1、月花草
はじめまして。薬師渚からの方は大変お待たせいたしました。ようやく月花堂物語始動です。
あらすじにも書いた通り本作は前作薬師渚の修正版なのですが、かなり大幅に書きかえているので前作を読んだ方でも前作と重なっているあたりもお楽しみ頂けるかと思います(そうだといいな)。ちなみに一応一章をプロローグとしていますが、実質四章までプロローグのようなものだったりします。
「ふあぁ、よく寝たー」
私は軽く伸びをしながら身体を起こす。
普段はあんまり寝起きが良くなくて、目覚ましが鳴っても二度寝しちゃってお母さんに起こされるのに、目覚ましすら鳴らないうちに自力でこんなにすっきり目覚められるなんて珍しいな。そんなことを思いながら私、浜村渚はベッドから降りてカーテンを開ける。そこで私は異変に気づいた。
「あれ、今ってもう昼?」
窓の外を見ると太陽がもうだいぶ高い位置にある。慌てて時計を確認すると、時刻はすでに11時をまわっていた。道理ですっきり起きられたわけだ。
でもおかしいな、普段はどんなに遅くても9時には強制的に起こされるのに。
まさかお母さんも寝坊?一瞬そう思ったが私はすぐに思い直す。私と違っていつも早起きなお母さんがこんな時間まで寝ているなんてありえない。
――じゃあなんで?
ドクンッと心臓が大きく鼓動する。なんだか嫌な予感がした私は着替えもせずに慌てて一階まで駆け下りる。そして普段ならこの時間にお母さんがいるはずのリビングを覗き込んだ。
しかしそこには誰もおらず、人がいた形跡もない。――やっぱり何かおかしい。
他にお母さんがいそうな場所はどこだろう?少し考えた私はキッチンへ行ってみる。もしかしたら少し早いけど昼食の準備をしているのかもしれないし。
でもキッチンへ行ってみた私の目に飛び込んできたのは、作りかけの朝食と散乱する食材や調理器具、そして床に倒れ伏すお母さんの姿だった。
「お母さん!?どうしたの!?」
駆け寄って声を掛けたものの、お母さんは苦しそうに呻くばかりで返事はない。
ひどく汗をかいたお母さんの額に恐る恐る触れてみると、その額はびっくりするほど熱かった。
***
連絡を受けて慌てて仕事から帰ってきたお父さんと一緒に、村唯一の薬師のところへお母さんを連れていく。さすがに10歳の私にお母さんを担ぐような力はないから、慌ててお父さんに連絡して仕事を早退してもらったんだ。
村の薬師は克己さんっていう50代の男性で、村の外れの方にある自宅で診療所兼薬屋をやっている。立派な病院なんてない田舎だから、体調を崩したときは皆克己さんのお世話になっているんだ。
診療所に着き容態を説明すると、克己さんは何か思うところがあるのか今まで見たことがないくらい深刻な面持ちでお母さんの診察を開始する。そして診察を続けるうちにどんどんその顔を険しくしていく。
「これはちょっとまずいですよ。恵さんが罹った病気は少々珍しい病気でして、治療薬が入手しづらいんです。かといってこの高熱ですからね、ちゃんと治療をしないと命に関わります」
克己さんが深刻な表情でお母さんを見つめながら言う。いつも朗らかな笑顔で薬を処方してくれる克己さんのこんな顔は初めてで、見ているととても不安になってくる。
「そんな!なんとかならないんですか!?」
お父さんも同じ気持ちなんだろう、取り乱した様子で克己さんに縋る。
「私にも治療薬の調合自体はできるんですけど、今は材料となる薬草の入手が困難でして…。この病気の治療薬には、月花草という満月の夜だけ花を咲かせる特別な薬草の花が必要なのですが、その薬草は王都近くにあるラルクの森でしか採れないんです」
「王都!?そんな…」
王都と聞いて絶句するお父さん。でも私には王都の近くだと何が問題なのかわからない。
「あの…王都の何が悪いの?そこまで遠いわけでもないし、採れる場所があるなら探しに行けばいいだけじゃないの?」
私は思ったままに疑問をぶつける。お母さんの命に関わる問題だからちゃんと状況を知っておきたいのに、正直全く話についていけない。
「渚ちゃんは知らないかな?王都近辺では20年くらい前から森や山の中を中心に魔物が発生するようになって、魔物被害が年々増加してるんだよ。しかも魔物は満月の夜に最も活性化するから、ちょうどその時間しか採れない月花草の花は危険過ぎてもう何年も採取ができていないんだ。おかげで月花草を取り扱っていた店の在庫もどんどんなくなっていって、今ではもうほとんど入手不可能だと言われている」
「そんな…」
魔物って確かこの世界と隣接して存在していると言われている魔界っていう場所に住んでいる凶暴な生き物のことだよね?そういえば、本来この世界には存在しないはずの魔物がなぜか頻繁に現れるようになって困っているっていう話を大人達がしているのを聞いたことがある。確か何十年も前に一度現れたことがあったけどいつの間にか発生しなくなっていたのに、20年くらい前からまた姿を現すようになったって話だっけ…。村近辺での目撃情報は聞いたことないからあんまり気にしてなかったんだけど、あれって王都近辺のことだったんだ。
「特効薬が用意できないのはなかなかつらいのですが、薬で症状を抑えながら様子を見てみましょう。恵さんは持病もなく体力もありますし、本人の自己回復力に期待しましょう」
私達が不安にならないように無理に笑いながら克己さんはそう提案した。
たぶん克己さんはまだ諦めてはいない。お母さんを助けるためにできる限り手を尽くしてくれるつもりなんだと思う。…でもその発言は、もうほとんど手の打ちようがないと言われているような気がした。
***
解熱剤など色々な薬をもらったおかげで、一応お母さんの意識は戻った。でもそれらの薬はあくまで個別の症状を抑えるだけで、病気を直す効果はない。依然として安心できる状況ではなかった。お母さんはできるだけ元気に振る舞おうとしているけれど、ずっととても苦しそうにしているから、お母さんの「大丈夫」という言葉はかえって私を不安にさせた。
そんななか、夕方にうちにお客さんが訪れた。
「恵さんが倒れたって聞いたけど大丈夫?」
「お見舞いに来たよ」
やってきたのは近所に住む竹中さん一家だった。
竹中さんたちはうちの向かいに住んでいて、私が生まれる前からお父さんやお母さんと仲が良かったみたい。おじさんとおばさんと、それから私と同い年の佑真っていう男の子の三人暮らしで、幼馴染である佑真とは私もとても仲が良い。物心つく前からよく一緒にいたらしいし、昔からほぼ毎日一緒に遊んでいる。今日だって本当は午後から一緒に遊ぶ予定だった。
「彰さん、舞さん、佑真くん、わざわざ来てくれてありがとう。それなんだけど実は状況があまり良くなくて…」
お父さんはそのままお母さんの病状についておじさんたちと話し始める。これはしばらく終わらなさそうだなぁ。
…なんて思っていると、佑真が私のところに来た。
「渚、おばさん倒れたって聞いたけど大丈夫?」
心配そうにこちらを覗き込む佑真。
昔からいつも一緒の幼馴染の顔を見たら、張りつめていた糸が緩んだのか一気に涙が溢れてきた。
「佑真~!お母さん死んじゃうかもしれないよぉ…どうしよう……」
佑真に抱きつき泣き崩れる私を見て、佑真がおろおろする。
「お、落ち着いて渚。とりあえず場所変えよう?」
私が玄関先で泣き崩れてしまったから、もうちょっと落ち着ける場所の方がいいと思った佑真が私の手を引いて私の部屋まで連れていってくれる。部屋に着いた後は、私が落ち着くまでずっと背中をさすってくれていた。
「それそろ詳しい話を聞いてもいい?」
私がひとしきり泣いて落ち着いてきた頃、佑真が改めてそう尋ねた。急にお母さんが死んじゃうかもとだけ聞かされても何がなんだかわからないもんね。
「…あのね、お母さんちょっと珍しい病気でね、王都近くのラルクの森っていうところで採れる薬草がないと薬が作れないんだって。だけどそこは魔物が発生するから危なくて薬草を採りにいけなくて、だから薬も用意できないって…」
言いながらまた涙が溢れてくるからうまく説明できない。でもそんな要領を得ない説明も佑真はうんうんと静かに聞いてくれる。
「…そっか、薬が作れないのは心配だね。でも克己さんも特効薬がないと絶対治らないって言ったわけじゃないんでしょ?だったらおばさんを信じてみようよ。病は気からっていうし、早々に諦めちゃったら治るものも治らないよ?」
佑真の優しい言葉が身に染みる。
そうだよね、今一番つらいのはお母さんなのに、励まさなきゃいけない立場の私が後ろ向きなこと考えて落ち込んでちゃだめだよね。
「ありがとう佑真、ちょっとだけ元気出た」
私は手で涙を拭って佑真に笑ってみせる。
「そっか、なら良かった。…でももしまた辛くなったらいつでも俺に言ってね。話くらい聞けるからさ」
「うん、ありがとう」
話がひととおり終わった頃、ちょうど佑真の両親が呼びにきた。佑真はもう一度私を励ました後、また明日も来ると言って帰っていった。
***
お母さんが倒れてから早一週間、薬のおかげで一度は症状がましになったものの、すぐにまた調子が悪くなり、それからは日に日に症状が悪化しつつあった。
どんどん衰弱していくお母さんを見ていると段々と不安になってくる。このまま本当に死んじゃうんじゃないかって。
そして、それはきっと考えすぎなんかじゃないんだと思う。克己さんがうちに様子を見に来る頻度がどんどん増しているし、その顔には日に日に焦りが色濃くなりつつあるから。
このままじゃきっとお母さんは助からない。やっぱり特効薬が――月花草が必要なんだ。だったら……。
「え、月花草を採りに行く!?」
私の話を聞いた佑真が目を丸くする。
「うん、このままじゃお母さんが死ぬのは時間の問題なんだもん、じっとなんてしていられないよ!それにちょうど明日は月花草の花が咲く満月だし」
このタイミングを逃したら次のチャンスは1か月後。正直そこまでお母さんの身体がもつとは思えない。だから明日がお母さんを助けられる最後のチャンスなんだ。
「気持ちはわかるけど、あんなところへ行くなんて危なすぎるよ。魔物は渚が思ってる以上に危険な存在だよ?渚みたいな非力な子どもがどうこうできる相手じゃない」
佑真は正論を並べて私を止めようとする。
もちろん佑真の言うことはわかるよ、私が採れるようなものだったら入手困難になんてなっているはずがない。とっくの昔にプロが採集に出かけているだろう。…でも、私だってそう簡単には引き下がれない。
「…じゃあ佑真はお母さんを見殺しにしろっていうの?助ける手段があるのに?」
「そ、それは……」
痛いところをつかれて言葉につまる佑真。私を心配して行くなって言ってくれてるのはわかってるけど、でもそれはつまり、今のままじゃ死ぬのがわかっているお母さんを助けるのをやめさせようとしていることにもなる。そこをつけば、佑真もそう強くは言えないはずだ。
「ねぇお願いだから私に協力して!明日私が佑真と遊ぶ約束をしてることにしてくれるだけでいいから!」
月花草が欲しいなら黙って勝手に行けばいいだけなのに、止められるのをわかっててわざわざ佑真に話したのはこのためだった。
私が不審がられることなく外出するのに一番手っ取り早い方法は、佑真と遊ぶということにすることだ。佑真と遊びに行くのはほぼ毎日のことだから、前日に急に言い出したとしても怪しまれることはまずない。遊んだ帰りに翌日の約束をして急に言い出すことも、なんなら特に報告もせずに当日出かける瞬間に伝えることもしょっちゅうあるし。
月花草が採れるのは夜だからその時間まで帰らないとさすがに嘘がバレるけど、バレる前に森にさえ行ってしまえばこっちの勝ちだ。ラルクの森までは結構距離があるし、バレたところですぐに連れ戻しになんて来られないからね。きっと迎えが来るのは夜が明けてからだろうし、月花草を採る時間は十分にあるはずだ。まあ後から相当怒られるだろうけど…。
「ねえ佑真、お願い!」
迷っているのかなかなか返事をしない佑真に私はもう一度頭を下げる。佑真が協力してくれないと、家から出ようとするだけで親に怪しまれかねないんだもん。
「……わかった、協力するよ。俺だってできるならおばさんを助けたいしね」
私が必死に頼み続けたのが通じたのか、とうとう折れた佑真が諦めたようにため息交じりに呟く。しかし私がそれを喜んだのも束の間、佑真は意を決したように思いがけない言葉を続けた。
「…ただし俺も一緒に行く」
「え、なんで!?危ないよ!?」
夜中の森だよ?魔物がうようよ居るらしいんだよ?私が言えたことじゃないけど、いくらなんでも危険すぎる。そんなことに佑真を巻き込めないよ…。
「だからこそだよ。あんな危険なところに渚を一人でなんて行かせられない。……協力するって決めたからには責任をもって俺が渚を守る」
そう言う佑真の瞳には強い決意が浮かんでいた。
危険なことをするのはやめさせたいけど、かといってお母さんのことを諦めろとは言えない。それで悩んだ末に出した妥協案が、自分がついて行って私を守り抜くというものだったのかもしれない。
佑真も私同様ただの非力な子どもだから、ついて行ったところで魔物相手にどの程度通用するかはわからないっていうことは佑真自身もわかってると思う。でも本来止めるべき場面で止めないという選択をした以上、その選択に責任を持たないといけないと思っての判断なのかも。
「じゃあ私も言い出しっぺとして責任をもって佑真を守る!強引に巻き込んでおいて怪我させるわけにはいかないし」
「いや、そこは俺にかっこつけさせてよ。――でもまあどっちがっていうより、お互い協力して守り合うのが一番か」
「そうそう。一人じゃ難しいことでも、二人ならなんとかなるかもしれないし!」
本当は私一人でなんとかするつもりだったけど、こうなったら佑真は退いてくれないだろうし、お互いできるだけ危険がないように二人で頑張るしかないよね。
決行日は明日。自分たちの身の安全が第一ではあるけど、なんとか月花草を見つけてお母さんを助けないとね!
さっそく薬師渚とは全く違う展開となっております。冒頭から母が倒れたし、家薬屋じゃないし、克己さんなんていうキャラも増えてるし。個人的に前より主人公の動機がわかりやすくなって、性格含め以前のものよりしっくりきているのですが、読者様方的にはどうなんですかね?(初めての方には伝わらない後書きで申し訳ないです…)
拙い文章ですが、もし気に入って頂けたら幸いです。まだまだしばらく続くのでぜひお付き合い頂けたらと思います。