四章 桜花救出作戦 3
「……時間だ」
結局、あたし達の後に来た人はいなかった。戦闘地域に入って三十分も経っていないのに、既に主力部隊の半数が消息不明の状態だった。
彼は十二名の隊員に手早く指示し、即席で隊列を完成させた。
「皆も知っていると思うが、他の部隊の活躍により、現在本丸の警備はかなり薄くなっている。これから俺達はイロナシ達の目を掻い潜り、本丸に接近。以前本丸に侵入した部隊と同じ侵入口から地下に潜入、霜月咲楽を救出する。準備はいいか? 必要な者は手を上げろ」
手を上げた者はいなかった。
「よし、じゃあ出発するぞ」
かつて人は空を目指した。鳥を見上げ、翼を羨み、飛行機を作った。そして今では翼もなしに、空を飛ぶ。
あたしは空を飛ぶのが怖かった。
どんなに仲良くなった人も、空に魅入られ、気付くともう二度と会えない雲の上へといってしまうのだ。だから、死に急ぐみたいな生き方をする彼が空を飛ぶ姿を見ると、不安で不安でしょうがなくなる。
正面から奴らが襲ってきた。数は十数匹。銃を構えた。
決着がつくまでに十秒と掛からなかった。そのほとんどを彼が倒してしまったのだ。近くで見ると、その人間離れした動きがよく分かった。
それから本丸に着くまでに数回の接敵があった。だけど、あたしは一度も撃たなかった。撃つ必要もないぐらい、彼が強かった。だけど、いくら彼が強くても、限界はある。目標地点の到着までに二人が死んだ。
残り十二人。
ポイントP、地下への侵入口。鉄板を数名で退かすと、どこまでも続いていそうな不気味な細長い穴が姿を現した。
三人が先行して入り、安全かどうかの連絡を待った。
「大丈夫だよ」
戦闘の連続で張り詰めた緊張。彼が声を掛けてくれて、ふと息を吐くことが出来た。呼吸の仕方を思い出したみたいだった。
だが、ここは敵陣のど真ん中、悠長にしている時間を与えてくれるはずもなかった。
「来たぞっ!」
またイロナシの集団が襲ってきていた。その数は五十を超えていた。
「入れ入れ入れ!」
彼の掛け声に背中を押され、次々と隊員が穴の中へと消えていく。イロナシとの距離が十メートルを切った。あたしも押され、落とされるように穴へと飛び込んだ。
視界が真っ暗になり、自動で暗視モードに切り替わる。
見上げると、彼が続いてきていた。彼は何かを上に投げる動きをすると、急降下してきて、あたしを抱えるように下へと急いだ。
爆発音。突風が吹き、一瞬だけ真っ白に視界が染まった。光が落ち着くと、穴から差し込む光が消えていた。
外にはまだ、隊員が残っていたはずだった。視界の隅のミニマップから、赤点が三つ消えた。
残り九人。
底に辿り着くと、少し開けた空間に出た。廊下だろうか。照明などはなく、人が来ることを全く想定していない内部は凹凸に富んでいた。
生き物のように脈打つ壁。ナイフで壁を斬ると、黒い液体が流れ、痙攣するようにビクビクと動いた。気持ち悪い。しばらくすると傷口が塞がった。まるで蛇の中にいるみたいだ。
緊急時に備え、僅かに足を浮かせるホバー移動をして進んでいく。
この時のために作られたマップを頼りに、中心へと向かった。
途中、光源のある部屋に出た。暗視モードが自動で解除される。エメラルド色に光る液体で満たされた巨大なプールだった。
「何これ」と覗くと、下には黒い何かが沈殿していた。ブクブクと泡を放ち、少しずつ膨れ上がっているようだった。
何色も混ぜたような特徴的な黒。歪に吐出する棘のようなもの。連想されるのはイロナシだった。
「ここが製造部か……こいつらのせいで」
誰かが悲鳴を上げた。見ると、液体に手を入れたようで、指先がなくなっていた。骨が露出していた。大声を上げ、苦しむ隊員。
「静かにしろ」と誰かが静かに強く言った。
大声を上げるとイロナシにバレる可能性がある。誰も指がなくなった隊員の心配をしてはいなかった。見慣れた光景だし、自己責任だし、誰かの命より自分の命の方が重い。
戦場での怪我の心配なんて、あたしも何年も前に失っている。
彼が指先を失った隊員を蹴り飛ばした。プールの中に落ち、もがき、苦しんで、溶けていく。
残り八人。
更に奥に進む。どうやらここら辺にはイロナシはいないようだった。
「この調子なら楽勝かもな」
横を飛んでいた汗臭い短髪が言った。
「だからってあまり気を抜かない方が」
短髪の奥の闇から顔が浮き出した。直後、短髪の体が縦に割れた。
残り七人。
「イロナシだ!」
イロナシの赤い目と飛行装置の青い光が目まぐるしく動き出す。銃声とノズルフラッシュ。あたしも距離を取り、銃口をイロナシへと向ける。だが、そこには何もなかった。跳ね上がる鼓動。乾く口。背中に注射された痛みが走る。一定値以上の恐怖心が感知され、興奮剤が投与されたみたいだ。
「見失った!」
おっちゃんの声。続く彼の声。
「この場から離れる! 全員ついてこい!」
ジェット噴射音。小さくなっていく光を追い掛け、あたしも飛び出した。みるみる小さくなっていく彼の光。早過ぎる。初めての地形で壁の突起を避けながらなのに、どうしてあんなにも早く飛べるの。ついていくだけで、精一杯なのに。
でも待って。ついていくよりイロナシを倒した方が良いんじゃ……
チラチラと後ろを振り向いていると、突然おっちゃんが組み付いてきた。
「馬鹿っ! 興奮剤の感覚が短すぎだ!」
おっちゃんがヘルメットをくっつけて強制割り込みを仕掛けてくる。
「やめて!」
あたしは戦いたいの。奴らを殺したいの。邪魔をしないで。
力負けして鎮静剤を選択された。再び背中に痛みが走った。二度の強い薬に気分が悪くなってきた。言いようのない倦怠感に、体の焦点が合わないようだ。
すぐ後ろで銃声がした。
「早く飛べ! 置いて行かれるぞ!」
誰かがお尻を叩いて行く。あとで殺す。
直後、横から飛び出してきたイロナシに胴体を真っ二つにされて後ろの闇の中に消えていく。
残り六人。
おっちゃんが撃つと、イロナシが虫のような悲鳴をあげ、落ちていく。喜びも束の間、通り過ぎた角の道からイロナシが現れた。
そしてまた一匹、一匹と数が増えていく。羽音の厚み。後ろからの圧力が凄い。
「何この数、いったいどこから!」
「いつものことだろ。いいから急げ!」
避けて、曲がって、下って、上がって。迷路のように入り組んだ通路を高速で飛んでいく。瞬きさえ許されない恐怖。
しばらく飛ぶと奴らとの距離が離れてきた。流石最新鋭だ。
遥か前方にいたはずの彼が急激に迫った。引き返しているのではない。止まっていたのだ。
「どうしたの!?」
返事はなかった。急ブレーキをかけ、滑り込むように彼の隣に立ち止まる。光源があるのか、暗視モードが解除された。
「何、ここ……」
開けた空間だったそこは、人間の部屋のようだった。
ベッドがあり、机があり、カップがあり、本があり、クマのぬいぐるみがあった。
ベッドの皺、埃のない机、隅が茶色く変色したカップ、栞の挟まった本、転がったクマのぬいぐるみと、そこかしこから生活の残り香を感じた。
まさかここに。
「咲楽がいたのか……」
彼が見たことのない顔をしていた。目を大きく広げて、呆然としている。
「もしかしてここで暮らしてたのかな?」
「分からない。前回はプールを過ぎた辺りで吉野に撃たれたから、ここまで来たのは初めてなんだ……」
部屋の一角にはドアがあった。民家の部屋を連想させる至って平凡なドアだった。平凡故に、ここにあることがおかしかった。
彼が駆け出し、あたし達もついて行く。
ドアを勢いよく開けて中に入ると、そこは学校の廊下を彷彿とさせる場所だった。
そして、百メートル以上ある廊下の先に、人間の姿あった。長い黒髪に、白いワンピース。一瞬見えた横顔は紛れもなく……
「咲楽っ!」
彼の目が変わった。あの死んでいた目が輝き出す。
あぁ、やっぱり…… あの子のことが……
彼が飛び出した。
霜月さんの奥からイロナシが現れた。彼女を抱えると、今まで見てきたイロナシとは比べ物にならないほど巨大な羽を広げ、真上へと羽ばたいていく。
あたし達も飛び出し、廊下を駆け抜ける。羽音が後ろからした。さっきの奴らが追いついて来ていた。
突き当りで、壁を蹴り、真上に方向転換する。マップを見ると、本丸の中心だった。遥か上まで続く空洞は恐らく、頂上まで続いているだろう。
外観は大腸を彷彿とさせていたが、内装も同様だった。びっしりと壁を埋め尽くす凹凸は絨毛のようだった。
気付くとスピードが最大まで加速していた。それでもイロナシには追い付けない。
「なんて速さなの」
ここまでの速度で飛んだことはなかった。さすがに怖い。
真横の絨毛が突然伸びてきた。辛うじて避けたが、その先で別の絨毛が行く手を阻むように伸びてくる。意思を持っているみたいだ。
「わっ」と一瞬だけ出っ歯の声が聞こえた。赤点が消えた。
残り五人。
すぐ近くで爆発音した。何があったのかチラリと見ると、今しがた通り過ぎた場所に穴が開き、大量のイロナシが流れ込んできていた。
「あんなに多いと、外す方が難しいかもな」
おっちゃんの皮肉に「その冗談、全然面白くない」と言い返す。
内心、これはもう本当に助からないかもなと思い始めていた。
少し先行く彼は振り向こうとはしなかった。
ローカル通信に誰かの悲鳴が入り込んできた。誰が悲鳴を? と思った矢先、目の前の壁が崩れ、炎上したヘリが突っ込んできた。壁に何度もぶつかり不規則に跳ね落ちてくる。大小様々な肉の塊が降り注ぎ、回転したプロペラが嫌らしく落下してくる。
肉の塊を撃ち砕き、プロペラとヘリを運良くかわす。
後ろを飛んでいた赤点が二つ消えた。
残り三人。
ヘリがイロナシの大群にぶつかり、爆発を起こした。
爆炎の明かりで、遥か先までの様子が分かった。天井があった。バイザー隅の高度計ではまだ頂上まで距離がある。
イロナシはそのまま天井に突撃すると、穴を開け、更に先へと飛んでいく。
穴が塞がった。彼は減速し姿勢を変えると、天井に向け、銃のアタッチメントのグレネードランチャーを発射した。天井に穴が開き、先へと進んでく。あたしとおっちゃんは穴が閉じる前に滑り込んだ。穴が閉じる。
奴らの追撃が止まることを一瞬期待したが、そんな希望が叶うわけもなく、ダムが決壊するように天井を吹き飛ばし、奴らは追ってきた。
分かったこととして、どうやら奴らは霜月さんを抱えるイロナシとは違い、単独では天井を突破することは出来ないようだった。
まぁ分かった所で、どうしようも出来ないのだが。
……どうしようもない、か。
何であたしはこんなことをしているんだろ。
急に頭が冷めてきた。
振り向いてくれない人、恋敵の救出、怖くてしょうがない戦場、命が軽く扱われる戦い。
あたしが願ったものはここには一つもない。もしこの戦いを生き抜いたとしても、報われるなんて限らないじゃないか。
あたしは彼に銃口を向けた。
彼が死ねば、全部が無駄になる。これまでの努力も、これまで死んでいった人達の命も。でもそうすれば、あたしが望まない結果も訪れることがなくなる。
引き金に力を込める。
「にしても不味いな。霜月の救出に成功しても、このままじゃ後続のあいつらに殺されるな」
おっちゃんの発言は、あたしに取るべき行動を示してくれた。
再び天井が現れる。彼が再びグレネードで穴を開け、潜っていく。おっちゃんも穴の奥へと進んでいった。
あたしは穴の先へ行くのを辞めた。振り返り、迫りくる大量のイロナシを見た。黒い渦は、あの世が迫ってきているみたいだった。
「おい! 何してる! 早く来い!」
おっちゃんが穴の向こうから手を伸ばしてきた。
「あたしがここで食い止める。そうすれば少しでも時間に猶予が出来るでしょ」
「だけど、そんなことをしたらお前」
彼の赤点が止まっていた。嬉しかった。
「行って城嶋。あたしなんかより、霜月さんの方が大切でしょ? だからお願い、行って。泣き顔は見られたくないの」
あたしってホントに馬鹿だなって思う。答えなんか決まりきっているのに、どうしても彼の気持ちを確かめるようなことを言ってしまう。
『俺も鮮川が好きだったよ。いつも傍にいれくれてありがとう』
嘘でもいいからもう一度、あの台詞を言って欲しかった。
「……ごめん、鮮川。ありがとう」
涙が溢れた。彼の赤点が離れていく。
好きで、不安で、好きで、近寄りがたくて、好きで、心配で、好きで、好きでした。
背後で穴が閉じる音がした。
はい、死亡確定。あーホント、何してんだろ。
「お前は本当、昔から自分勝手で、馬鹿で、素直じゃなくて、難儀な性格してるな」
隣におっちゃんがいた。
「ちょっと! 何してんの! 死ぬ気!?」
「生まれた時からずっと隣にいたんだ。最後まで隣にいるだけだ」
「……あんたもホント、難儀な性格してる」
「うっせぇ」
おもちゃを取り合ったこと。ランドセルの持たせ合いをしたこと。サイズの合わない学ランを馬鹿にしたこと。お父さんが死んだ時に一緒にいてくれたこと。一緒に入隊したこと。やっぱりサイズの合わない制服を馬鹿にしたこと。戦場でいつも傍にいれくれたこと。
「なんだかんだ言ってさ、やっぱりあんたの隣にいるのが一番落ち着くわ」
もしもただの学生でいられる平和な世界があったとしたら、今度こそ素直に、おっちゃんのこと、好きになろうと思う。