五章 また明日迎えに行くよ 8
とある世界での話。
そこは塩が降る綺麗な世界だった。誠君と見た映画を思い出したのが原因かもしれない。敏感に反応したイロナシが作ってくれたのだろう。
私はその世界が好きだった。生活は苦しいし、衛生管理だって行き届いてないけど、誠君との思い出の世界にいるみたいで、嬉しかった。
それにたくさん繰り返している内に、私の中で心変わりが起こったのかもしれない。自分が誠君と一緒にいることを許してしまっていた。
二人だけの時間が、ただただ手放せなかった。でも、やっぱりというか、またかというか、当然というか、そんな時間は長くは続かなかった。
その世界で私は人体実験の対象にされた。辛かったけど、誠君のことを考えると余裕で耐えられた。威圧的な義父の暴力とは違い、研究者達の事務的な接し方だったからというのもある。
でも誠君にとったらそれが耐えられなかったみたいだった。正直、嬉しかった。
昔みたいで、何だか懐かしさえも感じた。
でも緒方君と誠君が私のせいで喧嘩をした。いや、喧嘩なんて生温いものじゃなかった。あれは殺し合いだった。
ここら辺で潮時かなって思った。
いつもみたいに悲しいことが起きて、ワーってなって壊れても、それでも立ち直る自信はあった。実際何度もそうやってきていたし。でも私は何度も何度もそうやって繰り返していく内に、自分でも知らぬ間に元の形とは違うものになっていたことに気が付かなかった。いつからか私は、誠君が死ぬことに何も感じなくなっていた。本当に最低で、自分勝手な奴だと自分でも思う。
誠君が緒方君を刺して、大粒の涙を流した場面を見て、私はようやく自分のしていることの意味に気付いた。
あー、私が誠君を壊していたんだ、って。
もう、私がいなくなろう。
「……ごめんね、誠くん……」
「待てよ……どういうことだよ!」
私はもう、何もしない方がいい。
私は外の世界を見ずに、ただひたすらイロナシにかくまわれた。それでいいと思った。私の知らない所でも、彼が生きていてくれるならそれだけでいいと……
イロナシがたまに持ってくる本で時間を潰して、現実から目を背き続けた。
本当は彼に会いたかった。もう一度見たかった。声を聴きたかった。
だから、彼が私に会いに来てくれたと知った時、堪らなく嬉しかった。嬉しすぎて、また泣きそうだった。
「来た」
イロナシの台詞に振り向くと、そこには遥か遠くに誠君の姿があった。大人になっていた彼。それでも一目で分かった。
筋肉付いたね。またやつれたね。でも少し格好良くなったね。
イロナシが私を連れて逃げ出す。
初めて外に出た時、呆然とした。地震が起きた時のように崩壊した赤い地上。そこにはもう人の営みを感じない。死の世界だった。
これも全部、私のせいなの?
「咲楽!」
それなのに、誠君は私の名前を呼んでくれた。久しぶりに呼んでもらえて嬉しかった。返事をしたかった。名前を呼び返したかった。伸ばされる右手も掴みたかった。
でも私がその右手を掴んで本当にいいのだろうか。私は多くの人に迷惑を掛けた。私のせいで誠君が苦しんだ。その証拠に彼の機械の右腕が罪悪感を責め立ててくる。
『最っ低』『早く死んでくれないかなー』『同じ空気を吸うのも嫌なんだけど』『怒らせちゃ駄目よ』『謝る時はすみませんでしたって頭をこうするんだよ!』『色なしは駄目ですよ』『あ? 何様だお前?』
私に、幸せを掴む権利なんて……
「いいんだよ! 幸せになろうとしてもいいんだよ!」
ハッとした。言い回しも、センスの欠片もない言葉。でも、だからこそ、シンプルで真っ直ぐで、私は迷いなく、救われる。
私もイロナシも、互いに子離れする時が来たのだ。
私は手を伸ばした。再び触れた彼の手。私は引き寄せられ、抱き締められた。
微かに分かる誠君の匂いと温もり。意識が全て、彼のために研ぎ澄まされていく。
ずっとずっと、また欲しくて堪らなかったもの。自分で捨てたくせに、失ってからより一層に追い求めていたものが、ここにある。
もう分かっている。ここまでしてくれた人の気持ちなんてもう分かりきっている。でも私は我儘だから、口にして欲しくて、言葉にして確かめたかった。
「どうして……どうしてこんな所まで来たんですか」
「君の笑顔が見たい。それだけだ」
それだけでもう、充分だった。




