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五章 また明日迎えに行くよ 3

 その日をきっかけに、城嶋君は私に声を掛けてくれるようになった。

 「おはよう霜月さん」「さっきの授業分かった?」「お願い、プリント見せて!」「そしたら田中の奴がさー」「自分で弁当作ってるの? すごっ」「卵のお礼に、この冷凍食品を進ぜよう」「見てみて、校庭に猫いる」「お、席隣じゃん。よろしく」「人のあくび見て笑うなよー」「教科書? しょうがないなー」「ん? 僕の顔に何か付いてる?」「それじゃあまた明日、バイバイ」

 優しさの形も、頼られる温かみも、会話の弾みも、人と笑い合う繋がりも、どれもこれも知らなかった。知っていたのはゴミの気持ちだけ。惨めで、辛くても、誰も助けてくれなくて、追い打ちが掛けられるだけだった。

 拒絶されることしか知らなかった私が、彼に惹かれるのは必然だった。

 学校に行くのが楽しみになった。一日中城嶋君のことを考えていた。何かある度に、城嶋君に話そうって貯めて、実際に会ったら忘れてしまうぐらい嬉しかった。

 「連絡先教えてよ」

 ある日、城嶋君が携帯を出して訊いてきた。

 私が犬だったら尻尾を振り過ぎて腱鞘炎になってしまう案件だった。犬じゃなくて本当に良かった。でも犬だったら……それはそれでアリかもしれない。

 だが残念なことに、私は携帯を持っていなかった。こんな絶好の機会を棒に振るしかない悲しい生き物なのだ。

 「あ、もしかして家の事情?」

 「家の事情……かもしれないです?」

 「何で疑問形?」

 あの家で携帯が欲しいなんて言えるはずもなかった。それにこれまで携帯が必要になった状況が一度もなかった。考えてみれば、私もバイトしているのだから携帯ぐらい買ってもいいかもしれない。

 「……買います」

 「え」

 「今日買います」

 「今日!? 無理しなくても……」

 「絶対買います」

 携帯に全く詳しくない私は城嶋君の付き添いの元、学校近くの家電量販店に行った。

 おにぎりの一つも入らなそうな小さな長方形が、信じられない金額で売られていて驚いた。この金額に加えて維持費も毎月払わないといけないとか、世の中おかしい。

 「やっぱりやめとく?」

 「うー……ん」

 おいそれと出せる額ではない。でも私も一端の高校生みたいに携帯でやり取りしてみたかったし、何より学外でも城嶋君と連絡が取りたかった。

 「あ、あれ何かどう?」

 城嶋君が指差したのは、0の数が数個減って、かなり手の出しやすいものだった。だが、二千円の服までしか買ったことのない私の金銭感覚ではどうしようにも手は出しにくく、「最新じゃないけど、型が古い分安くなってるし、僕が使ってるのと同じ」

 「それにします」

 「え」


 近くのファミレスで買ったばかりの携帯を箱から取り出した。ピカピカで綺麗だった。

 ドリンクバーだけ頼むと、城嶋君にあれこれと教えてもらいながら、私は携帯の操作方法を教えてもらった。

 たまに顔が近くなって、気付いていながらも、気付いていない振りをしてその距離を保った。

 家に帰ると、連絡リストに一件だけ入った携帯を見ながらニヤニヤした。

 早速メッセージを送ろうと思い、アプリを起動する。

 『こんばんは。今日は付き合ってくれてありがとうございました。咲楽より』……固過ぎ。

 『やっほー! 初メッセだよー!』……キャラじゃない。

 『今日は月が綺麗ですね』……何言ってんの!

 皆はどんな風にしてるんだろう。迷走に迷走を重ね、気付くと三十分が経っていた。

 今日はもうやめようかな、とテーブルに置こうとした直後、携帯が鳴った。

 ビックリして変な声が出た。そうか、携帯って鳴るんだ。

 『こんにちは霜月さん! どう? 返事出来るかなー?』

 またニヤつきそうになった。

 『馬鹿にしないでください!』

 『あそこまで機械音痴だと思わなかったよ。教えがいがありそうだ』

 『先生、ご教授よろしくお願いします』

 『うむ』

 声に出して笑った。もう夢中だった。

 寝る前に『おやすみなさい』と言える相手がいることが信じられなかった。まだ寝てないのに、夢を見ているようだった。

 布団の中で今日一日のことを振り返った。

 そういや、今日のあれはもしかしてデートだったのでは? と気付いた瞬間、恥ずかしくなって頭の上まで布団を被った。


 城嶋君とは毎日やりとりした。

 返事の遅さや絵文字一つに一喜一憂して、深読みして、でも顔を見れば全部許せちゃって、すぐに笑ってしまった。

 これまでに感じたことのない満ち足りた気持ち。

 彼のことを考えると抑えきれなくなりそうになる何か。この胸に秘める気持ちを叫び出したかった。

 他の人からしてみたら取るに足らない出来事かもしれないが、私にとっては、色とりどりの宝石が詰まった宝箱のような輝いた日々。幸せだった。


 期末テストが近くなったある日、城嶋君が「数学が分からない」と言い出した。

 「安心してください。馬鹿でも生きていけるご時世です」と生意気に返しつつも自分のノートを引き出しから取り出した。彼と私の間ではどんな軽口も屁理屈も、受け流された。私はそのやりとりが好きだった。

 放課後の教室。遠くから部活の声を聴きつつ、私は城嶋君と机を向き合わせて数学を教えることになった。

 ゆっくりと傾いてく夕日、そんな急いで沈まなくてもいいのに。

 「もうこんな時間か」と城嶋君は立ち上がり、「今日はありがとう」と言った。

 「お礼、ちゃんと言えるんですね」と私が言うと「随分生意気になったね」と城嶋君は少し引き気味の顔色をした。

 「す、すみません」

 最近調子に乗っているかもしれない。脳裏に過る昔の嫌なこと。もっと自重しなくちゃ。

 城嶋君が手を振り上げた。

 「すみません!」

 頭を叩かれると思い、いつもの癖で目を瞑った。優しく乗せられた手に虚を衝かれた。

 「叩かれると思ったの? そんなことするはずないでしょ」

 そう言って城嶋君は頭を撫でてきた。

 「霜月がそうやって生意気なことを言うってことは、心開いてくれてる証拠でしょ。他の奴らが知ったら驚くぞー」

 最初は何をされているのか分からなかった。生まれて初めて撫でられたことに頭がついていかなかった。

 「そろそろ帰るか」と城嶋君が手を離した後に、頭を撫でられたことを理解出来た。そのことに気付いてから私は、もっとちゃんと味わえば良かったと後悔した。

 帰り際、「あの、もっと叩いてもいいんですよ」私は私なりの精一杯のアピールをした。

 「霜月ってドMなの?」

 「ち、違いますよ!」

 意味が伝わってないようで私は少し残念に思ったが、別れる直前「明日も数学教えてくれたら叩いてやるよ」と城嶋君は言ってくれた。

 家に帰った私は、思わず城嶋君が触った髪を何度も触ってしまった。

 「咲楽、そんなにニヤニヤして何か良いことあったの?」

 真澄さんの問いかけに私は「何にもないよ!」と声を荒げてしまった。


 「そういや霜月っていっつも本読んでるよな」

 恒例になった放課後の勉強会の最中、城嶋君が言った。「本好きなの?」と続ける。

 「んー……たぶん?」

 「また疑問形」

 特別、本が好きというわけではなかった。嫌いか好きかだったら、好き寄りというだけ。現実から目を背けたり、持て余す暇を潰したりするのに丁度良かったからだ。

 「本を読むことに特に理由はないですよ。趣味娯楽を楽しむ人で明確な理由がある人の方が稀だと思います」

 城嶋君は「ふーん」と私の文庫を見つめた。

 「僕も読んでみようかな」

 心が跳ねた。小学生の頃からだからそれなりの数は読んできたし、何より城嶋君が私の影響を受けていることが嬉しかった。

 「おすすめ紹介しますよ」

 「え? いいの?」と満更でもなさそうに答えるもんだから、私は余計に図に乗った。

 いつも通り二人で帰路につき、六時半に帰宅した私は、早々にテーブルにノートを広げた。

 これは少し難しいかな、こっちは子供っぽいかな、これはまだ早いかな、と城嶋君の読書計画を勝手にノートに立てていく。夜の十時までそれは続いた。


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