ある師匠の事情
「師匠! 俺、明日から来られなくなりました」
青流が必死の面持ちでそう言うと、彼の剣の師匠、朱夏は気のない風に「ふうん」とだけ答えた。
それから、青流の存在を忘れたかのように、再び一心に剣を振り続ける。
真っ赤な髪に真っ赤な瞳。
髪と瞳に、炎の色を持つのは、「火」の一族。
彼の師匠は、今では数少ない「火」の一族の末裔だ。
かつて世界には、人族の他に、「天」「地」「火」「水」「風」「精霊」の一族が住んでいた。
金の髪、黄金の瞳、天界に住むと言われる翼持つ「天」の一族。
黒い髪、黒曜の瞳、地底に住むと言われる「地」の一族。
赤い髪、紅い瞳の「火」の一族。
青い髪、蒼い瞳の「水」の一族。
緑の髪、翠の瞳の「風」の一族。
銀の髪、白銀の瞳の、「精霊」族。
だが、世界を守る世界樹の勢いが衰えるにつれ、世界から人族以外の一族の姿が見えなくなった。今ではもう、純粋な血族は絶えていると言われているほどだ。
今街で見かけるのは、わずかに「火」の一族と「水」の一族くらいである。
それも、混血が多い。朱夏も混血だと言っていたが、混血で髪も瞳も一族の色を持つというのは珍しかった。
通常、別の血が混じると、人族のように髪と瞳の色の違う、多彩な色に産まれてくるのだ。
炎の髪に炎の瞳を持つ火の一族は、言葉を操るごとく自由に火の魔法が使える一族で、朱夏のように剣術に優れている者が多い。
戦闘向きなのである。
朱夏はその一族の血を、非常に濃く受け継いでいる。
青流が知る限り、この辺りの剣術の師匠で朱夏より強い人間はいない。
噂では、魔の森に住む伝説の龍を倒したとか、炎の谷に住む不死の魔物を倒したとか(不死なのに倒せるのかは疑問だが)、地の国に住む一つ目巨人を倒したとか、それこそ嘘のような武勇談が沢山ある。
ただ、朱夏が「火」の族であり、女性であり、何よりよくわからない性格が災い(これが一番問題だと青流は思っている)して、彼女の弟子は、現在青流ただ一人なのである。
「師匠!?」
悲鳴のような声を上げて、青流は、既に彼に興味を失ったかのように剣を振る師匠の側に駆け寄る。
「何だ? ああ、今日は稽古するのか?」
「そうじゃなくてっ! あ、いえ、今日は稽古つけていただきたいですけど。
じゃなくて。
俺が何で明日から来られないか、って聞いてくださいよ~っ!」
師匠の性格上、引き留められるとかは期待していなかったが、まさかここまであっさりとは思っていなかった。
「……なんで?」
「あ、あの、えっと……」
剣を振るのをやめて、朱夏はまっすぐに青流を見つめる。
勢いに乗ってやってきたは良いが、どうも朱夏のテンポに勢いをそがれてしまった。
何とも今更説明しづらい。
朱夏は黙って青流を見つめている。
「その、俺、王様になっちゃったんです」
「お前が背にしょっているのは、剣に見えるが?」
少し間をおいて呟かれたセリフに、青流は唖然と目を丸くする。
「えっ!? 見えてたんですか?」
青流には、自分以外には見えない幻のように実体のない剣が取り憑いている。
そう、まさに取り憑いているといった感じだった。
それは前国王の崩御した日に現れ、それ以後青流の側を離れないでいたのだ。
それはもう、2週間以上前の話で。
その間毎日のように稽古をつけていた彼女は、青流を見ても全く表情を変えたことはない。
だから、他の人達と同じで、師匠も見えていないのだと思っていた。
「そう言えば、王が死んだ日からだったか? それ」
「そうですよ! 何で言ってくれなかったんですか?」
「? 何か言う必要あるか?」
不思議そうに問われて、青流は言葉に詰まる。
確かに、自分だって、害がないとわかってからは放っておいた。
しかしこの師匠は、初めて目にした時だって、驚いてもいなかった。
「全然驚いてなかったですよね?」
「? 驚いたぞ? でかい剣だよな。使い勝手が悪そうだが」
「いや、そこ、ちがうでしょう」
相変わらずピントのずれた師匠である。
「で、それ剣だろう? 何でお前が王なんだ?」
王は「杖持つ者」と決まっている。
それが、世界の理。
だからそれ、は当然の質問で。
「えっと? それはそうなんですけどね、まあ、臨時の王様って言うか?」
「そうか。ま、がんばれ?」
それだけ言うと、三度朱夏は剣を振るう。
剣を持つ青流が王になる事を、深く疑問には思わないらしい。
というか、興味ないのか?
「だあっ!
だから師匠! それないっすよ!? 冷たいっすよ!
何かないですか? もちょっと、こう?」
「稽古しないのか?」
「……します。してください」
諦めたように、青流は答えた。
「俺が弟子やめちゃったら、師匠は生活できるんですか?」
「別に、内職あるし」
青流の剣を軽く流しながら、朱夏は淡々と言う。
「えええっ? だって師匠の内職って、今時はやらない造花づくりと犬の散歩とダイレクトメールの封筒詰めでしょう!?」
それでは食えない。間違いなく食っていけない。
といって、今だって青流の稽古料もたいした金額ではなかったけれど。
もったいない。それは絶対もったいない。
師匠の腕だったら、それこそ騎士宮でだって十分通じるはず………。
「そうだ! 師匠、王宮に行きましょう! 騎士宮にはいりませんか?
それで、俺にまた稽古付けて下さい!」
「はあ?」
「給料出します! 出してもらいます! 三食昼寝付きです!」
「まあ。いいよ」
実にあっさりと師匠は答える。
「おっしゃあ!」
こうして、王様の師匠は騎士宮に就職し、その当日に騎士宮に所属する全ての騎士を倒し、問答無用で王様付きの最高の近衛である、金位の騎士となったのである。




