8,昔話
今回は渚と九条がお互いの深い部分に少し踏み込んでいきます。
「こんなボロボロの宿でごめんね、あんまりお金に余裕ないから…」
正確に言うとあんまりではなく全くだ。王都でお店をやろうと思うと開業資金だけでもかなりかかりそうだし、正直今持っている額で足りるのか不安しかない。だからいくら九条くんをゆっくり休ませてあげたくても、町内最安値の宿にせざるをえなかったんだよね。おかげさまで狭いし掃除も行き届いていないし雨漏りの跡らしきシミまであるというボロボロっぷりだ。私だけなら我慢すればいいだけなんだけど、九条くんにまでこれを強いてしまうのは申し訳ない。
「そんなに気にしなくても、おれがいつも過ごしていた場所もこんな感じだったので大丈夫です。むしろ壁に穴が開いていなくて布団まであって、この広さで二人部屋だなんてだいぶ贅沢なくらいです」
……そうだ、九条くんはこういう子だった。なんかもう、だんだん気にするだけ無駄なような気がしてきたよ…。
「じゃあ九条くんはしばらく横になって休んでてね」
今日はかなりあちこち連れ回してしまったので、疲れで体調が悪化しないよう私は強引に九条くんを寝かせる。部屋に着くなり布団を敷き有無を言わせずそこへ連れて行くと、今日一日で私に抵抗することの無意味さを痛感している九条くんはあっさりと横になってくれた。きっと疲れが溜まっているだろうし、このまま大人しくしていてくれればすぐに眠りにつくはずだ。不調の時はゆっくり寝て休むのが一番だからね。
私はその間に薬の調合でもしようと思い、昨日処理を済ませた薬草を鞄から取り出す。薬さえ用意できれば、最悪なかなかお店を開けなかったとしても薬の販売自体はできるから、時間があるなら商品は早めに用意しておくにこしたことはない。。
薬の販売をするためには薬師の資格が必要なんだけど、それは村にいるうちにしっかりと取ってある。だから予め役所で申請さえ出しておけば、その辺の市場とかでシートを広げて販売することも可能なんだ。昨日森で九条くんに貸したシートはそのためのものだ。直射日光は薬の保存にあまり良くないから、どうしてもお金が足りない場合以外は極力避けたいとは思ってるんだけどね。
そんなわけで一人黙々と作業を進めていると、もう寝たと思っていた九条くんがそのままの姿勢でふと私に話しかけてきた。
「……渚さん、何から何まで本当にありがとうございます。おれ、渚さんに迷惑かけてばかりで…。本当にどれだけ感謝してもしきれないです。――もう少し回復したらすぐに仕事を見つけて、お金は絶対返します。これ以上渚さんに迷惑をかけないように……」
九条くんはこちらに背を向けているから表情はわからない。彼のことだからいつも通り無表情なのかもしれない。……でも、その少し掠れた声は、なんだか思い詰め自分を責めてしまっているように聞こえた。まるでいけないことをしてしまっているかのように…。
それを聞いた私は少し考え、一度作業の手を止めて静かに切り出す。
「――本当に気にしなくていいんだよ九条くん。これは私がやりたくてやってることなんだから。……私ね、昔目の前で幼馴染みを亡くしたことがあるの。私が危険なことに巻き込んじゃったせいで。……だからさ、もう二度と目の前で誰かを死なせたりしたくない。もし直接じゃなくても助けを求めている人がいたら、自分にできる最善を尽くしてなんとしてでも救いたい。――そんな自分勝手な偽善のために九条くんを助けたの。だから九条くんは何も気にしなくていいんだよ」
ちゃんと本音で話さないと九条くんはいつまでも負い目を感じてしまう。そう思ったから私はありのままを話すことにした。
”困っている人は放っておけない”
そういう純粋な想いももちろんあるよ。でも私の根底にある感情は、たぶんもっと自分勝手で醜いもの。
”誰かを救うことで自分が楽になりたい”
九条くんを助けた根底に、純粋な正義感の他に、犠牲にしてしまった佑真の代わりに誰かを救うことで自分を肯定したい気持ちがなかったと言ったら嘘になる。
そんな醜い感情からは目を背けていたかったけど、それじゃだめなんだよね。背けたままじゃ九条くんにも失礼だ。本当の意味で誰かを救える人間になりたいのなら、自分自身の汚く卑怯な部分ともきちんと正面から向き合わないといけない。
「……でも、それでもやっぱり渚さんは優しいと思います」
私が拙い言葉でかいつまみながらあの日の話を終えた後、九条くんはぽつりと呟いた。
「人の感情は綺麗なばかりじゃないのは当然だと思います。それでも誰かを貶めることで自分の心を守るんじゃなく、誰かを救いたいと願う渚さんは強くて優しい人だとおれは思う。そんな渚さんにおれは救われたから、だからやっぱり渚さんには恩返しがしたいです」
今度はさっきと違い何かに怯えるような異常なまでの必死さはない、ただただ真っ直ぐな言葉。
九条くんの心からの感謝の言葉が、私の胸にじんわりと響いた。
「ありがとう。なんだか長年胸につかえてたものがとれた気がする…。九条くんのこと励ますつもりが、逆に私が励まされちゃったね」
私、自分で思っていた以上に佑真のこと引きずってたのかもなぁ。なんだか久しぶりに胸が軽いや。
「ねえ九条くん。実は私、薬屋兼魔物退治をするお店を開こうと思ってるんだけど、スタッフを雇う余裕もないし私一人じゃちょっと人手が足りなさそうなの。だからどうせ仕事を探すなら、九条くんが私の店を手伝ってくれたらすごく助かるなって思うんだけど…」
私が頼んでみると、あの無表情な九条くんがほんの少し目を輝かせる。
「ぜひやりたいです」
王都には一緒に行くことになったけど、お店はあくまで私がやりたいこと。それに九条くんを巻き込んで迷惑をかけたりしたくない。そう思って、もともとはお店の方は私一人で頑張って、九条くんには好きに過ごしてもらうつもりだった。でも店を手伝うことで九条くんが私に変に遠慮せずに過ごせるようになるならそれもいいよね。魔物退治はさすがに危ないけど、店番や掃除なんかなら全然頼めるし。
でも九条くんにお店を手伝ってもらうなら、薬のこともある程度教えておいた方がいいよね。何からどうやって教えていくとわかりやすいかな…。
そんなことを考えていると、九条くんが何やら真剣な表情で私に声を掛けてきた。
「あの、渚さん、おれからも話があるんですけどいいですか?」
「話?」
ひたすら遠慮してた件についてはさっき解決したけど、今度はなんだろう?
「はい、おれの事情についてちゃんと話しておきたくて。渚さんが真っ直ぐに想いを伝えてくれたのに、おれだけ嘘をつき続けるのはだめだと思うから…」
「嘘?」
九条くんからはまだたいした話は聞いてないはずだけど、嘘をつかれるようなことなんてあったっけ?
私は疑問に思いつつ、九条くんの次の言葉を待つ。
すると次の瞬間、九条くんは思いがけないことを言った。
「おれ、渚さんに一個だけ嘘ついてたんです。…おれ、ほんとうは九条なんて名前じゃないんです」
お店を開いて人々の力になりたいと思うようになったきっかけが佑真の一件なので、自分の行動は結局はただのエゴなのではないかという思いは、表には出さなくてもずっと渚の心の奥にくすぶっていた部分ではありました。そう簡単に吹っ切れるものではありませんが、今回それを九条にぶつけ、受け入れてもらえたことで、ずいぶんと気持ちは楽になったと思います。この二人は、一見渚が九条を助けたように見えて、むしろ渚が九条に助けられている部分がかなり大きいと思っています。今まで流れでなんとなく一緒にいるだけだった九条が渚の仲間になることが本格的に決定しましたし、これからまだまだ色々ありますが、きっとお互いがお互いの支えになるような良いコンビになれるのではないでしょうか。(コンビといいつつまだ仲間は増えますが。)
さて、九条が最後に偽名を名乗っていたことを明かしましたね。その理由や本名は次の更新で彼の過去と共に出てきます。次回はいつも通り来週土曜21時を予定していますが間に合わなかったらすみません。(この予告は週末に投稿作業をする時間がなくて1週間前くらいに事前に書いていることも多いのでずれる可能性も高いです。)