第一章 第三話
異変に気付いたのは、少女が多勢の男に追われている光景を目撃したからだけではない。
その光景を目撃したのは、私だけではない筈だ。しかし誰一人として、その光景を見て気にも留めていない。まるで、ありふれた光景かの如く、無関心を装っているように見えた。
少女も誰かに助けを求めること無く、一目散に路地裏に逃げ込んだ。男達は笑みを浮かべて、追い詰めたと言わんばかりの顔をしていた。
まるで悪党だなと私は思ったが、常識的に考えて、多勢の男が一人の少女を追い回す光景を見て、どちらが悪党かは言うまでもない。
しかし、これが日常茶飯事に発生しているかの如く、街並みも人並みも変わっていない。
「自分には関係ないことだ。」と街全体が言っているかのように、日常を取り戻していた。
私はその光景を見て背筋が凍った。何だこの街は。ここまで他人に無関心なのかと。
と同時に、その虚しい感情に安堵していた。ここでは、他人が何者かは詮索しない。なるべく他人と関わらないよう努めようとしている様子が見て取れた。
それは私にとっては都合の良いことであるが、社会としては破綻しているのではないかと思った。
しかし、それこそ私には関係のないことだと言い聞かせた。
例えば、少女が物を盗み、それを追ってきた者から逃げているのではないか。
などと都合の良い解釈をして自分自身を無理矢理納得させた。きっとそうに違いない。そう言い聞かせたにも関わらず、どうしても確かめずにはいられなかった。
少女と男達の後を追い、路地裏の様子を伺おうと聞き耳を立てた。
「商品を返せ」や「親はどうした」などと、男達が少女を諭す言葉を予想していたが、聞こえてきた言葉は予想に反して、少女の挑戦的で快活な声だった。
少女の言葉は、時間稼ぎを目的とする賭けに出た勝負の一手としての言葉であったが、少女が置かれている状況を見ていない者にはまるで理解出来ない言葉である。
少女の言葉にハッとし、思わず顔だけを覗かせると少女と男が切迫した様子で対峙していた。
少女の身なりは、決してお金に困っている様には見えず、それどころか裕福な家庭の子を思わせる程の気品があった。
真っ直ぐな瞳で見つめる男の手には刃物が見え、その近くには少女の執事と思慮される男が喉元に刃物が突き付けられていた。
その瞬間、私の憶測は見当違いも甚だしいものだと即座に察知した。
詳細は不明だが、少女に危機が迫っていることだけは手に取るように理解出来た。状況は理解出来たが、少女はまるで意に介さず言葉を続けている。まるで挑発するかの如く言葉を発し、文字通り口撃し続けた。
この状況、少女が圧倒的に不利な筈だ。戦闘で勝ち目があるわけもなく、ましてや執事まで人質に取られている。なぜ少女は、圧倒的に不利な状況で逃げること無く立ち向かおうとしているのか。理解出来なかった。
なぜ逃げない。
なぜ命乞いをしない。
なぜ生にしがみつこうとしない。
人混みに紛れて逃げればよかったのに。あんな無関心な奴らなど巻き込んで、執事を置いて逃げれば命は助かるのに。
なぜ命を捨てるような真似をするのか。理解出来ない。
案の定、男は激昂し少女に銃を向けた。すぐに渇いた音が路地裏に響いた。
威嚇の一発だったのだろう。恐らく普通の人間は銃を見ただけでは本物かわからない。しかし、音と火薬の臭い、そして銃口から漏れる硝煙を見れば、恐らくが確信に変わるだろう。少女を見た。
少女は目を瞑り笑っていた。
自分の死を覚悟したのか、諦めたのかはわからないが、表情は穏やかだった。
その姿は美しく、神々しかった。死に立ち向かい敗れはしたものの、少女は悟ったかの様に笑みを浮かべている。
それに比べて自分は醜かった。運命から逃れるため、家を出て彷徨っている。生にしがみつく姿が醜く見えてくる。
誰だって死にたくない。生きる選択肢があるならば、迷わずに生きる方を選ぶ筈だ。それが人として正しい行動であるし、人の生存本能ではなか。
それなのに、その本能に従った自分よりも少女が美しく見えてしまった。その矛盾に理解が追いつかなかった。
その瞬間、自然と体が動いた。
その答えは彼女が知っているかも知れない。追い詰める男達を縫う様に駆け抜け、少女の目の前に立った。
常人には目で捉える事の出来ない弾丸を持っていた刀で斬り落とした。
正確には、弾道に合わせ鞘から刀身を抜き、その瞬間刀身に弾丸を当て真っ二つに斬り、身体に当たるのを防いだのだ。
対峙した男は唖然としており、取り囲む男達も同じ様な表情をしていた。
少女に怪我無いか振り向いた瞬間、何者か問い掛けられたので、咄嗟に応えてしまった。
少女は賭けに勝ったのだ。
望みの少ない選択肢を選び出し助けを待った。
安堵すると同時に鼓動が大きく、そして早くなっている事に気付いた。目が霞み、意識が朦朧としてきた。極度の緊張感の中で、命のやり取りを少女はやって退けたのだ。張り詰めていた緊張の糸が切れるのも無理はない。
その瞬間足に力が入らなくなり、目の前の者に倒れ込んでしまった。
「大丈夫か?」と問われても答える事が出来ない。
少女は抱きかかえながら、その感触に驚いたものの安心した。その安心感は助かった事によるものか、その感触がどこか懐かしい様な心地良いものかは定かではないが、途切れかけ意識の中、安堵感に包まれた。
撃たれた瞬間に死んだと思った。しかし目を開けると、目の前に人が立っていた。
その者は右手に刀を持ち、全身見たことの無い服装をしていた。後ろ髪は艶やかになびいて、目元は涼やかだった。肌が白いせいか唇が赤みがかっており、まるで紅を差している様に見えた。
目の前には黒髪の美しい女性が立っていた。