5話
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「そんな事があったのか。 なるほど....、OL時代の事を話したがらない訳だ」
「俺も、聞いた話なんだが、奇麗な背負い投げだったらしい」
「え?、そこ?、聡」
少し呆れた莉子。
「でも、その先輩OL,怪我無くて良かったな」
「まったくだ」
「じゃあ、その後、菜穂さんは事件を起こしてとして、自主退社したって事なの?」
「まあ、そう言う事にして、事の顛末の終息を図ったみたいだが、会社的には、喧嘩両成敗って事で結局は、菜穂さんも先輩も自主退社したんだがな」
「でも、その先輩なら何か言い訳でもして、会社に残ろうとして、何かしらの手配をして、足掻きそうなんだけどな」
「そう思うのが普通なんだが....」
「そうじゃないの? 菜穂さんだけ ほぼ一年イヤな思いをして、何か不満が残るわね」
聡がまた一口ビールを飲みほして。
「そうなるよな」
「なんだ、聡、言い籠った様な言い方だな」
「だが、その後、由香里さんが、号泣したんだってさ」
「その投げ飛ばされた後に?」
「ああ。暫くはポカ~んとしていたが、我に帰ったら、いきなり大きな声を上げて、号泣し出したんだと」
「その後は?」
「そこまでで、その後は暫く泣き止まないので、由香里さんは宿直室に連れて行かれてしまったみたいなので、分からない」
「菜穂さんは?」
「次の日、退職届を出しに来て、引き留められたんだが、自主退職した」
「なるほど、そりゃそんな話はしたくないよな」
「だな」
そんな事があったのかと、拓海は今まで家事に来てくれていた菜穂の事を、とても気の毒だと思った。
その時、拓海に向かって聡がとんでもない一言を放った。
「近いうちに、菜穂さんに合わせてくれないか? 拓海」
「「えっ!!」」
聡の意外な一言に、匠斗と莉子は驚きの声を上げたのだった。
◇
数日が過ぎ、菜穂が家政婦として来る曜日だ。
この日は拓海だけでは無く、先日菜穂に会ってみたいという、聡の提案に従い、莉子も含めた3人で、拓海のアパートで、菜穂の訪問を待っていた。
聡があの後の菜穂の事がどうなったのかと言う事と、もう一点、他にも気になる事があるために、この日を待っていたのだ。
三人で、学生時代の話など、世間話をしていると、玄関チャイムが鳴ったので、拓海が どうぞ と言うと、扉を開け、菜穂が入って来た。
「おはようございます。 本日もよろしくお願いします」
そう言って軽くお辞儀をして靴を脱ぐ、その時に、菜穂はお客さんが居るのかと、男女の靴を確認して、リビングに入っていった。
しかし、リビングに入って菜穂が一瞬息を止めた。
「久しぶり、中村さん」
「あ........」
それ以上言葉が出なかった菜穂に、続けて莉子も挨拶をする。
「おはようございます。 初めまして、私は 北上 莉子 と言います。 拓海....、城崎くんとは小学校からの同級生です」
少し間を置いてから、何かを理解したのか、菜穂が社交辞令的な挨拶を返す。
「おはようございます。 5月からここにお世話になっている、家政婦の 中村 菜穂 です。 よろしくお願いします」
そう言った後、、早速作業に取り組もうとする菜穂を、拓海が制した。
「菜穂さん、作業の前に、一度座って話を聞いてくれないかな」
そう言う拓海の言葉に、菜穂がすんなりと頷いた。
「はい....」
何かを悟ったのか、菜穂が返事をした後、若干の緊張とその反対の落胆の表情を見せた。
「中村さん、いや、菜穂さん、久しぶりだね」
「はい、お久しぶりです、鈴木さん」
「もう分かるよね、オレがココに居るという事。 実は、オレと拓海は、高校時代からの友人なんだ、だから....」
「はい、大体は分かります」
「勘違いしないで。別に、菜穂さんを責め立てるために来てる訳じゃないんだから」
その言葉に、菜穂は張った気持ちが、若干和らいだ。
「実は....」
今日のこの場を希望したのは聡ではあるが、事情を知りたい拓海はそれを承諾した。
「私の黒い過去をそんなに知りたいですか? 拓海さん」
言い方に棘がある言い方だ。 今まで見せた事のない表情と共にだった。
「先日の話で、OLをしていたと言う事は言ってくれたんだけど、その話を続けると、なぜか話したがらない雰囲気をしているので、何となく気を使って、自分からも話を背けていた、だけど....」
「知ったんですね、私の事。 大体分かります、だって、聡さんがココに居ると言う事は、殆ど知っているんでしょう?」
「ハッキリ言うと、ほぼ知った、ごめんなさい」
少し間を置いて。
「いいんです。 謝らないでください」
小声になり、済まなさそうにする菜穂。
四人の暫くの沈黙が続き、何かを思い出したかの様に、菜穂が口を開く。
「さて、私始めますから、いいですよね」
言葉が見つからない拓海が、とりあえず。
「はい、ではお願いします」
「かしこまりました」
そう言って、割烹着を着て、いつもの様に軽く掃除から始めていった。
「俺たち帰った方が良いのかな?」
聡が言うと、莉子もこの空気を読み取っていたのか、同じことを言う。
「私も、お邪魔な感じがする」
「おいおい、俺を一人にするつもりか?」
「そう言う訳じゃあないけど、何か思ったような感じと違うんだ、だから....」
「来た意味がないんじゃないか?」
「そもそもの目的が....」
また黙る3人。 そこへ、聞こえていたのか、菜穂から声がかかった。
「いいんですよ居てもらっても」
作業をしながら、拓海に話しかけてくる菜穂。
「でも....、気、悪くしたんじゃないかなと思って....」
「もういいんです。 良いから、そのままで居て下さっても」
拓海がうかがう様に聞いたが、菜穂に、まるであしらわれる様に否定された。
声色からは、とても普段の菜穂では無いことを悟るが、その不味い空気を一新したのは、莉子だった。
「菜穂さん。 ちょっといいですか?」
「はい?」
意外な人物からの声掛けに、若干の拍子抜けの様な返事になってしまった菜穂である。
「あの。 私も手伝っていいかしら?」
「でも、コレはちゃんと賃金を頂いている、私の仕事ですから、手伝ってもらう訳にはいきませんので、そのまま座っていてください」
この菜穂の声に、一切引かない莉子。
「じゃあ、私とお喋りしながらってのはどうですか?」
「はい?」
また同じ返事になってしまった菜穂。
「じゃ、とりあえず、男子達は今からどっか行っててくれる? わたし、菜穂さんと話があるから」
強引に、拓海と聡を外へ追い出す作戦だが、聡は莉子の何となくの考えが理解出来、拓海を外へ連れ出す事にした。
「じゃ、莉子がそう言うなら、行こうぜ拓海。 後は莉子に任せて」
「あ、ああ、じゃ、そうするか」
拓海も二人の空気を読み取り、男二人は財布とスマホを持って、出て行った。
△
「ごめんなさいね菜穂さん。 ウチの男どもが、気の利かない話し方をして。けっこう気に触ったでしょ?」
女二人っきりになったとたんに、何を言われるんだろうと思った一言目が、思いやりの気づかいだったために、少し拍子抜けした菜穂だった。
作業の手がいったん止まって。
「いえ、こちらこそすみません、自分から 雰囲気壊すような言い方をして」
「そんな、でも、いきなりあんな言い方、デリカシーがないですよね。ごめんなさいね」
「いえ....」
「作業は続けてください、私勝手に喋ってますから」
これには菜穂が、少し破顔した。
その様子を見て、莉子は話を続ける。
「でもね、拓海はあなたの事が心配なのよ。それで、聡から聞いたんだけど、さすがにあれは無いと思ったわ、私も」
「それって、会社勤めしている時の話の、先輩OLの事ですよね?」
「ズバリ、そうです。 それなんですが、その先輩OLの事情で、あなたに向けたあの仕打ち、それを聞いた時には、私も怒りが出てきましたね。あれは無いって思いました」
「もう終わった事です。 今更蒸し返しても、何にもなりませんし、知っていると思いますが、別れた彼氏も今はもう、既婚者になってしまって、取り返しがつきません」
「それは知らなかった....」
「私、あれから、恋愛をして無いんです。と言うか、怖いです、男性を好きになるのが」
「トラウマになったって事ですか?」
「そこまでは酷くは無いと思いますが、微傷くらいでしょうか....」
ここで莉子が、少し探りを入れる。
「自分から男性を好きになれなくても、男性の方から話しかけてくる事は平気なんだ」
「それも、無理です。 今は、どの男性とも仲良くしたくない気分なので、無理に男性に近づかないです」
この菜穂の言葉に、莉子は ココだ と思った。
「じゃあ、ここ数ヶ月、この部屋の拓海はどうなんですか?」
「あ!........」
「ね?、拓海はしっかりと22年間も男性してますよ?、なのに、二人きりでも、気楽に話しているって聞きましたけど」
作業の手が今度はピタッと止まって、ここ数ヶ月の事を思い出す菜穂。
確かに普通の男性とは違う拓海の対応に、気さくな友達気分で話せる自分が居た事が、不思議でならなかっった。
「そう言えば、私って拓海さんとは、男性だけど、男性の域を超えた雰囲気があって....って、私何を言ってるんだろ?」
「ほら。 拓海は違うでしょ?」
「はい、言われてみれば確かに」
「それで、菜穂さん」
ここで、さらに今日の核心に迫る莉子。
「あなた、拓海に好意があるんじゃないの?」
「え?!........」
この言葉には菜穂が驚いた。 全く意識して無かったとは言わないが、拓海に対しては、好意があるのか、自分でも分からない菜穂だった。
「少なくとも、あなたに対して拓海は好意を持っているわ。 だって、でなきゃ、私達をここに連れてくる訳ないもの」
「どういう事ですか?」
「最初に言った、<あなたの事が拓海は心配> なの」
この言葉に ハッ!っとした菜穂。
(そうなんだ。 拓海さんは興味本位では無く、ただ私の事が心配で仕方なくて、聡さんと莉子さんと3人で、少しでも私の傷を癒そうとしていてくれたんだ)
そう菜穂は気が付いた。
「拓海さん........、ありがとう、私のために」
この言葉を聞いて、ここへ来た甲斐があったと、少し安堵する莉子であった。