第17話 真夜中の襲撃者
遠くからはもくもくと上がる幾筋もの灰色の煙が見え始めた。
さすが工業の都市である。
四角い岩のブロックで構成された整然とした迫力のジルーとは異なり、大きな煙突がたくさん立ち並ぶその姿からは無骨で力強い迫力が感じられる。
午前中のうちにジルーを出発したこともあり、マクイには日が傾く前に着くことができた。
街中はまだ日が高いこともあり、工場からの機械音や金属音、威勢の良い掛け声など様々な雑音で溢れかえっておりとても活気がある。
俺達はそんな喧騒とした工場地帯を抜けて、閑静な一角にあるひっそりとした品の良い宿へと案内された。
その宿の周りは人の腰くらいの石垣で囲われており、ところどころに黄色い花をつけた蔦植物でびっしりと覆われている。
こぢんまりとした建物は2階建ての木造で、規模からすると2~3部屋程度しかないのだろう。
聞けば、なかなか泊まることができない人気の宿であるとのことだ。
おそらく、俺達…否、姫様のために無理矢理用意させたのだろう。
庭に視線を移すと、中央には小さな池があり、その脇にそびえ立つ大きな落葉樹が湖面へゆらゆらと影を落としている。
また、池の周りには白や赤の花々が咲き乱れ、さながら絵画のようであった。
しっかりと手入れされていることがすぐにわかる。
「工業都市の真ん中にこんなにも静かな空間があるなんてなんだか不思議ね。異世界へ来ちゃったみたい。」
姫様が庭を見渡して呟く。
「ここは元々宮廷料理人の主人と宮廷庭師の奥さんが、自分達の特技を生かして始めた手作りの宿でして。お客様に気兼ねなくくつろいでもらうため、1日に1グループしか受け入れてないんですよ。この静かな環境もあって、街に要人がいらしたときに利用させてもらっています。この通り他に宿泊している客もいないので、のんびりとお過ごしいただけるかと思います。うちからも警備を立てますので、どうぞご安心しておくつろぎください。」
「いろいろなご配慮、ありがとうございます。」
俺が代表してお礼を伝える。
宿の内部は1階部分が食堂とフリースペースになっており、庭に向かってテラスが作られている。
俺もこんな仕事が舞い込んで来なければ、この宿でゆっくりとしたいものだ。
…しかし、そんな時間的余裕などはあるはずもなく、俺とレイリスはすぐに支度を整え、ジルーの幹部に連れられてマクイ支部へと向かう。
先ほどまでの暖かく穏やかだった天候からは打って変わり、空は分厚い雲で覆われ始め、湿気を含んだ重い風が吹きすさんできた。
「今夜辺り大荒れになるかも知れないな。」
俺が呟く。
「そうだね。」
レイリスも言葉少なく答えた。
ここはザルース領執行部マクイ支部の会議室である。
ジルーの幹部、俺、レイリスの順で席に着いている俺達、そのテーブルを挟んだ反対側にはマクイのN o.2である副支部長とその両脇に補佐役2人が座っている。
補佐役の一人は背が高くがっちりとした体躯に金色の髪を短く刈り上げている、もう一人は黒い髪をオールバックにしており、そこまで背は高くないもののしっかりと鍛えられていることがすぐにわかる。
副支部長の護衛も兼ねているのかも知れない。
なかなかの使い手であることは間違いないだろう。
「――――というわけで、ここの収監所が今夜か明日の夜にでも狙われるかも知れません。」
ジルーの幹部が概要を説明する。
「話は分かりました。しかし、我々も収監所の警備には自信を持っているんですよ。とてもこの厳重な警備が破られるとは思えない。」
「副支部長がそうおっしゃられる気持ちはわかりますが…。念には念を入れて悪いことはありませんし、ローカディア王国の方達も手伝っていただけるとのことなので…。それにもし支部長がこの場にいたら、頼んででも警備をお願いすると思います。」
「あいにく支部長はジルーの方へ出張中でしてね。警備の判断はこの私に委ねられている。」
厳しい顔をしてそう答えた副支部長は、少し考える素振りを見せてると一瞬だけ嘲笑し言葉を続けた。
「……分かりました。では、今回のところはジルー支部とローカディア王国の顔を立てて増援をお受け致しましょう。ですが…そのかわりマクイ警備団の指示には従っていただきますので。よろしいですね?」
そう言って、粘っこい視線で俺達の方を見据えた。
「…分かりました。」
こちらを伺うジルーの幹部に代わり俺が答えた。
「それでは、私の方から収監所への指示書を作成しますので、必ず警備団長へお渡しください。」
そう言って、マクイ支部の副支部長は書類を作成し封筒へ入れ、厳重に封までした書類をジルーの幹部へと手渡した。
そのままの足で収監所へと移動し、マクイ収監所の警備団長へ書類を渡して夜間警備の打ち合わせを行う。
「なるほど、盗賊団がやつらの幹部を奪還しに来る可能性があるから、増援に来たと。ではアルベルさんたちには本収監所の中央玄関口の警備をお願いするとします。」
――――な!?
「いや、盗賊団幹部の脱獄を防ぐなら玄関口ではなく、奴が入っているその周辺の警備を増やした方が効率的なことくらいは明らかでは!?」
「そちらの警備は間に合っています。副支部長からは警備については私の指示に従うことと聞いていますが。嫌なら帰っていただいても結構ですよ。」
「しかし…。これではあまりに意味がないと思いますが…。」
「アルベルさん。ここはマクイなんですよ。あなたが暮らしているローカディアではないんです。わかりますよね?」
「…くっ。…わかりました。我々は指示通り中央玄関の警備に加わりましょう。」
日が落ち辺りが暗くなり始めると、その頃には風がさらに強まりゴーゴーと音を立てて吹き抜けている。
また雨も降り始め、時折ザーッという雨音が風に吹かれて強くなったり弱くなったりと不規則に地面へと降りつけている。
「なんかマクイの人たちって感じ悪いよね。」
レイリスが不満そうに呟く。
「ああ、そうだな。まあ確かに、傍からいきなりやってきて、警備が不十分だから手伝わせろなんて言われたら、良い気分はしないだろうが。…それにしても、何か隠しているというか、妙な違和感はある。」
そうして、風と雨が時折強くなる以外は特段何事も起らず、時刻は12時を回ろうとしていた。
ふと気づくと辺りからはスミレであろうか、甘い香りが漂っている。
俺はその心地よい香りに包まれ、思わず眠気に誘われた。
今日は朝から動きっぱなしだったからであろうか、どっと疲れが押し寄せてくる。
…あれ、おかしい。何か違和感がある。
外からはゴーッと風の音が聞こえる。
…風?
……そうだ、風が強いのになんで花の香りなんて漂ってくるんだ?
………でも、なんでもいいか。とにかく眠い…。
「…ベル、アルベル!」
レイリスか大きな声を上げ、俺を呼び止める。
すると突然頭が重くなり、一瞬、視界が歪む。
――――なんだ!?いや、いつからだ?いつから俺は惚けていた?
「なんか来るよ。濃密な魔力。」
「……あぁ、そうみたいだな。…ルークスからもらった魔封じのクリスタルがなかったら、レイリスに声をかけられる前に確実に眠らされていた。それにしてもレイリスはよく平気だったな。」
俺は頭を振りながらレイリスに話しかける。
「…ボクはこう見えても諜報部員だよ。ありとあらゆる毒だとか痛み、精神魔法、拷問にだって訓練されて耐性があるからね。」
――――カツン、カツン
遠くの方から小さな足音がゆっくりと響いてくる。
「あれ、おかしいですね。あれだけの睡眠魔法をかけたのに起きているなんて。」
抑揚のない声は明らかに少女のものだった。
――――カツ、カツ、カツ
「…そうか、あなた達が首謀者ですか。」
暗くてはっきりとは把握できないが、身の丈をはるかに超える槍を手にした小柄な影が歩みを早める。
――――カッ、カッ、カッ、カッ
「それでは、覚悟してください。」
その影は槍を構えると俺達の方へ駆けてくる。
即座にレイリスが反応し、腰のダガーを素早く引き抜くと、影の左手側から飛びかかった。
ダガーを両刀で構えていることから、相手はかなりの強敵と判断したようである。
「アイスウォール」
その影は走りながらレイリスの方へ左手を突き出し魔法を唱えると、床から分厚い氷の壁が形成され、瞬く間に氷の壁は天井まで達した。
――――チッ!分断された。
俺は心の中で舌打ちする。
その影は青い刃先を持つ槍を振りかぶると、俺の真上から斬りかかる。
ガキッ!
俺は咄嗟に愛剣でそれを受け止める。
影の主は帽子を目深に被った小柄な少女であったが、それ以上に驚愕させられることがあった。
「な、お前は!?なんでこんな所にいる?」
少女は有無を言わさず、続けて真横に槍を薙ぐ。
「グラビティーレンジ、ツー」
それに合わせて俺も剣先をそのまま真下に降ろして受け止める。
しかし、今回の斬撃は先ほどのものとは異なり、物凄い衝撃で俺は後ろへと吹き飛ばされ、柱にみぞおちを強打した。
ガハッ
嫌な音がした。
もしかすると肋骨を2,3本持っていかれたかも知れない。
それにしても、とても小柄な少女の斬撃とは思えない。
恐らく斬撃の瞬間に重力魔法で衝撃を上げたのだろう。
もの凄い技術だ。
「へぇ、わたしのことを知っているのですね。…と思ったら、よく見れば昨日の夜に酒場でわたしのことを見ていた人でしたか。」
そう、昨日ジルーの酒場で見かけた、俺のよく知っている人物――――帽子を目深に被ったエスナであった。
「やはりあなたは敵だったんですね。では、今度こそ覚悟してください。」
――――まずい、腹を強打したせいで息がまともに吸えない。
…と、そのとき。
ガラガラガラガラ
先ほど形成された分厚い氷の壁が轟音とともに崩れ落ち、そこには怒りに満ち溢れた表情のレイリスが立っていた。
次話は脱獄計画の黒幕が明らかになります。
19日更新予定です。




