王様の事情・前編
この世界は世界樹に守られている。
大地に根を張り、地に恵みをもたらす大樹。
この国の王様は、「杖」を持っている。
世界樹を守り育てる杖を。
「何だこれ?」
ある日目覚めると、目の前に巨大な剣が浮かんでいた。
そう、それはあまりに巨大な剣だった。初めて目にした時、視界に全体が入りきらないほどの大きさだったので、彼にはそれが何だか分からなかったくらいだ。
「剣?」
それは立派な剣だった。豪華すぎず、かといって質素すぎない、簡素な装飾の美しい剣。
ただ、巨大すぎるので、実用的ではない。
というか、浮いている。
剣が、である。
「何だこれ?」
彼はもう一度呟いていた。
よく見ると、その剣は透けている。剣を通して彼の真正面にある部屋の扉が見えるのだ。
剣の幽霊みたいなものだろうか? そんなものがあればの話だが。
「いったい何なんだよ、これ」
その日、この国の王は崩御した。
「おめでとう、あなたが次の王様です!」
くるくる巻き毛の金髪が派手な、そして装いもこれまた人一倍派手な男が彼の目の前に立っていた。
剣術の稽古を終えての、帰路の途中であった。
銀色の洋服に、真っ赤な刺繍が施された、派手な服装。小さな鼻眼鏡がうさんくさい。
そして、パフォーマンスもいちいち大きくわざとらしい。
幸いにも、彼の他に辺りに人はいなかった。
彼は思いっきり男を無視して、その横を通り過ぎようとした。
「王様、貴方の忠実な僕を無視しないでください!」
男はそう言うと、彼の後ろに浮かんでいる巨大な剣の幻を掴む。
幻なのに、彼自身はそれに触れられないのに、その男は、確かに実態のないそれを掴んでいた。
そして、引力に引っ張られるかのように、彼はその場に釘付けにされてしまう。
「な、なんだ?」
仕方なく、彼は男を振り仰ぐ。
彼はまだ成長期まっただ中の少年で、どう見たって少年期を通り越した男の身長に敵うはずもなく、振り返った姿勢で、さらに上を仰いでみせなければ男の顔を見られない。
「嫌だな、王様、逃げちゃいけません」
「何であんたはそれを掴めるんだ?」
その剣が現れてから、剣は常に少年とともにあり、離れようとしても離れられず、触ろうとしても幻を突き抜けるだけだったのに。
だが、特に彼に害をなすわけでもなく、何故か他の人間には見えていないようだったから、彼は放っておく事にしたのだ。
「それは私が貴方の忠実な僕だから、――というわけではなくて」
男をまじまじと見つめる。掴めるんなら、これから離れる事も可能かも知れないと期待して。
「私だから掴めるんですね」
剣を持って、さらになでて見せながら、男はにっこりと笑う。
「わけわからん」
幻のはずの剣を掴まれてるせいか、彼はその場から動く事ができない。
「分からなくても結構。
とにかく王様、ささ、王宮に参りましょう」
「何言ってんだあんた、とにかく放せ、動けないじゃないか!」
「王宮に来ていただけますか?」
少年をのぞき込むようにして、男は首をかしげる。
「はあ? あんたが何でその剣が見えて、さらに掴めるんだか知らないが、俺は王様じゃない、放せ! っていうか、どうせならこれ持ってってくれ」
「貴方は王様、これは杖」
歌うように、男が言う。
「……これは、剣だろうが?」
そう、これは剣。
例え、前王がなくなった日に現れた物であろうと、前王がなくなって、既に1週間たったというのに、未だ新たな王が現れていなくとも、これが剣である以上、彼が王と言う事はない、はずだ。
なぜなら王は、杖を持つ者だから。
この国の王は世襲制ではない。
王となる者は、その使命にあった杖を持って現れるといわれている。
彼がこの世に生まれて、まだ15年。
前王は在位60年で、王の交代を経験していない彼には、正直どうやって王が選ばれるのか知らなかったが、王が「杖」を持って現れるという事くらい知っている。
そして、彼の前に現れたのは、杖ではなく剣である。
それが意味する所など、彼に分かるはずもない。だが、これが剣である以上、自分が王でない事は分かる。
歴史上、杖でない物を持つ王など聞いた事はどない。
「いえいえ王様、これは杖です。王様の杖。だから貴方は王様」
剣をなでながら、男は弾むような口調で言う。
剣をなでながら、――そう、男は間違いなく剣の輪郭をなでているのである。
「あんたがさっきからなでているのは、どう見たって剣の形だろう?」
「はあっ! しまった!
いえいえ王様、貴方や私にどう見えるかは問題じゃありません。
これは杖なんです、杖。剣でもやっぱり杖なんですよ」
「やっぱり剣に見えるんじゃないか、じゃ、放してくれ。あんたが何だか知らないが、俺が王様じゃない事は分かっただろう?」
王様が持つのは杖。
それは誰でも知っている事。そして、彼にまとわりついて離れないのは、杖ではなく剣なのである。
「これまた失敗。大変失礼いたしました。自己紹介がまだでしたね。
王様を見つけてすっかり浮かれてしまいました。
私、こう見えて王宮の司政官、白位を勤めます、輝理と申します。
よろしくどうぞ、お見知りおきを」
「――冗談?」
司政官といえば、国を支える三宮である「騎士宮」、「魔法宮」と並ぶ一宮で、で、「白位」といえば、「金位」「銀位」に次ぐ地位であるわけで。
とにかく、恐ろしく地位の高い人物である。
そんな人間が、彼の目の前にいる?
彼を王様だとからかうために?
それは、ありえない。
「本当の本当です。
貴方を迎えに参りました、『剣持つ王』、青流様」