目覚めの夜
目が覚めた。
もごもごと身体を動かして、枕もとの置時計に手をとる。畜光で光る短針は午前二時を指していた。
就寝したのは午前一時。まだ一時間も眠っていなかった。頭の上にはもやもやと眠気が漂っている。夢を見ていたような。それも、ひどく苦しい夢を。何度か重たい瞼を動かして目を開いたが、ぼんやりと闇が移るだけで、僕は眠気に抵抗するのはやめて、意識を手放した。
目が覚めた。
ぼんやりと意識がにごっている。先ほどから何時間くらい立ったのだろうか。部屋はまだ真っ暗なので夜だということはわかるのだが。置時計を見れば、時間は午前二時半。まだ、三十分しか立ってない。心なしか、畜光の明かりは弱まっている。寝苦しさなど欠片もない快適な部屋。外は静かで、眠りを妨害しそうな要因などない。ただ、目が覚めてしまっただけ。また、なにか夢を見ていたような気もするけれど、思い出そうにも思い出せない。
ああ、眠い。
僕は次こそ朝まで眠れるようにと枕の位置を変えて、すぐに意識を手放した。
目が覚めた。
僕はまたもごもごと身体を動かして、どうしたものかと思った。熱くも寒くもない部屋は快適な状態で、適度な眠気がちゃんとあるのに、どうにも目が覚めてしまう。眠れないのではなく、起きてしまうとはなんだか変な話だ。眠気は確かにまだ頭の中にあって、今すぐにでも眠れそうだ。もう一度眠ってしまいたいがでも、また途中で起こされるのはなんだか嫌だ。別に不快感などないけれど、これは新手の不眠症なのだろうか。不安になる。
僕は寝る前に眠れなくなってしまうような行いをしたのだろうか。就寝前の読書やパソコンが、睡眠の質を下げることは知っているが、僕の部屋にはパソコンはないし、そもそも僕の部屋には本がないから読書などしようがない。いつも通りの夜だった。寝る前になにか口にしただろうか?カフェインは安眠の妨害になるらしいが。たしかに僕はコーヒー牛乳が大好きだけど、あれにカフェインなど入っているのかは疑問である。コーヒー牛乳などと謳ってはいるが、甘い牛乳でしかないと思う。ちなみにコーヒーは全然駄目で、砂糖を入れて甘くしてもミルクで割っても飲むことはできない。まあ、そもそも今日はコーヒー牛乳を飲んでいないのだからカフェインの問題ではないのだろうけれど。
とりあえず、これ以上寝ているのは困難だった。もちろんまだ眠気はあるのだけど、また寝て三十分後に目が覚めてしまったらと考えると、不快以前になんだか気味が悪くなる。ならばいっそ起きてしまって、有意義に時間を使いたい。ダイニングに下りてコーヒー牛乳を温めて飲むのも悪くない。
僕は、身体を起こすと手探りで電気の紐を探した。今日は月の光も差し込まず部屋は目が慣れても真っ暗のままだった。こんな時間に起きたことなどないから、なんだか調子が狂う。ひょいひょいと無様に手を振って電気の紐を探した。いつもの感覚で紐を探し当ててカチカチと電気をつける。
デジャブ。僕はさっき見ていた夢が再生されていると感じた。僕は夢の中でも電気をつけようとしている。電気をつけようとカチカチと何度も電気の紐を引く。だけれどつかない。僕は焦っていた。スイッチで消したとしても、紐を引けば必ず電気はつくはずだ。僕は何度か電気の紐を引いたが結局明かりはつかなくて、なんだか急に怖くなった。焦って光があるところへ行こうとドアノブに手をかけたところで、目が覚めた。
そして、電気はつかない。
しかし、夢の中とは状況が全く違った。電気がつくときの独特の音が耳にちゃんと届いた。電気の球切れ。あっけない結末に僕はちょっと笑った。デジャブというか、正夢というか。夢の中の僕とは違って僕は落ち着いていた。暗闇は嫌いじゃない。焦って部屋を飛び出さなくても、ここには不安などない。僕は起こした身体をまたベッドに戻して、深呼吸した。そして、なんの気なしに顔をさわった。
「なんだ!」
僕は思わず声を上げた。ビックリして、飛び起きる。というよりも跳ね起きた。冷静に説明してる場合じゃない。僕は慌てて、電気の紐をまた探し当てた。電気の球は切れているとわかっていても、どうしてもつかないかと思ったのだ。またチカチカと音がするけれど、電気はつかなかった。僕はどうしても。どうしても自分の顔が見たくて、急いでドアの方へ向かった。なんとかドアを探し当て、ドアノブに手をかけた。そう正に夢の中の僕のように。だけどこれは夢じゃない。目が覚めたりはしない。時間の流れは止まらない。
「外に出たら駄目だ」
「えっ」
「今外に出たら、黒獏に食べられた身体は戻らなくなるよ」
僕は思わず、ドアノブから手を離した。謎の声は続ける。
「ヒカル君だね。僕が今から君の身体に起こっていることを説明するから、落ち着いて聞いて欲しい」
「だ、れ…?どこに、いるの?どうやって入ってきたの」
僕は恐ろしくなって、その場にしゃがみ込んだ。もしも、夢なら覚めて欲しい。あの時の夢みたいに。
僕はまた無意識に顔に触れた。否。触れようとした。でも、手は顔には触れられない。
「怖がらないで。全然状況は大丈夫じゃないけれど、ちゃんと今から説明するか「どうなってるの!僕。僕の、僕の顔がないよ!」
「落ち着いてよ。ヒカル君。君は今確かに顔がない。性格には頭がないんだけど」
「頭がない!ひっどうして。僕は、なんで。なに、え、どうして?」
「わかったから。とりあえずまだ脚はあるんだから、歩いてベッドまで戻ってよ。そこで突発的に外に出られたら、僕にはもうどうしようもない」
「少しは落ち着いた?」
謎の声はうざったそうな、心底めんどくさそうな声で僕に言った。
ギシっとベッドが鳴り、声の主が近くにいることを感じる。本当はまったく落ち着いてなんかいけれど、これ以上慌てていたらなんだか最悪な結果が待っているような気がして、素直に頷いた。
「よし。では話を始めるね」
謎の声の主が身体を動かしているのが、わかる。僕に触れるか触れないかぎりぎりの所で、なにかを確認しているようだ。こういう、空気というか感覚って、なんでわかるんだろうな。目を閉じていても見える、というか感じることって当たり前だけど、不思議だ。
「ああ、結構食われちゃってるね」
声の主はそういって僕の身体をさすった。途中途切れ途切れに触られているのはおそらく、想像もできないことだけれど、手を滑らせるようになぞっているのにもかかわらず、僕の、身体が、なくなっているということなのだろうか。自分自身でもなにをいってるのかわからない。でもなんとなくそう思う。
「僕の名前はって、まぁ自己紹介はいいか。きっと君は自分の目で僕を見ることはないだろうし、付き合いは恐らくこの夜の時間、つまり今から日の入りまでの時間だろうから」
声の主はまたギシっとベッドを鳴らし離れていったようだ。
「ねぇ。僕の身体はどうなっちゃってるの」
「簡単に言えば夢の中で食べられちゃったんだ」
「夢の中で、誰に?」
「黒獏っていう虫だね。人間のイメージでいうとまっくろくろすけ、みたいなものかな。見た目はもっとグロテスクだけど」
まっくろくろすけ。となりのトトロの?子どもの頃一回だけ見たことがある。あれが自分の身体を食べてしまったというのか。
「そう。君の身体は今虫に食べられて、がらんどうになっている」
「がらんどう」
言葉の意味はわからなかったけれど、とても恐ろしい状態を指す言葉だと感じる。
「だけど、安心して君の身体はこの部屋のなかにあるんだ。今は闇に溶けているだけで」
「闇のなかって、どんな状態で」
「えっと、君は今は頭がないからわからないだろうけど、この部屋は今明かりがついているんだ」
僕は感覚だけで明かりを感じようとした。もちろんわかるはずがないのだけど。でも頭がないからといって見るや聞く、話すといった感覚を失っているようには思えない。ただ暗いだけで見えていないだけ、目隠しをされているだけ、そんな感じで違和感などなく、痛みの感覚はない。
「君の頭は君の闇の中で溶け出している」
「じゃあ、それってもしかして、僕の身体は」
「そう。僕の見ている君は多分、君が寝る前に見ていた姿のままベッドにある」
僕は恐る恐る顔に触れようとした。だけど、どんなに顔があるところに手を持っていても、なにかに触ったという感覚はない。
「今君の身体は三つにわかれてしまっているんだ。今僕の見ている壊れていない入れ物と、主に頭を失ってしまった夢の中、君の意識の中での入れ物。そして、壊れていない君と壊れてしまった君を繋いでいる、精神だけ、つまり魂というか心だけになった君、今ついてこられてる?」
不思議と、頭は混乱していない。まあ、頭はないから、混乱しているのは頭以外のところか。まぁ、あまりにも現実離れしすぎていて、正直理解できないのだと思う。子どもが生まれたときに親は誰だ。自分は誰だ。この世界はなんだと悩まないのと同じで、なにも考えずに環境に適応していくしかなかった。
「僕は三つにわかれてしまったから変な奴に食べられたの?それとも食べられたから三つにわかれてしまったの?」
「ははは。変な質問だなー。そんなことが先に気になるの?今こそさっきみたいに慌てるところだと思うんだけど」
姿が見えないけれど声色からおどけているのがわかる。さっきから思っていたのだけど、声色的に僕と同じくらい、多分中学生くらいなんじゃないだろうか。
「いいから答えてよ」
「多分、君の身体がわかれてしまったから食べられたんだと思う。黒獏は見た目はグロテスクだけど悪い奴じゃないんだ。ゴミを食べているだけだもの」
「ゴミ?」
「黒獏はこの世界。つまり僕と君が共通して認識している世界の掃除屋だ。奴は世界にとって邪魔になるものを食べて空にかえす。正直、僕自身君がどんな状態でどんな意図があって食べられてしまったのか正確にはわかっていないんだけど、たぶん君がまだ夢の世界と繋がっていると気が付かず、ゴミだと認識して食べてしまったんじゃないかな。たぶんだけどね」
「なにが、なんだかわからないや。で、僕はこれからどうしたらいいわけ?」
「なんか急に落ち着いたね。頭変になっちゃったの?って頭ないからそんなことないか」
やっぱりおどけて、声の主は笑っている。
「君は僕を助けるためにきたんでしょ?だからさっき僕の行動を止めたんだ。あのまま外へ行ってたらどうなってたの?」
「まぁそうだね。君が助かるかどうかは君次第だけど、君が現実の世界に戻ってきて欲しいから僕はここにいる。もしもさっき君がこの部屋から出てしまっていたら、それは君が夢から目覚めたという記録になって、君の現実での身体はゴミになって黒獏に食べられてしまう。そうなってしまったら、もう二度と元の身体には戻れない。頭のない身体が君の現実になる。だからそのまま頭なしの状態で生きていくことになっていたと思う」
正直、さっぱりイメージなどできなかった。僕なりの解釈でまとめれば、僕の身体はなんらかの要因で、身体、夢の中での意識、現実と夢を行き来している意識の三つにわかれてしまった。そして、僕の身体は現実の中で意識を失った状態のまま存在している。その現実の世界の僕が夢を見ていて、それが今僕が意識している世界。つまり僕は今眠っている事になる。現実では。夢の中では起きているけれど。なんともややこしいや。そして、その眠っている僕が見ている夢の中の自分の身体は、黒漠という生き物?声だけの彼曰く世界のゴミを食べている虫になんらかの手違いで食べられてしまった。そして、たぶんこういう話の場合現実世界に戻るためには、失ってしまった身体の一部、主に頭を取り戻し、バラバラになってしまった身体を一つに戻すことで現実に戻るっていうのがセオリーだと思うんだけど。
「さっき君は僕の身体はこの部屋のというか僕の夢の中の闇に溶けているといったんだよね?」
「そうだよ。現実の君の身体は綺麗な状態のまま寝息を立てている。頭がないのは君の夢の中でだけだ」
「君は現実の世界にいるということだよね?夢の中にいる僕の状態がどうして君にはわかるの?」
「うーんと。説明が難しいのだけど、君の夢の中での姿は見えていない。声は心になってしまった身体に直接触っているから聞こえているけれど。でも、君みたいな状態になった人間を何度も見たことがあるから、想像はできる」
「君は現実にいる。僕の魂に直接話しかけているという認識で間違ってない?」
「簡単に言えばそんな感じかな」
僕はない頭を抱えた。考えろ。考えろ。考えろ。って自分に問いかけても、正直まだわからないことが多すぎて、どうしていいのかもわからない。僕は、これからどうなってしまうんだ。そう思って、声の主に解決方法を聞こうとした時。爆弾。いや、この場合は獏弾か。獏が弾けるなんて笑えない。彼がこういったのだ。
「というか、君の夢の中での入れ物を食べちゃったのは僕なんだよね。ごめん!」




