第9話 魔獣討伐
窓の外を見ると、どんよりと重い灰色の空が広がっていた。
ここは村の自衛団の集会所である。
周辺の地図を広げ、村人達からここのところ出没しているオルトベアの情報について話を聞いている。
「これまでに出没があったのはこれで全てですか?」
地図上の目撃情報があった場所に“×”印をつけている。
「そうですね、これで全部です。」
情報をまとめると北側の森付近へ行くほど目撃情報が多くなっていることがわかる
恐らくこのあたりがオルトベアの巣になっているのだろう。
「よし、見えてきたな。これから俺とバインズで討伐に行ってくるから、あとは頼んだぞレイリス、エスナ。」
「ちぇっ、久々にボクも狩に行きたかったなー。じゃあ、アルベル、オルトベアを倒したら解体してしっかりお肉持ってきてね!」
肉を持ち帰るための大きな袋を2つ渡される。
「わかった、わかった。」
内心苦笑いしながら出発する。
北の森までは徒歩で1時間程度だ。
春とはいえ、今くらいの時季はまだまだ寒い日も多い。
特に今日のように雲が厚く、日差しが届かないような日はかなり冷え込む。
不意に強い風が吹き、思わず俺は外套の襟を立てた。
延々と続く畑地帯では、まさに収穫の時季を迎えているであろう、たくさんの野菜が手を付けられずそのままになっている。
中には野生の動物やオルトベアであろうか、齧られて傷ついてしまったもの、収穫が遅れてしまいすでに茶色く変色しているものもいくつか見られる。
「…この時季の野菜は。」
珍しく自ら話し出したバインズに、俺は無言で相槌をうつ。
「冬の間の寒さに抵抗するために、甘みを蓄えている。その分、収穫が遅れ暖かくなってしまうと途端に味が落ちたり、痛んだりしてしまう。」
「なるほど、じゃあ早いとこオルトベアを駆除してこれらの野菜を収穫してやらないとならないな。」
「…ああ。」
しばらくすると北の森付近へとたどり着いた。
森といっても人の手が加えられたものではなく、荒々しく野性味のあふれた原生林といった様相を呈している。
この中を歩き回ってオルトベアの痕跡を探すのはなかなか骨が折れそうだ。
辺りは風がさらに強くなり、空は先ほどよりも重く暗くなってきた。
早くしないと雨まで降り始めるかもしれない。
「取りあえず、行くか。」
俺たちは一筋の獣道を見つけ、鉈で邪魔な枝や蔓などを落としながら森の中へと足を踏み入れた。
中は意外にも明るくところどころから空が見渡せ、奥の方まで視界が開けていた。
春になってようやく芽吹き始めた緑色の葉をつけた木々が立ち並び、また地表にはブルーの花をつけた背の低い植物が一面に広がっており、生命の息吹を感じさせる。
俺たちはそんな中を30分ほど歩き回ったが、オルトベアの痕跡は全く見つけられなかった。
「なあ、バインズ。お前、普段は冒険者もやってるだろ?魔獣討伐のクエストのときとかって、どうやって対象の獲物を見つけてるんだ?」
すると、1本のナイフを手にしたバインズが急に振り返り、次の瞬間、俺の方へとめがけてそのナイフを投げつけた。
「な!?ちょっ…待て!」
バインズのあまりの速さにナイフを払いのけるどころか俺は全く反応ができなかった。
そのナイフは俺の顔のすぐ横を通過して後方へと飛んで行った。
「…。おっ、おいバインズ!冒険者の技術について聞くのはご法度だったかも知れないが、いくらなんでもナイフを投げることはないだろ!」
「…何を言っている。」
バインズはいつもと変わらない様子で、顎を振って俺に後ろを見てみろとジェスチャーする。
振り返ると、俺の後方にはナイフで射抜かれて倒れている鹿が1頭。
「…そろそろ昼だ。運ぶぞ。」
「あっ、ああ。」
どうやらバインズは昼飯のため、俺の後ろにいた鹿へナイフを放ったようだった。
しかし、あの投擲のモーションの速さ、命中精度。
この男がやはり只者ではないことを嫌でも認識させられる。
「しかし、この場で解体するんじゃだめなのか?」
「…。」
…ダメらしい。
2人がかりで仕留めた鹿を運んで行った。
しばらく進むと一気に木々が開けた。
「…ここらでいいだろう。」
仕留めた鹿を下すとバインズは手際よく血抜きして解体していく。
鹿はすぐに肉へと姿を変えたが、それでもバインズは手を止めることなく、内臓を取り出し毛皮を剥ぐ。
その後、剥ぎ取った毛皮を木の枝に掛け、なぜか袋に集めておいた鹿の血液を内臓とともに混ぜてからそれに塗りつけた。
焚火の用意をしていた俺が見かねて声を掛ける。
「お、おいバインズ、さすがにそれを食うのはごめんだぞ。」
「…別に食うわけではない。心配しないで待っていろ。」
するとバインズは近くに自生していたハーブとどこからか取り出した塩とスパイスを鹿肉に擦り込み、ここへ来る途中で採っておいた茸や何かの植物、果実とともに大きな葉へ包んで火の中へと放り込んだ。
「いつ見ても見事な手際だな。…しかし、お前は常に塩とかスパイスとかを持ち歩いているのか?」
「…ああ、塩は夏場とか汗をかいたときにひと舐めするだけでも活動時間が延びるし、スパイスは物によっては疲労回復を早める効果がある。冒険者をやっていると、そのひと舐めが命を左右することが大いにある。」
そう言うとバインズは宿の女将から今朝もらったパンを軽く火であぶり、程よく焼けたところで先ほどの鹿肉を取り出してパンの間へと挟む。
どうやら昼食が完成したようである。
バインズに渡されて1口かじる。
「これは…!」
まず蒸し焼きにされた鹿肉は臭みもなく、とても軟らかくてジューシーだ。
そして、鹿肉と一緒に入れた果実のおかげであろうか、味付けされた鹿肉の肉汁と合わさり、甘辛く食欲をそそる味わいを醸し出している。
それが軽く炙られたノルクのパンで挟まれていれば、もう何も文句の付けどころがない。
これまでの疲れと寒さが一気に吹き飛ぶ。
出来ればここで温かいスープとワインでも…と言いたいところではあるが、ここは森の中だ。
こんなに美味しいものを食べて、さらに要求するなんて罰が当たってしまう。
これはむしろ、村に残った姫様たちよりも美味しいものを食べているのは間違いない。
「さすがバインズだ。こんなところでここまで美味しいものにありつけるとは思わなかった。…ところで、あそこの毛皮だがどうするんだ?」
――――と、そのとき。
グウォーーーン!
森の奥の方からけたたましい雄叫びが辺りへと響き渡った。
「…来たな。」
バインズがつぶやく。
ぽつ。
ぽつ、ぽつ。
どうやら雨が降り始めたようだ。
グゥー、グウォーーーン!
雄叫びは先ほどより大きく、そしてはっきりと響き渡る。
なるほど、先ほどの毛皮で血の臭いを漂わせておびき寄せたってことか。
冒険者ならではの技術だ。
ゆっくりと静かにバインズが語りはじめる。
「…魔物の内、獣の形をして山や森に住む種類。魔獣の類は血の臭いに敏感だ。こうして毛皮に血と内臓を塗り付けることで容易に誘われてくる。」
バインズが愛刀に手を掛ける。
バインズの剣は王国で一般的な両刃の直剣とは異なり、片刃で刀身は薄くやや湾曲していた。
一般的な剣が押して割くとしたら、バインズの剣は引いて断つといったところだろうか。
「…来るぞ。気を付けろ。」
「ああ、そうみたいだな。」
俺も剣を構え、いつ現れても対応できるよう感覚を研ぎ澄ませる。
ザーーーッ。
いよいよ雨足が強くなり、遠くで雷まで鳴るのが聞こえはじめる。
ザクッ、ザクッ。
何か大きなモノ。
足音が確実に近づいてきている。
俺たち2人は木々が開けたところにいるが、まだその姿が見えない。
相手は物陰から俺らの様子を伺っているのだろうか。
先ほどまでの足音が止まり、辺りから聞こえるのは雷鳴と雨の降る音のみだ。
ピカッ。
ゴロゴロゴロ。
そいつは森の奥からゆっくりと、そして堂々と姿を見せた。
4メートルはあろうかという体躯。
鋭い爪。
鋭い牙。
全身を覆う堅そうな毛が灰色に輝いている。
そして――――――角。
次話はいよいよ戦闘開始です。