第23話 冒険者の勘
ぱちっ、ぱちぱちっ
俺達は焚火を囲っていた。
「うへぇー何これ!?こんなん食べられるの?」
今のは夕食の皿を手にしたレイリスの声である。
バインズから渡された皿を見ると、炊いた米の上には茶色いドロドロとした液体がかけられていた。
食欲を誘うスパイスの香りが辺りを漂ってはいるが、見た目はまさに泥だ。
ベネト橋を渡り、日が傾いたところで野営を張った俺達であったが、夕食の準備に取り掛かろうとしたとき、ここの所バインズの旅話に興味津々の姫様が口を開いたのであった。
「バインズ、せっかくだからこの周辺じゃ食べられない珍しい料理を作ってくれない?」
そして出てきたのがこの料理である。
「…“カレー”だ。上にかかった“ルー”と一緒に食べる。」
相変わらず口数の少ないバインズであったが、奴が作った料理であれば間違いなく美味いのであろう。
しかし、この見た目は…。
白い米と上にかかったルーを、スプーンで少しずつ崩すようにかき混ぜて恐る恐る口へと運ぶ。
「…!?うまい!!」
同じくおっかなびっくりカレーを口にした他の3人と思わず顔を見合わせる。
恐らく何種類ものスパイスを、バインズが見つけた絶妙な配分で調合しているのだろう。
辛いでも甘いでも苦いでも芳ばしいでもない、別次元の風味がそこには体現されていた。
また、スパイスとともに煮込んだ玉ねぎやニンジン、芋など野菜の甘味や、バインズが一人黙々と作っていたグレーホーンベアの塩漬け肉から出た旨味が、お互いの味わいを2倍3倍にまで引き上げている。
「本当は2日くらい煮込むとさらに旨味が引き立つんだが…。」
バインズが口を開いた。
「これ以上にか?!俺にはこれでも十分に美味いぞ。」
これ以上に旨味が引き立ったカレーを思わず想像し、食べたそばから空腹感に襲われる。
隣からは腹の鳴る音が聞こえ、エスナが恥ずかしそうに腹を押えた。
「…あぁ。まあ、今回は時間がなかったから、隠し味にグレーホーンベアの角の粉末を加えてある。」
――――バインズはなぜ冒険者をやっているのだろうか?
これだけの料理の腕と知識があれば、料理屋でもやったほうがよほど儲かると思うのだが…。
カレーやこれまでの料理を思い起こし、思わず漠然とした疑問が浮かんでしまった俺であった。
翌朝、肌寒さを感じて目を覚ますと、テントの外はしとしとと小雨が舞っており、辺り一面を白い霧が漂っていた。
俺達は雨避けに外套を羽織って出発の準備をしている。
「姫様、ここまで来たら今日中にベネト海岸までたどり着けるかもしれないですよ。」
「あら、本当?やっと虹色草が見られるのね。楽しみだわ。…虹色に輝く葉はまだ見られるかしら?」
姫様は心配そうな表情を浮かべた。
「うーん、こればっかりは自然のことなので何とも言えないですね。まだ見られることを信じて行ってみましょう。」
かくして俺達調査隊は霧の中を出発する。
道はこれまでの谷沿いの街道から、徐々に森林地帯へと入っていった。
春になって息吹き始めた新芽や若葉に水が滴り、青々と輝いている。
また、辺りは湿った木々の匂いが霧とともに漂い、どことなく森の力強さや畏怖を感じさせる。
ところどころで魔獣の遠吠えが聞こえたが、幸い遭遇することなく俺達は順調に進んでいた。
「…狙われているな。」
おもむろにバインズが口を開く。
「なに!?昨日の盗賊団か?」
俺は腰の剣に手を掛け、辺りを見まわす。
「いや、この気配は人間じゃない。魔獣だろう。…恐らくはドロットファング辺りだと思うが。」
――――冒険者の勘か。
ドロットファングとはオオカミを大型化させたような魔獣で、その大きさの割にすばしっこく強靭な牙を持つ。
しかし、こいつの厄介なところはその慎重な性格である。
狩りは1頭では行わず、必ず複数の集団で行う。
さらに獲物を遠くからじっくりと観察して、自分たちに有利な地形や状況を作り出してから、それぞれの個体が連携して襲い掛かってくる。
「どうする?こちらから先に迎え撃つか?」
魔獣の対処に詳しいバインズの顔を伺う。
「…いや、下手に馬車から離れて戦力を分散するのは得策じゃないだろう。」
「わかった。じゃあ、みんな。急に襲われても対処できるように準備しておいてくれ。レイリスは先頭でバインズとともに周囲を警戒してくれるか?」
「うん。」
「俺とエスナはいつ襲われても姫様を守れるように。」
「あいよー。」
その後も何事もなく、馬車は静寂の森をゆっくりと進んでいた。
「あー疲れた。ずっと警戒し続けるってしんどいや。今のところ何もないけど、やっぱ狙われてるんだよね?」
レイリスがべたっと潰れながらバインズの方を伺う。
「…あぁ。先ほどよりも気配が濃くなっている。」
ふと正面に視線を移すと、霧の奥からは苔むした大きな岩が道を遮るようにせり立っており、道はその大岩を回り込むような形で続いていた。
そして馬車が大岩まで差し掛かり、曲がろうとしたその時。
グルルーーゥ!
死角から威嚇の声とともに黒い大きな影が飛び掛かってくる。
即座に反応したレイリスがダガーで黒い影の牙を受け止める。
同時にバインズが剣で切り伏せる。
馬車が岩を回り込むとそこには5~6頭のドロットファングがこちらを威嚇していた。
さらに、大岩の上部にも2~3頭の影が見える。
――――死角で待ち伏せしていたか。
俺はエスナとともに姫様を馬車から降ろし、死角の多い大岩から離れた。
「エスナ、魔法で上にいるやつを頼む。ここは森だから火は使うなよ!バインズとレイリスは正面のやつらを!俺は姫様を守りながらバックアップする!」
「ほーい。アイスニードル!」
岩の上にいるドロットファングにめがけて氷の刃が撃ち込まれる。
2頭は体を翻してかわし、1頭は肩口付近に命中してバランスを崩して岩から落下した。
「ライジングアロー!」
すると間髪入れず落下した1頭にめがけて雷の矢が放たれ、とどめを刺した。
さらに、雷の矢は岩の上に残る2頭にも同時に放たれ、1頭は急所を射抜かれて絶命し、もう1頭は掠ったようだが痺れて動けないでいる。
すかさずエスナから氷の刃が撃ち込まれる。
その間に俺は印を結び、霧の精霊に語りかける。
「霧よ奴らの視界を幻惑させろ!ホワイトウエーブ!」
すると辺りを覆う白い霧が、ドロットファングの周辺だけさらに濃くなり視界を奪っていく。
これで奴らは遠くまで見渡すことが出来ず、連携した攻撃が出来なくなるはずだ。
「サンキュー、アルベル!」
視界が奪われたのを確認したレイリスが即座に走り出し、正面にいるドロットファングの首元にダガーを突き刺す。
続いて、横から牙を立ててきたドロットファングの頭を左手で抑えて、それを反動として右側へ1回転して飛び退く。
着地したと同時に、背中越しにいた1頭を空中で逆手に持ちかえたダガーで振り返りもせず的確にのど元へと突き刺す。
レイリスが飛び退くときに頭を押さえたドロットファングは、間髪入れずにバインズが切り伏せた。
その後もバインズとレイリスが1頭ずつ仕留め、大岩の死角にいたドロットファングを殲滅した。
「意外とあっけなかったねー。」
戦闘を終えたレイリスが馬車の方へ歩いてくる。
――――そのとき
「危ないレイリス!避けて!」
俺の後ろから戦闘を見ていた姫様の声だ。
慌ててみながレイリスの方を振り向くと、大岩の中段。
岩の影になっているところから、先ほどのドロットファングよりもひと際大きい黒い影がレイリスめがけて飛びかかろうとしていた。
さすがのレイリスも反応できるタイミングではなかった。
――――間に合わない!
ズガーーーーーーッ!
辺り一面に真っ赤な鮮血が飛び散った。
ドサッ
倒れたのはレイリスではなく、飛び掛かろうとした巨大なドロットファングの方であった。
首の辺りには大穴が開いている。
後方にいたバインズの刺突がレイリスの顔すれすれを通過して、ドロットファングを仕留めたのであった。
「……あっ、ありがと、バインズ。」
近距離でバインズの刺突を体感したレイリスが、半ば放心状態で苦笑いを顔に張り付けたまま礼を言った。
姫様に至っては座り込んでしまっている。
…危なかった。
「助かったよバインズ。それにしても、あれによく対処できたな。それに姫様もよく気づきましたね。」
俺は労うようにバインズの肩をたたいた。
「……戦闘が終わったと思って気を抜いた瞬間が一番危ない。死角のある場所では特にな。冒険者の基本だ。」
「私の方は、昨日、バインズからその話を聞いていたから、ずっと見ていたのよ。」
戦闘に参加していないのに、昨日聞いたことをいざ実戦で気づくなんてさすがは姫様だ。
とんでもない。
最後の最後で肝を冷やしたが、その後は仕留めたドロットファングを使ってバインズが昼食を作り、目的地へ向けて再び出発した。
次話は調査隊が絶滅危惧種の保護活動に乗り出します。




