでお前が持ってるんだ」


 僕は何も言わずに、ローランドにジャケットを放った。そして、ローランドがそれを受け取ったのを確認してから、今度は小箱を投げた。


 有事には反射反応ができるよう、僕らは訓練を受けている。ローランドもなんなくそれを受け取った。


「悪いが、中を検めさせてもらった。貴重品だったから持参した」

「ああ、確かに俺のだ。わざわざ悪いな」


 ローランドは小箱の蓋を開け、中の品物を見つめたまま言った。


 お前の気持ちは知っている。だから返しに来たんだ。お前にもう一度、クララに渡すチャンスをやろうと。


 それなのに、ローランドはそれ以上は何も言わない。


「渡さないのか」

「これは、もういらないものだ。悪いが捨ててくれないか」


 ローランドは僕に、小箱を突き返してきた。


 僕は聞き間違いをしたのか?捨てるだって?この指輪を。

 クララへの気持ちを、ゴミとして捨てろと言ったのか。


 僕はもう一度聞いた。


「渡さなくていいのか、と聞いているんだ」

「ああ」 

「これ以上は譲歩できない。本当にいいんだな?」

「ああ。婚約指輪は、別のものを買う。さすがに使い回しはできないだろう」

「どういう意味だ」

「ヘザーと婚約した。指輪は、彼女が好きなルビーで用意する」


 僕は頭に血が上るのを感じた。


 昨日の今日で、なぜ別の女と婚約する。こいつはクララを忘れるために、ヘザーの好意を利用しているだけだ。

 その証拠にどうだ。さっきのヘザーから感じたような幸福感は、ローランドからは微塵も感じられない。

 自虐的な苦痛で、自己満足に浸っているだけだ。


 気がつくと、僕はローランドの腹に拳を入れていた。ローランドは床に倒れ、メイドの悲鳴が聞こえた。誰かが衛兵を呼びに走っていった。


 腹を抱えて床に座るローランドを見下ろしながら、僕は悔しくてたまらなくなった。

 僕はこんな男に、クララを任せようとしたのかと。


 いや、こいつをこんな風に追い詰めたのは、北方だ。あいつらさえ事を起こさなかったら、こいつも道を外れることなんてなかった。


 だが、ローランドのしていることは間違っている。今のこいつは逃げているだけだ。


 僕はローランドの襟を掴んで、ぐっと引き起こして、耳元で言った。


「これはヘザーと、それからクララからだと思え。綺麗な顔を避けてやったこと、俺に感謝するんだな」


 ローランドはかろうじて立ってはいたが、痛みに耐えているのか少し咳き込んだ。そして、苦しそうな声で聞いた。


「クララは、大丈夫か」

「お前には関係ない」


 もう、こいつに遠慮することはない。僕はもう、二度と引く気はない。

 こいつは自分で、自分の好機を逸した。それだけだ。


 だが、この指輪はローランドのクララへの思いだ。その思いを捨てるか捨てないかは、クララが決めることだ。

 それができなければ、クララの中でずっとしこりが残るだろう。

 僕は床にころがった箱を拾い上げた。


 そして、僕はその場にローランドを残したまま、執務室へと向かった。

 私情でローランドを殴ったことは、処罰の対象だ。報告せずに帰ることはできない。


 執務室から、同僚の書記官が飛び出してきた。僕を見ると、何も言わずに執務室にひっぱり込み、応接室へ連れていかれた。

 どうやら、驚いたメイドが、執務室に駆け込んだらしい。


「お前、何したんだ」


 応接室でそう聞かれたが、僕は黙っていた。話すことなどないし、もしあったとしてもそれは殿下に最初に報告すべきだった。


 そのことは彼も心得ているので、深追いはされなかった。だが、殿下が来るまで彼は応接室を離れず、僕を監視し、警護していた。

 ローランドを殴ったことに後悔はない。だが、同僚にまで迷惑をかけていることには、申し訳なく思った。


 そして、殿下と王女が来るのと入れ替わりで、彼は黙って退室していった。


「話はセシルから聞いた。言いたいことはあるか」

「ありません。ただ、処罰をいただきたく」

「理由も聞かずに、罰することはできない」

「すべて私の責任です。ローランドに落ち度はありません」

「それなら尚更、理由は言えるだろう」

「ご処分を」


 どんなことであっても、クララに関することを殿下に言うわけにはいかない。

 殿下は昨夜、きちんとけじめをつけた。あれですべては終わったのだ。これ以上、煩わせる必要はない。


「私の側近と円卓が対立したとなると、軽い沙汰ではすまないが」

「心得ております」


 殿下は僕の頑なな態度を見て、諦めたように言った。


「わかった。それでは謹慎を言い渡す。許しがあるまで出仕しないように」

「ありがとうございます」


 たぶん、クララ絡みのことだと、見当がついたのだろう。僕とローランドがクララを慕っているのは、殿下の目には一目瞭然なのだから。


 そして、だからこそ、それ以上の追求を控えたのだ。本当は、誰よりも殿下が、クララのことを知りたいはずなのに。


 王室室から出ると、ローランドが戻ってきていた。特にひどい怪我にはならなかったようで安心した。


 僕はローランドに頭を下げて、執務室を後にした。


 ポケットに入っている箱がやけに重く感じ、クララに何かを贈りたい気持ちがこみ上げた。

 ローランドからではなく、僕からのプレゼントを受け取ってほしかった。


 いつの間にか、僕たちは馬車が止めてあるアーケードの端まで来ていた。

 御者がドアを開けてくれたので、僕は俯いたままのクララを先に馬車に乗せた。


 クララの手を離そうとしたとき、思いがけず彼女が僕の手を強く握った。


「もうちょっとだけ」


 クララは、確かにそう言ったと思う。


 僕はそのまま、クララのすぐ横に腰を下ろした。そして、手を彼女の頭に回して、自分のほうへ引き寄せた。


 まだ泣いているのなら、顔を見られたくないのかもしれない。それなら、肩を貸してあげるのがいいだろう。

 クララの髪から、やわらかいシャンプーの香りがし、抱きしめたい衝動を抑えるのが辛いくらいだった。


 僕は御者に、わざとここから一番遠いカフェを目的地に伝えた。

 ずっとこのまま、クララの体温を肩で感じていたかった。


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