世界樹の事情・中編
柔らかい金の光が、二人を優しく包み込む。
それは暖かくて、懐かしくて、涙が出そうになるくらい愛おしい光。
触れあった手が、ほのかに温かい。
自分を見つめる空色の瞳が、優しくて。
背負っている大きな杖よりも何よりも、その瞳こそが、彼を信じた一番の理由。
「萌葱!」
王宮の門前で、雪白は見知った顔を見つけて、ほっと安堵の表情を浮かべた。
王宮は、今まで見たどんな建物より大きく、彼女を圧倒した。ここまで彼女を乗せてきた馬車も、街中を走る他の辻馬車と違って豪華な造りで、彼女の居心地の悪さを増長しただけだった。
雪白は心細くて不安で、どうしようもなかった。
馬車の向かいに座る青流は、彼女を「王」などと言うし。
彼の背に見える「杖」。
雪白の眼には、それは間違いようもなく、大きく立派一本の杖に見えた。
つまり、彼は正真正銘、王のはずなのだ。
それにも関わらず、彼は彼女を「王」などと言う。
全く訳が分からない。
それでも、彼は萌葱をよく知っているようだったし、噂に聞く国王の姿と同じでもあるし、一緒に付いてきたわけではあるが、やはり不安はぬぐえなかった。
青流は、すっと横を駆け抜けた彼女を、残念そうに、淋しそうに見つめる。
「雪白。ごめんな、迎えに行けなくて」
萌葱は、笑顔で雪白を抱き留める。
「ううん、でも……」
「お疲れのところ、誠に申し訳ありません」
萌葱の横に立って、青流と雪白の二人を出迎えた金髪巻き毛の青年が、にこやかに笑って声をかけた。
「初めまして、雪白さん。
私は司政宮銀位を務めております、輝理と申します。どうぞお見知りおきください」
そういって、彼は雪白の前で跪いて礼をとる。
「あ、あのっ。こちらこそ初めまして。
ど、どうか立ってください」
慌てて彼女も跪き、輝理の肩に手を触れて彼を立たせる。
司政宮銀位だという高官に、跪かれるなどという思わぬ事態に、冷や汗が出る思いだった。
立ち上がった輝理は、雪白に優しく微笑みかける。
「雪白さん、一緒に来ていただけますでしょうか?」
「え?」
雪白は輝理を見やってから、戸惑ったように萌葱に視線を送った。
長いこと会っていなかった幼馴染みの顔は、彼女の顔より頭1つ高い位置にあって、見上げなければ見ることが出来ない。
ずっと男らしくなった顔に、微かに苦笑が浮かんでいた。
「みんなずっと、雪白を待っていたんだよ?」
萌葱はそう言うと、彼女の手を取って王宮の中へと歩き出す。戸惑いながらも、彼女は萌葱の横を歩き、その後を青流、輝理の二人が続く。
心配そうにちらちらと視線を向ける雪白に、萌葱は安心させるようににっこりと笑いかけた。
「これ、何? どうして……」
萌葱に案内されて、大きな古めかしい扉を開けて部屋の中に入った雪白は、呆然としたように部屋の中央を見つめて呟いた。
それから、はっとしたように背後を振り返る。
振り返った先には、萌葱と青流、それから輝理の3人が戸口に立っている。
真っ白い部屋の中央に、世界樹がそびえている。
何十人集めても囲みきれないほどに太い幹。高い天井を貫いて、空までも伸びる枝。
その樹の周りを、真っ白い光が優しく包んでいた。
それが世界樹だと、初めて見る雪白にも分かった。この樹が世界を、自分を、今まで見守ってくれていたのだと、素直に実感できる。
彼女が連れてこられたのは、「世界樹の間」だった。
部屋の中央には、雄大な世界樹の樹が祀られている。
しかし本来天高く、そして遙か彼方まで伸ばされるはずの枝は、全て途中で折れて勢いを失っていた。幹には中央から亀裂が入り、中は空虚な空間が広がっている。
世界樹は、枯れているのだ。
「世界樹、じゃないの?」
「世界樹ですよ。間違いなく」
青流が、雪白を通り越して世界樹を見やりながら答えた。
「だって、枯れて……」
「そうです、この樹はすでに役目を終え、静かに終わりを待っているのです」
淡々と、無表情に輝理が答える。
「終わり?」
「世界の終焉を」
「やはり、お前らは世界を滅ぼす気なんだな?」
突如、怒りに震えた少女の声が響き渡り、世界樹の前に一人の少女が姿を現した。
銀髪、白銀の瞳の少女。
「銀麗?」
再び世界樹の方を振り返って、見知った姿を認めた雪白は、驚いたように呟く。
彼女の目の前に現れたのは、故郷の森で出会った銀の少女だった。
銀麗は、雪白にちらりと視線をやってから、真っ直ぐに青流を、その横に立つ輝理達を睨み付ける。
「ああ、やっと役者がそろいましたね」
呆然と銀麗を見つめる雪白の背に、のんびりとした輝理の声が響いた。
「お待ちしていましたよ、精霊族の長殿。
これでやっと、再生の儀が行える」
「再生の儀、だと?」
「そうです、世界樹の再生の儀」
輝理を睨み付ける銀麗と、にこやかに笑って答える輝理。
二人は、まるで彼らの他には誰もいないかのように会話を続ける。
雪白は仕方なく萌葱に視線を送り、それから青流に視線をやった。
萌葱も、やはり驚いたように輝理と銀麗を見つめていたが、青流は雪白ににっこりと微笑みかけ、――そして、輝理を蹴りつけた。
その行為に、雪白はさらに目を丸くする。
「おい、輝理。俺たちにも分かるように説明しろ」
「乱暴ですねえ」
背中をさすりながら、輝理は青流を恨めしげに見やった。
「いい加減にしないと、そのお嬢さんに王をかっさらわれるぞ?」
「それは困りますねえ。
では、説明させていただきましょうか?」
輝理はゆっくりと周りを見渡し、もったいぶったように大業に礼をとる。
それからおもむろに、演説を始めた。
「ごらんの通り、世界樹は枯れております。
これは、もうここ数年の話ではない。長殿もご存じの通り、この国の歴代の王が少しずつ枯らしていった結果です」
「え?」
歴代の王が枯らした、と言う台詞に、雪白は驚いたように輝理を見やった。
「そうです、歴代の「賢王」と呼ばれた王たちが、自国の繁栄と引き替えに世界樹を浸食していった。
「杖持つ王」は、本来世界樹を守る王。国の繁栄ではなく、世界の安寧を求めねばならない存在。
国の繁栄と世界の安寧とは、必ずしも一致する物ではない。その歪みこそが、世界樹の滅びを招いた。
そして、己の寿命を悟った世界樹が、最期に選んだのがここにいる青流、――剣持つ王なのです」
雪白に視線を合わせて、輝理は厳かな口調で語りかける。
「その男が、剣持つ王だと?」
訝しげに銀麗が青流を見つめ、雪白はただ青流の背にある、彼女の目に映る「杖」を見つめていた。
「そうです、終焉を告げる、剣持つ王。
そして雪白さん、貴女は世界樹の王。――始まりの王なのです」
「私が、王?」
何度か言われたその言葉に、それでもまだ良く理解できないというように、雪白は輝理を見つめた。
「そう。再生の儀とは、この世界樹を眠りにつけ、新たな世界樹を迎えること。
それには、青流と貴女、そして、精霊族の手助けが要るのです」
銀麗は、輝理の真意を測るように、ただ黙って彼を睨み据える。
「でも、私が王だなんて? だってこれは、杖じゃない」
「いいえ、杖です。そして新たな世界樹の苗でもある。そうですね、長殿?」
「銀麗?」
雪白の不安げな視線に、銀麗は安心させるように優しく微笑む。
「雪白。貴女は間違いなく王だ。
今この瞬間、誰よりも世界に求められている、世界樹の王だ」
「だって、これは、どう見たって苗で……」
彼女の胸にあるのは、まだ小さい苗。杖ではないし、これほど小さければ、杖にすることも出来ない。
「そう。世界樹の苗。新たな世界の命。そしてお前の『杖』だ」
「これが、『杖』?」
信じられないという様に呟く雪白に、少女は重々しく頷く。
「信じない? お前だって分かっているはず。それは力を持っている」
その苗は、故郷の森に住む動物たちの傷を癒し、森の空気を清浄に保っていた。
「それは、でも………」
「それが苗で、『杖』の形をしていないから、信じられないのか?
だがそれを言うなら、あいつが持っているのも「杖」ではない。あれは『剣』だ」
銀麗が指し示す先には、青流がいて、彼の背後には立派な杖が浮かんでいる。
それは、紛れもなく「杖」だった。
彼女の瞳に映るのは、「剣」ではなく「杖」。
「あれが、剣? 私には杖に見えるけれど?」
雪白の言葉に、その場にいた者は皆、驚きを見せる。
「これが、杖に見える?」
問いを発したのは青流で、彼があまりに真剣に雪白を見つめるので、彼女は思わず視線を萌葱の方へ逸らした。萌葱が先を促すように小さく頷くと、彼女は再び青流に視線を戻す。
「……杖に、見えるわ。はじめっから、ずっとそれは杖だったわ。
だから、貴方が王様だと思ったから、私はついてきたんですもの」
一番の理由は、彼の優しい瞳を見たからだったけれど。
萌葱の知り合いで、どうしてだかよく分からないけれど王様で、だから、知らない人で、分けの分からないことを言う人だったけれど、雪白は青流についてきたのだ。
「そんなに立派な杖を持つ王様なんて、今まで聞いたこともない」
真っ直ぐに雪白は青流を見つめて、はっきりと宣言する。
彼女の瞳には、青流に対する尊敬と憧れの想いが溢れていて、青流は驚いたように目を見開き、彼女を見つめ返していた。
「良かったですね、青流。貴方はちゃんと、王様をやっていたんですよ。他でもない彼女が、貴方を王と認めてくれたんです」
ひどく優しい声で輝理が青流に声をかけ、青流の頭をぐしゃっと乱暴になで回した。
青流は微かに俯いたまま、照れたように小さく笑っている。
「どういうこと?」
「雪白にどう見えようと、それは剣だよ。杖じゃない。この世界を救うのは、世界樹の苗を持つ君だけなんだ」
雪白の疑問に答えたのは、ずっと黙っていた萌葱だった。彼の瞳は真っ直ぐに雪白を向いていて、彼女が間違いなく王様なのだと告げている。
俯いていた青流が、ゆっくりと顔を上げ、やはり真剣な瞳で雪白を見つめる。
「俺はね、臨時の王様。君を迎えるまでの、繋ぎの王なんだ」