本物になりたい [クララの視点]
「お嬢様、ドレスはこちらがいいかと思いますが」
「ちょっと大人っぽすぎないかしら?」
女中頭のマーサさんが選んでくれたのは、紫のとてもシックでシンプルなドレスだった。
手に取ってみると、とてもいい生地が使われているのが分かる。着心地もとても良さそうだった。
「お気に召しませんか?」
「そうじゃないの。とても素敵。でも着こなせなかったら、カイルに恥をかかせてしまうから」
私は布地の感触を楽しむように、ドレスをなでながら言った。マーサさんはそれを聞いて、口元をほころばせた。
「旦那様のお見立てですから、お似合いになると思いますが」
「え?これ、カイルが選んだくれたの?」
私がそう聞くと、マーサさんはニコニコと頷いた。
そうなんだ、カイルの好みは大人の女性なのかな。あれ? でも、前に聞いた好きな人は、落ち着いた大人というよりも、元気な感じだったような?
もしかして、外見と内面のギャップが好きとか。ギャップ萌えする人なのかな。
「そっか。うーん、じゃ、これ試してみようかな」
せっかく一緒に出かけられるのだから、せめてカイルの好きな服を着たい。
ちょっとでも、私を見直してくれるかもしれないし、そうできたらすごく嬉しい。
カイルには、頼りっきりだった。ここに来てからも、ここに来るまでも。
昨日の早朝、王宮からここに連れてきてもらったのに、私は馬車の中ですっかり寝コケていた。
ベッドまで運ばせただけでなく、なんとカイルのベッドを占領して、昼近くまで惰眠を貪ってしまったのだ。
カイルは疲れているんだろうと言ってくれたけれど、他人の家で、しかも他人のベッドを取り上げて、グースカ寝坊するとか……。
私はどれだけ図太いのか。穴があったら入りたかった。
ここはカイルの屋敷だった。普段は殿下の側で寝泊まりすることが多くて、あまり戻ってくることはないらしいけれど。
私が目覚めると、カイルは一通りの説明をして、このままこの部屋を使うにと言ってくれた。
カイルの部屋を占領するは気が引けたけれど、すでに使ってしまったのだから、しょうがない。遠慮なく貸してもらうことにした。
それに、もしかしたら、カイルと一緒に過ごせるチャンスがあるかもしれない。この部屋だったら。
そういうヨコシマな下心が、なかったとは言いきれない。
私はブランチを部屋に運んでもらい、マーサさんの助けで入浴したり、荷物を整理したりして初日を過ごした。
カイルは一日中出かけていたらしく、夕食にも戻ってこなかった。
それでも、明日は一緒に出かけるということだけは伝えてくれた。
ローランドのジャケットを買う、あの約束のために。
そして、その約束の当日、ちょうど外出の支度が終わって、鏡の前で最終確認をしていたとき、ドレッシングルームのドアがノックされた。
入ってきたカイルを見て、私は一瞬、息が止まるかと思った。
騎士服でもない、制服でもない、貴族の正装…というほど堅苦しくはないけれど、白いシャツに灰色のベストとズボン、その上に黒のフロックコートを羽織っている。
カイルのエキゾチックな黒い瞳と髪が引き立って、ため息がでるくらいに似合っている。
私はしばらくカイル見惚れて、固まってしまった。同じように、カイルが私を見て固まっているのに気がついて、私はあわてて視線を逸らした。
たぶん、今の私は真っ赤な顔をしている。自覚できる!
ちらっと見上げると、カイルも私から視線を外していた。耳がちょっと赤いのは、きっと私に見つめられたせいだと思う。
そりゃ、あれだけうっとり見られたら、誰だって恥ずかしいと思う。
「ご、ごめんなさい。なんかカイルのイメージが、いつもと違ったのでびっくりして」
私は顔のほてりを隠そうと、両手を頬に当ててそう言った。
カイルはそれでも何も言わずに明後日の方向を見ていた。
やっぱり、私にはこの服は着こなせてないのかもしれない。
「あ、あの、変かな?こういう大人っぽい服、あまり着慣れてなくて……」
私は急に恥ずかしくなって、俯いて言った。やっぱり無理だったかな。
「そうじゃない。似合ってる」
私は耳を疑った。カイルがそんなセリフを言うなんて!
お世辞だとは分かっているけど、無愛想でお世辞なんて言いそうにないカイルが言うと、なんか破壊力がすごい!
「本当にお似合いですわ。昨日、ブティックを何件も何件も回られた甲斐、ありましたねえ」
「余計なことを言うな!」
のんびりと嬉しそうに言うマーサさんを、カイルは睨むように牽制した。今度は顔が真っ赤だった。
カイルがレディスのブティックに?想像できない……。昨日の外出は、このためだったの?
あまりの意外な事実に、私は口を両手で覆って目を見張った。
カイルは私から視線を逸らし、ぶっきらぼうに言った。
「もう行こう」
そうして、私に腕を差し出した。
これは腕を組めという合図だけれど、いきなりハードル高いと思う!手を繋ぐよりもずっと体が密着してしまう。
もじもじしている私を見て、カイルはさっと私の手を取って自分の腕を掴ませた。
私の心臓はもう爆発寸前だった。
「今日は、演技をしているつもりでいて」
私はコクコクと頷くしかできなかった。そんな私たちを、マーサさんはニコニコしながら眺めていた。
私たちは、馬車でべルダの店に向かった。
「これはこれは。円卓の騎士様においでいただけるとは光栄でございます」
私たちが店に入ると、奥からベルダ氏が出てきて、わざわざ出迎えてくれた。完全予約制なのか、他にお客さんはいない。
私は急にドギマギしてしまった。こんな老舗だったなんて、全然知らなかった。
一見さんでは、入れなかったかもしれない。カイルってば、すごい。
「私のものではないんだ。連れがローランドのジャケットに、バッグの金具をひっかけてしまったので、同じものを作りたいんだが」
ベルダ氏は私をちらっと見て、そしてにっこりと微笑んだ。
「お美しいお嬢様ですな。そのドレスは本当によくお似合いだ。カイル様もさぞご自慢でしょう」
ち、ちがうよ!そんなわけない。カイルが私を自慢って、ないないないない!
「ああ、そうだな」
さらりと肯定するカイルに、唖然とする私を見て、ベルダ氏はいたずらっ子のような目をした。
そして、さらに突っ込んだ質問をしてきた。
「ご婚約者様でいらっしゃいますか」
はい?婚約者って誰のこと?私は違うよ。それは、誤解だよ!
私は思わず組んでいないほうの手で、カイルの袖をつんと引いた。
「ああ」
カイルは自分の袖口に当てられた私の手に、もう片方の空いている手を重ねて、ポンポンとたたいた。
カイルを見上げると、目で「話を合わせて」と言っているようだった。
そして、そのまま私の手をぎゅっと握った。
私はさらに真っ赤になって俯いた。
「若い方はいいですなあ。ローランド様もハミルトン伯爵令嬢とご婚約とか。みな殿下に倣って、おめでたいことでございます」
私はその言葉に驚いて顔をあげた。ハミルトン伯爵令嬢ってヘザーじゃないの!
何それ、本当に?いつの間に……。なんで二人とも私に言ってくれなかったの?親友と幼馴染なのにみずくさいじゃないの!
私は思わず、カイルを掴んでいる手に力を入れた。カイルは無表情で、その言葉に頷いただけだった。
「カイル、知ってたの?」
「ああ。……ここは僕にまかせて、店の中を見ておいで」
私の質問には答えず、カイルはそう言って腕を離した。
本当はもっとその話を詳しく聞きたかったのだけど、そういう軽々しい態度は、カイルの婚約者的な演技には、たぶん、ふさわしくないということなんだろう。
私はそのままおとなしく頷いて、そっと店内を見て回った。
「あ、これ、素敵」
グレーのなめし革の手袋を見て、私はこれは絶対にカイルに似合いそうだと思った。カイルにはこういう落ち着いた色が似合う。
「婚約者様へのプレゼントですか?」
見上げると、上品な初老の婦人、たぶんベルダ夫人だと思われる人が、優しく微笑んで佇んでいた。
「いえ。似合うなって思っただけで」
「そうですね。でもカイル様なら、お嬢様の手編みのほうが喜ばれそう」
「手編み。それはちょっと、重くないでしょうか」
「さあ、それは。お嬢様が、ご自分で確かめてみてはいかがでしょうか」
手編みの手袋か。学園でも好きな男子に編んでいた友達いたなあ。
冬になる前に学園が閉鎖になっちゃったけど、ちゃんとプレゼントできたのかな。
そうか、ちょっと重いけども、こんな高級店のものをもらうよりも、気に入らなかったら捨てやすいという点ではいいか。逆に気楽なのかもしれない。
「ありがとうございます。やってみます」
夫人とそんな話をしていたとき、カイルが奥から戻ってきた。
「待たせたね。同じデザインだけど、ステッチの色だけを変えたから」
私がそのお礼を言う間もなく、カイルは請求書を自分に回すように手配してしまった。
「カイル、だめよ。私が払う」
私が小声でそう言うと、カイルが耳元でぼそっと言った。
「君に、あいつのものを買ってほしくない」
えーと、それはどういう意味ナンダロウ。その独占欲っぽい発言はナニカナ。
まさかは思うけど、私に、他の男性へプレゼントを送ってほしくないという?
なんてことは、やっぱりないよね?ははは、自意識過剰だ。
そう思ったときには、もうカイルはベルタ夫妻に別れの挨拶をしていた。私も慌ててお辞儀をした。
挨拶を終えてカイルの側にたった瞬間、カイルが私の腰に手を回した。そして、ぴったりと自分のほうへ引き寄せた。
これは誰がどう見ても恋人同士というか、婚約者なら普通の仕草だった。
私はまた顔にボッと火がついたのを感じて、固まってしまった。
なにこれ。なにこれ。なにこれ。
私はもう爆発寸前で、たぶん頭から湯気が出ていたと思う。
カイルに導かれるままに店を出ると、雪で冷えた外気が火照った頬に心地よかった。
そしてそのとき、私は無意識にカイルに体を寄せていた。
私は自分が、カイルの本物の婚約者だったらよかったのに……と思っていた。