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薬師チャティスと狂戦士と  作者: 白銀悠一
後日談 狂愛者と幻影と
58/62

共愛者と狂愛者と

 花の補充が必要です。そう言ったミュールの背中をチャティスは追いかけていた。

 オリバーから聞いたこの世界の変容と、もうひとりの自分の変化は衝撃的だったが、だからこそきちんと自我を強く持たねばとチャティスは心に決めている。

 ゆえに、普段通り、もはや会うことができないと思っていたミュールとお使いをしていた。


「……で、花を何に使うの?」

狂化抑制器サプレッサーの原料なんです」


 ミュールは左腕のガントレットをチャティスにみせた。

 チャティスが知りもしない、戦いのための兵器。平和を創り上げるという目的で大切に育てた花は、今や戦うための道具にされている。

 危険性については知っていた。人間の残虐性とそれに注がれる情熱も。人は戦うことに関して、他の動物たちよりもびっくりするほど知恵を回す。弱さを克服するために強くあろうとする心構えを否定するわけではないが、やはりチャティスとしては複雑な気持ちになってしまう。


「皮肉、ですよね。世界をここまで黒く染めた仕組みが、今や跋扈する喰らう者を撃退する切り札なんです。……争いを求めた者は、今や死に果てています。闘争は人の本能ですから、一律に否定する気はありませんが、もう少しなんとかならなかったのか。そう思わずにはいられません」

「この花は……薬は、心を落ち着かせる効果があったはずなのに」


 チャティスはポーチから薬を取り出し、眺め見た。自身の想い、クリスとサーレの想いをひたすらに込めた丸薬。だが、この世界の人々はその想いをより効率的な殺戮に利用したらしい。

 ゆえに、滅ぶ。人類と狂戦士はごく僅かに生存しているが、戦争を求めた人間たちはとうに死に絶え、今苦汁をなめているのは平和を求めた者たちだ。

 理不尽。だが、例え殺されてもその死を受け入れ他者を愛しめば、まだ救済の道は残されている。


「殺されても相手を赦せる者だけが、生まれ変わる世界へと移り住むことができる」

「……それができる人間が如何ほど少ないか、あなたは理解してますよね」

「そこまで器量の大きな人間がたくさんいたら、戦争なんて起こらないからね」


 神の作った世界の法則は、完璧には程遠い。きっとこのまま世界は闇に呑まれて、無から有が生まれるのだろう。

 終わりは新しい始まりに過ぎない。始まるからこそ終わりがあり、終わりがあるから始まりがある。

 だが、誰しもこんな終わり方は望んでいないだろう。少なくとも、よその人間であるチャティスはこんな最期は見たくない。

 恐らく、狂ったとされるもうひとりの自分も同じはずだ。


「つきました」

「花はいつでも綺麗に咲いてるね」


 チャティスとミュールの前に、青い花畑が現れる。花々は暗い闇の中だというのに、眩く輝いていた。

 ふと、初めて花畑をみた時、ミュールに見せたいと思っていたことをチャティスは思い出す。図らずも夢は叶っていた。愛しむように腰を落とす。


「綺麗なものはいつか穢れてしまう、か。……ねぇ、ミュール」

「何でしょう?」


 問うたチャティスは花へ目を落とし、ペンダントを握りしめながら訊いた。


「クリスはどうなったの?」

「…………」


 ミュールが押し黙る。その沈黙だけで回答は十分だった。

 そっか、と声を漏らしチャティスは上空を見上げた。

 赤い月が、妖しく輝いている。


「クリスが死んで、理想も壊れた。だから、私は狂ったんだ」

「チャティスひとりの責任ではありません。チャティスを非難できる人間は……私たちの中にはいません。チャティスは多くの人間を救い、それよりも多くの人間に裏切られたのです。ですから……」

「――だから、みんなワタシを殺すんだよね」


 慰めの言葉を述べようとするミュールに、答えた。

 チャティスが。チャティスの声で。

 だからこそ、中腰のチャティスは目を丸くした。自分はまだ何も言っていない。驚いて顔を上げた。

 そして、瞠目する。


「え……?」

「やっと見つけた! 会いたかった。とてもすごく逢いたかったよ、わたし! ワタシはずっと、ずっとずっとずっとずっとこの時を待っていたの! うふふッ」


 赤い満月に背を向け木枝の上からチャティスを見下ろしているのは、間違いなくチャティスだ。

 だが、容姿がおかしい。母親譲りの茶髪は、真っ白に染まっている。父親から受け継いだ青い瞳は、真っ赤に血濡れていた。

 パッと一目見ただけでは、別人にすら思えてしまう。背中に剣を背負い、妖艶に嗤う自分の姿にチャティスは悪寒を感じた。


「はぁ、やっと、やっと望みが叶うんだ。……ずっと待ち望んでた。あなたならきっとわかるよね? だって、ワタシだもん。天才だものね。ワタシが何を望んでるか、答えてみてよ!」


 普段通りに。

 いつも通りの口調で、もうひとりのチャティスは言う。まるで友達に訊ねるかのような気さくな態度で。

 だが、それでも悪寒は消えない。チャティスは反射的に銃へ手を伸ばして、叫んだ。


「わからないよ! 私の望みはクリスの理想を継いで……バーサーカー同士の争いをなくすこと!」

「お下がりを、チャティス。アレは……っ!」


 ミュールがピストルとレイピアを抜き取りながら、チャティスを庇うように立つ。もうひとりの自分はむっとした表情で、チャティスに応じた。


「わかってるのに、嘘を吐かれるとイラつくんだよ? 全く、これだからわたしは。やれやれ、ため息が出るよ。止まらないよ」


 わざとらしくため息を吐き、さて、とチャティスは剣に手を掛けた。剣を抜き放ち――チャティスは気付く。


「クリスの……剣!?」

「そう。サーレがクリスにあげて、クリスから貰った無銘の剣。斬れないモノは何もないよ? そう、例えわたしでもね」


 嗤うチャティスは左手でピストルを抜く。抜き構えたのはノアから借り受けたホイールロック式のリボルバーではなく……これまたチャティスの見たことのないフリントロック式のリボルバーだった。

 最新鋭のピストルをチャティスがチャティスへ向ける。負けじとチャティスも、古式となったホイールロックを向け返す。

 クリスと共に編み出した両手構えで。


「く、クリスの剣を持ちながら彼の理想に背くことは赦されないよ!」

「背いてなんかいないよ? だってさ、この世界がなくなれば……バーサーカー同士の争いは、二度と起こらないよね? 天才たるワタシが……バカな人間たちに愛想を尽かして導き出した、裁量で最善な方法だよ!!」

「……っ!?」


 木上のチャティスが、地上のチャティスへ威嚇射撃を行う。左頬を掠めんばかりの距離で着弾した弾丸に、チャティスは肝を冷やす。

 銃を一発撃っただけのチャティスはポーチへ仕舞い、今度は何やら丸薬を取り出した。

 チャティスが創った狂化抑制薬とは似て非なるもの。狂愛に壊れたチャティスはそれを自分に服用する。


「まずい……! 下がって、チャティス! 彼女が狂化します!」

「なっ……!?」


 言葉の意味がわからないままチャティスが下がる。ミュールは左手を煌めかせ、狂戦士ベルセルクの力を獲得する。

 その間に、月に照らされるチャティスは変化を果たしていた。見た目こそ先程と同じ。だが、眼光は黒くそして赤い。


「フフフフッ。わからないようだから教えてあげる。ワタシはね、頑張って頑張って、クリスの理想を叶えるために新薬を創り出したんだ。人間の身で……狂化できる薬をねぇ!」


 自分が、咆える。

 人を殺さないために奔走していた自分が、全ての生物を虐殺するための狂愛者と成る。


「な、あ……っ」


 まともに声を上げられず、チャティスはチャティスを見ていた。

 理想を志した人間の成れの果て。

 クリスのために生き、クリスのために殺し、クリスのために死のうとする、狂った自分を見つめていた。


 

 狂化活性薬アクティベーター

 自身の想いが悪用され、世界に絶望したチャティスが創り上げた殲滅薬品。

 一度服用すれば、狂戦士と同等、もしくはそれ以上の力を入手できる。副作用で身体はボロボロとなるが、彼女にとってそれはどうでもいい事柄。

 あくまで、自分が死ぬ前に世界を壊せればいい。この世を漆黒にさえ染められれば、命など惜しくはない。

 それがチャティスの考えだ。クリスに似すぎてしまったチャティスの成れの果てだった。


「やはり、あなたを救うには殺すしかなさそうです」


 ミュールは左腕のガントレットを輝かせる。狂化抑制器サプレッサーはチャティスの薬と魔術を利用した、安定術式のようなものだ。

 自分の心が狂わぬように、青い石が心を落ち着かせてくれる。

 この輝きは、優しさは、チャティスの想いだったはず。だが、もはや白赤のチャティスは気にも留めない。

 ただ敵が使う魔術の一種としてしか、認識しない。


「ベルセルクの力を手にしたバーサーカー。でもね、理性を獲得するだけじゃ大したアドバンテージだとは言えないんだよ? 結局は実力が物を言うからね」

「今日こそ決着をつけます……!」


 銃を撃ち放ちながら、ミュールが切迫する。狂戦士の腕力で繰り出される刺突撃は、常人では捉えがたい速度だ。

 しかしチャティスは人ならざる動きで銃弾を回避し、レイピアすら受け切ってみせた。表情には余裕が窺える。チャティスは笑ってさえいた。戦いを、この状況を愉しんでいる。


「アハハハッ! ミュール、ねえミュール! どうやって、私を殺すの? ねぇ!」

「そんなことはッ!」


 ミュールは刺突を繰り出す。風が唸り、物理法則が悲鳴を上げて、雷鳴めいた音が繰り返される。

 だがそれでも、チャティスに一撃も与えられなかった。クリスの剣を巧みに扱い、チャティスはミュールの攻撃を防ぎ切る。

 ミュールは歯噛みし、チャティスは嘲笑う。どうやってチャティスを殺すのか? チャティスの問いに対する答えをミュールは全力で突き放っていた。

 しかし、殺せない。友人だから手加減しているわけではない。友人だからこそ、唯一の救済策として全力を持って応じているのだ。

 だというのに、殺せない。その事実が指し示す答えは――。


「あなたはワタシより弱いのに、どうやって殺すんだって訊いてるんだよ!」

「ッあ!?」


 レイピアがクリスの剣に弾き飛ばされた。間髪入れず放たれるチャティスの左拳。ミュールは成す術なく地面を転がった。

 息を求め喘ぎながら、狂愛に壊れた友達を見る。チャティスは“天災”だった。人を救うことよりも、人を殺すことの方に才覚を発揮した。おぞましいまでの強さ。チャティスの強さはクリスにすら匹敵するのではないかと、ミュールが思ってしまうほどだった。

 だが、チャティスは倒れ伏すミュールを一瞥しただけで、興味なさそうに目を反らした。興味を注ぐのはただ一点。もうひとりの自分である。


「チャティス! 逃げて!」


 ミュールは異界から来たというチャティスに向けて、叫ぶ。だが、逃げるべきチャティスはミュールをしっかりと見つめ、怯えながらも勇気を振り絞ったまま狂愛者を見返していた。

 もう逃げない――。今度は、ミュールを殺させない。

 そんな覚悟が……蛮勇めいた勇気がチャティスの中にある。


「フフ、フフフフッ! 流石、わたし。逃げないことはいいことだよ? 今まで、たくさん、たくさん、逃げてたんだものね。全部ぜんぶ、人任せ。人殺しなんて汚いことは他人に任せて、自分は綺麗な手で、澄んだ心で、理想を謳っていたんだものね。現実を知らない無知のまま、できもしないことを偉そうにのたまってたんだものね」

「あなたの……ワタシの言ってることは、事実だとは思う。でもね、私は人をバーサーカーを死なせたくないの。クリスのため、サーレのため……ってわけじゃない。自分のために、自分の願いを叶える。ただそれだけだよ」


 狂愛者チャティス共愛者チャティスが見つめ合っていた。

 現実主義者は右手に剣を、理想主義者は両手に銃を握り絞めている。

 両者は武器ではなく言葉を交わす。必要なことだから。必要だから殺すのではなく、必要だから語る。


「で、ワタシと同じ過ちを繰り返すんだ。いや、もうあなたは過ちを犯してるんだよね」

「なんの――」

「だって、あなたはクリスを殺したんだものね。あなたのせいで、クリスは死んだんだからね」

「ッ!!」


 共愛はたじろぎ、狂愛に押される。

 ずっと、チャティスの頭を苛んでいた疑問。それは、クリスが自分のせいで死んだのではないかということ。

 それでも、クリスはチャティスに生きて欲しかった――。

 シャルがチャティスに言ってくれた慰め。彼女の言葉にチャティスは救われていたが、脳裏の片隅ではクリスは自分のせいで死んだのではという問いがずっと渦巻いていた。

 その謎が、胸中を巡る自問が、他ならぬ自分自身の口から放たれる。


「クリスはわたしを庇って死んだ」

「あ、う」


 チャティスの歩調に同期して、チャティスが下がる。前進、後退――。


「わたしが我儘を言ったから、クリスは自害した」

「ち、違う……」


 一歩進んで、一歩下がる。


「あの場にあなたがいなければ。あなたが、さっさと自殺していれば」

「やめて」


 片方は口を動かし、片方は耳を塞いだ。ホイールロックが地面に落ちる。


「あぁ――わたしがクリスと出会わなければ、クリスは死ななかったかもしれないのに」

「やめてッ!」


 耐え切れなくなって、チャティスはうずくまった。哀れな自分を自分が見下ろす。


「ホイールロック・リボルバー」


 狂愛者は、共愛者の銃を拾った。感慨深く、珍妙で特徴的なピストルを見回す。


「ガルドがわたしにくれた銃。自分の身を守るためにノアから借り受けたピストル。でも、ガルドもノアも、ウィレムも。いや、フストだってこの世には存在しないよ」

「な、んで」


 精神的に追い詰められながらも、チャティスは自分を見上げた。薄ら笑いすら浮かべる自分を。

 嗤うチャティスは、怯えるチャティスに告げる。衝撃的な現実を。


「だって、ワタシが殺したんだよ? ワタシがクリスの剣と、この銃を使って、フストの人間を皆殺しにしたの。大人、子ども、男、女。身分も性別も関係なく、平等にね。ワタシは平等主義者なの。誰だって等しく殺すんだ」

「――ッ!」


 反射的に予備のフリントロックピストルを抜き取り、自分へと銃口を突きつけた。

 自殺のようで、他殺。自分自身へ銃を向けるという妙な感覚も、怯えより怒りが勝るチャティスは気にならない。


「殺した……? ガルドたちを!?」

「そうだよ。ウィレムは銃杷で殴殺して、ノアは頭を撃ち抜いた。ガルドは剣で首を斬り落とした。他にも、たくさん、殺したよ? フォーリアスやキチュア、テリーだってね。キチュアは最後までうるさかったなぁ。友達だと信じてたのに! って。酷いよね。ワタシは今でも友達だと思ってるのにさ」


 得意げに、自慢するように諳んじる自分。チャティスは自分自身が語る邪悪さに、吐き気すら催した。

 だが、狂愛者は嗤う。嗤ったまま、チャティスが怒りに我を忘れるほどの名前を呟いた。


「ああ、母さんだって、殺したよ」

「な、に?」

「チャリア。ワタシを産んで育てた、優しい優しいお母さん。剣で腹を抉ってね、動かなくなるまで何度も何度も突き刺したの。ずっと母さんは謝ってたよ? ごめんねって。謝る理由なんてないのにさ」

「ッ!」


 ピストルを握る手に力がこもる。眼光は強まり、湧き起こる昏い想い。

 生まれて初めての感情だった。初めて触れた感覚だった。

 そうかこれが、これこそが……本気の殺意なのか。

 チャティスは心に現れた新しく、そしてどうしようもない心情を受け止める。

 だが、殺意の波動を受けてなお、狂うチャティスは幸福そうに、うっとりと吐息を吐く。

 そうだ、この顔が見たかった。自分が苦しみ、狂い、壊れる姿が見たかったのだ。


「あなたは恩を仇で返したの」


 糾弾するように憎悪をぶつけて、チャティスは問い詰める。

 チャティスは嗤いながら首を振った。全然違うよ、と。わたしならわかるでしょう? と。


「これこそが恩返し。こんな暗い場所で生きろだなんて非情なことは言えないよ。ワタシはね、誰かを殺すことで恩を返しているの。死こそ真の救済なんだよ? 生なんてのはただのまやかし、幸せなんてのは虚構。死だけが人々とバーサーカーたちを狂しみから解放できるの。わかるよね、ねぇ」

「わからない! 私は人とバーサーカーの希望であるべき存在で――」

「そんなんだから、みんな死ぬんだよ。あなたは天災なの。世界の起爆剤なんだよ。チャームを侮っちゃいけない。チャームを持つ人間は、歴史の転換者なんだよ」


 自分は語る。

 自身に宿る呪いの威力を。ただ厄介なものしてしか認識していなかった、魅了の力を。


「チャームは関係ない!」

「関係あるよ。ワタシはチャームが取り得なだけ。チャームがなければただ頭のおかしいだけの狂人でしかない。チャームがあるから生き残り、チャームがあるから薬を創れた。チャームがあるから夢を見て、チャームがあるから、クリスを殺した」

「わたし――私は!」

「ほら、あなたも一理あると思ってるでしょ? わかるよ、わたしだもの。理性と感情が明確に二分化された、恩を返すだけの救済人形。早々に死んでればよかったんだよ。父さんもバカだよね。愛娘を助けようと努力なんてしなければ、妻を……母さんを殺されることもなかったのに」

「わたしが父さんをバカにするなッ!!」


 他人だったならば、怒りはしたが、殺したいとまでは想わなかっただろう。

 だが、目前の……狂った自分の言葉は赦せない。赦さない。

 そんなことを自分が言ってはならないのだ。自分が言うべきは感謝の言葉であり、嘲笑などもっての外だ。

 自分は救われたのだ。両親に、村の人々に、クリスたちに。

 自分が行うべきは恩返しだ。恩を仇で返すなど言語道断だ。


「ミュールの言った通り」


 チャティスは諦めたように吐き捨てて、引き金に指を掛けた。

 狙うは前に立つ自分。両親を愚弄し、クリスの想いを貶めた倒すべき敵である。

 だが、いつでも発射できる状態となったピストルを見ても、狂者は余裕のままだ。


「だったら、殺せばいいよ」

「言われなくとも。――なッ」


 驚愕に染まるチャティスと狂嬉を浮かべるチャティス。

 狂愛者は剣を地面へ刺し、ホイールロックを投げ捨てた。共愛者の銃身を掴み、自分の眉間へと誘わせる。

 後は引き金を引くだけで、チャティスは死んでチャティスは生きる。

 だというのに、状況は進展しなかった。時が止まったように、共愛者は驚き、狂愛者は嗤っている。


「ほら、早く。憎いんでしょ? 殺したいんでしょ? ワタシがあなたを殺したくてたまらないように、あなたもワタシを殺したくてたまらないはず。だって、真逆だもの。クリスとオリバーが互いを相容れない敵だと思っていたように、わたしだってワタシを理解できないはず。とてもじゃないが受け入れられない、邪悪で、穢れた、殺すべき相手のはずだよ?」

「……っ、わ、わかってる!」


 だが、口調とは裏腹に、チャティスの眼光も殺意の波動も、勢いが弱まっていく。後は指を動かすだけだというのに、人差し指は微動だにしない。

 これが、違いだった。同じ人間であるはずの両者に生まれた、決定的な違い。


「ふふ、やっぱり」


 その差異を理解していた狂愛者チャティスは微笑み、


「な、なんで……」


 困惑する共愛者チャティスは動揺するばかり。

 簡単だよ、と天災は言う。あっさりとピストルを奪い取られた天才に、教え諭す。


「わたしは人を殺せない。綺麗なままでいたいから。でも」


 カチャリ、とピストルを呆然とするチャティスの眉間に突きつける。


「ワタシは何の躊躇いもなく人を殺せるよ」

「――ぁ」


 銃声が唸ると同時に、血しぶきが舞い散る。

 地面に倒れていたミュールが叫ぶ。

 チャティスは小さい悲鳴を上げながら倒れた。

 く、と苦しそうに声を漏らす。

 ひとりではない。ふたりともだ。

 狂愛者と共愛者。両者が仰向けに倒れている。


「な、何が?」


 狼狽するのは白いチャティス。気が狂い、手を汚すことでしか理想を志せなかった折れた者。


「……?」


 反射的に飛び上がり、無傷なままのチャティスは外しようのない距離で弾丸を外した自分を訝しんだ。

 狂愛者の右手が赤く染まり、近くにはピストルが落ちている。

 そこでやっとチャティスは気付いた。外したのではない。外れたのだ。

 撃つ瞬間に何かが飛来して、狂愛者のピストルを撃ち落とした。


「投げナイフ……?」


 チャティスは自分の近くに落ちていた、銀色のナイフを発見する。

 恐らくはこれだ。何者かが森の中から、投げナイフを投擲した。


「ぁ、あ、やめろ」


 急に頭を押さえこみ、膝をつく狂愛者。

 もうひとりの自分は、森の中へと目を向けた瞬間、狂ったように叫び出した。


「やめろやめろやめろ来るな幻影ファントムがぁ!!」

「な、なんっ」

「あああああッ!!」


 狂愛者は剣を抜き取り、狂ったように振り回した。目からは血の涙が流れて、紅い雫をこぼしている。

 危うく切り殺されそうになったチャティスは、疾風の如く現れたオリバーに助けられた。


「無事か、チャティス」

「あ、ありがとう」


 オリバーはチャティスを抱きかかえ、狂愛者から距離を取る。

 チャティスを下ろしたオリバーは、大剣を抜き放ってもうひとりの自分と対峙したが、意外なことに自分は逃げ出した。

 追撃しようと現れた援軍に対し、オリバーは待機を命じる。


「深追いはするな。喰らう者がうろついている」


 了解という部下の了承を聞き届け、オリバーはチャティスを案じてきた。


「怪我はないか?」

「わ、私は大丈夫だよ。それよりもミュールが」

「私も、無事です」


 ミュールは動けこそしないものの、命に別状はなさそうだった。

 オリバーは二人の無事を確認し、無表情ながらにも安堵する。

 狂戦士ベルセルクらしい奇妙な感情表出に、チャティスはクリスの面影を見出すが、先に伝えるべきことを口にした。


「さっきはありがとう」

「二度も礼は不要だ」

「……? 投げナイフのこと、なんだけど」


 今の礼は、チャティスを剣戟から庇ったことではなく、ピストルの狙いを逸らしてくれたことに対する感謝だった。

 だが、オリバーは知らぬ存ぜぬと言った風体で、知らんなと応える。

 彼にわざわざとぼけるメリットはない。ん? と思い返したチャティスは手近に転がっているはずのナイフへと目を落とし、


「あれ? ナイフが消えてる」


 と戸惑ったような声を上げる。

 次いで、ミュールに確認したが、ミュールは倒れていたためよく見えなかったらしい。

 深まる疑問を前にして、チャティスはもうひとりの自分の発言を思い返してみた。


幻影ファントム


 狂乱した時に、自分が言い放った言葉。ファントム。ありもしない幻。


「まさか、ね」


 チャティスは脳裏に上がった推測を片隅へ追いやり、ミュールの治療を始めた。

 今は置いておく。幻の正体を勘ぐることは。

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