新たな冒険へ
結末だけに目を向ければ、戦いの勝者はチャティスと言えた。
狂戦士同士の争いをこの世からなくすためにクリスとオリバーが選び取ったのは、狂戦士の殲滅でも人間の虐殺でもない。
チャティスの祈りと想いの通り、人と対話し狂戦士の呪いを治療するという不確定な未来だった。
一番不安定だと二人が知っていたはず選択肢。絶望に染まりやすい脆く儚く壊れやすい希望。
だが、二人は自分たちの方法よりもチャティスのやり方が良いと判断した。
だからオリバーは狂化せずクリスに殺され、クリスは自分の胸に剣を突き立てた。
チャティスを残して死んだ。チャティスを守るために自殺した。
その選択が本当に正しかったのかどうか、チャティスにはわからない。
チャティスとクリスの旅が終わりを告げて、既に半年もの月日が経過していた。
チャティスは、テーブルに大量の材料を並べて吟味している。うーむ、と唸った彼女の耳元に、コンコンというノックの音。
「チャティス、来たよ」
「あ、シャル。入って」
シャルがドアを開けて入ってきた。すっかりティルミの村に馴染んだシャルは、チャティスの母親チャリアから貰ったおさがりの服を着ている。
赤い瞳を不思議そうに覗かせ、青い髪を振り巻きながらチャティスの元へと歩み寄る。
「……できたの?」
興味津々といった様子でシャルはテーブルを見回す。すぐに言うか後にするか。茶目っ気が湧いたチャティスはふふふと意味深に笑って焦らす。
「ねえ、チャティス」
「わかったわかった。……できたよ。まだ試作段階だけどね」
チャティスは薬棚から一つの瓶を取り出した。瓶の中には球状の薬が入っている。
これがチャティスがティロイと協力して発明した薬だ。まだまだ改良の余地はあるが、カタチにはなった。何度も思索し失敗して、やっとできた薬だ。
“彼”との約束を果たすための薬。この中には、チャティスの想いと彼と彼女の理想が込められている。
「……呑んでみても?」
「いいよ。そのためにあなたを呼んだんだから」
チャティスは瓶から一つ青色の薬を取り出し、シャルへと手渡した。コロン、と手のひらを転がった薬に目を落とし、シャルはゆっくりと口の中に放り込む。
チャティスに渡された水で流し呑んで、一息吐いた。
「どう?」
「味がしない」
「いや味じゃなくてさ」
花の効果は即効性だ。呑んで身体に入ればすぐにでも効き目が現れる。
花について調べていたティロイは、これは神の情けなのではないかと分析していた。
神の慈悲だと。狂戦士を狂悩から解放するため遺された、唯一の解決策なのではと。
服用してからしばし考えるように目を瞑ったシャルは、んーと唸って、
「いつもと変わらない」
と感想を述べた。
つまりは失敗だった、ということだ。
「そっか、また振り出しかー」
落胆するチャティス。だが、これも仕方のないこと。
薬はそう簡単にできるものではない。本質的には毒なので人体に悪影響を与えてしまう可能性があるから、調合する際は最新の注意を払って行わなければならないし、それだけではなくいっしょに混ぜた薬材が肝心の効果を打ち消してしまう場合もあった。
人体実験などという非道な手段はとれないため、あくまで毒性がないかどうか調べた後、シャルに服薬してもらうしかない。そのため、シャルに効果がなければまた最初からなのだ。
しかし、はぁと嘆息するチャティスの肩を叩き、シャルは首を横に振る。
否定の意。しかし、意味がわからずチャティスは訝しんだ。シャルは違うよ、と声に出し、
「いつもといっしょ。……この小瓶を掛けた時と」
「え……!? それって――!!」
シャルが小瓶の紐を摘まみ、チャティスの目が輝き出した。どうやら薬の効き目があるらしい。
まだ治療薬とまではいかない。ただの狂化抑制薬であり対症療法の段階なのであるが、着実な進歩を踏みしめられ、チャティスは多いに喜んだ。
喜びのあまりシャルに抱き着き回転し、報告に行ってくる! と大声で走り去ってしまう。
「ん、行ってらっしゃい」
乱れた服を直しながら、シャルは笑顔で見送った。きっと彼のところに行くんだろうと。
急いで取ってきた青い花。息苦しさすら気にならず、チャティスは一心不乱に走っていた。
目的地について、息を整える。花を手向けるように置き、笑顔をみせる。
「ねえ、できたよ……やっと」
チャティスの前には墓石がある。墓石は二つ。ひとつの名前はサーレ。もうひとつの名前は――。
「喜んでる? 褒めてくれるかな? たくさん褒めてもいいんだよ?」
チャティスは親しげに語りかける。返答はないとわかっている。それでも会話は、報告は止まらない。
「すごいでしょ? 本当はさ、薬ってもっと時間が掛かるものなんだよ? それをたった半年で……。あなたが遠くに行っちゃってから、私はずっと研究してたよ。あ、今変なこと思ったでしょ。旅に出なければもっと早くできたかも、とかさ……全く、失礼しちゃうな」
チャティスはひとりで会話に応じれた。彼が何を考えているのか何となくわかった。
彼が目の前に立っていなくても、彼に共感できる。彼の表情すら想像できる。
きっと無表情の中で、困ったような顔つきとなっているのだろう。微かな変化だが、チャティスには見抜ける。
チャティスの大部分を彼は占めていた。自分と彼が同じ人間だったのではないかと思うほど、彼の想いと情念は、身体の中を巡っている。
だからチャティスは代わりに怒るし泣くし、笑う。苦しい時は苦しんで、楽しい時は全力で楽しむ。
彼の代わりに理想を引き継ぐ。
「またそうやって心配して。大丈夫だよ、私は天才だからね! え? そういう時が一番危うい? またまた、いつも何とかなってたよ。――あなたのおかげで」
てっきり涸れたものとばかり思っていた涙は、いつの間にか復活を果たしていたらしい。
自分が泣いていることに気付いて、あれ、おかしいなと涙を拭う。
「今さ、喜ぶべき時だよね。あなたはきっと微笑を浮かべて、笑っているんだよね。なのに、なんで、泣いちゃうんだろ、あはは……ごめんね、上手くできなくて……っ」
涙は止まらない。嬉しんでいるのか悲しんでいるのか。チャティスは自分自身のことがわからない。
「おかしい、おかしいよね。ああ、ダメだダメ。私は天才なんだから、もっとちゃんとしてないと。泣き姿なんて天才あるまじき姿だよね。私は笑って、もっと、自信満々にしてなくちゃ、ダメ、なのに」
胸元に提げられるペンダントを握り締める。
勇気を貰おうとした。だが、溢れてきたのは悲しみだった。
「何で……っ。何で死んだの……クリス! あなたが生きてさえいれば、それで良かったのに」
気付くとチャティスの感情は爆発していた。クリスの墓石に向かって、自分勝手に捲し立てる。
疑問を慟哭を悔恨を、思うがままぶつけ飛ばす。
「わたし、私は! あなたに助けられて……いっぱい、いっぱい! でも、私ができたのはあなたの足を引っ張ることだけ! ぜんぶ、全部裏目に出た! あなたを、あなたに、私は恩返しがしたかったのにっ! 何で、死んじゃったの……? 私は死んでも仕方ないと……思ってたのに」
正直に自分の想いを吐露する。すがるように墓石へ手を伸ばし、詰まりながらも言葉を吐き出す。
「わ、たし、私は! 生きる理由なんてあるの……?」
理性では答えを持っている。だが、感情はそうはいかなかった。
答えが欲しくて我儘な想いを投げる。戻って来ないとわかっているのに。
「――あるよ、あると思う、私は」
その声は後ろから聞こえてきた。
シャルだ。シャルがいつの間にかチャティスの背後に立っていた。
「私が、天才だから……?」
「ううん、チャティスは天才なんかじゃない」
シャルは近づきながら、少し怒った様子で答える。チャティスの前まで行くと、彼女のおでこにデコピンをした。
な、何を? とチャティスが当惑した瞬間に、抱き着く。
「シャル……!?」
「わかる。チャティスが悲しいの、とてもわかる。私だって悲しいのに、チャティスが悲しくないはずないもの」
「わ、私は」
「怒るのもわかる。だって、チャティスはクリスが好きだったんだもの、どうしようもなくなるのもわかる」
「しゃ、シャル」
チャティスの声が震える。身体を通して、温もりが心まで伝わってくる。
「でもね、あなたは希望なの。私たちみんなの。何かすごいことをやらなくても、その場にいるだけで、私たちを幸せにしてくれる、すごいひと。それにね、チャティス」
自然と涙は止まっていた。ただじっと、シャルの発言を待っていた。
「クリスは、あなたに生きて欲しかったんだと思うよ」
「――っ!」
止まったとばかり思った涙が、一気に流れ落ちる。
そこにいたのはただの少女。天才でも優れた才能を持っていたわけではない。
愛する人を喪った少女は、墓石の前で、気が済むまで涙を流し続けた。
だが、永遠に続く涙はない。無限に続く雨が降らないように。
一通り泣き終えたチャティスは、涙を払って、クリスの傍へと戻る。
墓石に、声を掛けた。もう大丈夫だから、と。
「ごめんね、みっともない姿を見せて。私はもう大丈夫。見守ってて、クリス。サーレといっしょに。私は私の理想を遂げるから。この世から、バーサーカー同士の争いをなくしてみせるから」
じゃあね、と。決意を溢して。
また来るね。そう言い残して、チャティスはシャルといっしょに村へ戻って行った。
優しい風がチャティスの茶髪を揺らす。
なぜかその風は、ありがとうと言っているような気がした。
「――で、本当に行くわけ?」
何度も説明したことを何度も訊き返す幼馴染。
キチュアは顔に不安を張り付けながら、母親のようにチャティスを心配していた。
部屋で準備をしていたチャティスは荷物を纏めながら適当に返す。
「だから行くんだって。ボケでも始まったのかなーキチュアは」
「ボケてない! 無茶だから言ってるのよ! いくら薬ができたからって言っても」
チャティスは手を止めて、キチュアに向き直り強調した。
「薬ができたから、行くんだよ。小瓶じゃ渡せる人に限度があったけど、薬だったら色んな人に配れる。それに花の種も持って行くから、薬師に栽培を頼むことだってできるし、レシピだって渡せる」
「でも、悪用しないとは限らないでしょ? 悪い人の手に渡ったら……」
キチュアの危惧はもううんざりするほど聞かされたし、自分でも散々考え抜いたことだ。
チャティスはため息を吐きながら、天才的発想を幼馴染に教える。
「だから直接私が出向くの。天才の目が黒い内は好き勝手やらせないからね! もちろん、ひとりじゃないよ? シャルだってキャスだって手伝ってくれるし」
「でもっ!」
「――でもじゃないよ、キチュア」
その声にキチュアがハッとして、一気に恋する乙女の顔となる。
その急な変化にチャティスは呆れる。これだから恋愛脳は、と。
「て、テリー。でもぉ」
「チャティスは成長してるし、おじさんの許可も貰ってる。ノアというフストの領主からお墨付きもね。止める理由はないよ、キチュア。……心配する自由はあるけど」
「ちょっとテリー! 余計なことを!」
テリーの助力を得、キチュアは小言のように心配事を並べていく。ああもううるさい、とチャティスが部屋から退室を願うまで、キチュアは延々チャティスを心配し続けた。
気遣いはありがたいが、こうもうるさいと参ってしまう。と、三度ため息をついたチャティスの部屋にまた新たな来客が。
慎重にドアを開いて、訪れたのが母親だと知り安堵する。
「母さん? どうしたの」
「お手紙よ、あなた宛てに」
手紙――? と疑問視しながら封を開くと、そこには大量の悪口が書き込まれていた。
なにこれ!? と憤慨したチャティスだが、差出人を見て納得する。
「ウィレム……あのバカ」
チャティスの出立を聞きつけたウィレムが、手紙を送ってきたのだ。流し読みでさらっと目を飛ばすが、ところどころの文句が目について、チャティスははらわたが煮えくり返りそうになる。
思わず毒づきそうになったチャティスだが、最後の一文で帳消しとなった。
――ノアのピストルを借りたまま死んだりするなよ? 君が帰ってくるまで、彼女といっしょに待っててやる。だから、僕たちが年寄りになる前には帰ってこい。
「……全く、素直じゃないんだから」
チャティスは手紙をポーチに突っ込み、身支度を続行する。
チャリアは部屋に入り、勝手に荷物を漁り始めた。そして、ポイポイ投げ出す。母さん!? と驚愕するチャティスには取り合わず、
「いらない、これもいらない。はいはいこれも。ああ、これも不要ね」
「な、何してるの! 全部必要だよ!」
慌てて駆け寄ったチャティスに、びし、とチャリアは人差し指を突き立てる。
「あなたは捨てられない人よ! お母さんは全部わかってるわ!」
「な、なんっ」
「わかるわ、お父さんだってそうだもの。いらないゴミをたくさん家に持ち込んで、掃除する私に苦労を掛けるひどい人。あなたが拾ってきた石ころやらそこら辺の珍しい花までたくさん持ち込んでること、私は全部お見通しですからね!」
「な、なぜそれを!!」
愕然とするチャティスに母親はにっこり微笑んで、余分なものを排出していく。
おかげで、チャティスの荷物は幾分少なくなった。ああ、と意気消沈し、投げ捨てられた物品の数々に目を落としたチャティス。そこに母親手作りのお弁当が差し出される。
「これ、みんなで食べなさい」
「あ、ありがとう、母さん」
照れながらお弁当を手に取ると、荷物を背負い、チャティスは部屋を後にした。
家の外に出て、荷物を馬車に放り込む。栗色の二頭の馬が、おせえと言わんばかりにいなないた。
うるさい、と文句を返しながら、最後に墓石へと戻る。必要な物はないかな、と頭を巡らせながら。
「水と食糧はたくさん。弾薬も火薬も十分。予備のピストルやマスケットも。薬の備蓄と材料も仕舞った。暇つぶしの本も少し載せたし、着替えだって大丈夫。ああ、あとポコレさんのチーズ……」
とぶつぶつ呟きながらクリスの墓石に辿り着くと、ティロイが先に墓参りをしていた。
父さん、と呼びかけるとチャティスかと気付いて振り返る。
「最後の挨拶か?」
「ううん。また会おうって言いに来たの」
言って、手を合わせる。
お祈りを済ませ、またね、と一言言い残し、父親と共に村へ戻る。
「……決意は揺らがないか?」
父親は心配そうに尋ねてきた。会う人会う人全員に案じられれば、いくら人々に愛されし聡明な少女、チャティスとしても苦笑せざるを得ない。
「ごめんね、父さん。もう行くって決めたんだ」
「そうか。なら仕方ない……」
というティロイの顔は諦めてるようには思えない。何かあればすぐにでも娘を助けに赴かんとする顔だ。
複雑になるチャティスだが、しょうがないと自分から折れる。クリスがいればまた違かったのだろうが、今やあの狂戦士は雲の上だ。心配になるのも当然である。
どうやって安心させようか、と考え耽ったチャティスは、あそうだ! と思いついたように声を上げた。
怪訝な顔をみせる父親に元気よく訊ね返す。
「アレってどこに置いてある――?」
ふうふう、と息を漏らしながら、チャティスは村の正門へと戻ってきた。
チャティスを見送ろうと集まった皆が、訝しげにチャティスを見つめている。全員の注目を浴び、なに? 照れるなーと頭を掻く。
異様なものを見る目つきは、同行人であるキャスベルも同じだった。困り果てたように、背中に背負うそれを見ながら訊いてくる。
「えっと、そのままで行くの?」
「もちろん。これならみんな安心でしょ」
「……むしろ心配になるんだけど。儚げなさが強まるというか」
「何か言った?」
素知らぬ顔でキャスの前を素通りする。御者席の横に立ち、馬と話していたシャルと目が合った。
首を傾げて、質問してくる。重くないの? と。
「全然平気だよ。後ろに乗って」
「う、うん。チャティスがいいなら、いいけど」
困ったような声を出し、荷台へと乗り込む。チャティスは御者席に座ろうとして突っ掛る。
う! と声を出し、仕方なしに背中から外して膝上に置いた。
――クリスの剣を。
「あなたも、いっしょだよ」
チャティスはペンダントを握って、目を閉じる。クリスの声が聞こえた気がして、優しい笑顔を浮かべながら振り返った。
見送っている家族と村人に向けて、別れの挨拶を叫ぶ。また会おうという約束を交わす。
「じゃあ、行ってきます!」
馬車が走り出す。微笑みながら馬車を御するチャティスに、キャスベルが馬車内から訊ねてきた。
「そういえば行き先は? 考えておくって言ってたわよね」
「んー、決めてないや」
「はっえっ!?」
戸惑いを隠せないキャスベル。冗談だよ、とチャティスは笑いながら、
「大雑把には決めてるよ」
との返事を聞き、安堵したキャスベルは、
「バーサーカーがいるところとしか考えてないけど」
という応えに声を荒げた。ふざけんなと言い返すキャスとチャティスのやり取りを眺め、シャルがおかしそうに笑い出す。
「しょうがないよね。チャティスは天才という名の馬鹿者で、人とバーサーカーの希望だから」
喧騒を周囲に響かせながら、馬車は進む。少女たちの想いを乗せて進んで行く。
狂戦士同士の争いをなくすため。クリスの想いを引き継ぐため。
そして、自分が旅をしたいから、チャティスは旅立つのだ。
「大丈夫、なんとかなるって! だって私は――天才だから!」
空高く響く声で、チャティスは言った。自分勝手に、自信満々に、自己愛を発揮しながら。
自分が想うまま、そして放っておけないから旅をする。
これが狂戦士の想いを受け継いだ、チャティスによる新たな冒険のはじまりだった。
――ねえ、何であなたは私を守ってくれたの?
少女は狂戦士に訊く。その問いかけに狂戦士は少し悩む。
だがすぐに、考えるまでもなかったことに気付く。少し間を開けて、狂戦士はこう答えた。
――君を放っておけなかったからだ――。
これでチャティスとクリスの冒険は終わりとなります。
もちろん、チャティスの冒険はまだ続くのでしょうが。
とにかく自分の想う通りに筆を進めてみましたが、いかがだったでしょうか。
読んで下さった方、ありがとうございました




