王女との賭け
「今夜のうちに、クララを連れて逃げてちょうだい」
僕を呼びつけた王女は、相変わらず説明不足な命令をしてきた。
しかし、この人のこれは意図的なものだ。ただ僕を試すために、わざと分かりにくい指示を出す。
それならば乗ってやろう。いつまでも、王女の思い通りになってたまるか!
「承知しました」
そう言って頭を下げた僕をみて、王女はつまらなそうな顔をした。そして、ため息をつきながら、ソファーにどかっと腰を下ろした。
「まったく、お前までそれなの?この国の男は、張り合いないわねえ」
「レイ殿ほどの男は、この国どころか、世界中探してもいないと思いますが」
僕の先制攻撃を受けて、王女は楽しそうに笑った。
「それはそうと、ローランドはどうだったかしら?落ち込んでなかった?」
「かなり」
心身共にボロボロなローランドを思い出した。あいつはクララのこととなると、とたんにヘタレになる。
「でしょうね。アレクがちょっと意地悪したのよ。男の嫉妬って強烈よね」
「ローランドも、嫉妬でとち狂ってましたが」
僕はつい王女に本音で語ってしまい、ご無礼をいたしましたと謝罪した。
「不敬は不問にします。お前の本音を聞きたいわ。アレクもローランドも、何なのあれは?私がどんなに仕掛けても、絶対に本音を言わないんですもの」
「畏れながら。それは王女様が余計なことばかりされるからでは?」
「あら、私はキューピッドよ!なかなか動かない男たちを、愛の矢で追い立ててるだけ」
「それが余計だと言うんです」
幼い頃から王女慣れ親しんでいる殿下はともかく、ローランドは王女に振り回されっぱなしだろう。
気の毒だとは思うが、かばってやる謂れはない。あいつは自分の意志で去ったのだから。
「そうね。まあ、とにかく、あの二人はダメね。もう残るのは、お前しかいないじゃない?」
「だから、それが余計なお世話だと言うんです」
さすがの僕も、呆れ果ててため息が出た。なんでこの人は懲りないんだ。
このご時世に、こんな状況下で、くっつけババアのような真似をして。
実は暇なのか?暇なんだな。
どうやら聞こえたらしい。王女はふふっと声を押し殺して笑った。
本当のところ、僕と王女はレイの術式がなくても、お互いの心の声はダダ漏れだ。互いの魔力が共鳴し合ってしまう。今更、本音もクソもあるものか。
「ローランドは自分から身を引いた。アレクは一方的に愛を告げるだけで自己満足するわ。私がクララだったら、こんな男たち絶対に嫌だわ」
「それでは、一体どんな男ならいいんです」
僕は苛立って言った。王女の男の趣味を押し付けられるとは、クララも災難がすぎる。
「女は、ときには強引に奪ってもらいたいものなのよ。クララは今、とても不安定だわ。強い力で引いてくれる男がいたら、そのまま流れるわよ」
「それは貴方のことでしょう。彼女はそういう女性ではありません」
「余裕ねえ。一番じれったいのはお前だわ。レイの施した術式使って、クララの気持ちを盗み見ればいいのに」
「悪趣味です。本人に知られたら刺されますよ」
僕は王女を睨みつけた。
そんな僕を、王女はニコニコと笑って見ていた。これはまた、何か企んでいる。本当に始末に負えない人だ。
「こうなったらもう、お前の一人舞台でしょう。誰に気兼ねすることもないわ。クララを連れて逃げなさい。どこか好きなところへ」
好きなところ。僕は故郷の風景を思い出していた。
山の稜線がそのまま海に入る。長く続く砂浜に沿って丘があり、そこは緑で覆われている。丘の上から見渡す水平線のその先は、大海へと続いている。そして、古代遺跡である石造りの屋外劇場の上を、カモメが舞う。
ずっと彼女を、連れていきたかった場所だ。
「ランズ・エンドね」
「映像まで覗き見とは、いくらなんでもやりすぎでは」
「しょうがないでしょう。お前の念、強すぎるわよ」
もう遠い昔のことだ。だが今の僕には、他に故郷と呼べる場所はない。
「今夜、クララを王宮から出すわ。誰にも見られないように。お前は護衛騎士ではなくて、カイル・アンダーソン子爵として、そのまま一緒に行ってもらいたいの」
「何ですか、それは。いい加減にしてください!なぜいきなり子爵の称号が必要なんです!私の爵位など名ばかりで、騎士として地位しかないのは聞いているでしょう!」
王女の思考にはついて行けない。没落貴族である僕に、子爵の体面を保つ資産はない。
「お前の出自を調べたわ。血筋ならアレクにも劣らないじゃない。卑屈になることないわ」
「余計なことを」
僕は吐き捨てるように言った。
血族に受け継がれる強い魔力のせいで、王女には気づかれるだろうと予想していた。だが今ここで、カードとして使われるとは、思ってもいなかった。
「そう怒らないで。私はお前にとっては主筋。望むなら王族に復籍させてあげるわ。その魔力なら、みな諸手を挙げて歓迎するわよ」
「お断りします」
僕の拒絶に王女は驚くこともなく、逆に意外なことを告げた。
「そうでしょうね。やっと逃げ出せたんですもの。亡きアンダーソン子爵も、再三に渡る引渡し命令を固辞し続けたそうよ」
「父が……?」
知らなかった。母が死んで孤児院に送られてからは、父には会ったこともない。葬式さえ参列できなかった。
「子爵はお前を隠したのよ。よっぽどお前の母を愛していたのね。狂った振りまでして王宮から逃げて、やっと自分の元に戻った最愛の恋人ですもの」
母が……。それでは、母の最期は孤独ではなかったのだろうか。父の元で、安らかに逝けたというのか。
父母の顔はもう覚えていない。それでも、若くして逝った二人に幸せな時間があったのなら、僕が生まれてきた罪が少しだけ雪がれたのかもしれない。
「とにかく、私の命にて、お前とクララを婚約させます。彼女の正式な婚約者として、私の婚約式に出てもらうわ」
「やめてください。冗談にもほどがある」
「冗談じゃないわ。クララには正式な婚約者が必要よ。北方の目くらましのためにも」
「それなら、ローランドが適役でしょう。彼は筆頭公爵家の子息だ。十分すぎる資格だ」
クララの男爵家は家格的には下だが、彼女の美貌がみなを黙らせるだろう。そうなれば、ローランドもクララを手放しはしない。
「ローランドは自分から離れたのよ。アレクからの牽制もある。とても引き受けてくれないわ。今、クララを守れるのは、お前しかいない」
「卑怯ですね。僕に拒否権はないと」
「背水の陣ってところね。披露式まで1週間、クララの側にいてちょうだい。決して側を離れないで。当日は私に合わせてくれれば、勅命で婚約を公示するわ」
「クララを騙して、抜き打ちで婚約させるつもりですか」
「しょうがないわ。でも、そんなに恨まれるとは思わないけど」
「そんなことは、ごめんです」
「ふーん。じゃあ、別の貴族に頼んでいいのね?」
「いえ、そういうことではなく、騙すのは嫌だと言ったんです」
僕の言葉は、王女の興味を引いたようだった。あの邪悪な笑顔が消えた。
「じゃあ、つまりどうすると?」
「婚約は私から申し込みます。全力で振り向かせてみせる」
まあ……と王女は顔を輝かせた。
その様子に、僕はうんざりした。だが、クララを騙し討ちするような真似をするくらいなら、僕を選んでもらうよう努力するしかない。
「なかなか骨があるじゃない。期限は私の婚約式までよ。ズルできないように、術式も切るわ。それならフェアでしょ。それでクララが靡かないなら、私から勅命を出すわ」
「心得ました」
「いい報告を待っているわ。さ、今のうちに食事を取っておいてちょうだい。夜は私の部屋の前で待機してね。色々と片付き次第、クララを出すから。…もう行っていいわ」
王女は上機嫌で、僕を追い払った。やはり、この人は、ただ僕らを振り回して遊んでいるだけだと思う。
こんな形でクララに求婚するのは本意ではないが、僕しかいないなら、やるしかない。
いや、これは言い訳だ。僕はクララが欲しい。
クララはまだ眠っているのだろうか。何も感じない。いや、術が切れたのだ。
もう彼女の気持ちは、僕には見えない。だが、これでやっと公正な舞台に立てたのだ。
ここからが本当の勝負だと思うと、僕は自然と身震いがした。