4話
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夏休みに入り、拓海は友人の 林田 律と、夕食と兼ねての居酒屋に来ていた。
律は、大学に入ってからの友人で、入学案内の時に、学内で式典が何処であるか分からない時に、お互いが迷って居た事がきっかけで、親しくなった。
「いやはや、もう卒業まで数ヶ月だな、お互いに就職の内定は貰っているし、あとは消化し合いだな」
お互いに、中ジョッキのビールと小鉢に入った肴を楽しみながら、話を進める。
「全く去年の今ごろが懐かしいな。 とにかく就職探しに必死だったから、バイトとの掛け持ちで、体が二つ欲しい位だったな~」
「お前ただでさえ忙しかったのに、さらに就活だったからな」
「いい思い出だ」
とにかく早く就活を終えて、気楽になりたくて、頑張った拓海と律だった。
律は大手のコンピューターメーカーで得意の分野を生かすつもりだ。 一方の拓海は、小さい頃から重機が大好きなので、全国チェーンの建設機械のリース会社だ。
二人とも、専門分野への就職が決まったので、お互いが得意分野での技術を磨くことを目指している。
◇
「へえ、そうなんですか。 でも思いが叶ってよかったですね」
今日は菜穂が部屋に来る日で、この日はちょうど拓海もバイトのシフトの空きが出た時間帯で、部屋に居る。
「ありがとう。 卒業後の進路が決まって、ホッとしているし、ほぼ理想としている所への内定が決まったので、安心しているんだ」
内定が決まった就活の話に、菜穂も喜んでくれた、.......なのだ、が....。
付き合ってもない男女が、2時間くらい同じ部屋に居る事で、気まずい雰囲気になるかと思いきや、お互いの性格なのか、因果関係は知らないが、気まずくも、恥ずかしい気持ちも起きなく、むしろ、居心地の良さを知る、拓海だった。
菜穂はここに来て早くも3ヶ月になり、菜穂、拓海ともに、お互いが良い距離感であることに、親近感も沸いてきた。
特に、菜穂の性格が相手に対して、心地よく、最近は、業務中に時間に余裕がある時は、二人で話し合う事が多くなった。
その中で、気になったのが、実は菜穂は、一度普通の会社のOLをやっていた事があるという事だった。
その話をしている途中で、歯切れが悪くなり、話半ばで 『ゴメン』 と言われてしまう事があった。
(OLをやっているうちに、トラブルでもあって、会社を辞めたのか?)
と、勘繰ってしまった。
それでも、普段の会話は、気の合う友人レベルくらいにはなりつつあった。なので、過去のOL時代の事がどうしても気になる拓海だった。
◇
「そうなの?でも それは、相当我慢していて、耐えきれずに退社したんじゃないかな」
「なにか、OL時代の事を話題にすると、敬遠している仕草がありありなんだな」
「私の友人にも、あまりにもひどい扱いを受けて、とうとう我慢しきれずに、その根源の人物を投げ飛ばした娘がいるわよ。多分その会社では、伝説になったかもね、その娘」
北上 莉子。 拓海と小学校からの友人で、唯一の女の友人だ。
こうやって、今でも時々連絡し合い、酒の席を設け、時々愚痴合っている。
「私も時々あるわよ。 会社内で、この野郎ぶっ飛ばすぞ....、なんて思う事が....、でも、彼が 『その辺にしておけ、後で美味いもん食わせてやるから』なんて言って、慰めてくれるんで、何とか治まってるんだ」
「聡も大変だな、でも、彼氏と一緒の会社ってのはいいもんだな....、って、遅いな 聡は....」
「さっき、あと5分で着くって言ってたから、そこまで来てるんじゃないかな?....、って、あ、来た来た」
居酒屋の引き戸が空き、友人の 鈴木 聡が入って来た。
聡は拓海と莉子との共通の友人で、莉子の彼氏でもあり、社会人になっても二人共に、良い友人で居てくれる関係だ。
「お! 悪い....、って、もう始めてたか」
「はは、我慢しきれなかったんで、先にやってるぞ」
「ああ、いいから」
「聡、はいどうぞ」
そう言って、莉子は聡にコップを渡して、そこへビールを注いだ。
「改めて、乾杯する?」
「何に?」
「意地悪ね、聡」
「はは、ま、いいかから....、で、何か相談でもしていたのか?、拓海」
この優しい気遣いが親友と言う証拠だ。
「そうなんだ、実は........」
その後、先ほどの家政婦である、菜穂の事を莉子と話している事を説明した。
「で、その家政婦の名前って何って言うんだ?」
「多分知らないと思うけど」
「いいから」
「中村 菜穂さんって言うんだ。俺たちと同い年なんだ」
「!!」
拓海の言葉に、聡が少引きつった。
それを見た拓海が、気になり聞きただす。
「中村 菜穂って....、間違いないよな」
「ンな訳ないだろ、ちゃんと契約書がある」
「....、そうか」
今度は、莉子が気になり聞いてきた。
「聡、なに? 何か知ってるの? その、菜穂って子の事」
渋い顔をして、説明し始める聡。
△
実は、聡は今の会社に入ったのは一度転職してからだった。
専門学校を卒業して最初の会社に入ったのだが、その最初の就職先の会社が、中村 菜穂と一緒の会社だった。今から2年前の、まだ二十歳の時である。
菜穂は短大卒後で、その会社に入ったのだが、同期で事務職での入社なので、当然知っているし、何度か話したりすることもある、結構当時は親しかった。だが、その会社と言うのが、どうやら曲者が多い先輩が数名いる事務所だったのだ。
事の始まりは、入社した二ヶ月後くらいの、新入社員が研修を終わった時期から、少し経ったくらいからだった。
先輩社員たちが、個々に新入社員に色々と指導をしていくのだが、菜穂の担当になった三十路前半の先輩OLの、 橋田 由香里が、たまたま運が悪いのか、評判の良くない女性社員だったのだ。
普段は何も無く普通なのだが、依頼したモノが自分の思い通りになっていないと、高圧的な態度で、叱りつけてくるのだ。 しかも、場所を選ばずにするものだから、言われた菜穂からすれば、周りも気になり、結構な恥ずかし目を受けるのだった。
最初は指導なので、「はい」 と言っていたのだが、あまりにも素直に言う事を聞くものだから、それもまた気に入らないらしく、段々エスカレートして行く事になった。
その後も数日おきに叱責染みた事があったが、毎日では無かったので、まだ我慢できた。
だが、時期も晩秋から初冬過ぎ、12月となった頃、世間はクリスマスの時期になり、社内でもそう言う雰囲気が高まってきて、会社でのそう言うイベントはないものの、若い社員などは、休憩時間になると、特に独身の女子社員たち数人が集まって、ワイワイ・キャッキャと 「彼へのプレゼントなの~」とか、「友達とパーティーするの」とか、そう言う話が尽きない。
それを聞いた橋田 由香里は、最近では苛立つことが多くなった。
特に12月に入ってからは、イライラが増し、その矛先を、菜穂にも向けてくる様に、叱責だったのが、叱咤になって来た。
また、その頻度もほぼ毎日と言う事もあって、菜穂のメンタル面が減衰してきた。 そうなると、業務にも身が入らなくなり、滅多にしない凡ミスを時々する様になってきて、最悪な事に、高校時代から付き合ってきた彼氏とも、この頃になると、菜穂の日々からの精神的ストレスから、その彼にキツイ事を言う様になってきて、週末会う度に、口喧嘩が多くなり、最悪な事に、二人はクリスマスが数日前だと言うのに、分かれてしまったのだ。
クリスマス当日になって、数日前の別れの事を、どれだけ悔やんだか分からない菜穂だった。 その原因を作ったのが由香里だという事に気づき、段々と怒気の火を点けるキッカケになったのだった。
年始年末も過ぎ、もうじきに桜が咲き始める頃になり、あのクリスマスの由香里の不機嫌が一体何だったのかと思う程、年明けからは、由香里からの嫌がらせともいえる言動は、時々はあるが、以前よりは少なくなっていた。
実は、後に聞いたのだが、由香里は、3年前まで結婚を考えていた男性(彼氏)が居た。 その時期までは、性格はごく普通で、攻撃的な態度は一切取らない性格だったのだが、その3年前のクリスマスの一週間前に、その彼と別れてしまったのだ。
原因は、由香里で。 彼は結婚願望が強かったのだが、由香里は今の仕事にとてもやりがいがあり、また面白く、その状況の中、とても結婚する気持ちにはなれなかったのだ。
何度か話し合った由香里とその彼だったが、「もう少し待って」、と言うばかりで、一向に結婚に前向きではない由香里に、彼が、とうとう別れを切り出したのだ。 それも、クリスマスイブの一週間前に。
まさか、将来結婚を考えている男性に、別れを突き付けられるとは思っても居なかった由香里は、時期も時期で、相当落ち込んだ。
それから暫く由香里は、半放心状態時期が続き、今まで引き延ばした結婚の話を、自分から手放した事に、痛く落ち込む。
それ以来、男性のことは一切信じられなくなり、これを機に、普段も些細な事でイラつく事が多くなり、さらにクリスマスが近づいてくると、特にイライラし出すのだった。
そんな事情があるとは全く知らない菜穂は、由香里の事を、だた苦手な先輩では無く、嫌いな先輩(女)と思う様になっていた。
3月の半ば、社内の他の先輩から、その由香里の恋愛事情を知って、可愛そうではあるが、一種の自業自得ではないかと思い、その反動が菜穂に向けられると言うのが、とても不満に思えてきた。
菜穂の別れた事情と、後から聞いた由香里の別れた事情が、酷似していることから、菜穂の感情がさらに激高へと変わるのだった。
もうじき入社して一年が過ぎる。 指導機関が3月までなので、やっとこの 仕打ち から、逃れられると思ったが、この時期になっても、いまだに変わらない上下関係と言える状態は続き、殆ど仕事に対するミスは無くなったものの、この日、些細な事でまた言われ始めたので、さすがに耐えきれなくなった菜穂が、今までの事と、自分の恋愛事情からのイラつきを、自分に向けてくる事に対して、一気に反論した。
事務所内での口喧嘩に、まわりが驚き、いままで大人しかった菜穂の激情が由香里に対して表にでた瞬間だった。
口論がしばらく続いたので、上司が二人に近づき、そのまま休憩ルームに連れて行った。
だが、それでもまだ暫くは終わらない状況で、心配した女子事務員が二人やって来た。 それでも、二人の感情は高ぶったままで、収拾が治まらない状況のなか、いきなり由香里が菜穂のブラウスの胸倉を掴んできて、張り手を食らわせようとした時、菜穂が一気に由香里を背負い投げしてしまったのだった。
運よく由香里は床に叩きつけられることはなく、3人掛けのソファーに腰かける様な状態で、投げは終わった。
ポカんとする由香里だが、数秒後に一気に震えが来て、今まで攻撃的だったのが、この一技で、震え黙り込んだ。
その時、聡も離れて事の一部始終を見ていた。