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クララの選択

 侍女の王宮勤めは、十日連続勤務で三日連続休暇というシフト制が採用されている。

   

 明日から三日間、休暇中のクララの警護は、別の騎士が担当する。

 僕も休暇扱いだが、円卓を降ろされたわけではないので、殿下の執務室のほうに詰めることになっていた。


 だから、僕はこの休暇中に、ローランドにクララのことを託すつもりだった。


 だが、その考えは甘かったと、まざまざと知ることになった。

 王女は抜かりない人間だ。生き馬の目を抜くような世界を渡って来た者は、そう簡単に隙きを作るわけがなかったのだ。


 クララが侍女になって十日目の夜、明日から休暇だという正にその最後の夜だった。クララはいつもより少し早い時間に王女の部屋に呼ばれた。


 僕はいつもように彼女の護衛をして、一緒に王女の部屋に向かった。


 彼女からは、特に変わった感情は読み取れなかった。単に仕事の一貫として、王女に呼ばれただけ。

 通常の時間とはずれていたけれど、それは休暇前だからだろう。


 僕はそう思って、すっかり安心していた。明日になれば、クララはこの王宮から出られる。そのまま帰って来なければ、ここから逃げられるのだから。


 休暇に先立って、王女から侍女たちの実家へは、今回の出仕に対する感謝の書簡が届けられていた。それには、侍女たちの勤務継続の意志確認も含まれているという。


 婚約同盟が成立し、いずれは殿下との婚儀ということになれば、王女の滞在期間は無期限となる。当初は期間限定で宣下していたのに、自ずと侍女の任期は延びる。

 その不具合について調整しようというが、王女の狙いだろう。


 王命とは言え、職に就くというは契約だ。条件を違えて働かせることは、王族だとしても、いや、王族だからこそできないことだった。

 王族が模範を崩せば、その習慣はあっという間に貴族に広まる。腐敗政治を防ぐには、まず頂点から律していく必要がある。


 それなのに、王女の部屋に近づくにつれて、僕はいやな胸騒ぎを覚えた。


 王宮の中でも、王族の住居部分は強い結界が張ってある。特定の人間だけしか入れないように。通る人間自体が鍵となり、それが魔法陣と合致しない場合は、入り口が分からないような仕組みだった。


 それが今日は、いつも以上に結界が大きくて強く、入れる人間の数も極端に減らされていた。こんなことができるのは、高位魔術師のレイだけだ。たぶん王女の差し金で。


 王女は何かを企んでいる。まさか命の危険があるでは……と疑ってみた。だが、どこにも殺気は感じられなかった。


 クララは何のためらいもなく、王女の部屋に入っていった。そして、僕もいつもように、ドアから少し離れたところに控えていた。


 いつもなら、内部の気配を感じることができるのに、今日は部屋の中と外では別空間のようだ。

 すべてを遮断するようなその特殊な結界は、王族自身の危険を、察知させることさえもできないだろう。


 王女か殿下が許可するまでは、蟻の子一匹すら、結界の中には入れない。なぜ、こんなことをするのか。中で、何が起こっているのか。


 不安を胸に抱いたまま待機していると、向こうから侍女長が歩いてくるのが見えた。


 侍女長は僕をのところまで来ると、その場で立ち止まった。てっきりいつものように素通りされると思ったので、僕は一瞬ためらって挨拶の言葉が出てこなかった。


「お勤めご苦労さま」


 侍女長はそう言って、僕の肩に手を置いた。そして、そのまま、さり気なくかがんて、小さな声でこう言った。


「後宮側の通路に待機なさい。あの子はそちらから出ます。いざというときは、脱出経路を使って。決して早まらないように」


 それだけ言うと、侍女長は何もなかったかのように、素早く王女の部屋のほうへ歩いていった。


 残された僕は、侍女長の言ったことを瞬時に理解して、怒りに手が震え出した。


 王女は強硬手段に出たのだ。今夜、クララを殿下の閨へ送り込むつもりだ。有無を言わせず、既成事実を作るために。


 一度でも殿下のお手がついてしまえば、後宮入りは確定となる。その女性は、殿下の子を身ごもっているかもしれないのだから。

 そして、たとえ妊娠はしていなくても、殿下の愛妾として、夜伽のために留め置かれれる。正当な理由を持って、臣下に下げ渡されるまでは。


 僕は目の前が真っ暗になった。


 クララが愛妾になってしまう。僕の手の届かないところへ、守れない場所へ行ってしまう。


 いや、まだ間に合う。まだ、それを回避する方法はある。クララが命令を断れれば。そして、もし断れなければ、途中で逃がすこともできる。


 最終的には殿下がクララを、拒否することもできるのだ。

 抱かれずに追い返されれば、それは女性にとっては不名誉であるとされるけれど、それで愛妾への道は潰える。


 何度も深く深呼吸をすると、僕は落ち着きを取りも出した。


 大丈夫だ。クララは、何があっても僕が守る。もし彼女が、それを求めてくれるなら。僕を必要としてくれるなら。


 後宮側は人払いがしてあるらしく、入り口に衛兵がいただけだった。

 たぶん、後宮へ入ることが許可されていない人間には、衛兵の姿さえ見つけることができないだろう。


 結界による守りは強く、知らずに誤って足を踏み入れたとしたら、その途端に弾き飛ばされるはずだ。レイの力がここまで強いとは知らなかった。

 それほどまでにことを秘密裏に運びたいということ。それが王女の本気度を示しているようで、僕は背筋が寒くなった。


 ある程度の時間を見計らって、僕は後宮側のドアをノックした。


 そこには支度を終えたクララがいた。


 真っ白なドレスを着たクララは俯いていた。その頼りない姿は、まるであの人を見るようで、僕の心臓の鼓動が早くなった。


「殿下のお部屋へ。人払いしていますから、誰に会うこともありません」


 侍女長は僕にそう告げると、クララに真っ黒なベールを被せた。

 それは、クララの全身をすべて覆い隠せるだけの大きさで、闇のようにクララををすっぽりと包んだ。


 白が黒に塗りつぶされ、光が闇に屈してしまったような。その色の対比が、まるでクララに待ち受けている運命のようで、僕は唇を噛んだ。


 侍女長はクララを抱きしめて、まるで母親のようにやさしく髪をなでていた。

 彼女も感じているのかもしれない。クララに訪れる未来は、このベールの黒よりも、暗く醜い色で満ちる可能性を。


「カイル、クララを頼みます。なにかあればお前が守るように」

「心得ております」


 僕は侍女長にそう告げると、後宮の少し先へと歩を進めた。これがクララの選択なら、先に進むしかない。


 僕には引き止める権利はない。


 クララは何も言わない。口にも出さないし、心が叫ぶわけでもない。

 自分の運命を、悲観しているわけでもなければ、歓喜に浸っているわけでもない。

 逃げたいわけでもなければ、進みたいわけでもない。


 強いていうなら、彼女は停滞を願っている。この通路がずっと続いて、いつまでもこのままでいたいと。なぜだ。なぜそう思うんだ。


 嫌なら逃げればいい。どこまでも僕が守ってやる。嫌じゃないなら、そう伝えてほしい。君が望むことならば、僕はどんなことでも受け入れる。


 行き止まりが来たところで、僕は立ち止まった。


 ここが次の選択の場だった。その選択は彼女意志に委ねられる。僕の希望を押し付けることはできない。


「この通路は、非常時の脱出用になっています。左に行けば王族の居住区へ、右へ行けば外へ出られます」


 僕はクララのほうを見ずにそう告げた。顔を見てしまったら、力づくでさらって逃げてしまいそうだったから。

 なるべく冷静を装って、平坦な声を出したつもりだが、それが成功したかどうかは不明だった。


 ここまで来ても、僕はまだ願っている。クララが逃げてくれることを。殿下からではなく、この王宮の闇から。苦しい運命から。望まない未来から。


「どちらを選んでも、何があっても、必ず守ります」


 僕はそういって、その場に跪いた。クララはしばらく何も言わずに、その場に佇んでいた。


 なぜかは分からないが、クララの心は穏やかだった。こんな状況なのに、彼女はまるで聖母のように慈愛に満ちていて、その健気さが更に僕の胸を締め付けた。


 クララのために何もできない自分が、悔しくて惨めだった。感情からは読めない、彼女の本当の気持ちを、その口に出して言ってもらいたかった。


 そうしてくれるなら、僕は君の気持ちを尊重する。


 きっと安心して、殿下の元へ送ってあげられる。殿下と君の幸せのために、力を尽くしてみせる。


 僕は無力だ。魔法でつなげた絆が、何だというのだ。結局、クララのことは何も分かっていなかった。


 何をすれば彼女が喜ぶのか。何をすれば楽しいのか。何を本当に望んでいるのかさえ、全く分からないままだ。


 慚愧の念に打ち震える僕の肩に、クララはその手を置いた。温かい手からは、彼女の優しさしか感じられなかった。


 心配かけてごめんね。大丈夫。私は大丈夫だから。


 彼女の手はそう訴えていた。そして「ありがとう」と言うと、クララは左の通路を進んでいった。


 もう彼女を止めることはできない。僕にできることは、これから起こることすべてを受け入れて、彼女を守り続けることだけだ。


「ここで控えております。何かあればお呼びください」


 殿下に伴われて、部屋へと消えていくクララの後ろ姿に向けて、僕はそう言った。


 僕はここで、君を待つ。君が僕を要らないと思うまで、僕は君を守っていく。生涯をかけて。この生命が尽きるまで。


 僕は君のためだけに生を受けた、君だけの騎士なのだから。

 

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