騎士宮の事情
「あっ!」
短い叫びと同時に、萌葱の手にあった剣が宙を舞った。
その次の瞬間には、彼の喉元に鋭い剣の切っ先が突きつけられている。
「くっ、参りました」
今日、何度目の言葉だろう。
目の前で涼しい顔で立っている、上官であり剣の師匠である朱夏を、萌葱は睨み付けた。
萌葱は既に息が上がっている。掌にはうっすらと汗をかいていた。
だというのに、燃えるような赤い髪をなびかせている騎士宮金位の女性は、汗一つかいていない。
「もう一度、お願いします!」
元気よく叫んだものの、足元がふらつく。
「まあ、休め」
口の端を微かに上げて笑う様子に、萌葱はカッとなって落ちた剣を手に取り朱夏に飛びかかった。
「阿呆」
その一言とともに、思いっきり後方に吹っ飛ばされた。
「何を焦ってる?」
ぐしゃぐしゃっと、砂混じりの萌葱の頭をかき混ぜて、朱夏は苦笑する。
最年少で騎士宮に入った少年は、両膝を抱え、ふうっと溜息をついた。
その横に、師匠は並んで腰を下ろす。
「お前には、まだ無限の時間がある」
「確かに、僕の時間はたっぷりあります。でも、僕は早く金位にならなきゃいけないんです」
萌葱は、ぎゅっと目の前で両拳を握りしめた。
「守りたい人がいるから」
「騎士宮の騎士は、王に仕えてるんだぞ?」
「貴方に言われると白々しく聞こえます」
萌葱は、呆れたように横の師匠を見上げる。
ここ三年で、少年の身長はぐんと伸びた。それでも、彼女の身長にはまだ届かない。
女性にも係わらず、朱夏の身長は、騎士宮内でも高い方だ。
「貴方は、何故、騎士宮にいるのですか?」
ずっと聞いてみたかった質問だった。
朱夏の剣技はずば抜けている。騎士宮では、そしてこの、時間外に特別につけてもらっている稽古でも、彼女は明らかに手を抜いている。
馬鹿にしているわけではない。手を抜かないと、対等に打ち合えないのだ。
それはきっと、彼女が純粋な人間ではないから。
彼女が、火の一族だから。
だから、ただの人間が彼女と対等にやり合うことが出来ない。
3年間の稽古で、埋まった実力と、それ以上にある二人の実力の差を思い知らされた。
彼女は、何のためにここにいるのだろう。
騎士宮を統率しているわけではない。
それは銀位の人間がやっている。
戦があるわけではない。彼女はただ金位にいて、望まれれば稽古をつける。
ただ、それだけだ。
「私を打ち負かすといった、弟子二人の面倒を見るためだ」
「え?」
「今度会わせてやろう、もう一人の弟子に。
そして、決めればいい。ここにこのまま残るか、否か」
ふっと笑って、朱夏は立ち上がった。
「あまり根を詰めるな。お前には、いずれ金位になれる実力がある」
「やあ、初めまして、かな?」
いつものように、時間外の朱夏の特訓を受けるべくやって来た萌葱を待っていたのは、見知らぬ青年だった。
さらさらの銀色の髪。明るい空色の瞳。
背後に、巨大な剣が浮かんでいる。
「何だ、それ?」
その、実体のない剣に目を奪われて、萌葱は思わす声を漏らした。
「あ、これ? 君には、何に見えるの?」
気にした風もなく、青年は萌葱に一歩近づいた。
すらっとした背。身長は、萌葱より頭半分ほど大きい。
「剣」
その短い単語に、青年はにっこりと、不敵ともとれる笑みを浮かべる。
「成る程。じゃあ、君は、ライバルって事だな」
そう言って、青年は腰の長剣を鞘から抜いて、正面に構えた。
それはそっくり、自分と同じ構え。つまりは、師匠である朱夏と同じ。
「あんたが、もう一人の弟子?」
「そーゆーこと。さ、剣を抜きなさい」
青年はにやりと笑う。
「君には負けられない。俺も、騎士宮の金位が欲しいんだ」
初めの数撃、剣を合わせただけで、自分と青年の実力の差を知る。
朱夏の剣は、スピードも、パワーも、何もかもが桁違いだと思っていた。
確かに、彼女は人間離れしている。
だが、目の前の青年は、人間だ。
それなのに、彼の剣にはつけいる隙がない。
パワーは朱夏より劣るが、スピードはその上を行っていた。
彼の剣は奇妙な軌跡を描く。変幻自在に、思いもよらないところから、萌葱を狙ってくる。
朱夏の剛の剣と対照的な、柔の剣技。
萌葱はそれを避け、受けるので精一杯だった。
「なかなかやる」
青年は、萌葱の真正面で晴れやかに笑う。
次の瞬間には、青年は萌葱の真横から、真っ直ぐに萌葱の剣の柄に鋭い一撃を放った。
その一撃を受け流そうと、萌葱は僅かに手首を落とし、体を反転させるが、青年の剣は曲線を描いて萌葱の剣を追い、柄の中央部の一点を刺す。
それと同時に、柄は綺麗にぱっかりと割れ、萌葱の手からこぼれ落ちた。
「え?」
「10年」
呆然と壊れた剣を見やる萌葱に、青年が言った。
「俺と君の間には、10年という時間がある。
その時間を、埋めさせる気はないよ」
萌葱は青年を見上げた。彼は、静かに穏やかに萌葱を見つめていた。
「あんた、一体誰だ?」
騎士宮の金位を目指していると言っていた。
でも、目の前の青年を、萌葱は見た覚えがない。
これだけの技を持っているなら、騎士宮銀位でいたっておかしくない。
だが、銀位ではない。そもそも、こんな男を知らない。
「あまりお戯れが過ぎますよ、陛下」
呆れたような物言いが背後でして、萌葱は反射的に振り返った。
そこに立っているのは、長い青銀の髪をうっとおしげに払っている、魔法宮金位の紫蘭と、彼の師匠、騎士宮金位の朱夏だった。
「陛下?」
「青流だ、まだ名前を名乗ってなかったな、萌葱」
「陛下? 杖持つ王? え? あんたが?」
青流と、背の大剣と、そして紫蘭、朱夏を交互に見やって、萌葱は戸惑いの声をあげる。
「杖はどこに?」
「あー、杖、ねえ?」
青流は、困ったように紫蘭に視線を送る。
「この人は杖を持っていない。その剣が杖の代わりだ」
淡々と紫蘭は告げる。
「は?」
「いや、だからね、この剣が、まあ、杖、かなあ?」
「王の証、という意味ではそうでしょう」
歯切れの悪い青流の言葉に、紫蘭が続ける。
「萌葱、こいつが私のもう一人の弟子。次代の金位を狙う不届きものだ」
「へ?」
突然割って入った朱夏の言葉に、萌葱は朱夏をまじまじと見つめ、それから青流に視線を戻した。
「あんたが国王で、朱夏の弟子で、金位を狙っているのか?」
「そうだな」
「なぜ?」
何故、国王が?
「それは多分、お前と同じ理由だ。
次代の王を守るため。だから、俺は引けない。引くつもりもない。
次の騎士宮金位には、俺がなる」
青流はさらりと宣言する。横で、紫蘭が呆れたように溜息をついた。
「俺だって!」
目の前の青年が、国王であるということも忘れたように、萌葱は叫んでいた。
「ああ、聞いてる。でも、だから、10年は埋めさせないと言った」
萌葱は、反射的に青流を睨み付けていた。
「師匠、俺には金位は無理だって言いたくて、わざわざこいつに合わせたんですか?」
「無理なんて思ってないよ」
萌葱の言葉に、朱夏は軽く笑う。
その言葉に、青流は苦笑する。
「ひっでーの」
「事実だ。私に先に一撃を与えられるのは、間違いなく青流だろう。
だが、いずれは萌葱、お前も私の上をいける。その力はある。
後15,6年もすれば、間違いなくお前は私も青流も越せるだろう」
「でも、それでは……」
「遅い、というのだろう?」
萌葱の言葉を奪ったのは紫蘭だった。珍しく、笑っている。
「次代の王が王位につくのは、遅くとも後3年。
君は、それまでに金位につきたいのだろう」
そうだ、と答えたくとも、萌葱には答えられなかった。
3年で、自分と朱夏どころか、青流との距離を埋められるはずもない。
「魔法宮に来なさい」
紫蘭が続ける。
「魔法宮に来れば、金位はすぐだ、とは言わない。
そんなに甘くはない。
だが、青流が騎士宮金位になる頃には、君も努力次第で銀位にはなれるだろう」
「俺はっ!」
「銀位になりたいわけではない、といいたい?
そんなこと知っている。
勘違いしていないか? 銀位はたいしたことないとでも?」
「――いいえ。すみません」
萌葱は素直に謝った。
「軽んじているつもりはありません。
騎士宮だろうが、魔法宮だろうが、銀位どころか、白位でさえ難しいことは承知しています」
「私が君を魔法宮に誘うのは、君の才能が惜しまれるからだ。
君には才能があり、それを開花させようとする強い意志がある。
そして、国王を守るのは、決して騎士宮だけでは無理だと知っているからでもある」
その言葉に、はっとしたように萌葱は紫蘭を見、それから朱夏に視線を移した。
「お前には力がある。やがては騎士宮で金位になれるだろう。
それだけが目的なら、私はこいつをお前に会わせなかった。
お前の望みが、騎士宮金位ではないから、こいつらを呼んだ」
いずれは、騎士宮金位になれる。
でもそれは、次代の王を守るには遅い。騎士宮金位となって、一番大事な次期、王を守るのは、おそらくここにいる青流なのだ。
だったら。
魔法宮の金位を目指すのもいいだろう、と、朱夏はその選択肢も示したのだ。
「ともに同じ目的を持つ者同士、競い合うのも良いが、ともに手を取り合うのも良いだろう?」
青流は晴れやかに笑った。
萌葱は小さく息を吐き、目を閉じた。ゆっくりと目を開いて、真っ直ぐに師匠の瞳を見つめる。
「僕が魔法宮に言っても、また稽古をつけてもらえますか?」
その言葉に、3人は呆れたように目を見張る。
「当たり前だ、お前は私の弟子だからな」
数日後、萌葱は騎士宮を辞め、魔法宮へと移った。
騎士宮からの特例の異動。しかも、当初から彼は金位、銀位に次ぐ白位として迎えられた。
非難の声をものともせずに、彼は三年間のブランクを埋めるべく必死で勉強し、批判の声を封じ込めた。
彼が魔法宮銀位となったのは、史上最短の三年後のことだった。




