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プロレスごっこ? [クララの視点]

 十日ぶりに休暇で実家に帰った。


 いつものように、父は領民の揉めごとを収めるために、領地に行っていて不在だった。

 その代わりに、専属メイドのマリエルと使用人たちが、とてもあたたかく私を迎えてくれた。


「お嬢様!おかえりなさいまし!お疲れになったでしょう」


 人目も憚らず抱きついてくるマリエルに、私は笑みを漏らした。

 私たちが大の仲良しだと知っている屋敷の使用人たちも、この主従らしからぬ関係を微笑ましく見守ってくれている。


 なんだが、とても安心した。体の中に凝り固まっていたものが、ゆるゆると解けていくような。


 ああ、私はとても疲れていたんだ。


 使用人たちに挨拶をすませたあと、私は早速、部屋に戻って着替えをした。


 そして、私はつかの間の安息を得た。着替えを手伝っていたマリエルが、急にきゃあああと黄色い悲鳴を上げるまでは。


「ちょっと、クララ様っ!なんですか、このキスマーク!まさか、もう殿下とシしちゃったんですか?」 


 キスマーク?すぐに鏡を覗くと、たしかに左の耳の後ろがほのかに赤くなっていた。


 あれ?これは昨日……。


 記憶を辿ろうとするのだが、なぜかモヤがかかったようにはっきりしない。昨日、どうしたんだっけ?


 そのとき、ズキッと頭が痛んだ。そして深い記憶の霧の向こうから、小さな男の子の声が聞こえた。


『怖い夢を見たんだね。僕がおまじないをしてあげる』


 え?あなたは誰?どうして姿を見せてくれないの?


 そう思った瞬間に、耳の後ろのあたりがきゅっと熱を持った。私は思わず、その場所に手を触れた。


『ね。忘れちゃったでしょ。大丈夫。怖い夢を見たときは、僕がいつもおまじないをしてあげる。忘れないで。何があっても、僕は君の味方だよ』


 え?何コレ、何の記憶?


 芳醇なりんごの甘い香りと、刈ったばかりの芝生の匂い。果樹園の匂い?ローランドの果樹園?


 あれは、ローランドなの?


「……もう、やだあ。そういうことは言ってくださいよお」


 フッと我に返った途端、マリエルの言っていることが耳に入ってきた。


「マリエル。盛り上がっているところ悪いんだけど、それ妄想だから。この痣は……何かよく分かんないけど、情事とか、そういうのはない。断言できるよ!いくら私がぼんやりだからって、その、シたかシないかくらいは分かるし」


 今のはなんだろう。白昼夢……じゃなく妄想?まさか『真実の恋』の一節じゃないよね?

 いくらなんでも、小説と現実の区別がつかないとか、それはいやだ!仕事のしすぎでノイローゼとかシャレにならない!


 マリエルはまだ、なんだかんだ言ってたけれど、放っておくことにした。

 今の私には、自分の精神の健康状態のほうが、マリエルのゴシップより重要だし。


 そのとき、ドアがノックされ、執事がローランドの来訪を告げた。


 別に断る理由もないので、普通に部屋に通したが、ローランドは相変わらず、すごい毒舌ぶりだった。

 こいつ、一体、何をしにここに来るんだか。まったく意味が分からない。


 正直、放っておいてほしい。私は疲れてるのに。


「お前、休暇なんだろ?うちの領地のりんご園に行かないか?温室効果の術式が効いて、この時期なのに温かいぞ。りんごも食べごろだし。お前、あそこのりんご好きだろ?食い意地だけは昔っからいっちょ前だからな」


 え、果樹園?私はその言葉に、妙に心が惹かれた。


 あそこに行けば、さっきの記憶がはっきりする?あの男の子がローランドなら、別に私はノイローゼとかじゃないってことだし。


 私が自分の精神状態について思考をめぐらせていると、マリエルとローランドが、なにかごちゃごちゃ言っていた。

 この二人、いつもなんか芝居臭い。ろくでもないこと企んでなきゃいいんだけど。


「いいよ。行く行く。マリエルもあそこのりんごで作ったアップルパイ、好物でしょ。せっかくだから、たくさん持って帰ってくる」


 ローランドの果樹園はヘザーの伯爵家に近いし、ついでに寄ってきたい。

 彼女は、ああいう『おまじない』には詳しいはずだ。学園の図書館でも、そういう類の魔法をかけてくれたし、何か知っているかも知れない。


 ローランドが疾風のように去ってしまってから、私はマリエルの妄想ゴシップのアレコレを、聞くともなく聞いていた。

 あることないこと、ここまで突き抜けてると、もう訂正する気も起きない。

 タブロイド紙を飾っている貴族ゴシップ記事は、絶対にメイドがリークしているに違いない!末恐ろしい。


 私はマリエルを放置して、ソファーに横になった。そして、とても疲れていたので、そのまま目を閉じた。


 その翌日は、快晴だった。私はローランドの家の馬車で、果樹園と向かっていた。


 なぜか昨夜は、マリエルにディープ・エステを施された。たぶん、ローランドのところの使用人にバカにされたくないからだと思う。

 あそこには、マリエル曰く『カリスマ・スタイリスト』がいるそうだ。そういえば、なんかローランドも気合入っている。

 そのカリスマさんもたぶん、マリエルを意識しているに違いない。よきライバル的な関係なんだろう。職人気質というのだろうか。


 ローランドは相変わらずの毒舌で、絶対に私をおちょくって遊ぶのが趣味だと思う。

 悪いやつじゃないと知らなかったら、一発おみまいしてやるところだ。


「お前、顔テラテラしてっぞ?化粧、濃い」

「りんごより顔赤いけど、なんか下心あんの?」


 もー、うるさい!ちょっと静かにしてほしい。


 さすがの私も頭に血が上ってきた。いや、ダメだ。こいつ相手に怒っても無駄なのだ。バカだから。

 私はとりあえず深呼吸を繰り返して、落ち着こうと努力した。


 それでも、一応、馬車の移動は順調だった。そう思っていたのに、見慣れた風景に差し掛かったところで、すこし大きめのカーブが来た。

 うわっ!椅子からずり落ちる!

 そうと思って、つり革をつかもうと思ったら、うっかりローランドの膝の上に尻もちをついてしまった。


「ばーか、危ないだろ。しっかりつかまってろよ」

「あ、ありがとう」


 はー。これだから、こいつは憎めない。男のくせにチャラチャラ軽いが、それなりに紳士なのだ。

 だけど、こんなにぎっちり押さえ込む必要ある?苦しいんだけど。


 なぜかローランドが羽交い締めをしてくるので、私は息ができなくなった。


 ぐ、る、じ、い……。


 私は涙目でローランドを見上げた。こいつ何考えてるんだ?


 すると、ローランドがとどめとばかりに、私の首を締めようとした。馬車は止まって御者が到着を告げなかったら、殺されていたかもしれない!

 

 ローランドが私を開放したので、私はやっと息ができた。あー、窒息するかと思った。苦しかった!


 こいつ、Sだとは思っていたが、まさかDVなのか?首を締めるとか非常に危険だ。もしそういう性癖があるなら、とりあえずヘザーに報告しなくっちゃ!

 幼馴染が人としての道を外さないよう、私たちがしっかり調教……じゃなくて、養育しなくちゃいけないもんね!


 酸欠でドキドキする胸を押さえて、私は浅い呼吸を繰り返した。ローランドは椅子にふんぞり返っている。


 ローランドは、いちいち態度がでかい。


 こいつ、か弱い女子にプロレス技をかけるとか、悪趣味にもほどがある!

 いくら小さい頃に私が、ローランドにプロレス技をかけまくったからといっても、負けたことをいつまでも根に持たれるのは心外だ!


 まったく。態度じゃなくて、心が大きくなってほしい。姉ちゃんは疲れるよ。


 私は憤慨していたけれど、とりあえずは淑女らしく、呼吸を整えてから馬車を降りた。


 そして、外の陽気に触れて、思わず感嘆の声を上げてしまった。ローランドのDVのことなんて、すっかり記憶の彼方に吹き飛ばして。


「うわあ!あったかーい!」


 果樹園の中は温室効果魔法が効いていて、初夏のような爽やかな気候だった。

 たくさんのりんごがたわわに実り、足元からは綺麗に刈り取られた芝生のいい匂いがした。


 あの夢の場所だ!


 私は靴を脱いで裸足になり、やわらかい芝生の感触を楽しんだ。なぜか私は、子供のころからここが大好きで、収穫の季節はいつも入り浸りだった。


 りんごはそのまま食べても、パイやジャムにしても美味しい。特にアップルサイダーという発泡酒の味には、なぜかとても懐かしい気持ちがするのだ。


 ローランドも相当疲れているんだろう。いつものようにブランケットに寝転がって、そのまま目を閉じてしまった。

 あー、はいはい。りんご収穫は私に任せるってことね。しょうがないなあ。ローランドの分も摘んでこよう。


 そして、籠がりんごでいっぱいになってから、私はローランドの隣に座った。

 ローランドが、眠そうな顔で目を開けた。こういう無防備な表情は、かわいかった昔のままだ。

 私は小さなローランドを思い出して、思わず微笑んだ。


「今年もすごくいいりんごできたね!本当に食べごろだよ!」


 私はローランドにりんごを一つ差し出し、自分でも一つ手に取って匂いを嗅いだ。


 あの夢の匂いだ。


 私は嬉しくなって、りんごにかぶりついた。瑞々しいりんごから甘い汁が溢れて、顔中に飛び散った。


「お前、口の周りベタベタにして、子供かよ?」


 二口目を食べようと大口をあけたとき、ローランドが私の顎をペロッとなめた。


 は?はい?何するんですか?


 ローランドの意表をついた行動に動揺したところで、私は寝技をかけられた。

 ローランドの目は「隙あり!」と語っていた。こいつ、いいかげんにしてよ!まだプロレスごっこする気?


 さて、殴ろうか……と思ったところで、ローランドはいきなり、私の頬や瞼、額や顎をなめた。


「甘いな。本当に食べごろだ」


 お前は犬か!


 人の顔に飛んだ果汁をなめるとか、ありえないでしょ?未婚の乙女に、こんなことするやつがどこにいる!


 私もなめられたもんだ。いや、本当になめられているのだ。


 私が怒りで声も出ないのをいいことに、ローランドはさらなる陽動作戦に出た。言葉で動揺を誘う気だ。

 いくらプロレスで負けたくないと言っても、卑怯な手を使うのはなしだ。

 それでも弓道選手か!スポーツマンシップはどうした?


「今日は泊まっていくよな?」


 ……殺す!私は拳を握りしめた。

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