[ログ:1118]魔女とニワトリ
今日は仕事で怒られた。わーい。
職場のお偉いさんのために取ったリニアの指定席の時間が間違っていたらしい。8時40分ではなく、8時20分が良かったとのこと。
それって結果論でしょ。リニアの駅に行く前までに乗るメトロが遅れたらどうすんの。話になんない。
なので、今日は旅日記お休みします。マスコミが最近言っているように、「現実執着」は良く無い。遊ぶときは遊ぶべきなのだ!
まあ、マスコミも、数年前は「仮想現実世界への現実逃避」を問題にしていたのにね。スポンサーの力に弱いってことだな。
恐るべし、リーヴィズ社。
* * *
「お前ってさ。ほんとに、幻獣〈やつら〉と話できてると思ってんの?」
次の依頼人がいるカンディビアの町に続く小道を歩いていると、ナルヴィクがおもむろにイズルに訊いた。
「ああ、なんとなく。」
その言葉に、ナルヴィクは頭を抱える。
「何となくじゃマズいだろ。今までは、誤魔化せたかもしれないけど、今度は通訳なんだぞ。」
そう言われて、イズルは少し焦った。そう、イズルに今回依頼された仕事は通訳。もちろん、タイ語やアラビア語ではなく、幻獣語(?)の通訳だ。
「まあ、一ついえるのは、相手も分からないから僕に通訳を頼んでいるわけだ。そして、答えは誰も持っていない。」
ナルヴィクの顔が引きつった。しかし、イズルは何も気にせず、崩れて行く空模様の下、テクテクと歩いて行ったのだった。
***
「あら、いらっしゃい。」
出迎えた女性は、明らかに趣味の悪い服装をしていた。赤地のワンピースに、黒い水玉模様。
その黒地の上を這っている様なクモやヘビの形をした金色の刺繍。
それだけでなく、魔法使いが被る様なトンガリ帽子を被っている。
おそらく、外に出るときはステッキなんかも持っているに違いない。
趣味は、黒魔術だろうか?
そして、現実世界では黒歴史を抱えているに違いない。
まあ、控えめに言っても、絶対に知り合いであることを隠したい対象だ。
しかも、かなりの美人なのが、悲愴さを引き立てる。
「あなたがソロモン王と呼ばれている方なのね。どうぞ、上がってくださいな。」
手招きされたイズルとナルヴィクは、恐る恐る、恐怖の館へと入って行った。
***
「この子、ピーコちゃんって言いますの。」
クロエが手で指した先には檻があり、シベリアンハスキーの成犬より二回りは大きいコカトリスが閉じこめられていた。
2人は、そのコカトリスを横目で見ながら、これから何を言われるのだろうかと内心ドキドキしながら、勧められた紅茶を飲んだが、糞みたいな色のクッキーには手を付けることができなかった。
「で、今回依頼されたいことは?」
イズルのソロモン王としての偉大さを演出するために、ナルヴィクが代わりに伺いを立てる。
「私、この子に予知能力があると思うの。」
真顔で喋るクロエの言葉に、イズルは凍り付いた。なるほど、そう来たか。それでは、通訳ができたかどうかが分かってしまう。本当に、このコカトリスに予知能力があればの話だが。
しかし、目の前の個性的な飼い主は、愛する我が子のように可愛がっているピーコちゃんの全てを信じるだろう。失敗したときに、間違いなく火あぶりにされるのは、自分である。
「な、なぜ、この子に予知能力があると思われたんですか?」
ナルヴィクが、動揺しながらも鋭い質問を投げかける。
「私、ごらん頂いて分かるように魔術の研究をしていますの。」
まあ、それは第一印象から分かっていたことなのだが、確かに部屋の全てが不気味であった。
「それで、ある日、この子の前にタロットカードを何枚か置き忘れたのね。それで私が帰宅した時、ピーコちゃんがカードの方を無心になってつついていて。 びっくりした私が籠の側に行くと、つついているのは死神のカードの方だったのね。そして、その数日後に近所のお爺さんが亡くなったの。だから、ピーコちゃんが喋っていることが分かれば、もっといろんなことが分かるんじゃないかと思って。」
イズルは、籠ならぬ檻の方を見遣った。すると、檻の前には餌箱が置かれていた。
きっと、ピーコちゃんは、いつも置かれている餌箱が無いので、パニックを起こし、いつもの場所をつつき続けたのではないだろうか。
しかし、そんなことを言うと、自分の能力を疑われてしまうので言わず、ただひたすらに、アニメ『一休さん』のようにトンチを考える、いや、真面目に通訳に取りかかったのだった。
「では、ピーコちゃんの通訳をしましょう。」
勢い良く椅子から立ち上がったイズルに、不安げなナルヴィクと興味津々なクロエがついて行く。
しかし、突然、見知らぬ客人が現れたので、ピーコちゃんは、動揺して「コケーコッコ!コッ、コッ、コケーッ!」と羽をばたつかせて、啼き叫んでいる。
「ものすごく慌てているようですけど、今、なんて言ったんですの?」
早速、無茶振りならぬ通訳の依頼をしてくるクロエに、イズルは落ち着いて、
「世界が終わるようです。」
「いつ?」
「1万年後に。」
「そんなの私には関係ないわ。ピーコちゃん、もっと私に関係あることを教えて。」
やっぱり婚期だろうか?
イズルは、自然とそう思ってしまったが、そんな責任の取れない占いはしないことを万物に誓い、その2文字を心の奥底にしまった。
すると、再びピーコちゃんは啼き始めた。どうしようか。迷ったイズルの目に、あるものが飛び込んだ。
「あなた、洗濯物を干しましたか?」
「ええ。」
「どうやらピーコちゃんは、洗濯物を取り込むべきだと言っているようです。今日、雨が降るのだと…」
この、空模様さえ見れば誰でも分かる様な占いに、何故かクロエは妙に感心した。
そして、気を良くしたイズルは、現実世界〈リアル〉の金メダル予想から株価の暴落まで、ありとあらゆることを、ピーコちゃんの名の下に予言していったのだった。
しかし、万物に誓った通り、クロエの婚期については何も語らなかった。
「お茶を淹れてきますわね。」
すっかり機嫌を良くしたクロエは、にこやかに部屋を出て行った。2人の隣には、早速クロエによって取り込まれた生乾きの洗濯物が散乱している。
「これで、いくらくらい報酬くれるだろう。」
ナルヴィクの質問に、イズルは「このクッキーの詰め合わせじゃないかな。」と冷静な判断を下した。
そして、今日も無事に終わったと思い、背伸びをしながら窓の外を見た。そこには、いつの間にか晴れ渡っている清々しい景色が広がっていた。
***
「ここまで来れば大丈夫だろう。」
2人とも肩で息をして、砂漠の上に倒れ込んだ。捕まると火あぶりにされる。その思いが、2人を十数キロ先の砂漠まで走らせた。
「ああ。ヘルカイトでも取っ捕まえて、上空から雲行きを見ておくべきだった。」
極限までハードルを下げたにもかかわらず失敗した自分の無能さに、イズルはため息をついた。
「でも、火あぶりにされなかっただけマシじゃない。それで良しとしよう。」
ナルヴィクが、落ち込むソロモン王の肩を抱く。イズルは、火あぶりにされそうになったときは、助手のナルヴィクの不手際があったと言って、責任をなすり付けようと考えていたのだが、それも心の奥底にしまった。
眼前に映る夕闇の美しい砂漠の風景。深紅紫に染まった砂漠には、一直線に続く砂丘が数百メートルごとに存在し、それらが色の濃淡を演出していた。
「でも、まあ、こんな日もあるさ。」
2人は砂丘の上に腰掛け、身を寄せ合いながら星空を見た。周囲に邪魔をする光も無く、星は燦然と煌めき、2人を祝福していた。
ナルヴィクは、イズルに仮想現実世界の星座を教えてくれた。孤独の竜座、風の塔座、海竜座、キスカルデ兄弟座…。
「鬼火蟻座も見えるな。」
イズルが言ったところ、ナルヴィクは鬼火蟻座を知らなかったようで、懸命に探し始めた。
しかし、ナルヴィクが、あまりに懸命に探すので、イズルは哀れになり、
「ほら、たくさん見えてるじゃん。」
と教えてあげたところ、ナルヴィクはようやく気付いた様子で、
「バラバラの星を星座と呼ぶ奴があるか。それなら『光る米粒座』でもいいじゃないか。」
と怒り始めた。
そこでイズルは、正直どちらでも良いことを白状した。
「あんたたち、何いちゃついてるの。」
2人が真上を見上げると、しかめっ面をしたコカトリスがいた。慌てて逃げようとして、2人は同時に砂丘から転げ落ちた。
***
「で、クロエさんは、なぜ、ここにいらっしゃったんですか?」
「あなたたちが、逃げたからに決まってるじゃない。」
砂丘の谷間で追いつめられた2人。このナルヴィクの質問は明らかに墓穴を掘った。
そして、コカトリスを降りて、イズルに詰め寄ったクロエは、イズルが想像したよりも趣味の悪いステッキを振り上げて彼に問う。
「どうして逃げたの?」
イズルが白状するしか無いと思ったそのとき、ピーコちゃんが「コッ、コッ、コケッ。コッコココッ…」と喋り始めた。
何かを語る様なリズム。
これには、クロエも驚いたのか、急に知性が宿ったコカトリスの方を向いて、それを見つめていた。
「『クロエ様、怒らないでください。彼らは、天気予報を外した私のことをかばおうとしているだけなのです。』彼女はそう言ってます。」
イズルが、ここぞとばかりに通訳をしたが、クロエは、彼の方を向き、
「餌にしか興味がないピーコちゃんが、そんなこと言うわけ無いでしょ。」
「は?」
ここで、ソロモン王は自身が重大な過ちを犯していることに気付いた。
本来獰猛なはずのコカトリスに、ピーコちゃんという名前を付けて、ペットのようにして飼っているからといって、それを愛したり、信頼しているとは限らないということである。最初から、この女性は分かっていて、自分たちをハメたのだ。
イズルは、怒られるのを待っている子どものように、ただ黙っていた。
しかし、クロエは、
「いいわ。許してあげる。」
警察にでも突き出されたら面倒だと思っていたイズルは、ほっと胸を撫で下ろした。
「でも、条件があるの。」
やっぱりか。イズルは、金で済めば良いと思うが、私の黒歴史を消すための黒魔術を成功させるために孤独のドラゴンの指を採って来いなど、とんでもない依頼をされたら再び逃げるしか無いと腹をくくる。
「私を一緒に連れて行って。」
「はい?」
イズルは、思わず聞き返した。
「だから、私をあなたたちの旅に同行させるの。」
脳の聴覚野が意味を理解するのを拒絶していた。
「なぜ、同行する必要が?」
ナルヴィクの質問に、クロエはゆったりと、
「だって、あなたたち、こんな詐欺みたいなことをしながら、各地の生き物のところを廻ってるんでしょ? なら、珍しい生き物に会えるだろうから。そういうこと。」
「でも、過酷な旅…」
「ピーコちゃんに乗るから大丈夫よ。ねえ、ピーコちゃん。」
「コッ、ココ?」
このときばかりは、イズルだけでなくナルヴィクも、首を傾げるピーコちゃんの心中を察した。
人を襲うモンスターとして設計されたのに、妙な女に飼われた上、乗馬ならぬ乗鶏とは。
旅は、誰よりもピーコちゃんにとって過酷なものになるであろう。
「しかし、僕ら以外にも冒険者なんていくらでもいるわけで…」
イズルが言い終わらないうちに、クロエが、
「あなたたち、やっぱりそういう関係なのね。2人の時間を邪魔されたく無いのね。」
と言ったので、イズルとナルヴィクの間に非常に気まずい空気が流れた。
こうして、ソロモン王の医療の旅に、妙な魔女が参加することになってしまった。
2人はそのことについてどちらの責任でもないことを、その日、退界〈ログアウト〉後に、メッセージのやり取りで確認した。
そして次の依頼人のところへ向かう際、2人は、クロエに対して、せめて服装をどうにかするようにお願いしたのだが、それは聞き入れられなかったのだった。