少年の事情
「俺、王宮に行く事にした」
村の中心にある、古い古い大木の下にたたずむ少女に向かって、少年は、親にもまだ告げていない決意を、真剣な面持ちで告げた。
「王宮?」
目を瞑ったまま、大木を見上げるようにしていた少女は、ゆっくりと少年を振り返る。
「うん、しばらく会えなくなるけど」
それだけが、少年には本当に気がかりだった。
この小さな村で、天涯孤独の少女の味方が、自分しかいない事を少年はよく知っていたから。
「………淋しくなるね。でも、頑張って」
それでも、少女はにっこりと微笑む。
心配性の少年を、安心させるために。
「ああ」
王宮に行って、金位になって、きっと、強くなるから。
強くなって、守ってみせる。
――誰からも、どんな事からも。
少年は、王宮を目指して旅立った。
「俺は、金位になりたいんです!」
真摯な瞳で、少年は言った。
「それは頼もしい、頑張りなさい」
青みがかった銀色の髪、紫紺の瞳の女性は、柔らかく笑って答えた。
「なら奪い取ればいい。いつでも受けて立とう」
淡々とそう答えたのは、炎の髪に、深紅の瞳の女性だった。
少年は、騎士宮を選んだ。
「おかしい。間違ってる。何でこの女の所なんかに」
ぶつぶつと恨みをこめて呟いたのは、いつもクールで冷静なはずの魔法宮金位、紫蘭だった。
「彼の自由意志だ」
騎士宮金位の朱夏は、カップにたっぷり入った酒を一気にあおると、あっさりと返す。
「そうですよねえ、彼なら司政宮でも十分に通用すると思うんですけど、残念だなあ」
さして残念でもなさそうに、司政宮銀位の輝理が口を挟む。
各三宮のトップ会談の会話である。(ただし輝理は金位の代理出席だ)
話題になっているのは、今年の入宮試験で騎士宮、魔法宮の2宮に合格した少年についてであった。
どちらに入るのか、少年の意思を確認したところ、せっかくトップ合格を果たした魔法宮を蹴って、騎士宮を選んでしまったのである。
紫蘭が拗ねるのも無理はない。
少年は、過去最高点を記録したと聞いている。
がばがばと酒をあおる3人を前に、ただ一人ちびちびと酒を口にしていた国王青流がため息をつく。
ものすごい勢いで減っていく酒樽に、微かに目眩を覚えた。
「間違ってるでしょう! 青流様! 何で、よりによって、この女なんて!」
うっ、と、感極まった様に、紫蘭は涙を浮かべる。
はっきりきっぱり、この女性の酒癖は悪い。
朱夏と輝理は、いくら飲んでも顔色を変えない、脅威のザルだ。
ちなみに青流は、人並みにしか酒は飲めない。
彼らに付き合って飲んでいたら、青流なんてすぐに灰人と化してしまう。
酒癖の悪い紫蘭も、他の二人と同じペースで飲めるのだから、やはりザルなんである。
「何かちょっと論点ずれてるよ、紫蘭」
「ずれてなんかいませーんっ!!
何でこの女なんだー! うううっ。魔法宮は毎年人手不足だというのにーっ!!」
それは、紫蘭が厳しいから。
使えない人材は、切り捨てちゃうから。
その代わり、魔法宮は過去最高の少数精鋭部隊、エリート宮だけど。
対して騎士宮は、特に変化はない。
トップがこんなんだから、代わりに銀位の騎士達が頑張って、騎士宮のレベルを維持しているのだ。
「で、その期待の少年は?」
輝理に問いかける。理性が完全にぶちぎれた状態の紫蘭や、そもそも人事に全く興味のない朱夏に聞いたって、実のある話が聞けるはずもない。
「昨年夏に、洪水で被害を出した小さな村の出身で、なかなかの逸材ですよ。
本人は、騎士宮か魔法宮を希望という事だったので、試験を受けさせましたが、合格最年少記録更新です。12歳といってましたが、まだ11歳だったみたいですしね。
しかも、魔法宮はトップ合格で」
「11歳!?」
声をあげたのは紫蘭だった。知らなかったらしい。朱夏は面白そうに笑っている。
朱夏が笑うのも珍しい。酒のせいだろうか。
青流にも、それは初耳だった。
「受験資格は、12歳からだったよな?」
それでも、かつて12歳で合格した人間はいないと聞いている。
国中の者達が、一度は王宮を目指す。
それは、この国が豊かで、安定しているからでもある。世界樹の存在が、王の存在が、国中に認められている事の証だ。
だから、若くして各宮に入ることは難しい。
「まあ、良いんじゃないか? 面白いから」
「うわあああああ! もったいない、ホント、もったいない! 何でうちに来ないんだー!?」
いや、注目するところはそこではなくて、受験資格のない者を受けさせて良かったのかとか、入れちゃっても問題ないのかって事ではないのか?
「ま、私しか知らないことですしね。昨年の水害で、資料も紛失、役場も混乱。立証するのは困難かと」
それを何でお前が知っているんだ、と思うのはいつもの事だから、青流は知らんふりをきめこむ。
「そこで、何でお前が知ってる?って突っ込み無いんですかー?」
輝理が、不満そうに頬をふくらませる。
酔っているのかも知れない。もちろん青流は、輝理を無視する。
「金位になりたいんだと」
朱夏が面白そうに言う。その言葉に、青流は反応する。
「ええ? それは俺がもらうんだよ!?」
いつか、朱夏を倒して堂々と金位を奪い取り、そして新しい王を迎えるのだ。
それが、青流の望み。
「知らん。11歳も下の奴に負けたくなければ、腕を磨け」
「ううう、優秀な人材よこせーっ!!」
紫蘭の叫びが響く。
国の中枢を担うはずの金位によるトップ会談、その実態はただの酔っぱらいの集いであった。
「俺、騎士宮に行く事になったから」
「おめでとう!」
少年の言葉に、少女は晴れやかに笑って祝いの言葉を贈る。
少女に、少年の才能の有無は分からない。でも、彼の努力を、彼女はよく知っている。
朝も昼も晩も、それこそ寝る間も惜しんで勉強に励んでいた事を知っている。
だから、淋しくても、悲しくても、素直に少年の成功を祝う事ができた。
「必ず、迎えに来るよ」
少年の言葉に、少女は驚いた様に目を大きく見開いて、微かに首を振る。
「迎えに来るよ。そのために、俺は騎士になるんだから」
「萌葱……」
少年の名前を口にして、少女はその先を続けられずに、黙り込む。
萌葱は真剣な眼差しで、少女を見つめた。
彼は、少女に嘘をついた事はない。約束を違えた事など一度もない。
笑って少年を送り出すつもりだったのに、それはもう難しい。
目が熱い。
何か口に出してしまえば、一緒に涙もこぼれ落ちてしまいそうだった。
「ずっと、どんな事があっても、守るから」
その言葉に、少女は耐えられずに涙を流す。
一人で頑張ろうと思っていたのに、泣かないと決めていたのに、少女の決意はあっさりと破られる。
「だからごめん。しばらく待ってて」
泣きながら頷く少女に、少年は決意を新たにする。
彼は、知っていた。
少女が、まだ小さい、でも確かな「証」を持っている事を。
それが、「杖」であることを。
それは、王の証。――彼女は王なのだ。
だから少年は、金位を目指す。
王を守るために。
いや、大切な少女を守るために。




