[ログ:1192]勝手に作ろう世界の歴史
「ありゃ、人間から治療の依頼が入っちゃってるぞ。」
ナルヴィクが端末に表示されている依頼のリストを見ながら、イズルに業務報告をする。
「しかも、かなりの爺ちゃんだな。腰でも痛いのかな。」
ナルヴィクの優しい言葉に対し、イズルは、
「きっと、幻獣枠で診て欲しいんだよ。」
と辛辣なコメントを寄せる。
「酷い奴だな。年寄りを幻獣扱いするなんて。」
「仮想現実世界では、自分が何であるかなんて自己申告制だよ。もしかすると、その爺さん、耳が頭と同じくらい長いかもしれない。もしそうなら、幻獣として診ない方が失礼だろ。やっぱりナルヴィクは分かってないな。」
治療道具の入ったカバンの中身を整理をしながら淡々と答えるイズルに、どこからともなくクロエが、
「イズルも勝手に幻獣医師なんて名乗ってるもんね。同じよねえ。」
と横槍を入れる。
「ああ、そうな。」
クロエへの対応に慣れて来たイズルは軽く流して、
「爺さんが幻獣に該当するかどうかはどうでもいいとして、プレイヤーを仮想現実世界で治療したところで、現実世界の痛みは治んないからな。」
「爺さんが幻獣かどうかということは、どうでも良くは無いと思うが、確かに治療しても意味が無いんじゃ、あれだな。じゃあ、断っとくか。」
依頼を断るメッセージを送ろうとするナルヴィクを、イズルは制して、
「いや、年寄りは話し相手が欲しい生き物だ。きっと、行けばそれだけで喜んでくれるよ。」
そう語るイズルの満面の笑みを見て、ナルヴィクの心の中では“喜んでくれるよ”が、“金がもらえるよ”にしか聞こえなかった。
***
「最近、どうも目が霞みましてな。近くのものがあまり見えんのです。これは重大な病気ではないかと心配で。」
誰が聞いても典型的な老眼の症状に、イズルはWeb版の『家庭の医学』に書いてある症状説明そのままの診断結果を喋り始める。
しかし、ネットの情報を読み上げただけの診断結果に老人は嬉しそうに頷き続け、その答えを受け入れていた。
そして、老眼になったことで今まで自分が如何に不自由な生活を送って来たかを、幻獣医に向かって喋り始めたのだが、イズルは老人が語る全てに対して、まるで旧式の対話ロボットのように「はあ」とか「へえ」とか言って、常に興味が無さそうな姿勢を貫いていた。
そして、老人の長い体験談が終わるとイズルはすかさず、
「それだけ喋る元気があるのなら、大丈夫ですよ。ですが油断は禁物なので、お薬などを出しておきますね。眼精疲労に効く目薬と頭痛薬、痛み止めに、血行をよくするお薬。これらを1ダースと老眼鏡1セット。あと肩こりなどに効く塗り薬や葛根湯、朝鮮人参、それに疲れに効くかもしれないパワーストーンや、脚のツボを押すのに良い肉食恐竜の奥歯の化石なども送っておきますよ。」
と、商談を一方的にまとめたイズルは、老人が頼んでもいないものを次々とリストに書き込んでいき、それに対しての処方料やサービス料なるものも計上して、結果的に通常のネットでの販売価格の約2倍にも額が膨らんでいた。
「詐欺ね。詐欺。」
イズルと老人が診療ごっこを繰り広げているところから、少し離れたテーブルで紅茶を飲みながらそう呟くクロエだったが、老人は終始嬉しそうであった。
「でも、良い商売なのかもな。お爺さんも喜んでいるし。人の役に立ってるよ。」
クロエに並んで座っているナルヴィクの何気ない一言に、クロエは、
「あなたは、イズルという悪魔に魂を奪われたようね。喜べば何をやっても良いってモンじゃないでしょう。」
「怒れば何やっても良いって訳でもないと思うけどな。」
怒りに任せてゼモキス氏の窓ガラスを割ったことを暗に示されたクロエは、分が悪いと感じたのか、部屋中を見渡し始めた。
老人の部屋は、背表紙の幅がオックスフォード英語辞典ほどある本がぎっしりと入った本棚で埋め尽くされていた。
その光景は、ファンタジー映画などではおなじみではあるが、映画では棲む者の知性を表す程度の単なる背景であり、実際に何が書いてあるか、何の本なのかを考えるようなモノではない。
だが、このリアリティ溢れるXenoTerraという仮想現実世界に存在する以上、そこには何かが書いてあるはずなのだが、それが世界文学全集の完全版なのか、それとも老人が集めたピンク誌のデータ集なのかは、ナルヴィクには検討がつかなかった。
だが、直感的に開けてはならない気がした。
そして、ナルヴィクはクロエの方を見ると、口をぽかんと開けて天井を見つめていたので、彼も同じように天井を見つめると、そこにも本棚があった。
しかし、それは壁に固定されている一般的な本棚と同じものであり、現実世界なら明らかに本が真っ逆さまに落ちてくる形で収納がなされていた。
「重力を調整してるかな?」
「そうなのかもね。でも、本の収納のために、そこまでやるかしら?」
クロエたちが話していると、イズルのリスト作りは終わっており、薬の箱の中に入っている使用上の注意を読み上げるだけの薬の説明がなされており、おそらく、これもサービス料として計上されると考えられた。
「最後に、送り先を確定するためにプレイヤー名を教えてください。」
イズルが患者の名前も訊かずに診療を続けていたことを知り、ナルヴィクは、イズルのことを本当に他人というものに関心の無い人間だと改めて思ったが、そういう図太さがあるからこそ、このような仕事を続けて生きてられるのだろうと感心した。
「ワシか。ワシの名前は、重五郎じゃ。重力の重に、漢数字の五、そして太郎の郎。」
果たして御歳いくつの老人なのだろうかとナルヴィクは興味をもってしまったが、イズルは相変わらず関心が無いのか、「ああ、見つけました。では送っておきますね。ええと、午後十時に着いたので良いですか?」と老人には明らかに無理そうな配達時間を伝えていた。
「ああ、十時ね。了解、了解。」
意外に若いのか、重五郎はイズルの提示した時間をすんなりと受け入れ、背伸びをすると、椅子を立ち、財布を持って来てイズルに金貨で支払いをしていた。
イズルはそれをすぐさま握りしめる。
これはケチだから金を手から絶対に離さないようにしているのではなく、こうすることで、手の中の金貨は消え、いつでも使用可能な電子マネーとして清算されるのだ。
そして、この電子マネーは、このゼノテッラの世界だけでなく、リーヴィズ社が運営する他の仮想現実や、リーヴィズ社が提携している店舗で様々なものが購入できるのである。
そのイズルにとっては最も大切な儀式が終わると、重五郎が突然、ナルヴィクたちの方を向いてきて、
「お嬢さん、本に関心があるのかね?」
嬉しそうな口調で重五郎が喋ると、クロエはそれが聞こえないのか相変わらず、ドーム上の住居の天井までにも収められた本を見つめていた。
老人は、ため息をつき、次はナルヴィクに狙いを定め、
「キミは、どの本が読みたい?」
と先ほどよりも、さらに限定された質問をする。
困ったナルヴィクは、イズルの方を見ると、イズルは首を横に何度も振っていた。
「ちょっと忙しいので…」
ナルヴィクの微妙な断りに、クロエが間髪入れず、
「ちょっと、お爺さん。この本たちなんなの? 私、見たことも無い装丁だけど。」
まるで本の装丁は全て知っているかのようなクロエの質問に、イズルは頭を抱えていた。これで帰る時間が1時間は伸びたであろう。
その分、時給換算すると儲けは減って、老人は話をする時間ができた分、得をするのだ。
「お嬢さん、知りたいか?」
くだらない質問で、持ち時間を消費している重五郎だったが、クロエが反応しないため、仕方なく自分で話を進めているのが、ナルヴィクの目にはあわれに映った。
「それには、このXenoTerraの歴史の全てが書かれておるのじゃよ。もちろん全てワシが記録したんじゃ。」
ナルヴィクの不安は的中した。これはめんどくさい。
果たして1時間で話は終わるのだろうか。
何しろ、老人が自分で書いた本である。思い入れは相当あるだろう。
しかも、ただ彼が書いただけでなく、これはXenoTerra全史なのである。世界史の授業を、さらに詳しくしたものを全て受けるとしたら、どれだけの時間がかかるだろうかとナルヴィクは想像し、笑えてきた。
「ご老人。この世界の歴史を勝手にまとめるのは、重罪ですよ。」
イズルが真剣な顔で、真っ赤な嘘を言う。