9,九条の話
今回は九条の抱える事情についての話です。
「おれ、渚さんに一個だけ嘘ついてたんです。…おれ、本当は九条なんて名前じゃないんです」
な、名前!?
完全に意表を突かれた私はポカンと口を開けてしまう。
「おれ、本当は篠原竜っていうんです。でもどうしてもその名前で呼ばれたくなくて、咄嗟にお世話になっていた村長さんの名前を答えてしまいました。――おれ、自分の名前が嫌いなんです。おれを捨てた親がつけた名前なんて…」
九条くんは話しながらそっと目を伏せる。一瞬彼の目がぞっとするほど冷たく見えた。でもそれと同時に、とても悲しく寂しげにも見えた。
親に、捨てられた…。そんなのって……。
「おれは小さな農村の、貧しい農家に生まれました。両親と、3つ下の妹と四人暮らしで、貧しいなりに幸せに暮らしてたんです。…でもある日、おれが人より知能が高いのに目をつけた商人がおれを連れて行きたいと言い出して、その頃日々の食料にも困るほどに困窮しつつあった両親はあっさりとおれを売ってしまって…」
そこで九条くんは一度言葉を切る。淡々と話してはいるが、その表情は苦しげに歪んでいるように見えた。
「それからの日々は地獄でした。ろくな衣食住も与えられず、朝から晩までずっと働かされる日々。暴言を浴びせられ続け、逆らったり仕事が遅かったりすると容赦なく暴力を振るわれて…。名目上奉公だってことになってはいたけど、あの扱いは奴隷そのものでした。おれの頭脳に目をつけたくせに3分の2くらいは肉体労働、おれのほかにも何人もの子どもが働かされてて…、結局のところ使い潰せる安い労働力が欲しかったんですよ、あいつは。高級な商品を他店より安く売ることで大成功して莫大な利益を手に入れた商家、そんなことができたのはおれみたいな奴隷を使うことによって人件費を極限まで削っていたから。他にも裏で様々な悪事に手を染めているのをおれは散々見てきた」
九条くんが話してくれるのはあまりにも過酷すぎる生活。こんな物語のようなことが現実に起こっていたなんて…。あまりに話が重すぎて、なんて声を掛ければいいのか私にはわからない。
「おれがあの店に売られたのは7歳の頃。それから3年間、辛い日々に耐えつつこっそりと店のやつの目を盗んで店の構造を調べたり、店の書物を読んでいろんな知識を詰め込みつつ魔法も練習したおれは、念入りに脱走計画を練って、先週ついにそれを実行した。……ただ、脱出自体は無事成功したんだけど、長年の奴隷生活のせいで身体が弱ってたおれには遠くに逃げるだけの体力がないし、必要な物を買えるお金もない。親に捨てられた身である以上頼れる相手もいない。…こんな何もないおれが、店から出られたところで助かるわけなんてなかったんです。それでも必死に歩き続けるうちにたまたまたどり着いた森の中で高熱を出して倒れて、そこをたまたま通りがかった渚さんに助けられて……そうして今に至ったんです」
………本当になんて言ってあげたらいいんだろう。どうすれば九条くんの心を少しでも軽くすることができるんだろう。
「…やっぱり急にこんな重い話をされても困りますよね」
黙り込んでしまった私を見て、九条くんが申し訳なさそうな顔で呟く。
「ちがう!そうじゃない!そうじゃなくて……ただ、なんて声を掛けるのがいいんだろうって……。余計なことを言ったらかえって嫌な思いをさせるんじゃないかって……」
こんな風に九条くんを困らせたかったんじゃない…。
「…ありがとうございます。そんな風におれのことを気にかけてくれて。…無理に何か言ってくれなくても、話を聞いてもらえただけで十分です。誰かに聞いて貰えるだけでもずいぶんと心が軽くなるものなんですね」
そう言う九条くんの表情は、さっきまでより少しだけ緩んだように見えた。
「こんな話一生誰にもできないって思ってたんですけど、なんだか渚さんになら話してもいい気がして…。渚さんに聞いて貰えて良かったです」
それを聞いた次の瞬間、私は無意識に九条くんを抱きしめていた。なんとなく放っておけない感じがして、言葉ではうまく伝えられないものもこれなら伝わる気がして。
「え、ちょ、渚さん…!?」
びっくりして、焦ったような声をあげる九条くん。でも私は手を緩めない。
「九条くん、九条くんはもうひとりじゃないからね。私は絶対に九条くんを捨てたりしないから…約束するから……!だから、もう大丈夫だからね…」
つらいのは九条くんのはずなのに、なぜか私が泣けてきてしまう。
「……えっと、その、ありがとうございます…。でも、その…、ちょっと照れくさいのでそろそろ放してもらってもいいですか…?」
「え、あ、ごめんね!?」
そういえばずっと抱きしめたままだったね!?照れくさいっていうのは本当みたいで九条くんの顔が心なしか赤い。…ずっとひどい生活を送ってたみたいだし、きっとこういうの慣れてないんだろうな。でも嫌がってたわけではなさそうだしまあいいよね?きっと今の九条くんにとって必要なことだと思うし。
「ねえ九条くん、一つ提案なんだけど、敬語とさん付けやめない?」
私はずっと思っていたことを提案する。
「え、いや、無理ですよ!渚さんは恩人な上年上ですし…」
九条くんの反応は予想通り。でもこれは私だって譲れない。
「それはそうかもしれないけど、私たちこれから一緒に暮らして一緒にお店を経営する家族みたいなものになるんだよ?それなのに敬語って堅苦しすぎない?私は敬語よりもタメ口で気軽に話してもらえる方が嬉しいなぁ」
「……まあ渚さんがそこまでいうなら、敬語はやめま……やめる。でもせめてさん付けくらいはしないと気が済まないというか…」
敬語をやめてくれたのは良かったけど、さん付けについては渋る九条くん。でもさん付けもなんかむず痒いというか…。どうせなら姉弟みたいな関係になれたらなぁって思うのに。
「そこをなんとか!私も九条って呼ばせてもらうから、九条くんも呼び捨てにしてほしいな」
距離を縮めるにはまず形からかなーって思うし、なんかこう、九条くんには家族の温かさみたいなものを与えたいというか、他人行儀な接し方はしたくないというか…。
だってあの無表情とか何かに怯える感じとかって、今までの生活のつらさはもちろんだけど、親から捨てられたショックからきてる部分が大きいよね?だとしたら、そこから立ち直るためには、家族からの愛情と、絶対に裏切られないっていう安心が必要なのかなって…。だから、いきなりは無理でも、最初は形からでも、九条くんと本当の家族みたいになっていけたらいいなって思うんだ。
まあただ単に私が九条くんともっと仲良くなりたいっていうのもあるんだけどね。
「……名前、本名聞いても九条の方で呼んでくれるんです…くれるんだね」
呼び捨てを拒否する言葉が続くと思って次はなんて言って説得しようかなと思っていた私は、思いがけない言葉にちょっと拍子抜けした。
「いや、だって本名じゃ呼ばれたくないんでしょ?」
「そうだけど…偽名使ってたこと怒られるかと思ってたから…」
九条くんは嘘をついてしまっていたことを結構気にしていたらしい。事情があってのことだし、私は全然気にしてないんだけどなぁ。
「私は別に気にしてないよ。だいたい偽名って考えるから悪く思えるんだって。九条はあだ名みたいなものだと思えばいいんじゃない?ほら、本名と全く違うあだ名の人も結構いるし!」
「あ、あだ名…?」
私の突拍子のない提案に面食らう九条くん。自分でも変なこと言ってるなーとは思うけど、この際九条くんの罪悪感を少しでも減らせるなら何でもいいかなって。
「そうそう。今までの篠原竜としての人生とは決別して、九条として新しい人生を生きていくっていう決意表明的なあだ名って考えておけば、本名じゃなくてもそう悪いものじゃない気がするよ?」
なんかもう、いよいよ自分でも何言ってるのかよくわからなくなってきた。頭に浮かんだ言葉を勢いのまま言ってる感じで話が全然まとまってない。
……ああほら、あまりに意味不明過ぎるから九条くんが笑って………ん?九条くんが笑ってる!?
「もう、言ってることがさすがにめちゃくちゃ過ぎるよ?…でもおかげでちょっと心が軽くなった。ありがとう、渚」
そう言う九条くんの顔はとても晴れやかで、ずっと無表情だった分不意打ちの笑顔にちょっとドキッとしてしまう。九条くんってこんな風に笑うんだね。
「名前…呼び捨てにしてくれたんだ。私も九条って呼んでいい?」
「もちろん。渚があまりに必死だから、渚と話してるうちに小さなことにこだわる自分がなんだか馬鹿らしくなってきて…。敬語とか使ったりなんてしなくても、感謝の気持ちを忘れなければ十分なのかなって思ったんだ。――それに、おれも渚の家族として生きていきたいなって思ったから」
表情はもういつも通りの無表情に戻ってしまったけど、なんとなく何かが吹っ切れたように感じる。さっきまでのどことなく不安そうな雰囲気が消えて、無表情なりにちょっと明るさを取り戻したような、そんな感じ。うまく言えないんだけどね。
「ありがとう。じゃあ改めてこれからよろしくね」
「うん、よろしく」
私達は少し照れくさいような気分で握手を交わす。
お互いの気持ちを真っ直ぐぶつけ合ったからかな?まだ出会って二日だけど、なんとなく九条との距離がぐんと縮まったような気がした。
その日はもうゆっくり休むことにして、翌朝私達は予定通り王都へ向かう列車に乗り込む。色々あったリオルの町とももうお別れだ。なんとなく寂しさも感じるけれど、私達の未来はむしろこれから始まるんだよね。王都に着いたらようやくお店の開店のために動けるんだし、九条と一緒に頑張っていかないとね!
九条がボロボロな理由についてようやく書けました。ようやく…と言いつつ薬師渚と違ってこの辺の事情については全く引っ張らずすぐに書いてしまいましたけどね。彼の家の事情については今後の話でもっと掘り下げることになります(だいぶ先ですが…)。何はともあれ渚と話す中で多少吹っ切れてくれたみたいで良かったです。次章からはもう少し彼らしい感じになってくれるといいのですが…きっとさすがにまだ遠慮気味な態度になりそうな気がします。渚と九条のコンビは好きなので、これから二人の活躍を描いていけるのが楽しみですし、良いパートナーになっていってほしいなと思います。まだこれから仲間も増えていくので賑やかになるのも楽しみです。しかし最後の方の説得はだいぶ無理があるよ渚ちゃん…。
さて、次回からは新章突入です。三章は薬師渚に該当する回のない完全新作ですよ!章タイトルは「探しモノ」です。ようやく魔物退治もしますし、この話らしい話がようやく書けるなーと思います。できれば明日から入りたいところですが果たして書けているのかどうか…。もしツイッターで書けたって言ってるなら明日からですが、もしかしたら来週スタートかもしれないのですが、次章もよろしくお願いします。