第47話 工作員の影
隣で魔王の身体が崩れ落ちるのを見ながら、俺はその場に膝を突いた。
物理的にぐらつく頭を手で押さえる。
首からぶしゅぶしゅと血の噴き出す音がしていた。
意識が途切れそうだ。
明らかに食らってはいけない一撃を貰ってしまった。
首が半分以上断たれている。
引っ張られたら千切れるんじゃないだろうか。
そんなことを考えていると、首元に違和感を覚えた。
皮膚が蠢いている。
指で慎重に撫でてみる。
斬られた箇所が、なぜか繋がりかけていた。
(ここでも呪詛が活躍か)
全身の至る所が同様に補填されているので感覚的に分かる。
すぐに他の傷も、呪詛の茨が皮膚を縫い付けて塞いでいった。
潰された片目もなぜか見えるようになる。
不気味だけど便利だな。
ついでに千切れ飛んだ腕も断面同士を触れ合わせてみる。
すると、茨模様の呪詛が触手のように伸びて、無事に腕を縫合してくれた。
じんわりと熱を帯びたかと思うと、指まで動かせるようになる。
素晴らしい、呪詛は本当に俺の力の一端となったようだ。
呪詛の流れに意識を集中させたところ、俺の魔力を吸収しつつ、その特殊な力を提供していることが判明する。
見事なギブ・アンド・テイクだ。
共生関係とも言うべきか。
俺の魔力を餌に、肉体の維持を頑張ってくれている。
そんな呪詛の働きに、なんとなく生物の気配を感じた。
ひょっとして意志があるのではないだろうか。
なんとなく気持ち悪い。
まあ、害があるわけではないので問題ないかな。
こいつのおかげで魔王にも勝てたのだし。
魔力を渡すだけで命を繋ぎ留めてくれるなら安いものだ。
肉体が修復されたところで、俺は魔王の死体を一瞥する。
首を失った身体が血を流して倒れていた。
漆黒の剣は握ったままだ。
(とんでもない怪物だったな……)
こんな存在が世界征服を企んでいるのだとしたら、人類が焦っているのも納得である。
しかも、儀式を邪魔したせいで力が損なわれているそうだからな。
本来の力を発揮されていたら、太刀打ちできなかった。
この世界にはまだ本当の魔王も健在する。
工作員の俺には関係の無いことだが、倒しに行く勇者は大変だね。
頑張ってほしいものである。
(まあ、それはそれとして……)
俺は鉈で魔王の身体を突く。
反応はない。
なんとなく気になったのだ。
別に根拠はない。
第六感というやつである。
「我を退けるとは……見事だ、勇者」
もはや聞き慣れた声がした。
魔王の首が転がったまま、こちらを見ている。
(……どうやって喋っているんだ?)
完全に人体構造を無視している。
そもそもなぜ生首だけで生存できるのか。
いや、相手は怪物なのか。
人間の常識に当てはめて考えるだけ無駄なのかもしれない。
「あの一瞬、我はそなたの鬼気を恐れてしまった。情けない話だが、認めざるを得ない。我は、敗北したのだ」
「勝ち負けとかどうでもいいけど、ここからパワーアップして第二回戦とか、そういう展開はやめてほしいかな」
俺は手元の鉈を意識しつつ嘆息する。
さすがに疲れた。
ちょっと休みたい。
呪詛が応急処置をしてくれたとは言え、本来なら死んでいるような怪我をしているのだ。
このまま魔王との再戦は遠慮したいところである。
というか、パワーアップされると今度こそ殺されるだろう。
首を切り落としても生きている相手をどう仕留めたらいいかも分からない。
「安心するがいい。今の我には、そなたを害するだけの力はない。しかし、不滅の存在故に死ぬことができない。唯一、勇者の持つ聖剣だけが、我を滅ぼせるのだ」
魔王の解説を聞いた俺は合点がいく。
勇者が重宝されるのは、魔王殺しの武器を扱う資格を有しているからなのか。
それ以外の方法で滅ぼせないのなら、確かに人類にとって大事な存在だ。
「我は戦いに負けた。潔く死を受け入れよう。さあ、勇者よ。我を滅ぼすのだ――」
魔王は熱を込めて語り終えると、こちらをじっと見つめてくる。
兜のせいで相変わらず表情は分からないものの、機体を込められているのは伝わってきた。
俺は頬をぽりぽりと掻きながら答える。
「……聖剣なんて持ってないから無理だよ」
「この期に及んでまだ戯言を口にするか。そなたは勇者であろう。聖剣を持っていないなどありえぬ」
「聖剣を持っていたら、とっくに使っているさ。こんな死に損ないになる前にね」
俺の皮肉混じりの指摘を受けて、魔王が黙り込む。
何か考え直しているみたいだった。
生首状態で動けなくなり、会話しかできなくなったことで冷静になったのか。
兜越しでは心情が読めない。
たっぷりと十秒ほどの静寂を破り、魔王はぽつりと話す。
「確かに聖剣を使わぬ道理がない……まさか、本当に勇者ではないのか?」
信じられないとでも言いたげな口調だった。
ずっと断言しているんだけどね。
冗談と思われていたらしい。
俺は無言で頷いてみせる。
何の誤魔化しもなく、それが真実なのだ。
「……我を倒せるのは勇者のみだと考えていた。敗北した際は、潔く滅されるつもりだった。それが魔王の宿命。あくまでも我は魔王の分裂体であり、この世に執着するつもりもない。しかし、負けたのに死ぬこともできないのか……」
魔王は淡々と語る。
心なしか物悲しげだった。
戦いの最中も"勇者と魔王の一騎打ち"というシチュエーションにこだわっている様子だった。
それだけに存在価値を見い出していたのかもしれない。
俺が勇者ではないと悟り、アイデンティティーが根本から崩れようとしているのだ。
場に微妙に気まずい雰囲気が流れる。
なぜこんな目に遭っているのだろうか。
まるで俺が悪いような空気である。
(勇者というのは、ずっと否定していたんだけどなぁ……)
最後の方は面倒になって何も言わなかったけどさ。
仕方ないよね。
あれだけスルーされたら、訂正する気だって失せるさ。
その後、長い話し合いの末、魔王は俺の所有物となるということで落ち着いた。
なんとなしに慰めているうちに、そんなことになってしまったのである。
魔王は俺の影に棲み付くことになった。
なんでも力を提供してくれるそうだ。
そして、決して俺の活動の邪魔はしない。
これが勝者の特権らしい。
契約魔術とやらで、隷属の取り決めも行った。
これで魔王から俺に危害を加えることができないそうだ。
俺には証明する手段がないものの、魔王の様子からして嘘ではなさそうと思われる。
「もし聖剣が手にすることがあれば、できれば滅してほしい。我に打ち勝ったそなた……主殿の手で斬られることが本望なのだ」
魔王は真摯な口調で懇願する。
(俺は聖剣を所持できないんだけどね……)
喉元まで出かかった言葉を飲み込む。
これを言うのは無粋なのでやめておこう。
「ところで主殿」
「なんだい?」
「我に名前を付けてほしい。魔王としての我は主殿に倒された。故に"影"としての名を新しくほしいのだ」
「名前かぁ……」
俺は顎を撫でて思案する。
これはまた唐突な要求だった。
ネーミングセンスに自信はないのだが。
ただ、断れる雰囲気でもないので頭を捻って考える。
そうして色々な候補を脳内で挙げた後、俺は魔王の生首に告げる。
「――これから俺の影の刃になるから、カゲハというのはどうかな」
安直すぎるが、呼びやすいしこれがいいと思った。
「ふむ……カゲハ。カゲハ、か。よいぞ。非常によい。今後、我の名はカゲハだ」
魔王改めカゲハは喜びながら地面を転がる。
そのまま俺の影に沈み込んでしまった。
さらには首を失った身体も、這いずりながら同様に影へ消える。
すぐに影の表面に兜だけが浮き上がり、俺に向かって話しかけてくる。
「用があればいつでも呼んでほしい。我は主殿のために存分に力を振るおう」
「……頼りにしているよ、うん」
俺はぎこちない笑みで返事をする。
とぷん、と水音を立ててカゲハは影に沈んで消えた。
その場に残された俺は、傷だらけの身体でため息を吐き出す。
こうして俺は魔王を倒し、優秀な"影"を手に入れた。
あと三話で完結の予定です。




