[ログ:1136]珈琲を巡る正義(終)
「犯罪者のくせに、緊張感の無い奴らだな。」
吐き捨てるように言う青年に、イズルは憮然として、
「この世界には刑法など無いんだ。ゆえに、“犯罪者”という概念も存在しないと思うのだが。」
と、ゼモキス氏の一件以降、自分なりに考え出した、このXenoTerraでの“犯罪”という概念について披露したところ、青年は、
「刑法がなくとも、各々が法を持って、その執行者たらんとすれば、自ずと“犯罪者”というものも決まって来るさ。」
と、独自見解を述べるのだった。
その言葉を聞いたナルヴィクは、刀の柄に手をかけたまま、イズルの方へ近づき、
「こいつが、もしかして理不尽な裁判官?」
耳打ちされたイズルは、自分の嫌な予感が裏打ちされたようで、寒気を感じた。
確かに、一見して戦闘に向かなさそうに見える、布でできた黒衣というのは、理不尽な裁判官たちが好みそうな格好である。
しかし、ゼモキス氏の復讐を個人的に請け負うようなことを彼らがするだろうか?
仕事を請け負うというのは、誰かの意図の下に行動することであり、自分の意思を世界に反映せんと欲する理不尽な裁判官たちが嫌いそうなことのように思える。
「テーゼは?」
イズルは何気なく青年に問うてみたところ、青年は単語は聞こえたのだろうが、「テーゼ? なんだ?」と意味が分かっていないようであった。
それを聞いて、イズルはひとまず安心し、話題を逸らす、
「教えて欲しいんだが、さっき、ゼモキス氏の名前を出したが、キミとはどういう関係なんだい。」
「ゼモキスさんの被害を聞いて、救済しようと思ったんだ。あんたたちのやったことは、通常の刑法に照らせば、不法侵入から暴行、強要まで、ありとあらゆる罪に該当するからね。」
「証拠も無く、一方的に裁くのか?」
そのイズルの言葉を、青年は鼻で笑い、
「証拠? あんた、ここをどこだと思ってるんだ。仮想現実世界なんだから、全てはログが残るんだ。あんたたちがやったことなんて、全部録画されているようなモンなんだよ。」
「そうすると、ゼモキス氏の所業も、ちゃんと理解してるってことだな。」
イズルが詰め寄ると、青年は、
「何のことだか。」
と、しらばっくれる。
「知らないのか。ゼモキス氏は、弱いプレイヤーへの追いはぎを生業としていたんだ。彼の自白も録音してある。聞いてみる?」
「いや、どうせ、脅して言わせたことだろう。ゼモキスさんも、脅されて、有ること無いことを喋らされたと言ってたからな。」
「ふーん、そうかい。しかし、キミに何の権限があって、僕らを裁くのかね。」
「さっき言った通り、自分の中の法に従ってるだけだ。」
「じゃあ、僕がゼモキス氏を訴えたら、キミの中の法に従って裁いてくれるのか?」
「それはできない。」
少し狼狽えた青年に、イズルは追い打ちを掛け、
「なぜ?」
「この件が終わっていないからだ。」
「なら、この件に白黒付いたら、キミは奴を裁いてくれるのかい。」
「君たちが白ならね。」
イズルは、周囲を見た。店のショーウィンドから外を見ると、誰かが通報したのか、向こうの方からキッサッサの自警団が駆けつけて来ている。
「なあ、キミは、法律が好きそうだな。現実世界で、法律の勉強でもしてるのかい?」
イズルの脱線した問いかけに、青年は「それがどうした」と、イズルを睨みつける。
「いや、どうせ、キミみたいなのは、現実世界では司法試験にずっと落ち続けた奴か、司法試験には通ったものの裁判官や検察にはなれず、かと言って、テミスみたいな法律相談用の人工知能の登場で、人間の弁護士には知識ではなくコミュニケーション能力が求められるようになったから、その需要にも対応できない、残念な人間なんだろうなと思って。それに、金にでも困って、追いはぎ役としてゼモキス氏の片棒を担いでいたんじゃないのか。」
その言葉に、青年はキレて、黒衣の下に隠していた刀を抜いて、イズルに切り掛かった。しかし、それをナルヴィクが居合いで止め、両者は鍔迫り合いになる。
ここでイズルの予想に反していたのは、青年が戦闘では強かったことだ。ナルヴィクは明らかに押し負けていた。
イズルは、ゲームばかりしているから司法試験に受からないんだと勝手に決めつけたが、それは現実世界で未だに開業医になれず、獣医の仕事からも遠ざかっている自分にも言えることだろうから、人に偉そうに言えることではなかった。
しかし、ここで、ナルヴィクが負けると、イズルたちには青年を止めることはできないように思われた。なぜなら、接近戦に向いた戦い方ができるのは、この集団ではナルヴィクだけなのだ。
「そこまでだ、喫茶店の平穏を乱すゴロツキども!」
あと少しでナルヴィクが押し負けて、斬りつけられそうになっていたところを、キッサッサの自警団が数十人掛かりで円陣を組み、槍を突き出して、2人の争いを止めた。
「なんだ、貴様らは。ここをどこだか分かって争ってるのか?」
そして、隊長は床に落ちて割れたカップを見て、顔を真っ赤にして、
「神聖な陶器を破壊するとは、何事か! 誰じゃ、誰が壊したんじゃ!」
その言葉に、イズルたち全員が青年を指差す。青年は知っているかどうかは分からないが、隊長がこれだけ怒っているということは、キッサッサでは陶器の破壊行為は打ち首ものなのかもしれない。
「如何にも、私が壊したのだが。」
隊長と思われる老人が、青年をしげしげを見つめ、首を傾げる。
「あんた、その格好は…」
隊長も、イズルと同様、理不尽な裁判官を思い出したのだろう。そこで、あとからやって来た、もう少し格上に見える将軍のような老人に耳打ちをすると、将軍は感心して、青年に語りかける。
「あなたは、この世界で正義を執行している方々のお一人ですか?」
“方々”という部分に、引っかかったのか、青年は顔をしかめる。
「いえ、将軍。ソイツは、テーゼを言えませんから偽物ですよ。」
イズルが教えてあげると、将軍は表情を曇らせ、
「本当か? 裁判官殿、無礼を申し上げて申し訳ないのですが、テーゼを我々に教えてください。」
この言葉に、青年は自分が追い込まれたことを悟ったようで、クロエを人質に取ろうとしたが、今度はナルヴィクの反応が早く、青年の右足を斬りつけて地面に倒れ込ませることに成功した。
***
「そうだ。コイツを本物の、理不尽な裁判官に提供しよう。」
老人たちは、青年の処遇を決め、彼らの支配下の都市にいることを良いことに、縛り上げた青年から個人情報が確認できるものを次々と取り上げていた。どうやら、仮に青年がログアウトして逃げたとしても追跡できるように情報を整えているようであった。
だが、青年は逃げること無く、この期に及んで老人たちに自分の有用性を訴えている。
「本物と偽物なんて、何の関係があるんです。私に依頼してくれれば、あんな都市滅ぼしてみせますよ。」
青年は、老人たちに訴えたが、キッサッサ自警団の隊長は、
「いや、信用ならんね。偽物は本物でないから偽物なんだ。そんな奴に依頼する訳にはいかない。」
そして、将軍は満面の笑みを浮かべて、
「これで偽物の珈琲を提供し、店のデザインなどで誤魔化す、奴らの都市を滅ぼすことができる。」
と一人で、呟いていたのだった。
こうしてイズルたちは、自警団の簡単な聴取を受けた後、解放されたのであった。
***
「ゼモクスの奴、許さないんだから。」
キッサッサ自警団の詰め所を出て、3人で歩いていると、クロエが歯ぎしりをしながら叫ぶ。
「ゼモキスな。」
ナルヴィクの冷静なツッコミに、
「あら、そうだったっけ。あんな奴の名前なんてどうでもいいわ。でも、困ったわね。これからも、今日の偏執狂みたいなのに狙われるのかしら。」
クロエが珍しく思案していると、イズルから、
「そのときは、僕らも珈琲愛好家になればいい。」
「どうしてそうなるの?」
「そうすれば、同志としてキッサッサの老人たちが守ってくれるさ。」
「イズルは、珈琲が好きだから良いかもしれないけど、私は紅茶派だから嫌よ。」
「命を守るためなら、主義なんて捨てれば良いのに」
その言葉に、クロエが異論を挿んだが、生き返るための費用を考えると、イズルには主義なんて無用の長物だと思えて仕方なかった。
***
後日、イズルは、昔なじみの冒険者である男からのメッセージで、キッサッサとカフェ愛好家の都市が全面戦争に突入し、それが今まで以上に発展し、喫茶店とカフェ、珈琲重視とデザイン・空間重視という枠を超えて、老人と若者の争いと化していることが述べられていた。今や、キッサッサの老人たちは年金をつぎ込み、若者たちはクラウドファンディングで資金を募ることで、リーヴィズ社や武器商人たちから最新の武器を買い漁り、戦場は最新の武器や魔術の見本市と化しているという。
戦場では、四六時中爆音が響いたかと思えば、静けさが戻って来て、そして再び爆音に包まれるという非日常が繰り返され、徐々にそれが日常になりつつあるという。
仮想現実の肉体が死体となり、都市が破壊され、日常がどんどん失われているが、戦争を指揮する現実世界の存在は一つも傷つくことがないので、資金がそこを尽きるまで戦いは続くだろうことが書かれていた。
「私は、以前、このような光景を見たような気がします。それは、競馬場でかもしれません。」
メッセージの最後には、このような一文が添えられていた。
しかし、最近の『ゼノテッラ・ヘラルド』には、戦闘の事実については書かれていたものの、なぜ戦闘が生じたかについては書かれていなかった。
だが、きっとそういうものなのだ。
世界は全て、誰かのものなのだ、とイズルは思った。そして、そんなことよりも、眠りたくなって来たので、布団に入って静かな眠りに就いたのだった。
眠りに就いたイズルの部屋では、彼が消し忘れたラジオから音楽が流れていた。
『今日も僕は、誰かの共犯者になって生き延びている。生きることは共犯者になること。それはお爺さんのときもそうだったし、明日も変わらない。でも、誰も咎めない。それは、彼も彼女もそうだから。みんな誰かの共犯者。』
そんな英語の歌詞に乗せて、Additional Boysという欧米のどこかの国のバンドが、時代に逆行した緩やかで、悲しげな曲を演奏していた。
その曲は、誰も聴かない、誰も聴きたく無い曲だったが、今日もどこかで流れているのであった。
そんな曲が流れた後、ゼノテッラで生じている出来事を紹介するニュースが流れた。
その中の一つとして、グリューネヴァルト氏が、仮想現実での建設請負会社および都市計画者に対して、訴訟を起こしたという内容であった。訴訟内容としては、仮想現実内での権利侵害であった。
しかし、訴訟結果としては、仮想現実世界はあくまでゲームであり、そこで生じる所有物は、あくまで仮想的なものであり、実際上のものでなく、奪われても何らかの特別な契約をサービス提供者たるリーヴィズ社との間で結んでいない限りは保証されるもので無いとされるだろうこと、つまり、グリューネヴァルト氏が敗訴する可能性が高いことが伝えられていた。