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一章 旅立ち 1

 目を覚ますとボヤけた視界いっぱいに既視感のあるいつもの光景が目に入った。黒板に机に学生服。授業前の喧騒が聞こえた。かなり熟睡していたようで体に怠さがあった。

「随分寝てたね、まるで死んでるみたいだったよ」と隣の席の女子が話し掛けてきた。

 冗談を返そうと思ったが面倒になり「まぁね」と適当な相槌を返す。

 目を二、三度擦り、隣の席は女子だったっけ? と顔を向けると、ようやく焦点の合った目に、知らない女生徒の顔が映った。

 目を思いっ切り瞑ってみたが、その顔は変わらない。

 「どうしたの?」と女生徒が知り合いなのはさも当然かのように話し掛けてくる。

 よく見ると女生徒の着る制服は見たことがなかった。視界の隅に映る男子生徒の制服も見覚えがない。

 咄嗟に辺りを見渡す。教室の装飾、机、椅子、生徒の顔、雰囲気、窓から見える風景、どれも見覚えのないものだった。

 「ちょっと、大丈夫?」と女生徒が声を掛けてくる。

 「ここ、どこ?」

 「寝ぼけてんの? 学校に決まってるじゃん」

 「いや、そういうことじゃなくて…… 僕のこと知ってるの?」

 「はぁ? 一年からの付き合いじゃん」

 「僕の知り合いに茶髪の子はいないんだけど……」

 校則に厳しい僕の高校で髪を染めるのは許されていないはずだ。

 「何言ってんの。高校デビューで髪染めたって言ったじゃん」

 益々訳が分からなくなっていく。知らない人に場所なのに、僕は昔からここにいたかのように言ってくる。

 これはもしかしてテレビとかの大掛かりなドッキリなのか? そんなありきたりな可能性が頭に過るが、僕は芸能人や有名人でもなければ、テレビ関係者の知り合いがいるわけでもない。こんなドッキリが仕掛けられる筋合いがない。

 だったら夢では、とも可能性を考えたが、この息遣いに物に触れる感触、このリアルな質感が夢のような曖昧なものとは到底思えなかった。

 じゃあ寝る前に何していたかを思い出そうとしたが、不思議なことにそこだけスッポリと記憶がなかった。思い出せる最後の記憶は霜月さんと花壇に花を移し替えたこと。そこからどうやって霜月さんと別れて家に帰ったかも、今日どうやって登校したのかも思い出せなかった。

 「ちょっと城嶋、あんた大丈夫?」と女生徒が顔を覗き込んできた。

 「え、あー……うん、たぶん、大丈夫?」

 「何で疑問形」と女生徒は少し笑い「具合悪いなら言ってよ。保健室連れてってあげるから」と席を立ち、女生徒たちの群れの中に紛れていった。

 改めて教室を見渡す。席を立つと一瞬男子生徒がこっちを見たが、気に留めることもなく、また雑談へと戻っていく。窓際に寄ると、光に反射した僕が薄く映った。

 僕もまた見慣れぬ制服を着ていた。

 外の風景を詳しく見る。並ぶ住宅に、奥に見える小さな公園、歩道を歩く人々、ありきたりだけど、知らない風景だった。

 「ねぇこれ見てよ」と声の高い女生徒が仲間内に携帯を見せていた。

 そうだ、携帯、知らないなら調べればいい。

 ポケットを弄ると、僕のであろう知らない黒い携帯が出てきた。画面を点けると表示されたのは、キーパッドロックの画面だった。

 なんてこったい。

 僕は携帯にロックなんて設定したことがなかった。いつも使う馴染みの暗証番号なんてのも持ち合わせておらず、0000や0123や僕の誕生日など、すぐに思い浮かぶ数字を入力してみたが、当てはまるものは何一つヒットしなかった。

 困った。

 ここがどこか分からないのに、僕がここにいるのは当たり前のように何故だかなっている。そのおかげで、そこらにいる生徒に「ここってどこ?」やら「どうして僕はここにいるの?」といった質問が出来ない状況あった。

 極力、頭のおかしい人のような発言はしたくはないが、ここは一度、道化を演じなければいけないかもしれない。

 なるべく影が薄くて、友達が少なそう奴を探す。

 教室の真ん中で本を読む眼鏡の男子生徒がいた。こんな騒がしい場所で一人黙々と本を読む奴は大抵友達がいない。人にぶつかっても「す、すいません」って一人で何もない場所に謝ってそうなイメージだ。あいつならいいだろうと狙いを定め、机の間を縫っていく。

 あと机二個分って所で、眼鏡の生徒が本を閉じ、突然立ち上がった。

 「ほら皆、そろそろ体育館に行くよ」とハキハキとした口調でものを言い、手を叩いた。それを合図にすると皆は口々に了承を意味する言葉を口にし、誰かが「はーい、委員長」と言った。

 「委員長!?」この幸薄そうな奴が!?

 心の声が漏れていたようで、眼鏡の男子生徒が振り返り「どうしたんだい城嶋くん?」と声を掛けてきた。

 「あ、ご、ごめん、何でもないかも」と両手を振る。

 「そうか。なら君もそろそろ体育館に行くんだ。あ、出席番号順だからね」と眼鏡の男子生徒は教室を去っていった。

 出席番号なんて知らねぇよ……城嶋の「き」だから十番目辺りか? とか考えていると、後ろから肩に腕を組まれ「城嶋、一緒に行こうぜー」と汗臭い短髪の男子が絡んできた。隣にはひょろ長い冴えない出っ歯くんがいる。当然知らない人達だが、勢いに呑まれ「お、おう」と苦笑いをした。

教室を出て、人波に乗って廊下を進んでいく。やはり校舎内も見覚えはなかった。体育館に着き、友達? のおかげで難なく自分の列に辿り着く。

 「出席番号順だろ? お前ここじゃなくね」と言われ、前の方に行くと「もっと後ろでしょ」「私、佐藤だよ?」「大橋の二個後ろぐらいじゃね?」「佐々木って今日休みだよ」と順番当てクイズのようなことを一人でやり、開始時間ギリギリに自分の場所を見つけた。

 自分のポジションからキョロキョロと他のクラスの人の顔を見ていく。どこかに知り合いはいないかと探したが、結局校長の長話の間に見つけることは出来なかった。

 また人波に流されて自分のクラスに戻る。いつもの席の場所に行くと、男子生徒が座っていた。

 「何?」

 そうだ、席違うんだった。

 男子生徒に「ごめん、何でもない」と謝り、目が覚めた時の席に行く。

 確か一番後ろの真ん中だっけか。

 最初に話し掛けてきた女生徒を目印に席に着くと、しばらくして担任と思しき先生が教卓にやってきた。スーツ姿に整えられた髪と剃り残しのない顔は清潔感が滲み出ている。手には何やら大量のプリントを持っていた。

 幾度と見たそのプリントの山に、クラスのあちこちから溜息が聞こえてくる。

 そういやさっきの集会、全然話を聞いていなかったけど、何の集まりだったんだろう。まわって来たプリントに驚いた。

 進路希望調査票。それは学期始めに配られ、僕が昨日苦悩の果てに未定と書いた紙。黒板の日付を見て、僕は更に驚いた。

 四月四日。一ヶ月前の日付だった。

 なんだ、何が起きているんだ。確認のため、隣の席の女子に「今日って何日だっけ?」と訊く。

 「四月四日だけど、って黒板に書いてあんじゃん。それに今日から二年でしょーもしかしてまだ寝ぼけてんの?」

 「いやはや、はは、そうだった」

 クラスを見渡しても違和感を持っていそうな人はいなかった。僕だけが間違っているのか?

 先生が「じゃあ次は委員会決めます」と話を進めていた。今はそんなことに参加するつもりはなかった。だけど委員会の数と必要人数が黒板に書きだされていくと、これは全員が何かしらの委員会に入らないといけないようだった。

 美化か図書か、そこら辺の無難なものにさっさと決めてしまおう。

 「決めた人から黒板に自分の名前書いていってください。人数がオーバーした所は話し合いで決めてください」

 教室が「一緒にやろ」といった相談で持ち切りになった。既にどこにするかを決めていた何人かが、黒板に名前を書きに行く。僕もその流れに乗ることにした。

 席に戻ると隣の席の女子が「へぇー図書とか意外」と言ってきた。

 「本とか読まなそう」と鼻で笑ってくる。馬鹿にするな。

 「毎週欠かさず読んでるぞ」

 「どうせジャンプとかでしょー」

 「中らずと雖も遠からず」

 「じゃあ何読んでるの?」

 「最近はワンピが熱い」

 「やっぱジャンプじゃん!」

 図書と言えば御堅い小説なんて時代錯誤な考えは実に悪しき文化だ。漫画などへの酷い冒涜だ! 何て考えている場合ではない。

 隣でまだ何か言っている女子をほっとき、僕は机や横に掛かったカバンをひっくり返す勢いで何か手掛かりはないかと探った。

 手掛かりになりそうなものは二つあった。

 まず一つは、財布から出てきた一本の鍵だった。形状からして家の鍵かと思ったが、僕の住んでいるアパートの鍵とはデザインが違った。態々財布に入れて持ち運ぶほどだから、使用頻度が高いはず、一体何の鍵だろうかと考えたが、すぐに分かるものでもないので一先ず元の場所に戻しておくことにした。

 もう一つの手掛かりは、生徒手帳。これにはかなり驚かされた。証明写真の欄にはこれまた見慣れない制服を着た僕がしっかりと目を開けて映っているのだ。こんな制服着た覚えもないし、それを着て写真を撮った覚えもない。更に驚いたのは記されていた学校の住所だった。ここは僕が住んでいる県から遠く離れた県だったのだ。それこそ新幹線か飛行機に乗る必要がある程にだ。

 遠くで「誰か体育委員やりませんか? じゃあ松本くん」「え、何で俺が!」と笑い声が聞こえた。

 笑い声を他所に、頭が真っ白になる程に混乱していた。どこから手を付けていいか分からなかった。

 そこでふと気付いた。僕のであろう携帯は、普段僕が使っている携帯と異なるものだった。だったら、財布に入っていたあの鍵はもしかして本当に僕の家の鍵なのかもしれない。

 そうなると、僕の家はこの県に存在する可能性がある。普通はありえないが、今はその可能性が十分にあり得る。その証拠として、定期がなければ、財布の中も飲み物が何本か買える程度の小銭しか入っていなかった。つまり通学手段に公共の乗り物を使わないということになる。だとしたら、僕の家ってどこにあるんだ?

 そうこうしていると、クラスの皆が一斉に立ち上がった。何事かと思い、釣られて立ち上がると「さようなら」と終業のチャイムが鳴った。

 クラスメイト達が部活やら寄り道やらと各々楽しそうに教室を後にする。

 僕はどこに帰ればいいんだ?

 先生に訊こうかと思ったが、そんな普通じゃないことは僕には出来なかった。住所が書かれたものを何か持っていないかと探し尽くした机とカバンを引っ掻き回し、まだ何も入っていない自分のロッカーを何度も覗いた。しかし、努力は虚しく、何も出てくることはなかった。

 気付くとクラスには僕だけだった。

 最終手段として恥じを捨て、先生の元へと向かったが、同室の先生に「出張に行ってしまったよ」と言われた。

 「帰ってきますか?」

 「どうだったかな……なぁ、吉野先生って戻ってくるの?」

 「直帰するって言ってたよ」

 無駄に時間を浪費するべきではなかった。

 生徒の個人情報が書かれたものが、生徒が侵入可能な場所においそれと保管されているわけもなく、学校中を歩き回っても出てくることはなかった。

 事務の人にも訊いてはみたが、本人でもあっても個人情報は教えられない、と機械的な返事されてそれ以降まともに相手にされなかった。

 万事休すだった。

 気付くと完全下校時刻を迎えていて、守衛さんに追い出されるようにして僕は学校を出た。

 あてもなく少し歩くと、昼間、教室の窓から見えた小さい公園に辿り着いていた。ベンチに座り、ロックの番号が分からない携帯を取り出すと、1から順番に数字を当てはめてく。全一万通りを試すしか手段はなかった。

 どれくらい時間が経っただろうか。

 突然「何してんだお前?」と声を掛けられた。顔を上げると、そこにはやっぱり見知らぬ男子生徒が立っていた。発言的に僕のことを知っていそうだった。

 「えっと、ごめん、名前訊いてもいい?」

 本来なら「何で?」とか疑問形の言葉が飛び出すはずの所、彼は意外にも「緒方」とすんなりと名前を教えてくれた。だが勿論、疑問を持たないはずもなく「色々聞いてもいい?」と言ってきた。

 「今朝から様子が変だったけど」から始まり、緒方くんはあれやこれやと訊いてきた。

 僕もこの状況を何とかしたいので、包み隠さず全てを話すことにした。

 目が覚めたらここにいたこと。日付が一ヶ月前に戻っていること。ここに至るまでの記憶がないこと。携帯が使えないこと。帰る家が分からないこと、等々。

 全てを話し終えると緒方くんは考えるように伏せていた顔を上げ「なるほど、分かった。とりあえずウチ来いよ」と歩き出した。

 「え、いいの? 信じてくれるの?」

 「信じなくてもいいけど、それで困るのはそっちだろ? 別に今話した内容が家出をするための嘘だったとしても構わないさ。真実が正しいなんて、俺は思ってないからな」と緒方くんは言った。イケメンかよ。

 走って追いかけ、横に並ぶと「緒方くんは僕の何なの?」と訊いた。

「ただのクラスメイト。でも『くん』はやめろ、そんなに離れた間柄でもない」と緒方は言った。


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