変狂の地で
聞こえるのは疑問のざわめきと、早鐘のように唸る鼓動。
声すら上げられず、チャティスはミュールを見つめていた。前かがみに倒れ、手を伸ばしたまま。
「あなたは私たちの敵です」
ミュールは告げる。
銃口はチャティスを狙ったまま外れない。隣に立つアーリアは訝しむ様子で、事態を見つめている。
ミュールは殺気立ったまま、左手で銃身を回転させる。チャティスはやっとそれが彼女の持つホイールロックリボルバーとは別方式のリボルバーであることに気付いた。
三角状に三つ備わっている銃身を回し、点火薬を火皿に載せることで、弾薬の装填なしに発射できる優れもの。
水平二連ピストルの延長線上ともとれるその銃を、ミュールはチャティスに向けている。
「私が、あなたの、敵……?」
か細く、起き上がりながらチャティスは呟く。
信じられないという想いが強い。ミュールはチャティスを想い、最終的に自殺までした人物だ。そして、チャティスはミュールのような悲劇を繰り返さぬために狂戦士を治療すると決めたのだ。
自分の人生を左右したほどの人間に銃を向けられる。チャティスにこれほど悲しい殺意を向けられたことは人生で一度もない。
ミュールはチャティスが立つまで待っていた。だが、銃はチャティスの頭部に定まり、いつでも射殺できるよう引き金に指がかけてある。
万事休す。抗いようのない詰みだった。チャティスはもとよりミュールを殺すつもりはない。
つまり、反撃は考えられず、近場には味方らしき者も存在しない。ミュールは指を少しでも動かせば、チャティスの命をいつでも奪えた。
だが、手を貸す味方はいなくとも、冷静な判断をできる敵は存在していたようだ。
「お待ちください、王女殿下。様子が少々違うようです」
「……どういうことでしょう」
口出ししたアーリアはミュールの疑問に応える。
「まず、見た目。私ははじめ、この者が敵であると気付きませんでした。そのことについて思うところは?」
「確かに、腑には落ちません。ですが」
ミュールはあくまで銃を構えたまま、アーリアの話を聞いていく。
「しばし、お待ちを。次に、行動です。なぜ反撃しないのでしょう。なぜこうもゆったりとした会話が行えるのですか? 本来ならばありえません。敵と交えるのは言葉ではなく剣であり銃なのですから」
「あなたの言葉には一理あります。……いいでしょう」
ミュールはやっと銃を下げ、代わりに鋭い視線をチャティスに送った。
「うっ」
「変な行動をすれば即座に撃ちます。なぜなのか、理由はわかっていますよね」
わからないよ、ミュール。その言葉を呑み込んで、チャティスは不安に包まれながらも、ミュールたちの後を追従した。
道中会話はなく、チャティスはただミュールとアーリア、兵士たちの後ろをついて行くだけだった。時折射抜くような殺気に委縮し、すっかり意気消沈している。
そもそも、ここがどこだかもわからぬのだ。そして、話を聞くべき相手からは、敵意しか向けられないときている。
いくら自信過剰のチャティスと言えども、強気でいられるはずがない。意味がわからず、状況がわからないまま、チャティスはそこへ辿りついた。
「ティルミの村……!」
見紛うことのないチャティスの故郷。しかし、チャティスの見知った村よりも物々しい雰囲気が漂っていた。
控えめだった魔物防御の柵は堅牢なものへと形を変え、村中には以前とは比べ物にならないほどの人がいる。
あちこちに見張りやぐらが立ち、至る所を兵士が警備していた。
村ではなく簡易的な軍事基地。そんな風に、チャティスは思えた。
「正直、いい案だとは思えませんが」
お姫様というよりも指導者、という風格のミュールがアーリアに言う。アーリアは、そうですねぇ、とちらりとチャティスを一瞥してきた。
「しかし、異変は好機かもしれませんよ。このまま狩られる側の我々にとっては」
「……ラグナロクを加速させるための罠かもしれません。あえて無害を装い、我々の懐に忍び込む。……元々、他人に付け込むのは得意なお方でしたから」
ミュールの口調は厳しい。若干懐かしむような表情へと変わったが、やはりチャティスを警戒している。
言い返したいが、変な地雷を踏むことは避けたい。チャティスは黙って状況を見極めていた。
やはり、早急に知る必要がある。ここで一体何が起きているのか。自分の身にどんな変化が生じたのか。
「あぁ、お姉様」
村へと入った一行に声を掛けるひとりの女性。
チャティスはまた慄いた。お姉さま、などとアーリアを呼んだのは自分を自殺させようとしたミーリアだったからだ。
ある意味、クリスが死んだ原因の一端を担う存在。自然と目つきが悪くなり、睨み付けてしまうチャティスだが、意外にもミーリアは気にした様子をみせなかった。
ただ、一言。
「チャティスじゃない」
「っ!?」
意味がわからず意図も察せず、チャティスは呆然とミーリアを見つめ返す。
アーリアはやっぱり、そう見える? と妹へと問い直していた。
「ええ、お姉様。この子はチャティスですよ。私たちを救済せしめた救世主。フェニは王子様だ、とかなんとか言ってましたが」
無論、チャティスは男ではなく女である。フェニはオリバーから聞いた話になぞらえてそう呼称しただけだろう。
だが、チャティスが気になるのはそこではない。なぜミーリアが気さくな態度でチャティスに声を掛けるのか。
ミーリアは人間が嫌いで――チャティスに暴行まで振るった間柄だというのに。
「な、なんで……」
思わず呟いた疑問の声に、ミーリアは愛想よく笑う。
「あなたは歴史に名を残す天才じゃない。それに、私と同胞たちを救ってくれた。笑顔で迎える以外の方法が思いつかないわ」
「……」
絶句し、呆けていた。
説明を求めるように視線はミュールへと移される。だが、いつもアドバイスをくれた王女はチャティスに説明する気はないようだ。
仕方なしとミーリアへ視線を戻す。気まずいながらも会話していく。
「ここって、どこ……?」
「クレスト郊外、ティルミの村よ」
警戒色濃く問い質したチャティス。彼女の問いに平然と応えるミーリア。
だが、返ってきた答えはチャティスが期待していたものではなかった。改めて、チャティスは問う。
「このせ、世界……。変なことを訊いてるとは、思うんだけど」
瞬間、沈黙が一団を包んだ。ミーリアたちは目を合わせ、チャティスに視線を集中させる。
だが、その瞳は例外なくチャティスを疑う眼差しだ。う、とたじろぎながらもチャティスは訊く。
「わ、私は……こんな世界、知らない。まず、故郷には戻ってきてないよ……! 私はヲイガの村にバーサーカーを治療するために赴いて、そこでアーティファクトに呑み込まれて……」
チャティスは頭が混乱しながらも説明する。しかし、ミュールを始めとした狂戦士たちは何を言っているのかさっぱりという様子だ。あげく、チャティスが記憶喪失などではなどという突飛な発想が飛び出した。
断じてそれはない。チャティスはいつの間にか普段通りに、ミュールへと言い返す。
「私は記憶喪失なんかじゃないよ! いきなり鏡に呑み込まれたと想ったら、夢みたいなところで、しかも喰らう者に殺されかけて! なんとか助かったと想ったら、親友に銃は向けられるしアーリアは生きてるしミーリアは気持ち悪いし! もう何がなんだかわからないよ!!」
心赴くままに本音を吐き出したチャティス。ミュールが茫然と呆け、アーリアは興味深そうに笑い、ミーリアはショックのあまり凍りついている。
お? なんか行けそうだぞ、チャティス。そう自分に言い聞かせて、勢いに乗ったままチャティスは自分が敵でないと説得し始める。
「私は人とバーサーカー、両方が幸せに生きる世界を創ろうとしているだけ! 何かの敵になることはないの! 助けを求められたら誰にだって手を差し伸べる、器量の大きい女なんだし、バーサーカーと人の希望でいて、誰よりも頭がいい天才なんだから!」
汗を振りまく剣幕で捲し立てたチャティスは、ふぅ、と額の汗を拭った。
言い切った。自分の伝えたいことを伝えた。後は相手の反応を待つだけ……。
と、安堵したチャティスは戸惑った。
殺意を向けられたからではない。ミュールが、友達が、突然涙を流したからだ。
「あ、あなたは……あなたは本当に、あのチャティスなのですか……?」
「うっ? も、もちろん。私は私。ミュールの友達で、天才だよ」
すっかりいつもの調子を取り戻し、ミュールの背中をよしよしとあやすチャティス。
へぇ、と面白そうにチャティスを眺めたアーリアは、つんつんとチャティスの頬を突いてきた。
「なに? なんです?」
アーリアとチャティスは実質初対面である。どう対応していいかわからず困り果てていると、アーリアは失礼極まりない発言をチャティスにぶつけてきた。
「チャーム持ちのナルシシストなんてどんな変態かと思っていたのだけれど、案外普通なのね」
「変態じゃなくて天才ですよ、私は!」
「けど、歴代のチャーム持ちって異性をひっかけて淫行に励んでたり、バカな人間を集めてぼろ儲けしたりと結構ひどい存在なはずだったけど」
「い、淫行なんてしません! 金儲けは……まぁ、目標ではありましたけど」
思わず忘れそうになるが、チャティスは元々成り上がるために冒険を始めたのだ。実際は恩返しのための成り上がりであり、様々な経緯を経て今へと至る。
「でも、モテるんでしょう?」
「モテたくてモテてるんじゃありません! それに、来る男来る男私の身体目当てですし……」
思わず暗い瞳になるチャティス。悪人にはモテモテだが、魅了に惹かれて現れた男に恋愛感情を抱いたことは一度もない。
純粋に焦がれたのはクリスだけだ。だが、クリスも魅了の影響を受けていたとは思えず、魅了に関しては厄介以外の何物でもなかった。
と、脱線しかかった話題を、チャティスは元へ戻す。まだチャティスは訊き足りないことがあった。
「私はたぶん……夢を見ているか、別の世界に来たか、そのどちらかだと思うんです! 誰か詳しい方とかいませんか? ……ミュール、あなたなら、誰か――?」
友達頼りなチャティスはミュールの肩を揺さぶるが、彼女は泣きながら首を横に振るばかり。ミーリアは、と目を移してもショックを受けたまま固まっている。
どうしようかと悩んだチャティスは、失礼発言をしたアーリアへと目を向けた。アーリアは妹を見やりにんまりと笑って、
「では、愛しい妹の恋するお人に説明してもらいましょうか」
姉の発声に妹はびくりと震える。
顔を真っ赤に染め、初心らしい……チャティスから見て気色悪い態度となったミーリア。その姿を見て、チャティスはとある人物が思い当たった。
「まさか、オリバー……?」
果たして、チャティスの予感は的中することとなる。
「ご明察です、チャティス。私たちのガーディアン、偉大なるベルセルクへと取り次ぎましょう」
答えたミュールは涙を拭い、困惑するチャティスと赤面するミーリアを村の奥へと誘った。
オリバーはチャティスの家にいた。
久しいはずの我が家には違和感しかない。窓ガラスは割れ、家のあちこちに補修した跡がある。
ミュールに招かれるまま家に上がり、廊下を歩く。突き当りにある自分の部屋へと目をやって、チャティスは思わず眉根を寄せた。
バツの形で木材がドアに打ちつけられている。立ち入り禁止、とまで書かれた紙が貼られていた。
(なんで……?)
気にはなったが、今はオリバーだ。リビングには何やら話し込んでいたオリバーと、机で地図を見つめているティロイがいた。
思わず声を出して、父を呼ぶ。
「父さん!?」
「何ッ!?」
ティロイはそう叫ぶや否や、腰からピストルを抜き取った。カチャリ、と向けられるダブルバレルに、チャティスは混乱するしかない。
そこへミュールが割って入り、事態を収拾した。驚きに固まっているチャティスの代わりに、彼女が説明し始める。
「どうやら事態は私たちの想定外へと向かっているようです」
「ミュール……様」
「どういうことだ、それは」
大剣を背負うオリバーがミュールとチャティスを見比べる。
ミュールはまず、チャティスを紹介した。そう、知っているはずの二人にわざわざ。
「この子はチャティスです」
「ああ、わかる。よく知っていますとも。だからこそ――」
「お待ちを。オリバー。あなたなら冷静に見極められるはずです」
あくまで娘を射殺せんとしたティロイをミュールは諭し、オリバーに訊ねる。
オリバーはじっと考え耽り、話してみろ、とチャティスに促した。
当惑するチャティスだが、今までのことを振り返り掻い摘んで言い及ぶ。
「まず、私はここを夢か……別の世界だと思っています。私はヲイガの村でバーサーカーの救済途中にアーティファクトに触れて、気付いたらここにいました」
「アーティファクト? 私の娘はもっと賢いと思っていたが、そのような話をでっち上げるとはな」
「嘘じゃないよ、父さん!」
ティロイに訴えたが、父は娘の言葉を信用しない。信じられなかった。父親がチャティスを案じていたことは幾度もあったが、信用しなかったことは一度もない。何だかんだ言いながら、いつも信じてくれる存在が父親だった。
だが、チャティスの父は疑いの眼を愛娘に向けている。いや、もはや愛娘ではない。憎娘とも言える。
なぜこうなっているのか。その問いの答えをオリバーが持っていると信じ、チャティスはオリバーへ縋るような視線を移す。
思考を終えたオリバーが、皆に言い聞かせるように語り始めた。
「チャティスの話が本当かどうかはこの際どうでもいい。重要なのは、このような嘘を吐いて何のメリットがあるのか、だが」
「私たちの裏を掻き、背後から奇襲する手立てだろう」
ティロイが意見を述べたが、オリバーは首を振って否定する。
「だとすれば、もう行動して然るべきだ。俺たちを殲滅する気なら、既に動き終え、ティルミは虐殺されているはずではないか?」
「より巧妙に、確実な方法として、寝首を掻くつもりではないのか?」
ティロイはまだチャティスを疑っている。次から次へと述べられるありもしない嫌疑に、チャティスは不快感を膨らませる。
気を落ち着かせるように、胸元のペンダントを握りしめた。この首飾りは心のざわめきすら静かにしてくれる。
ふぅ、と小さく息を吐いたチャティスは、視線を感じて訝しむ。議論を交わしていた二人が、チャティスを見下ろしていた。驚愕の眼で。
「な、なに?」
と訊き返すチャティスに、ティロイが恐る恐る近づく。そして、頭に手を触れ頬を触ってきた。
チャティスの肌の感触を確かめた後、じっとチャティスの碧眼を見つめる。チャリアとそっくりだ、と言葉を漏らし、
「……前言撤回だ。この子は私の娘だよ」
終いにチャティスを抱きしめた。照れながらもチャティスは当たり前だよと受け止める。
父と抱擁を交わした後、チャティスは再度オリバーを見やった。ここまでの対応や扱いで見えてきたものがある。
「ねぇ、オリバー。質問したいんだけど」
「言ってみろ。応えられる限り善処しよう」
チャティスは小さく頷き疑問を述べる。身の内から湧き起こる疑問。それは――。
「この世界の私について、教えて」
――ここに本来いるはずの自分について、である。
ミュールの応対を見た時点で気づくべきだったのだが、チャティスはいささか混乱していた。そのために遅れた発覚に、オリバーは神妙な顔で首肯する。
「この世界のお前、か。……やはり、二人いるべきと仮定した方がよいだろう」
オリバーの目配せにティロイは賛同した。場にいる全員をオリバーは見回し、皆から肯定を受け取った後、改めてチャティスに語り出す。
「まず、どうして世界がこのようになったか、そこから話さねばなるまい。長話になるが問題ないな?」
「無問題だよ。私の話なんだからね」
チャティスはティロイが持って来た椅子に座り、オリバーの語るこの世界の自分について傾聴し始めた。
「――語るにはお前があの男と共に、俺の拠点へ訪れたところからがふさわしい。ベルセルクと共に現れたお前は、俺たちの意見や敵意などを無視し、罵声を浴びながらもバーサーカーたちを救い出した」
曰く、チャティスは自分の相棒と――恐らくはクリスと――オリバーの和解に成功した、らしい。
この世界の自分はかたっぱしから狂戦士を救っていたのだという。クリスと出会って間もない頃に死んだアーリアが生き、チャティスの前で自殺したミュールが息をしているのもそのためらしい。
ある意味自分が成せなかったことを、この世界のチャティスは成していた。何も成せず、ただ人や狂戦士が死んでいく様を傍観していた自分とは比べ物にならないほど有能だ。
話を聞きながら頭をもたげるのは、もし自分がもっと積極的であったなら、という仮定だ。もしアーリアにトドメを刺す前にクリスの元へ走っていたら。もし、ミュールの自殺を何が何でも阻止していたら。
もし、もし、もし、もし。仮の出来事が頭を巡り、チャティスは後悔に包まれる。
「続けるぞ。そこから、お前たちは手始めとして大陸の救済に乗り出した。調合した薬を配り、手に入れた花の種を配布し、レシピを伝聞させた。青い花は大陸中に広がり、大陸から狂化戦争は消え失せた。万事解決、チャティスは天才として崇められ、バーサーカー同士の争いはこの世からなくなった……と思われた」
「……思われた?」
不穏な言い止めをチャティスは訝る。オリバーは悲しげな瞳を覗かせて、説話を続けた。
「そうだ。狂化戦争は消えた。バーサーカーは狂化しなくなったからな。代わりに、チャティスの薬や花を利用して別の戦争が始まった。あえて言うなら、狂戦士戦争とでも言うべきか。コントロールができぬ兵器は欠陥品だと俺はお前に言ったが……お前は意図せず制御の方法を大陸中、いや世界中に広げてしまったというわけだ」
「っ」
息を呑まずにはいられない。
生前、オリバーが危惧していた事柄。オリバーはチャティスに警告していた。薬を悪用する輩が出てくると。
この世界では、彼が危険視した通りの事象が発生しているようだ。ミュールやアーリアが狂戦士の戦闘力を発揮しながら狂化しなかったのも、恐らくはチャティスが原因だろう。
胸が痛みながらも、チャティスはオリバーの話を聞いていた。オリバーもまた、チャティスが傾聴する限り、言葉を止めるつもりはない。
「大陸各地で、今までとは比べ物にならない規模の戦乱が勃発した。暗黙の了解がなされていた戦場は、歯止めが効かぬ混沌へと転化した。三つの国が一日で壊滅することなどもあった。ただでさえ気が狂っていた人間たちは、もはや手の付けられぬ怪物へと身を落とした。欲望を満たし、血で血を洗い、狂気の笑い声が戦場を響く。……地獄は死後の世界ではなく、生前の世界にあった」
「たくさんの人が死ねば、理不尽に殺された恨みや憎しみなどの怨嗟が漏れ出る。死体から零れ出た魔力が怨嗟に反応して、腐海が形成される……」
「その通り。だからこそ世界は救われず、狂しみだけが満たされる。世界の終りの始まりだ」
世界がなぜこうなったのかは把握できた。だが、まだ肝心の回答を貰っていない。
促すように尋ね訊く。じゃあ、私はどうなったんですか、と。
この問いの回答はオリバーではなく、傍に立つミュールが代弁した。
「チャティス、あなたは人々とバーサーカーを救済しようと奔走しました。一度救えたのだから、二度目も絶対にあると信じて。ですが、戦いの途中に不幸が起き――壊れてしまったのです」
「こ、壊れた? 私が?」
疑いと動揺を混ぜた視線を親友へ送る。ミュールは悲しみに愁いた瞳で、チャティスを見返した。
「壊れた――狂ってしまったのですよ。彼の理想を成すだけの狂愛者へと」
※※※
「どーこ、どーこだ」
闇の中を少女が進む。そこに自分の求めるものがあると信じて。
聞こえるのは狂ったような笑い声。否、ようなではない。事実として、狂ってしまっていた。
どうしようもなく壊れて、狂しんでいた。暗い闇が心地よく、眩しい太陽を汚らしく思えるぐらいには。
「どーこ、どこにいる――?」
探し物は見つからない。でも、闇は自分の味方だ。闇と共に進めば、それは見つかる。絶対に。
闇の中で光は目立つ。眩いくらいに輝いて、どこにあるかが一目でわかる。
そう……それは輝いている。闇を知らぬから、煌々と輝ける。理想が正しいと信じているから、声高らかに謳えるのだ。
だが、少女は知っている。理想とは無力であり、現実こそが正しいのだと。
夢は所詮夢でしかなく、見るだけの儚い存在なのだと。
だから、壊すのだ。輝きはいらない。煌めきも必要ない。
あるのは闇だけでいい。暗い暗い、とっても昏い、闇だけで。
「だいじょうぶだよ、わたし。すぐ、真っ黒に染めてあげるからね」
少女は――狂愛者チャティスは、血の涙を流しながら嗤う。




