第1話 とんでも姫
「自生した虹色草を見に行きたい!」
――――始まった。
同じ部屋にいた誰しもが心の中でため息をついた。
金色の長い髪に青い瞳、整った顔立ちからは高貴なものだけが纏うことを許されるオーラのようなものを感じさせる。
今のはローカディア王国第三王女クラウベール姫の声である。
15分前。
俺が所属する王国防衛騎士団第三地区隊のグラビエ隊長に呼び出された。
正直嫌な予感がした。
「アルベル、クラウベール姫がお呼びだ。至急、国家戦略執務室に行って来い!」
クラウベール姫か…絶対、面倒くさいことに決まってる。
「…いや、でも。まだ、防衛想定計画の会議が途中ですよ。」
「もうお前の中だと資料までしっかり完成してるんだろ。小出しにしてないで、さっさと提出して行って来い!上への説明は俺がやっておくから。」
う…さすが隊長、できる男だ。
そこまでわかっているとは。
全く反論の余地がない。
「…わっ、わかりました。じゃあこれが資料なので後はお願いします。」
そして現在に至る。
ここは王国国家戦略執務室。
「アルベル!早く準備に取り掛かって!!」
クラウベール姫の声が執務室に響く。
「いやいや、なんで俺なんですかー?だいたい、政務を放り出してそんな危険なところに一国のお姫様が繰り出していいんですか?…ねえ、ヒラティス殿。」
クラウベール姫の直属世話役のヒラティスも目を背ける始末。
この狸おやじ、完全にこの件から手を引くつもりだ。
「なんであなたに頼んでいるかなんて、わかっているんでしょ。それに政務の方はお姉さま方がやってくれてるから大丈夫。」
「しかしですねー。地区隊副長の俺じゃなくて、王室親衛隊とかにお願いした方がよっぽど安全かと…」
「つべこべ言わずに準備!出発は3日後!!いいわね!!!」
「3日後って…」
「…何か言った?」
冷たい目で俺をにらんでくる。
「いえ、準備に取り掛かります。」
事の発端は先日行われた第三地区防衛会議に、隊長の代理として出席したときの話である。
ローカディア王国では王都を4つの地区(直轄地区、第一〜第三地区)に分割して、それぞれの地区を国王、第一〜第三王女が長となって運営を行っており、その一環として地区ごとに防衛会議を定期的に開催している。
防衛会議と名がついてはいるが、実のところその内容は防衛のみに留まらず、条例や都市計画、文化事業と多岐にわたる。
先日はその会議自体はつつがなく終わったものの、その後の懇親会が問題であった。
第三地区の長であるクラウベール姫が同席した懇親会の中で、酒が入っていたこともありお姫様にぽろっと虹色草についての話をしてしまったのだった。
そのときのクラウベール姫は興味深々といった顔で話に聞き入り、いつか実物を見てみたいと目を輝かしていたのである。
酒の場ということもあり、その場だけの興味だと高を括っていたのだが、そこは“知識の姫”とか“学者姫”などと世間で呼ばれるクラウベール姫のことである。
俺の見積もりが甘かった。
気になったことは実際に目で見てみないと気が治まらない性格なのだ。
ちなみに、クラウベール姫につけられたこれらの愛称は伊達ではなく、幼いころから英才教育を受けてきたこのお姫様は、地学、植物学、動物・魔物学、建築学、魔法学…などなど、いくつもの学問に精通しており、王女という地位を差し置いたとしても、それぞれの学会からの評価はとても高い。
だが俺に言わせてしまえば、単なる好奇心の塊であり、常軌を逸した変人、“とんでも姫”である。
聞いた話ではあるが、つい先日も食虫植物(…と言っても人や魔物でさえも食べるグロテスクな個体である)の研究がしたいと言って、デビルプラントを王室に取り寄せた。
それを観察しているだけならまだしも、餌として与えられた生きた豚を、デビルプラントが丸飲みするのを見て「なんで逃げることができないのかしら。」と自ら食虫植物の“口”の中へ飛び込んだのだ。
このときには、さすがに王室中が大騒ぎとなった。
結局、慌てて飛んできた親衛隊長がデビルプラントののどを切り裂いて助けたのであるが…。
消化液でネバネバになりながらも救出されたクラウベール姫は「この粘液で滑るのに加えて、逆向きのとげが無数に生えていて、もがけばもがくほど中に引きづり込まれるのね」と平然とした顔で言ってのけた。
何事も目で見て体験しないと気が済まないのだ。
ただし、このお姫様のすごいところは、それを分析し応用するところにある。
今回のことも、すでに魔獣分布調査用の罠として実用化されているようだった。
…だが、しかし!
いくら自分が話したこととはいえ、なぜ防衛騎士団地区隊副長の俺がその好奇心に付き合わなければいかんのだ!?
不条理すぎる!!
それを差し引いたとしても、虹色草の群生地の調査から道中の安全確保、調査隊の人選…その他もろもろ。
3日で準備するには短すぎる。
頭を悩ませながら昼食のため食堂へ向かっていると、中庭に面した廊下で見知った顔に声を掛けられる。
「よう、アルベル。なんだか面白そうな仕事が舞い込んできたみたいじゃないか。」
国家構想計画室所属のルークスだ。
国家構想計画室…王国の中長期計画を担うエリート集団である。
「ルークスか。面白そうじゃねぇよ。なんでこんな面倒くさいこと俺がしなきゃいけないんだか。」
がっくり肩を落としてうなだれる俺。
「そうか?あの美人お姫様のお供なんかうらやましい限りだけどなあ。」
グレーの髪を掻き上げ、ニヤニヤしながら言ってくる。
こいつわかってて言ってるな。
「…じゃあ代わるか?」
「いやー、遠慮しておくよ。」
これまたニヤニヤした顔で。
――――たく、こいつは!
「ところでアルベル、この前ラムーニャ地方の上等なワインが手に入ったんだが、お前の任務成功を祈って一杯どうだ?」
お互い酒が好きで、同じ宿舎のルークスとは同期ということもあって、ことあるごとに飲んでいる。
「そのニヤニヤした顔がむかつくが…。そうだな、こんな日は飲んで忘れるに限る!!残務を終わらせたらご馳走になるよ。じゃ、あとで。」
その夜。
コンコン。
ルークスの部屋のドアをノックする。
「おー、アルベルか。思ったより早かったな、入ってくれ。」
軍服から簡素な部屋着に着替えたルークスが出迎える。
こいつはエリートのくせに気取らないのである。
「ああ、お邪魔する。いやー、みんなあのお姫様にはあきらめているようで、王国直轄調査隊の立ち上げ承認が意外とすんなりいってな。」
「はは、あのお姫様の言い出したことじゃしょうがないよな。反論するだけ時間の無駄ってもんだ。」
クラウベール姫の気まぐれとは言え、そこで調査したことが軍事や医療その他、様々な分野で確実に応用されており、さらに実績を上げているため簡単には無下にできないのである。
俺はルークスに促されて部屋の中へと入っていく。
次話はルークスの部屋で飲みながら語ります。




