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五章 また明日迎えに行くよ 7

 憂鬱な日々を過ごした。彼と仲良くならないと決意したのに、動く度、声が聞こえる度、私はその姿を目で追ってしまった。その都度、何しているんだ私はと、自己嫌悪に苛まれる。

 そんなある日のことだった。

 自暴自棄に自堕落な生活を送っていたから正確な日付は定かではない。でも確か、五月の連休直前だったから、四月末のことだ。

 図書委員を務めてしまった私は、誰も来ない図書室でずっとふて寝をしていた。司書さんに起こされて、外に出る頃には夕日が傾き始めていた。

 昇降口を出て、グラウンド脇を通り、体育館前を通過しようとした。

 途端、目の前にサッカー部のボールが飛んできた。剛速球のようなそれは、花壇の脇に置かれたプランターを破壊した。ボールを拾いに来た生徒は、「わりぃ」と仲間内に声を上げ、ボールを蹴ってグラウンドの方へと戻っていく。

 その光景を見ていたであろう女生徒達も会話を止めることなくプランターの前を通りすぎていく。

 私のではないし、特別花が好きというわけでもないが、その光景に私は自分を重ねてしまった。ボールを当てられ、壊れても、誰も気に留めず、助けようともしない。花はいつだか、私が描いた色なしの花だった。

 少し不憫に思い、何とかしてプランターを直せないものかと近寄ってみることにした。

大小様々に砕けた破片、どうすればいいだろう。

「直そうとしてるの?」

 突然の声に振り返ると、誠君がすぐ目の前にいた。

 驚きとか嬉しさとかが色んなものが同時に込み上げる。でも疑問だった。やり直されたこの世界で私と誠君は赤の他人のままのはずだった。

「何で助けてくれるんですか?」と尋ねたが、

「鼻に土、付いてるよ」と言われて濁された。

 彼がシャベルを取りに行っている間に帰ってしまおうかとも考えた。でもそんな酷いことをするには決意が足りず、久しぶりに喋れたことの喜びに溺れて、私はその場から動けなかった。

 彼と背中を並べたのは、五分にも満たない小さな時間だった。干からびていた私がふやけるには十分過ぎる時間だった。移し終えると、思わず誠君に「ありがと」と笑いかけてしまった。

 誠君が声に出して笑った。何で急に?って思ったら「鼻、また」と鼻先を指差してきた。恥ずかしかったけど、久々に見る彼の笑顔に釣られて私も笑ってしまった。

 ずっとこうしていたかった。永遠に続け。時間よ止まれ。幸せを比喩するありふれた言葉が出るほど、幸せだった。誠君と疎遠でい続けるなんて無理だ。意地を張るのはやめよう。拗ねているのはやめよう。

 そんな自分を幸せにする選択肢が頭に浮かんだ途端、これまで何度も自分を殺した抑圧が、牙をむいて耳元で囁いた。

『駄目だ。思い出せ。お前は幸せになっていい人じゃない』

 そうだ。駄目だ。私は幸せになっていい人じゃない。私は罰を受けるべき罪人なのだ。

 そして、その瞬間が訪れる。

 私が幸せなことに神様が怒るみたいに、世界は身震いを始めた。次第に大きくなっていくそれは、立っていることが困難なほど大きくなり、あらゆる悲鳴を作り出した。人の悲鳴、建物の悲鳴、地面の悲鳴。縦横無尽に亀裂が入り、崩壊していく。

 怖かった。義父にも感じた、あの理不尽にも感じる暴力の恐怖。

 目の前の体育館が崩れ、鉄骨が飛んできた。眼前に迫る大きな影。足がすくんで動けなかった。恐怖に怖気づいていたその時、私の体が突き飛ばされた。視界の隅に映ったのは、誠君だった。

 地面を転がる。轟音が響く。やがて全てが絶たれ、無音に変わった。

 ゆっくりと顔を上げると、私がさっきまでいた場所に瓦礫の山が積み上げられていた。

「……誠君?」その問いかけに、返事はなかった。

 瓦礫の山を登り、誠君の姿を探す。そして、瓦礫の隙間から誠君の腕が伸びているのを見つけた。恐る恐る指先に触れ、手を握る。反応はなかった。

 体に穴が開いたみたいだった。足に力が入らなくなり、膝から崩れ落ちてしまう。

 放心する頭に「全部消した」と幼い声が聞こえた。

 振り返るとイロナシがいた。

 違う。こんなの望んでない。私はただ、嫌なものから逃げ出したかった。本当になくなってしまえなんて思ってない。本当は彼と笑っていたかっただけ。

 そこで私は気づいてしまう。これを引き起こしたのが、私の願いだったとするなら、私はまた、誠君を殺してしまったということなるのでは、と。

 悲しみとか罪悪感とか喪失感とか、そんな名状できるものではなかった。一挙に去来したその痛みで、涙が溢れてしまう。

 もう駄目だ。今度こそ駄目だ。今度こそ死のう。

 近くにあった鉄片を拾うと、首に向かって本気で突き刺した。が、鉄片は私には突き刺さらなかった。突き刺さったのは、イロナシの手だった。

「死なせない」黒い血が滴り落ちて、私のスカートに垂れた。

 胸一杯になる負の感情。吐き出したくても吐き出せなくて、涙と鳴き声だけが止めどなく溢れ出る。頭の中は丸めた紙屑みたいにぐしゃぐしゃで、何かの感情が浮かんでは消えていく。

「次はどうする?」

 一頻り泣き終わった頃にイロナシが訊いてきた。

 泣き腫らして、心に芽生えた小さな灯火に私は決意する。

 世界がやり直せるなら、何度だってやり直してやる。例え私がどれだけ壊れようとも、彼が笑って過ごせる日が来るまで、何度だって壊れてやる。


 そうして私は誠君が死ぬ度に世界を作り直していった。私が関われば誠君は不幸になってしまう。呪いにも似たその感覚に囚われて。

 世界を作り直す度に今度こそ誠君とは関わらない。親しくしないと心に誓うが、彼の顔を、声を、匂いを、足音を、その姿を感じる度に私の決意は揺らいだ。

 その決意が揺らいだことに気付き、自分を正そうとする度にイロナシが、または世界が誠君を殺した。イロナシが誠君を殺す理由は分かっている。イロナシも、姿を変える世界も、私の心にとても敏感に反応する。それ故に、両者は私が傷付く原因である誠君を排除しようとするのだ。そうして私は守りたかったはずの彼を何度も殺した。

 日を追うごとに、誠君は目に見えてやつれていった。本当のことを言ってしまおうと思ったこともあった。でも誠君は私の話なんて信じないだろうし、第一こんな私の重たい愛の話なんて話せるはずもなかった。

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