狂いし世界に
次の日の朝、チャティス一行はヲイガの村に向かうため出立した。小生意気な二頭の栗色馬の制御はシャルに任せてある。御者席からは、ひとりと二頭の楽しそうな会話が聞こえてきた。異常な光景だが、もはやチャティスとキャスベルにとっては正常だ。
「ティルミの草が一番おいしいの? ここら辺のは?」
シャルが馬たちに質問すると、馬はひひんと返答した。
「え? あまりおいしくない? でも、牛乳はとてもおいしかったけど」
「何だか頭がおかしくなりそうね」
どうやら、正常だと思っていたのはチャティスだけだったらしい。
キャスベルは、動物と話せるシャルの特性にあまり理解は及んでいないようだ。それもそのはず、キャスベルはあくまで自身の技量を信じる暗殺者だ。魔術や奇跡などという行為には縁遠く、彼女にとって不可思議な現象は理解の範疇外にある事象だった。
彼女の兄であるギムネスは暗殺魔術に長けており、クリスすら出し抜いていたものの、魔術の心得のない彼女にとって未知とは不明瞭かつ受け入れ難いものだ。
「馴れたんじゃないの?」
チャティスが訊くと、ええ、まぁ、とキャスベルは言葉を濁す。
「実際シャルの通訳通りだし。動物だってシャルの口笛には反応するしね。でもやっぱり、よくわからないものよ。世界はまだまだ謎だらけ。アーティファクトだってね」
「やっぱりあの噂はアーティファクト繋がりだと思う?」
神々の遺産。キャスベルもまた、チャティスと同じくバーテンダー兼情報屋の話を眉唾ものとは考えていなかったらしい。例え未知の領域だとしても、とキャスは続ける。
「友達が信じてるなら、私も信じるしかないじゃない。無ければ無いでいいとは思ってるけど、念のため、あるということを仮定しなきゃならないし、それに……」
「それに?」
チャティスが訊き直すと、キャスは恥ずかしそうにそっぽを向いた。
「兄者にもし逢えたらな、なんて」
「……そっか」
「ちょっと、なんでしんみりするのよ」
キャスベルの兄であるギムネスが死んだことを思い返し、同情的な視線を彼女へ送ったチャティスだが、キャスにとっては予想外の反応だったようだ。
アサシンであるキャスは兄の死を割り切っている。ガルドを暗殺してしまったことは申し訳が立たないものの、ギムネスが優れたアサシンであることには変わりない。むしろ、死者に惹かれている甘さが気恥ずかしかったキャスベルは、そっぽを向いて口を動かす。
「とにかく、死者に逢うのはバーサーカーを処理した後。そこんところははき違えないでね」
「もちろん。キャスベルは心配性だね」
心配にもなるわよ、とキャスベルはぼやく。何か言った? と誤魔化して、チャティスは道の先を視た。
今歩くのは生者の道。そして、死者の道でもある。草が生い茂り、人通りのあまりない村道。
朝日が照らすこの道は、世界は、夜になると暗闇に包まれる。死界と生界が繋がる曖昧でおぼろげな道へと変化する。
ラグナロクが起きる前、終わりの世界で神々が使っていたとされる不思議な道具は本当に実在するのだろうか。チャティスにはわからない。しかし、フォーリアスはあると語っていた。大陸最高と評される老魔術師が語ったのならば、本当に実在するのだろう。
だがそれは、あくまで禁断の力だ。ティロイでさえも、チャティスの治療にアーティファクトを用いなかった。実用に足るものがなかっただけかもしれないが、自分を救った父親は独力で死神の病を打ち倒したのだ。
死神から逃れたはずの自分が、死神に近いアーティファクトへと足を進めている。
「――叶えたい願いはあるか? ならば、お前が一番大切にするものを差し出せ。さすれば、我が願いを叶えてやろう」
「突然どうしたの?」
「リリティの物語。何でも願いを叶えてくれるって言っていた錬金術師が出てくるんだけど、その人はただの詐欺師だった。リリティは嘘を見破り、錬金術師の悪行を食い止める。でもね、この話はハッピーエンドじゃないんだ」
「……どうなったのよ」
「リリティは糾弾されるんだ。なぜ嘘を嘘だとばらしたの、って。あなたがいなければ、私はいつまでも夢を見ることができたのにってね。その人は、錬金術師が創り出した金細工の中に自分の最愛な人が宿っていると信じていた」
キャスベルが渋るような表情で唸る。結果オーライじゃない、と。
「気付かなかったら、虚しいだけよ。何の魂も宿っていないがらくたを、いつまでも大切に持っていたなんて」
「でも、信仰の力は存在するよ。信じる力ってのは強力だからね。魔術だって、最初は“斯く在れ”なんて指標が存在したわけじゃない。魔術は多くの人間の献身があったから発展してきた。後は志す人間の心さえまともなら言うことないんだけど」
ほとんどの魔術師がくそだってことはわかってるけどさ。キャスベルは不満げだ。
「虚構は所詮虚構よ。偽物は偽物であり、本物になることなんて絶対にない。もちろん、偽物ならではの味はあるけどね。真実が人を救うとは限らない。でも、真実を知らない人間は永遠に救われない」
「そうかな」
「そうよ、絶対。私はアサシンだから、真実が如何に大切で大事なのか、あなた以上にわかってるつもりよ」
言葉を濁したチャティスに、毅然とした態度で応じるキャスベル。どうやらこの話は平行線らしい。
これ以上言い合っても疲れるだけなので、一度議論を打ち切った。キャスとしてはまだまだ語りたかったようだが、チャティスの頭をもたぐ問題は累積している。常時ならばともかく、今の心理状態ではあまり話したくはなかった。
「真実は大事で大切か。……でも、もし嘘だったとしても――」
――あの人に逢えるならそれでも構わない。
チャティスは本気でそう思っていた。半分ほど、死者に呑み込まれていたかもしれなかった。
到着したヲイガの村は、ティルミの村と同じくらいの規模だった。だが似ていたのは村の大きさだけで、村人はティルミに比べて好意的だとは言い難い。
「よそ者」「よそ者だ」「旅人がやってきた」
村に入って開口一番に浴びせられたのは出迎えの言葉ではなかった。ヤクド民族のような好奇の瞳ではなく、淡泊とした奇異なものを見る視線。
代表者らしき村の老婆が進み出て、馬車から降りたチャティスを睨み付けた。
「よそ者が一体何の用だい! ここには何もないよ!」
いきなり敵意をぶつけられ、チャティスは言葉に詰まってしまう。言いあぐねたチャティスを見かねてか、キャスベルが毅然な態度で言い返す。
「嘘つきなさんな、ご老体。……バーサーカー、ここにいるんでしょ?」
キャスが狂戦士という単語を口にすると、村人たちはざわついた。やっぱりね、と得意げな表情でチャティスへウィンクしたキャスに、老婆が憤怒の声で言い及ぶ。
「知らんね! バーサーカーなどとは! 何もないって言ってるだろう!」
「あーはいはい。老人には優しくするつもりだったんだけど、ここまで邪見にされると頭にくるわ。――マスターの称号を兄から受け継いだアサシンとして今一度問う。ここに、バーサーカーはいるのかしら?」
村人たちに戦慄が奔る。アサシンという名がよほど効いたのか、老婆の眼光が弱くなった。しかし、老婆は頑として狂戦士の存在を認めない。代わりに、村の外れに存在する物について言いよどんだ。
「いないって言ってる。……村はずれに、奇妙な鏡があるからそれでよしとしとくれ」
「アーティファクト?」
喰いつくような声を出したシャルに老婆は首肯した。
「らしいね。……よそ者なんて死者に呑み込まれちまえばいいのさ」
老婆が吐き捨てるように言い、集った村人たちは散り散りになった。
チャティスは左胸に手を置き、自らの鼓動音を聞く。何かを期待し、心臓が早鐘のように鳴り響いていた。
「……ねぇ、チャティス、聞いてる?」
「え?」
シャルに問いかけられたチャティスは、先んじて話されていた話題を全く聞いていなかった。ごめんなに? と訊き返して、キャスベルと今後の方針を話し合っていたことを知る。
「あ、そっか。うん、どうしようね」
と答えるチャティスの返事はどこか上の空だ。シャルとキャスは気遣うような視線をチャティスに向け、やれやれとキャスベルが嘆息した。
「まずは確実にありそうなアーティファクトの元へ向かいますか。バーサーカーについては少し情報を集めないとならないだろうし」
「う、うん。それがいい、それがいいね……」
適当に返しながら、チャティスはどこか熱心な瞳を虚空に向けていた。その眼は、シャルが不安に顔をしかませるほど、どこか熱狂的で執着心を感じさせる狂愛の視線だった。
※※※
キャスが目についた村人から暗殺者的情報収集術でアーティファクトの居場所を吐かせた後、チャティスたちは村はずれの洞窟まで馬車ごと移動していた。馬車を連れ立っての移動は、村人が信用ならないためだ。
ここまで排他的な村だとは露知らず、予定を狂わされたキャスベルは何度も何度もため息を吐く。今度こそ狂戦士を救済できると思っていたのに、その目論見すら狂わされそうだった。
だが、それよりもキャスベルを嘆かせるのは友人であり仲間でもあるチャティスの様子だ。
「…………」
チャティスはボーッとしたまま、虚無の空間に目を落としている。明らかに様子がおかしく、アーティファクトに近づけば近づくほど具合が悪化しているようにも見える。
だが、一度引き返そうとすると尋常じゃない気迫で戻らないでとせがまれた。どうしようかと悩んだあげく、シャルの助言でこのまま進むことに決めた。
「あのジジイが存命ならねぇ。本当に大丈夫かしら」
不可思議なものに対する専門的な知識はキャスにはない。どちらかと言えば、チャティスの方が詳しいのだ。
ある意味一番知識を持ち合わせていたチャティスがこの状態では、どん詰まりと言っても差し支えない。
だが、シャルは不安と信頼を混ぜ込んだ視線をチャティスに注いでいた。チャティスなら大丈夫ともうひとりの友達に言われれば、キャスベルとしても承諾するしかない。
「チャティスなら大丈夫。チャティスなら、平気。チャティスなら、何とかする。……たぶん」
「今たぶんって言った!? ちょっと、あなたが大丈夫って言ったからここまで来たのに」
そろそろストレスで胃がどうにかなってしまいそうである。このメンバーの中で世俗に詳しいのは自分だけ。加えて戦闘力も自分が上である。自分の力で導き、自分の力で助け、自分の力で状況を打破しなければならないキャスベルにとって、チャティスたちとの冒険は己との戦いだ。
口を衝いて出たクリスがいればというぼやき。その愚痴に反応して、ただならぬ様子のチャティスが呟く。
「クリス――」
しまった、と思った時にはもう遅い。
チャティスは膝をついて、自分の身体を抱きしめていた。奇妙な行動には異常な言動が伴う。
「私――私って本当に可哀想」
「いっ!?」
「チャティス」
チャティスは愛おしそうに身体に手を回し、色っぽい吐息を口から吐く。いくらナルシシストのチャティスと言えども、ここまでの奇行をとったことは一度もない。
やはり、何かがおかしい。キャスベルはチャティスを連れ戻そうと心に決めて、その肩へと手を伸ばした。
そして――自分に向けられた銃口に言葉を失う。
「やめて。触れないで。私を傷付ける気?」
「っ!?」
チャティスは立ち上がり、ホイールロックリボルバーでキャスベルたちへ狙いを付ける。片手で。彼女本来の独特な構え方ではない。
「な、何を、何が?」
「チャティスの気が狂った……?」
動揺しながらも二人はチャティスを心配そうに見つめる。チャティスはやはりどこか異変な態度で、左手を心臓へと当てていた。
そして、自己愛を発揮する。後ろへ下がりながら。
「私がどれだけ辛いかわかる? 私がどれだけ大変かわかる? 色んな人間の、たくさんの期待を私は一心に背負っている。勝手に託して、勝手に死んでいった者たちの。あなたなら世界を救える、あなたならバーサーカーを治せる。みんな好き勝手に笑って死んだの。私の気持ちも考えないで」
「あ、あなた一体何者!?」
普段のチャティスなら絶対に言わない言葉。だが、チャティス……らしき人物は銃を構えたまま後退を止めない。
「私は私。私が大好きな私。私が好きなのは私だけ。世界も人も、バーサーカーもどうなったって構わない」
「チャティスはそんなこと言わない……っ」
シャルはじりじりとチャティスに距離を詰める。だが、チャティスは予備のフリントロックピストルを引き抜いた。
二丁拳銃で二人の行動を制限する。その間も歩みは続く。
「バーサーカーを救いたいなら、あなたたちで救えばいい。花も薬もレシピも、あなたたちの手中にある。私――私は、私がしたいことを私が満足するまで行う!!」
そういってリボルバーを撃発。頭上に穿たれた弾丸は、地盤の緩くなっていた部分に命中。
道を塞ぐように落石が起き、キャスベルたちは道を阻まれた。
「チャティス!」
「くそ、チャティスを返しなさい!」
だが、チャティスは、チャティスを乗っ取った何かは、狂ったような笑い声を上げて奥へと走り去ってしまった。
※※※
「わたし――ワタシのたった一つの望み、願い」
チャティスは狂った笑みをみせて、愛おしそうにソレを撫でる。
チャティスが辿りついた洞窟の奥には、一つの巨大な鏡があった。
白い装飾の施された鏡台。縦長にそびえ立つ巨大な鏡。
鏡には笑うチャティスが写っている。自分の顔にチャティスは熱っぽい目線を浴びせた。
「あぁ――逢いたかった、逢いたかったワタシ。虚構でも現実でも構わない。私がいなければ、ワタシの願いは叶わない。必要なのはわたしとワタシ。想い人を喪って、哀れで悲しい可哀想な私」
うふふ、と笑い声を漏らしながら、チャティスは自分の頬を撫でた。今は自分の身体が、肢体が、どうしようもなく愛おしい。
自分の身体を隅々まで触りひとしきり堪能した後、チャティスは鏡に手を伸ばそうとし。
左手が、クリスがくれたペンダントに触れた。
「――ッ!?」
はっとした表情となったチャティスは、どうして自分がこのような場所にいるのか、状況把握に時間が掛かった。
おかしい、有り得ないという想いが脳裏と身体を駆け抜ける。ヲイガの村に辿りついたところまでは覚えているが、その後の記憶が曖昧だった。
確かまず狂戦士をどうにかしてから、アーティファクト探索に踏み切る予定だったはず。だが、今自分はどこにいるのか。
否が応でも目につくのは巨大な鏡と、鏡の中の自分。
とりあえずキャスベルとシャルを探さなければと手を引っ込めて、気付いた。
「えっ!?」
鏡の中の自分が嗤っていたということに。
「アハハハハハッ!」
「なっきゃ!?」
鏡にいる自分が鏡の外にいる自分の手を掴む。
チャティスを引きずり込む。鏡の中に。
鏡の中の幻想に。
「は、離し――うわぁ!」
大した悲鳴も上げられないまま、チャティスは鏡の世界へと迷い込む。
「ん……ああ、そうか。また、か」
暗がりの中、目を覚ましたチャティスは、またここかとうんざりした。
また夢の中だ。暗い暗い夢の中。探せば灯りが見つかり、家の中には死者が住まう。
死者であり、使者。何かを伝えるべく現れたミュールが、紅茶を淹れて待っているのだ。
だが、いつもならすぐに見つかるはずの家が見つからない。それどころか今までとは比べ物にならないほど身体と踏みしめる大地が現実味を持っている。
「な、何が?」
動揺し瞠目して、周囲を見回す。ヲイガの村近辺かとも思ったが、何となく辺りには見覚えがある。
だからこそ、違和感を禁じえない。強烈な差異をチャティスは感じている。
暗すぎるのだ。空には太陽らしき光が微かに見えるのに、世界は恐ろしいほど真っ暗だ。
そう……まるで、ヤクドの赤山から眺め見た邪悪に染まる腐海のように。
「――まさか、いや」
ふと何気なく脳裏をよぎるのはミュールの言葉。
世界の終末。狂化戦争の終着点へとチャティスは思いを馳せる。
あまりにも似すぎていた。
自分が想像する世界の終わりと、ここは酷似し過ぎている。
「妙な妄想はしないっ! 私は天才だから! 何とかして目を覚まさないと」
これは夢だ。夢でなければならない。現実であってたまるものか。
チャティスはとりあえず道なりに進む。暗くて進みづらいが、この道は足に染みついてよく見えなくても動くことができる。
それほどなじみ深い道をチャティスは歩んでいた。先へ先へ、遥かなる道の先へ。
だが、その歩みは唐突に止まることとなる。
「ッ!?」
チャティスが肩を震わせたのは、背後から聞こえた咆哮が原因だった。
息を求めて喘ぐような、独特の絶叫。一度聞いたら忘れもしないその声は――。
「喰らう者ッ!? どうして!?」
チャティスは叫ぶ。その叫び声に負けじと敵も咆える。
以前チャティスが見た個体よりも動きが素早く、活きもいい。
死んだクリスは言っていた。この喰らう者は弱体化していた、と。
今チャティスを喰らわんとする敵は、本来のパワーとスピードを発揮している。
「ッ」
銃すら間に合わず、悲鳴すら喉の内から上がらない。
一瞬、ほんの一瞬だった。気づけば目の前に黒き巨体は立ち、左手でチャティスの首を掴んでいた。
どす黒い体表。漆黒の左手がチャティスの柔首を掴み取っている。
空気を吸おうと必死に足をバタつかせるが、穴の空いた顔が自身に迫り来るのを目視する。
「く……うッ」
それでも抗うが、逃れられない。チャティスの胸中に疑問と後悔が湧いて出る。
あぁ――クリスがいなければ、私は何もできやしないんだ――。
そんな情けない想いが心を巡った刹那、銃声が轟いた。
「く、はッ」
突然首を離され、空気がチャティスの喉を駆け通る。肺が驚きながらも空気を溜め込む。心臓が全身へと送り出す。
「う、は、ぐ」
声にならない悲鳴を上げながら、まず手を黒い血で汚した喰らう者を見上げる。次に、息も絶え絶えのまま銃が穿たれた方角を見る。
「――っ」
驚愕に目を見開いた。暗闇の中でも一目でわかる金色。
兵士の集団を引きつれ、右手に見慣れないピストルを構えるその人は……。
「ミュー、ルッ?」
「いつも通りの対応を。足止めに徹してください!」
ミュールが命令すると、マスケット銃を構えた兵士たちは散り散りになった。一見無策に思えるその配置も時間稼ぎという点では効果的だ。
分散した方が、時間を稼げる。撃破ではなく現状維持を目的とした作戦だった。
兵士たちが各々のタイミングで銃を撃つ。無理はしない。銃を撃てば遠くまで下がり、喰らう者が迫れば銃を捨てても逃げようとする。
木々をなぎ倒しながら迫る喰らう者が兵士のひとりに追い付いた時、強烈な閃光が輝いた。
「感謝します、アーリア」
「いえ、王女殿下。これくらい何ともないですよ」
素知らぬ顔でミュールの隣に立つ黒髪の女性に、チャティスは言葉が出なかった。
アーリア。これまた故人だ。チャティスの先には、死んだ王女と魔術師が共闘するかのように並んでいる。
「さて、そろそろ使いましょう」
「果せのままに」
アーリアは白いローブの裾をめくり、ミュールもまた戦ドレスの左裾をまくる。
現れたのは刻印が記されたガントレットと――見間違えもしない――クリスがチャティスにくれたペンダントと似た宝石が埋め込まれていた。
青白い光が二人を包み、消える。後には、何の変化もない二人だけが残った。
否、変化がないように見えたのは外見だけだったらしい。
「行きますよ!」
ミュールはレイピアを抜き放ち、喰らう者へ向けて駆けた。狂戦士特有の脚力で。
アーリアは冷静に、狂化しなければ発動できないほどの高位魔術を喰らう者へと飛ばす。
(何が? 二人の様子はまるで……)
二転三転する戦場。チャティスの思考はおぼつかない。
だが、理性ではわからなくとも直感的に理解はできた。二人の戦闘力は狂戦士のものであることに間違いない。
問題は、二人がまるでクリスやオリバーのように理性を保持した状態で戦っていることだ。
アーリアであれば、わかる。アーリアは狂魔術師にしかなしえない魔力量を利用して、強引に理性を獲得していた。しかしこれは、殺人衝動を抑えられない紛い物だったと彼女自身が言っている。
ミュールに関しては理解し難い。あの宝石が青い花の加工品だったとして、アレには狂化抑制の効果しかなく、狂戦士の戦闘力は発揮できないはずだった。
だが、事実として二人の動作は狂戦士じみている。
ミュールがレイピアで喰らう者の胴を射抜き、アーリアの魔術が右腕を吹き飛ばした。
フフ、と不敵な笑みをみせたアーリアは左手に魔術剣を構築し、喰らう者を真っ二つに切り裂く。
上下に別れた喰らう者。ミュールは慈しんで、穴顔へと刃先を突き刺した。
「楽勝でしたね」
「……数十人対一、という戦力差でした。これが一体だけなら特に問題はありませんが……」
憂いを秘めた顔で、ミュールはこちらへと歩いてくる。自分が救った人間が誰だか気付いていないようだ。
大丈夫ですか、旅のお方。初めて会った時と同じように、ミュールは整った顔立ちをチャティスに向ける。
伸ばされた右手。チャティスはありがとうと応えながら掴もうとして、
「な、んで」
と衝撃を受けた顔で、彼女が手を引っ込めるのを目視する。
「え……?」
その行為はあまりにも衝撃的だった。チャティスにもミュールにも。
死んでなお自分に助言をくれた親友。切っても離せないともだち。その手は握られることがなく、ミュールは後ずさり、チャティスは手を伸ばしたまま呆けている。
ミュールは数歩下がった後、怪訝な表情のアーリアと後方に控える兵士たちに警告した。
「ミュール王女?」
「お気をつけて。武器を執ってください」
言いながら、ピストルを抜く。銃身が三つ、三角状に取り付けられた特殊ピストル。
チャティスの知らない、ペッパーボックスと呼ばれるピストルをミュールは向けた。
「あなたに差し伸べる手はありません。あるのは、銃口だけです。――死んでください、チャティス」
言葉よりも正確に、想いよりも明確に。
銃口はミュールの意志をわかりやすく表していた。




