自分との戦い
暗闇が戦場を包み、僅かばかりに輝く赤月が二人を照らしている。
共愛者と狂愛者、語り終えた二人は即座に行動を開始した。動きは狂愛者の方が早い。しかし、共愛者の方が有利には変わりない。
チャティスは剛輪式のリボルバーを穿ち、銃声に反応して、もうひとりの自分が銃弾を平然と躱す。
初撃で倒せるなどと甘い見立てをしていたわけではない。
だがそれでもやはり自分自身が銃弾を回避するという荒業は、驚嘆するに値した。
「一撃で制圧できると思った?」
「まさか!」
昏い戦場の中、素早い動きで切迫する自分に叫びながら、チャティスはミュールの銃へと切り替える。
瞠目しながらも狙いを定める。撃つのは自分、ただの人間。狂化活性薬で狂化しているわけでもない。冷静かつ慎重に狙いを付ければ当てられる。
ペッパーボックスの三つの銃身の内、一つが撃発。狂愛者は走りを止めて、腕を逸らして銃弾を避ける。
にっとした笑みが浮かんだ。相手は自分なのだ。自分の狙いなど手に取るようにわかる。
「殺す気でこないと当たらないよ?」
「殺すつもりなんてない!」
意固地に言い返しながら、チャティスはペッパーボックスの銃身を手回しした。ホイールロックとフリントロックなら、フリントロックの方が手早く済む。
だが、敵が迫る方が一歩早かった。クリスの剣がチャティスに振られ、チャティスは背後へ倒れるようにして回避する。
自分が立っていた場所に、刃が煌めいた。チャティスは歯ぎしりしながら、右手でナイフを抜き取り、ペッパーボックスの銃身を掴み直す。
「このッ!」
ナイフを闇雲に振り回し、銃杷による打撃をめちゃくちゃに繰り出す。素人としか思えない行動だが、それでもただ斬られるよりはマシだった。さらに意外なことだが、狂愛者は共愛者の乱雑な格闘術に押されていた。
否、チャティスの打撃に押されるというよりは――。
「その、ナイフ、は」
「離れろ! 離れて!!」
刺突はまともに当たることなく、打撃は空を描くのみ。しかし、狂愛者は後ずさり、その間にチャティスは全力で下がった。
ナイフを腰に差し戻し、鮮やかかつ正確な動作で装填を再開する。火皿に点火薬を載せて閉じ、相手が動揺している間に、スパアでスピンドルを回す。
(いけるか? いくしかない!)
そして、右手にホイールロック、左手にペッパーボックスを握り、二丁拳銃で撃ち放つ。
ぐっ、という自分の悲鳴が聞こえた。チャティスの腕力では二丁拳銃の命中精度は低いが、それでも射撃時の衝撃が少ないホイールロック式ならばある程度の狙いは付けられた。
「血、血だ……」
ぽたぽたと自分の左腕から血が垂れるのを目視して、狂愛者は他人事のように呟く。だが、すぐにハッとした表情となり、再度装填しているチャティスに向けて、フリントロックリボルバーを突きつけた。
間髪入れず射撃。チャティスの側頭部を銃弾が掠めた。
「くっ!」
「調子に乗ったら、死ぬよ? わたし」
狂愛者はピストルを後ろ腰に仕舞い、ポーチから丸薬を取り出した。人間すらも狂化せしめる狂化活性薬。チャティスが何としても服用を阻止しなければならない薬を、血濡れる左手で掴み取る。
「無駄に感傷的なのがワタシの悪いくせ。さっさと片付けて、あの子たちの世話をしないとね」
「させない!」
言いながらもチャティスができるのはリロードだ。比較的発射までの時間が素早いペッパーボックスを大急ぎで仕込むが、薬を口に含むのと火薬を点火皿に載せるのでは薬を呑む方が早い。
狂愛者は人を殺すために拵えた特製の薬を呑みこんだ。目が赤く怪しく光り、狂戦士めいた腕力と移動力を獲得する。
そして――次の瞬間にはチャティスに斬りかかってきた。
「理想とともに狂い死ね!」
「遠慮するよ!」
叫びながら、ペッパーボックスを穿つ。が、まるでクリスのようにもうひとりの自分は弾丸を斬り落とした。
万事休す……というわけでもない。チャティスは弾切れとなったペッパーボックスを放り投げ、右手をポーチへと突っ込んだ。
ポーチから第三の銃を取り出す。何ら特別製の感じられないフリントロックピストルを。
両手で切迫する自分へと構える。狙いを定め、引き金を引く。
先程と相違なく、弾丸は斬り落とされる。
だが狂愛者は確かに異変を感じ取り、チャティスに迫る直前で停止。訝るような顔で、チャティスへと睨み付ける。
「あなた――!」
「上手くいったみたいだね」
焦りの中に余裕を見せて、チャティスは不敵な笑みを浮かべた。
煙をうっすらと銃口から吹かすフリントロックピストルは、元々チャティスが持っていた大陸中で手に入る普遍的な銃器だ。だが、重要なのは銃ではなく弾として使用される弾薬である。さらに言えば、その弾丸にあらかじめ練り込んだ狂化抑制薬だった。
強いて言うなら正気弾。狂気に包まれた自分を一時的にでも元に戻すためチャティスが即席で創り上げた、オリジナルの対自分用弾丸である。
この弾は斬り落とされた瞬間に、薬効が辺りへ充満するように調整されていた。ゆえに、弾丸を斬った狂愛者は止まり、狂化活性薬の効果が薄れたことを知ったのだ。
自分自身を止めるための秘策。外れたらもうどうしようもない弾丸の効果が発揮され、チャティスは幾ばくか余裕を取り戻した。
しかし――ただ黙って自分の思惑に載るような相手ではない。
「まずい、これはとてもまずいよ! 万事休すだよ! 誰か助けて!!」
「ッ!?」
急に情けない声を出した自分を見やり、チャティスは息を呑んだ。
相手が助けを呼ぼうとしたからではない。相手の言動に違和感を感じたのだ。
なぜならまるで、自分がキチュアを小馬鹿にする時の言い方だったから。
「なんて言うと思ったかな? 残念でした!」
狂愛者は剣を両手で掴み、チャティスへと走り出す。そう、別に薬の効果が打ち消された程度でどうということはない。身体能力ではチャティスよりも狂愛者の方が上なのだ。全く同じ自分でも、片方はクリスの背後で守られっぱなし、もう片方は策謀と策略を巡らせ技量を高め、大量の人間と狂戦士を屠ってきた天災である。
今更、小細工を弄されたところで問題はなかった。それに、直接服用したのではなく拡散した飛沫吸入だ。完全に狂化活性薬を無効化された訳ではない。
「な、何で!」
「詰めが甘いところもダメなところ。適当にそれっぽい作戦を創って、わたしはそれで終わりにしちゃうんだよ。だから、いつも肝心なところで失敗する。中途半端に実力があって、妙にプライドも高いから、どうしようもないヘマをする!」
ひゅんひゅんと空を切る剣戟を後ろに下がりながら躱す。いや、果たして躱していると言えるのか。ただ後退しているだけで、身体的動作はともなっていない。まぐれかわざとか。ギリギリのところで避けて、狂愛者はチャティスを捉えることができなかった。
「チッ……思考が読まれてるのか」
「く、くっ!」
チャティスは弱い。だが、弱いからこそ生存のため、頭を最大限に活用できる。チャティスは自分自身の行動を予測し反撃こそままならないものの、攻撃を避けることは可能だった。
だが、このまま避け続けてもいずれ剣が命中する。意を決し、一か八かの賭けにチャティスは打って出た。
ふっ! と気合の息を漏らし、銀ナイフで剣戟を受け止める。
剣とナイフがぶつかる音がし、つばぜり合いの状態となった。
「ねぇ、ひとりも殺してないわたしと、たくさんの人とバーサーカーを殺したワタシ。どちらの力が強いと思う?」
「強い……強いねぇ」
両手で渾身の力を込めて、チャティスはナイフを押している。だが、彼女のナイフはどんどん押され、あれよあれよと自分側へと戻されていた。
しかし、チャティスは諦めない。諦めてたまるものか。自分は天才で狂戦士の希望であり――。
「クリスの相棒でもあるから、ね!」
「……ッ!」
チャティスの自信満々な言いぐさに、狂愛者は苛立った。
瞬発的に勢いが増し、ナイフを天高く吹き飛ばす。即座に次斬。チャティスに剣の刃先が迫る。
だが、チャティスは避けた。寸前のところで斬撃を躱し、取り出したのはホイールロックだ。
「やッ!!」
漏れる気迫の息。通常のピストルよりも長い銃身を掴み、チャティスは勢い任せで打撃を見舞う。適当に放たれる一撃。だが、素人格闘の鈍撃は、確かに敵へダメージを与えたらしい。
小さい悲鳴が響いて、クリスの剣が落下する。チャティスはそこへタックルを繰り出した。
何か考えがあっての突撃ではない。ただ相手の動きを封殺するための特攻だ。
「このッ!」
「どうして心が痛むのに、人殺しをするんだよ!」
もみくちゃになり、チャティスとチャティスがころころと入れ替わる。回転しながら抱き合うように、地面を転がっていく。
まるで姉妹喧嘩を見ているような光景だった。殺意は本物なのに、しかし、ぐちゃぐちゃな乱闘とめちゃくちゃな言い合いは二人をそっくりな双子に、喧嘩しているように思わせる。
「心なんて痛まない! 涙なんて流れない!」
「嘘はキチュアをバカにする時以外はついちゃいけないんだよ! ぐあッ!」
狂愛者に馬乗りとなっていたチャティスは、強力な蹴りを腹部へ喰らい宙を舞った。驚くべき脚力でチャティスを蹴り飛ばした狂愛者は、フリントロックリボルバーを取り出して弾倉を手動で回転させる。
「くそ、くそ! 死ね、わたし!!」
「死ねない理由があるんだよ、私には! あなたが私を殺すのと同じくらいに! いや、それ以上に!!」
チャティスは痛みを堪えながら、ホイールロックの発射準備を行う。どちらも回転弾倉。しかし、剛輪式よりも火打式の方が速いのは明らか。だがその決定的な差を、チャティスは蹴られた瞬間に先手を打つことで埋めていた。
火皿を閉じた双方の銃が別世界の自分へと向けられる。ほぼ同時だった。ピストルの方式こそ違えど、近距離からでは大差がない。
片手撃ちと両手撃ち。異なる構え方の狂愛者と共愛者。まるで時間が止まったかのように静寂が訪れ、場は静まり返っている。
お互いに詰みだった。撃てば殺し撃てば死ぬ。少なくともチャティスは殺す気がないのだから、狂愛者の勝利とも取れた。
しかし、動かない。動けない。どちらかが微かにでも動けば、両方の銃が撃発する。
そうなった後に、どうなるのかはわからなかった。だから止まる。時間は止まり、赤い月光だけが二人に降り注いでいる。
「どうして、抗うの」
「どうして、受け入れたの」
己が問う。内容に違いはあれど、心に秘める想いは同じ。
ゆえに、両者とも訊く前に答えは予想済みだった。
「答える必要なんて、ない」
全く同じ言葉を同時に吐く。
わかっているのだ。銃と剣を執り戦うと決めた時から。それでも言葉を交わすのは、それが彼女の本質だからだ。
だから言う。例え無駄だとわかっていても、くどいくらいに説得を試みる。
「今なら間に合うよ。まだ人間もバーサーカーも残ってる」
「ええ。だから早急に殺さなければ。みんなが死ねば平和が訪れる。クリスの理想が叶うんだよ」
「それが彼の望みだと」
「信じてるよ、ワタシは。クリスを止めたことが間違いだったんだよ。そうすれば――」
「――クリスは死なずに済んだ?」
チャティスは狂愛者のセリフを引き継いだ。が、その瞳には疑念が渦巻いていた。
本当にクリスを諭さず、あのまま狂戦士を殺させていれば、クリスは死なずに済んだのだろうか。可能性は否めないが、それでもチャティスは素直に肯定できなかった。
クリスが死んだ最期の戦い、ミーリアの転移及び洗脳術式によって自分が自殺しかけ、最終的にクリスが自分を庇って死んだ時、クリスとオリバーは拮抗した戦いをみせていた。
実力が全く同じだったのである。丁度、今の自分同士の戦いと同じく。
その観点を踏まえると、クリスとオリバーは死闘の末、相討ちになっていたとしか思えなかった。もちろん、だから自分に非がないなどと言うつもりはない。しかし、狂愛者の意見をそのまま鵜呑みにできないのもまた事実だ。
「本当に? 自身を持ってクリスが死ななかったと言えるの?」
「な、何を言う。疫病神であるワタシのせいでクリスは死んだ」
言いながらも狂愛者は若干たじろいだ。他の人間の言葉だったら頑として聞かなかったはずだが、やはり自分自身の言葉は自分相手に有効なのだ。
チャティスが言えば、もうひとりの自分は動揺し、困惑し、見過ごせない意見として認識する。やり過ごせない、受け流せない重要な発言として思慮をする。
「要因の一つであることは否定しない。直接的な原因ではないにしろ、間接的であることは確かだよ。でもさ、クリスが死んだから方法が間違ってたという結論は、少し早計過ぎやしないかな」
「何も知らないくせに!」
狂愛者の眼光が鋭くなり、指がぴくりと反応する。チャティスは怖じず、両手でピストルを構えたまま、もうひとりの自分へ考えを投げ続けた。
「知らないよ、確かに。ワタシはわたしだけど、私はこの世界に紛れ込んだ異物だからね。ここは私が知る場所だけど、私の知らない場所でもある。見知った人々はどこか他人で、過ごした故郷は差異がある。でもね、彼らが私の知らない全くの別人だったとしても、捨て置くなんてことはできないよ」
「ど、どうして」
たぶん言わなくてもわかるだろうな。チャティスはそう思いながらも声を出す。
「放っておけないから、ね」
「……放って、おけないから」
それは自分の原初だ。クリスが自分を救った理由だ。
人が人を救うことに大した理由は必要ない。計画的に人助けをするならまだしも、突発的な救いを行う時、誰も理由などはっきり考えていやしないのだ。救ってから、後付けでそれっぽい理由を並べ立てる。そういう気分だった、見捨てておけなかったから、それが自分の信条だから。理由や言い訳はたくさん湧き出るけれど、重要なのは理由ではなく結果だ。
人を救ったこと。命が助かったこと。これ以上に最良な見返りは、きっとありはしないのだろう。
救済者は人を救った瞬間に、至上の悦びを噛み締める。どこか異常で、きっと狂人の部類である。
だが、チャティスはそういう生き方を選択した。狂っていようと、異常者と罵られようと、この道を歩むことに決めた。
だから述べる。狂おうと壊れようと、自分自身の心さえ、救済してみせる。
「まだやり直せる」
チャティスはピストルを下ろし、狂愛者へと一歩ずつ近づいた。驚いた自分が、片手で銃を突きつけたまま警告する。
「近づいたら殺す」
「罪滅ぼしには時間が掛かる。一生かかっても清算できないかもしれないけど」
「く、来るな」
銃を向ける方は脅え、銃を向けられてる方は気丈に歩む。
「あなたに私は撃てないよ。私の正しさをあなたは知っている」
「撃つ……撃つぞ!!」
声は震え、手もまたカタカタと揺れている。
その間にもチャティスは迫り、手を伸ばせば届く位置まで来た。
もはや震える赤子同然となった狂愛者のピストルの銃身を掴んで、自分の頭へと引き寄せる。
そして、最初に邂逅した時と同じように、真逆の立場で自分に告げた。
「それでも納得できないなら撃てばいい。私は誰の罪だって赦すよ。例え、私自身でも」
「あ、ぁ……!」
今チャティスの目の前に立つ自分は、強者ではない。狂者だ。
正しさとは何かわからなくなり、もがき苦しむ、狂う者。無論、だから全ての罪が赦されるわけではない。
だが、殺して終わりというのも悲しいではないか。例えどんな咎人だって、やり直すチャンスを与えるべきではないか。
更生の余地がない人間なら、悲しくも仕方のない面があるかもしれない。
だが、ほんの少しでも罪を償うつもりがあるのなら、殺すのではなく救うべきだとチャティスは想う。
これは正義ではない。無知で世間知らず、常識知らずの狂人の、自分勝手な独りよがりだ。
絶対的な正しさではなく、相対的な正しさ。自分を天才と誤認したバカで哀れな少女の身勝手さ。
ただそれでも……だからこそ、チャティスは人々と狂戦士の希望になりうる可能性を持つ。
天才であるから、救える。どうしようもない賢者だから、救おうと想える。
「みんなが村で待ってる。すぐ赦してもらえるとは思えないけど、だったら赦してくれるまで謝ろう? 全力で罪滅ぼしをしよう?」
「で、も、クリスの、理想が……」
「たぶん、もう叶ってるよ。やり方を間違えちゃったけどね」
皮肉と言えるが、既に世界は平和だった。戦争を望む者は狂愛者の策略で死に絶え、今や生きるのは平和を望む者たちだけだ。
彼らが生き長らえれば、世界はしばらく平和となる。問題は山積み、そう都合よくいくとも言えないが、まだ未来への道は残されている。
なら、自分の存在は必要不可欠だ。なぜならば。
「私は天才だから。過去の過ちを未来につなげることだってできちゃうよ。それに、この世界のワタシは、私が救えなかったみんなまで救ったんでしょ? 一度できたんだから二度目だってできるはずだよ」
「ワ、ワタシ、は」
「大丈夫、とは言わないよ? それを言うべきはワタシであってわたしではないからね。ほら、立って」
カチャリ、と銃は落ち、狂愛者は呆然とした瞳で、差し出されたチャティスの白手を見つめた。取るかどうか悩んで、ゆっくりとだが、手が伸びる。
だが、それを遮るようにして、狂しみ喘ぐ咆哮が聞こえた。
「喰らう者ッ!?」
「……ッ!」
魅了を持つ者が二人いる。むしろ今まで敵が誘引されなかったのが不思議なぐらいだった。
二倍の誘引効果に惹かれた喰らう者は、息を吸うような奇異な方向を上げながら、穴の空いた顔でこちらを眺める。そして、当然の如く棍棒を振り回しながら疾走し始めた。
「チャームに殺されはしない!」
「くッ!」
チャティスはリボルバーを喰らう者へ向け、狂愛者は左手でポーチを弄り丸薬を取り出した。だが、あっ、という悲鳴と共に取りこぼしてしまう。先程の銃創のせいで、左手が上手く動かなかった。
一瞬の内に喰らう者は肉薄し、二人のチャティスを殺そうと迫る。チャティスは咄嗟に呆ける狂愛者を庇った。
「くそッ!」
「……あ」
一撃で人体を肉塊へと変える鈍器が、二人へと振り下ろされる。
が、いつまで経っても衝撃が身を穿たない。二人のチャティスは不審に思い目を開けた。
そこで、声を漏らす。あ、と。恐らくは、今までで一番の衝撃を受けて。
「く、クリス!?」
「下がっていろ、チャティス」
クリスが、刺さっていた自分の剣を抜き取り、二人を庇うようにして立っていた。不可思議に想うほど発行し、その姿は幽霊めいている。だが、そこにいるのは見間違えることのない、屈強な狂戦士だった。
クリスの幻影は、喰らう者の棍棒を弾き飛ばすと、次に蹴りを腹部に見舞った。よろめいたところに斬撃を見舞い、喰らう者が反撃を行う前に制圧していく。
風切り音が鳴り響き、喰らう者の首が飛んだ。
「……君たちは自分のやるべきことをしろ」
「あ、待って!」
チャティスの制止を聞かず、幻影は新たに現れた喰らう者の迎撃のため、走り去ってしまう。
彼らしいなとチャティスは想い、不思議と笑みがこぼれた。だが、もうひとりの彼女は違う。
縋るようにチャティスを見上げて、懇願し始めた。ワタシはとんでもないことをしてしまった。そう泣きながら。
「生きてる資格なんて、ない……! だから、殺して! 私にしかできないっ!」
「無理な相談――」
「わかってる! でも、ワタシには自殺ができない! 誰かに殺してもらうことしかっ! だから、お願い、わたしが、ワタシを殺して!!」
嗚咽混じりにお願いされて、チャティスは戸惑った。ふぅと息を吐く。致し方ないという笑みを作る。
全く、本当に私って奴は自分勝手なんだから。そう呆れながら、ポーチの中へと手を突っ込んだ。
「私が自殺できないってのは当然だよね。ワタシの命は既にわたしのモノではなく、自分を助けてくれた多くの人のモノなのだから。でもさ、だから誰かに殺されればいいってのは大間違いだよ」
「で、でも、ワタシはたくさんの罪を犯した」
だからさ、と自分を諭すように言いながら。
チャティスはくすんだペンダントを自分自身へと突き出した。
そして、自分を救ってくれた、親友の言葉を口に出す。
「それでもクリスは、ワタシに生きて欲しかったんだと思うよ」
その言葉を皮切りに。
涸れていた涙があふれ出す。少女の慟哭は真っ赤に染まっていた瞳を青へと浄化して、狂った心を健常なものへと回帰させた。
泣きじゃくる自分をあやしながら、チャティスも少し泣いていた。自分の涙を、悔しさや悲しさを、チャティスは共感することができたから。
納得するまで泣いた後、狂愛者は、共愛者に道を示した。指をさして、クリスが向かった方へ促す。
「あなたは行くべきだよ」
「……あなたもいっしょに」
むしろそうするべきだろうと思ったチャティスだが、この世界の自分は譲らなかった。まだ自分にその資格はない。彼に逢うのは罪滅ぼしをしてからだと、彼女は心に決めていた。
「ワタシにはやるべきことがあるから。終わったら、逢いに行くよ。どんなに時間が掛かっても。クリスは大切な人だから」
「そっか。そうだね。なら、頑張ってね、ワタシ」
チャティスの声援を受け、天災は、否、天才は自信過剰なほどに胸を張る。
「大丈夫だよ、なんたってワタシは天才だからね!」
「うん、この世界は任せたよ」
自分自身を救った少女は別れを告げて、帰るべき場所へと歩み出した。
不安はない。自分が天才だと言ったのだ。自分を信じずに、一体誰を信じるというのだろう。
クリスはチャティス同士の決闘に茶々を入れた喰らう者たちを、一体残らず駆逐していた。
これで幾人かの魂は安らいだはずだ。喰らう者にとって死は救いなのだ。
逸る気持ちを抑えながら、チャティスは幻影へと近づいた。色白く発光するゴーストは、チャティスの姿を見咎めてゆっくりと近寄ってきた。
「クリス」
「チャティスか」
押さえつけるように胸元へと手を置くが、鼓動が早鐘のように鳴り響いている。
二度と逢えないと思っていた想い人が、目の前にいる。生きてはいなかったが、確かに会話を交わすことができる。
その事実がチャティスを興奮させている。胸がいっぱいとなり、気持ちが高ぶって、動悸が激しくなっていた。
「やっと逢えた、クリス」
「逢いたかったのか」
「もちろん、当たり前だよ!」
耐え切れなくなって、抱き着いた。奇妙な感触だった。もう存在しない人間に触れるという感覚は。
「俺は逢いたくなかった」
「どうして」
「君が揺らいでしまうと思ったからだ」
率直に気持ちを吐露するクリスに、思わずチャティスは怒鳴り返したくなった。
当然じゃないか、と。自分がどれだけあなたのことを想っているのかわかっているのと。
だが、出会えたから帳消しだ。話したいことが胸の内から溢れ出て、あまりの多さに窒息しそうになる。
「私は、う、えと……。ご、ごめん。話したいことがたくさんあったはずなのに、上手く言葉に出せないや、あはは」
笑って泣いてることを誤魔化すが、全く以て隠せていない。何を話せばいい、何を伝えればいい。自分の気持ちを伝えればいいのか、自分に任せてと念を押せばいいのか。
チャティスが言葉に詰まっていると、クリスが先に口を開いた。これは夢だ。そう前置きして。
「夢?」
「ああ、夢のようなもの、可能性の中の一つだ。絶対にこうなるとは限らない」
クリスは昏い世界……滅亡寸前の大陸を見回しながら告げる。
「でも、裏を返せばこれ以上にひどくなる可能性もあるってことだよね」
口を衝いて出たのは意地の悪い応答だった。何をしてるんだチャティス。そう自分で自分に呆れ果てる。
だが、クリスはいつも通り無表情のまま、チャティスに応えた。そうだ、と彼女の意見を肯定しつつ。
「可能性というものは厄介だ。善悪両方が含まれる。だが、絶望が存在する限り、希望も必ず存在する」
「希望があるから絶望があり、絶望があるなら希望もある」
「君という可能性が絶望に染まるのを、君は見てきた。だが、君は絶望に染まった君を希望へと塗り替えた。君は希望だ、チャティス。その点に関しては、俺が一番よく知っている」
「――ぁ」
ポンとクリスがチャティスの頭に手を置いた。頬を朱色に染めながらも、むっとする。
もっとこう、大胆なことをしてくれてもいいんじゃないか。そんな邪念が頭をもたげ、振り払うように首を振る。
「ふ、ふん。当然だよ。私は天才なんだし!」
「ああそうだ。君は天才であり……人とバーサーカーの希望だ」
顔を背けて腕を組んだチャティスは、クリスの言葉に反応し、向き直った。
違うよ。そう言葉を伝える。自分は、自分という存在は、
「私は人とバーサーカー、そしてベルセルクの希望なんだよ? そこを誤解しちゃダメだよ」
「……ああ、そうだったな」
クリスはチャティスの訂正を受け入れた。ふふ、と微笑を浮かべてクリスを見つめたチャティスは、彼の存在が希薄になったことを見て取った。
目を覚ます時間だ、と彼は言い、
「そろそろ君のいる場所へ帰るべきだ。名残惜しいとは思うが」
「む、その言い方だとあなたは名残惜しくないみたいだね」
またまた嫌味ったらしい言葉を述べる。もうこの際普段通りに応じることにした。
下手に想いを告げたら、きっと別れが惜しくなる。それに、クリスはいつでも胸にいるのだ。なら、前と同じく接するべきだろう。少し意地が悪めだが。
「問題ない。俺はいつでも君を見守っている」
「む、嬉しくはあるけど、問題しかないような」
「急げ。もう時間はない」
クリスが目を向けた方角に、巨大な鏡が現れた。神々の遺物。チャティスをこの世界に誘った元凶。死者と再会させてくれた鏡。
その鏡を見て、チャティスは目を伏せる。やはり、クリスと別れるのは寂しいし悲しい。
だが、死者に惹かれたままでは、理想を遂げることはできない。彼と共にいることは、彼の期待を裏切ることと同義だ。
ゆえに、チャティスは青いペンダントを握りしめ、出口へと歩き出した。鏡の前まで進んで振り返る。
最後に、質問を投げた。どうしても訊きたかった問いだった。
「あなたはさ、私のことどう想ってるの?」
「……言う必要があるか?」
即答ではなく即問だった。
その答えを聞いて、チャティスはそうかと納得する。
わざわざ訊くべくもない問いだった。今更答えを聞く必要もなかった。
「じゃ、行ってくるね」
「ああ」
素っ気ない返事。でも、チャティスは文句ひとつ口走らない。
とても清々しい気持ちだった。気力に満ち溢れた顔だった。
私はクリスに見守られている。これ以上に頼もしい助力があるだろうか。
チャティスは笑顔のまま、今度は自分の意志で鏡に触れた。




