少女の事情
「世界は、滅びを迎えようとしている」
嘆く様に、憂う様に、少女は呟く。
世界の西で、激しい嵐に襲われる。
東は渇水で、水不足に悩まされている。
北で大地震が起こり、南でハリケーンが吹き荒れる。
世界は不安定に揺れ動き、ゆっくりと病んでいく。
彼女の故郷は、世界樹に守られた、豊かな森だった。
美しい緑を誇っていた森は、今やゆっくりと枯れていこうとしている。
世界樹に、何かあったのだ。
世界を守り、安定を図る世界樹。
それ以外に、彼女の森が枯れる理由はない。
彼女は白銀の瞳を縁取る美しい銀色の睫を伏せて、小さくため息をつく。
銀の髪、白銀の瞳。
彼女は、精霊の森に住む、既に滅んだとされている純血の精霊族。
精霊の森は、清浄な空気に包まれていた。
森の外の外気は、純粋な精霊族には毒だった。
それでも彼女が外に出たのは、森への浸食が進んでいるからだった。森の緑が、徐々に、だが確実に蝕まれている。
このままにしておくことは出来なかった。
放っておけば、精霊族は完全に滅亡するだろう。世界の終わりを待たずに。
だから、彼女は旅立った。
けれどもいくら探しても、彼女の求めるものは見つからない。
体は、徐々に毒に冒されていく。
森の中で、少女は疲れた様に大木に寄りかかっていた。
森の奥深く。
ここまでやってくる物好きな人間はいない。
なぜならここは迷いの森。
うかつに入ったら、出られない場所だったから。
「貴方、具合が悪いの?」
だから、声をかけられるとは思ってもみなかった。
彼女に声をかけたのは、まだ幼い少女だった。外見だけなら、彼女と同じ年頃。
その少女は、眩しい金色の光に包まれていた。
「お前、何を持っている?」
「? 何って?」
少女は何も持っていない自分の両手を見やってから、木にもたれかかった銀色の少女を困ったように見つめた。
銀の少女も、声をかけてきた少女を見つめ返す。
豊かに波打つ黒い髪に、新緑を思わせる緑の瞳。
年の頃は12、3歳前後。
やせっぽっちで貧相な顔をしている、っと瞬時に眼前の少女を値踏みして、先程の眩しく懐かしい光は錯覚かと、銀の少女は目を瞑って小さく息を吐いた。
疲れた。
本当に疲れて、このままどうなっても良いと思っていた。
滅多に出ることのない故郷の森を出てまで、ずっと探しているのに。
森を、世界を救う光が見つからない。
何年も何年も、彼女は探し続けていた。
少女は、ゆっくりと重い瞼を落とした。
銀色の少女が目を開くと、そこにさっきまでいたはずの黒髪の少女の姿が消えていた。
深く、静かに息を吸い込む。
清々しい空気が肺に入ってくる。
ここの空気は、故郷の森と同じく清浄だ。体が安らぐ。
「え?」
再び眠りに落ちようとしていた彼女は、はっとしたように起きあがると、辺りを見渡した。
どうして、だろう。
何故、ここの空気はこんなにまで澄んでいて、心地よいのか。
どうして、ここの木々はまだ青々としているのか。
そして、何故、自分はここに来たのか。
彼女は立ち上がって、ゆっくりと辺りを見渡した。
若々しい木々がそそり立つ。それは、故郷の木にも負けるとも劣らない、力強い生命力を持っている。
体が、軽い。
毒に冒されたはずの自分の体が、嘘のように楽に動かせた。
少女は一歩、前へと足を踏み出す。
惹かれるように、その足は森の奥にある湖へと向かっていた。
森の奥にある湖は、煌めく宝石のように輝いていた。
そこに黒い髪の少女が立ち、その周りをたくさんの動物が囲んでいた。彼女の肩には、たくさんの鳥が留まり、留まりきれない鳥たちが、上空をくるくると、回っている。
中には、決して人には慣れないと言われる動物もいる。
彼女がゆっくりと静かに近づくと、その気配を察して一瞬動物たちに緊張が走るが、彼女を認め、再び何事もなかったかのように少女に戯れる。
「ぁ、気がついた?」
振り向いた、大きな緑の瞳が目に入った。
なんて綺麗な瞳なんだろう、と、彼女は魅入られたようにその瞳の奥の奥までも覗き込む。
新緑の瞳。
優しく懐かしいその色は、彼女に故郷の森を思い出させる。
「大丈夫?」
心配そうに、黒髪の少女が問いかけてくる。
少女の足元にいた鹿は、足に怪我をしているようだった。甘えるように頭をこすりつけると、少女は優しくその頭をなで、ゆっくりと怪我をした足に手をかざす。
暖かい金の光が、その手から発せられる。
それは、優しく懐かしい光。全てを包み込み慈しむ光。
やっとの事で、銀の少女は気付く。
何故、自分がここに来たのか。
ここが、何故こんなにも心安らぐ場所なのか。
少女を包み込む、暖かい光。
まぶしいその光に一瞬目を瞬かせ、彼女は、その光の元を確認するようにじっと少女を見つめた。
先ほどは気づかなかった。
金色の光。その中心にある、小さな小さな苗に。
それは、銀の少女が探していたものだった。
「……世界樹」
彼女は、呆然としたように呟いた。
それは、世界樹の苗。世界を守る、ただ一つの希望。
「ねえ、本当に、大丈夫? 顔色が悪いよ?」
「私は、大丈夫です」
再度の問いかけに、彼女は優しく微笑む。
故郷の森を出て、初めて、自然に笑顔が浮かんだ。
「私の名は、銀麗。精霊族の長です」
きょとんと自分を見つめる少女に、銀麗は苦笑する。
「貴方を、ずっと捜していました」
世界を滅びから救える唯一の存在、新しい世界樹。
それを持つ、世界の新しい主。
彼女こそが新しい王、彼女の探していた癒しの光だった。




