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薬師チャティスと狂戦士と  作者: 白銀悠一
第八章 薬師チャティスと狂戦士と
52/62

終幕切落

 統率のとれた動きで動く狂戦士たちは、激しさは抑えられているものの確実にクリスを追いつめていた。

 徐々に切迫し、クリスを囲む狂戦士たち。戦場に似つかわしくないミーリアの笑い声が荒野の中をこだましている。


『三十体ものバーサーカーを相手に戦うことができる? 死ね、ベルセルク!!』

「……確かに正面切っての戦闘は難しい」


 クリスを中心に円形陣を描く狂戦士。逃げ場を失ったクリスは、剣を構えて動じない。

 淡々とミーリアと会話を続け、囲まれるがまま待機している。


「だが、背後からならば容易だ」


 そう言うや否や、クリスは煙幕を取り出し、地面へと叩きつけた。

 瞬間、勢いよく煙が広がり、敵勢もろともクリスを覆い隠す。

 白い霧状の煙に包まれた戦場を俯瞰し、ミーリアは狼狽した声を漏らした。


『な……っ。煙幕なんて!?』

「――お前が理性を魔術で無理やり維持しているのはわかっている。アーリアと同じく、狂魔術師ならばの強引な力技で狂化の呪い……身の内に潜む衝動を抑えこんでいるからだ」

『くっ、それが何!?』


 ミーリアは明らかに動揺し、余裕が吹き飛んでいる。

 クリスは煙幕の中、感覚を研ぎ澄ませながらミーリアに話し続けた。


「俺の周囲に展開するバーサーカーたちも、お前の魔術によって統制を執っている。いや、そこまで高度なものじゃない。ただ単に敵と味方の区別ができるようになっただけだ」

『っ!』

「始めから魔術で抑制しなかったのはお前の体力の問題だ。五十体では多すぎた。だから数が減るまで仲間を見殺しにした」

『ちが……っ! ごふっ』


 交信に乱れが生じ、血反吐を散らす音が聞こえる。

 ミーリアはアーリアとは違い自身の狂化のみならず、狂戦士集団の狂化すら任意に調整している。

 それ自体の魔術は素晴らしいが、無理矢理狂化を律すれば、“刎ね返り”の発生は防げない。

 そういう意味では姉の術式の方が優れていた。アーリアは狂化の衝動は抑えられてはいなかったものの、理性を保持したまま狂化できていたのだから。


「だが、仲間を犠牲にした調整魔術もそれほど優れたものではない。……無論、何の考えもなしに突撃すれば脅威だっただろうが、前以て予想を立てておけば取るに足らない術式だ。なぜなら」


 クリスは剣を仕舞い、両腕を内側へと軽く曲げた。

 暗器である仕込み剣が展開、クリスはサーレの教えと自身の感覚を信じ、敵へと静かに接近する。

 そして、呆けるように固まっている敵の急所を腕剣で貫く。


「――敵味方の識別に用いるのは視覚だからだ」


 ゆえに、視界さえ封じてしまえば、敵は行動不能に陥る。

 それがクリスが先んじて予想していたミーリアの戦術だった。

 狂戦士の呪いはとても強力だ。大陸最高の魔術師と言われたフォーリアスでさえ解呪することが叶わず、大量の魔力を有するアーリアとミーリアの狂魔術師姉妹でさえ制御不能なほどに。

 確かに大量の魔力で無理やり抑え込むことには成功した。だが、それはあくまで抑え込んでいるだけであり、完全に律しているとは言い難い。

 そのため、このような単純な策で破綻する。もし補佐として魔術師が他についていれば問題なかっただろうが、そこまで敵の余裕がないことは人数を減らすまで狂戦士たちを調律しなかったことが証明していた。

 敵の戦術を見切ったクリスは、暗殺者の如く敵へと肉薄し、狂戦士たちを一人ずつ暗殺していく。

 ミーリアにはもう打つ手がない。血を吐きながら声を張り上げ、叫んでいる。


『やめろ、やめろッ!! 仲間を……殺すな!』

「それは聞けない。聞く道理がない」


 クリスは無言で佇む狂戦士の顎に向け左腕の剣をねじり込む。血を噴き出す狂戦士の死体を避けて、次の暗殺対象へと接近する。

 煙が晴れてきたのを確認し、もう一度煙幕を投擲。数では勝っていた狂戦士バーサーカー狂戦士ベルセルクに無抵抗のまま殺されていく。

 これが理性獲得の有意性だった。クリスはサーレを代償に狂戦士たちを屠る力を会得したのだ。


『くそ……やめ……やめてくれ……』


 ミーリアの音声から、彼女が狂戦士たちを本心から仲間だと思っていたことが窺える。

 前衛か後衛かの違いはあれど、ミーリアはこの瞬間も戦っているのだ。狂戦士たちの調律に心血を注いでいる。

 彼女がクリスに裏を掻かれても術式を解除しないのは、無駄だとわかり切っているからだろう。

 もし、煙の霧への対抗策として魔術を解いても、また同士討ちさせられるだけ。

 ならば、せめてより確実な方策を執り続ける。仲間と同じ痛みを享受し続ける。


「だから無用な犠牲だと言った。……人間を殺そうとするからだ」


 彼らが人殺しを望まなければ、生き長らえることができた。

 クリスの目的は狂戦士の殲滅。それに尽きる。だが、殺しには順序がある。

 誰を先に殺すか順番を決めて、優先度の高い個体から命を狩っていく。

 人に危害を加える狂戦士は敵だ。必要だから行う狂戦士殺しの中でも、自分から進んで殺さなければならぬ敵。

 何ら迷いなく始末できる排除対象。だが、同族に安らぎを与えるたびに、彼らの悔恨や慟哭、怨嗟が目に入る。

 彼らは泣き、怒り、悔しんで、死んでいく。殺す側は無表情のまま、現象のように敵を屠る。

 果たして、どちらが生者だと言えるだろうか。どちらが生きていて、どちらが死んでいるのだろうか。


『に、人間……』


 ミーリアがか細くしかし、はっきりと忌々しい種族を口に出す。

 苦しみ喘ぐ言葉の中に、憎しみが混ざっている。ミーリアは憎々しげに人間への恨み言を並び立てた。


『アイツらの、せいだ……奴らの』


 クリスは足に装備された仕込みナイフで狂戦士の喉元を蹴り切った。


『奴らがいたから、私たちは狂しんだ』


 ぽかんと口を開けている狂戦士の頭を刺突。血を噴き出した女が後ろへ斃れる。


『全部、奴らのせい……人間がいたから、人間が……』

「……ああ、人間がいたから、俺はこの力を手に入れた」


 最後に立っていた男の心臓を抉りだし、クリスは仕込み剣を収めた。

 煙幕は晴れ、大量の屍が転がっている。この場の生者はクリスだけ。静寂が辺りを包み、太陽が殺戮地帯を照らしている。


「――眠れ。二度と狂しみに苛まれることはない」


 クリスは死者に言葉を掛けた。返事はないと理解しながら。



 ※※※



「……間に合った」


 チャティスは遠く離れた崖の上から、崖下に立つクリスを見つけ安堵した。

 だが、彼女の発言にキャスベルは眉根を寄せシャルは首を傾げる。

 間に合ったのではなく終わった。それが彼女たちの共通認識だ。


「もう戦いは終わったんじゃ?」

「そうよ。間に合わなかったんじゃない。行きましょ」


 チャティスを置いてクリスの元へ向かう道を探す二人。チャティスは先を歩く二人の前に立ち、首を横に振った。


「いいや、まだ終わってないよ」


 そう引き留めて、遠眼鏡を取り出す。遠視するのはクリスではない。クリスが気付いたように振りかえったその先だ。

 思い通りの対象を見つけて、遠眼鏡をキャス、シャルへと順番に回す。


「あ、アイツは……」「避けることはできないんだね」


 各々の感想を呟いて、戻ってきた遠眼鏡を再び覗く。

 遠望の先に立つのは、黒髪で古めかしい鎧を着こみ、大剣を背負った無表情の男だ。


「オリバー……クリス――」


 チャティスは狂戦士ベルセルクの名前を呼ぶが、二人には届いていない。



 ※※※



「待たせたな」


 声を掛けられ、クリスは振り返った。

 視線の先には男がいる。大剣を背負った剣士。理性を維持しながら狂化できる狂戦士ベルセルク


「待ちわびたぞ」


 クリスはオリバーに応じる。

 表情こそ無。だが、瞳には切望が宿っている。

 理想の成就。彼女の願いを叶えるため。

 引いては、恩返し。自分を与えてくれた女性の、最後の願いを追い求める。

 そのためなら、喜んで命を差し出せる。皮肉と言えた。彼女と出会うまでは死にたくてたまらなかったのに、彼女が死んでからは生きたくてしょうがない。


「俺も渇望していたぞ。待ち望んでいた。お前との決着を」


 オリバーの瞳にも望みは見え隠れしている。

 一見すれば、両者とも何を考えているのかわからない。彼らを見つめる少女だけが、彼らの望みを知っている。

 だが、両人とも、その輝きをよしとしなかった。自身の方法が最適と信じ、それ以外の道を歩もうとはしない。

 これはどちらが正しいのか――それを決めるための戦いだ。

 人間と狂戦士。どちらが生きるにふさわしいか。どちらが滅ぶべきなのかを選定する戦い。

 逃れられない宿命。定められていた運命。

 クリスとオリバーは逃れようとせず、その命運を受け入れる。


「サーレの理想のためにお前は邪魔だ」

「お前は俺の目的に不必要だ」


 クリスは右手に剣を構え、左腕の腕剣を発動させた。

 オリバーは大剣を背中から抜き取り、クリスに切っ先を突きつける。


「眠れ、お前の理想は俺が叶えよう」

「消えろ、お前の理想は俺が成就する」


 クリスは地面を踏み砕く。オリバーは地面に穴を開けた。

 狂戦士ベルセルクの躍動に、物理法則が悲鳴を上げる。

 剣が鳴るたび、風が叫ぶ。地面が穿たれる。

 二人が争うたび、大陸が壊れていく。事象の嗚咽が戦場を包む。

 クリスは本気だった。オリバーは決死だった。

 両者とも一切の加減をしない。神に近しい戦闘力を彼らは忌憚なく発揮していく。

 全てはたったひとつの望みを叶えるため。狂化戦争をなくすため、最後の戦争を行う。

 手数ではクリスが上。だが、オリバーも引けを取らない速度で裁く。

 しばし斬り合いを行っていたクリスだが、オリバーが不意に一歩下がったのを見て取った。


「――ッ!!」


 瞬時に繰り出される風の刃。狂戦士の持つ怪力は自然法則すら歪ませ魔術でしか発動し得ない自然武装すら生み出した。

 反射的に身体を逸らし、見えない刃を回避する。クリスが避けた風の刃は、彼の後方にあった崖を切り崩した。


(……簡単に倒せはしないか)


 クリスにとってオリバーの実力は未知数だ。クリスは狂戦士殺しなどと嫌味混じりに言われたことがあった。

 だが、狂戦士ベルセルク殺しではない。理性を保持する正真正銘の難敵を前に、クリスは苦戦を強いられていた。


(一撃必殺とはいかんか)


 しかし、それはオリバーにとっても同義だ。オリバーとて同類相手に殺し合いなどしたことがない。

 狂戦士とは、彼が保護すべき存在であり狩るべき存在ではないのだ。技量も自身と遜色ない相手との一騎打ちなど未知の領域だった。


(とはいえ、ここで闇雲に相手の出方を窺っているわけにはいかない)

 

 クリスは一度剣を仕舞い、右手にも腕剣を転回した。剣技で埒が明かぬなら、奇策で推し責めるのみ。

 両手にダブルバレルフリントロックを構え、目にも見えぬ速さで敵へと切迫する。


「ほう?」


 オリバーは感心したような声を放つ。

 銃器が狂戦士に効果が薄いことはオリバーとて承知していた。

 敵が血迷ったか、などと迂闊なことを考えるオリバーではない。クリスの狙いを探りながらも、素早い猛撃を受け裁く。

 合間に繰り出される銃撃を、オリバーは首を傾け躱す。ダブルバレルの名の通り、クリスが構えるピストルには二つの銃身が存在している。

 装填なしに二連発することができた。つまりは四撃。そのうち二発をクリスは放った。

 仕込み剣の奇抜な斬撃を、オリバーは大剣で防いでいく。武装こそ変わったが、先程とは状況が一転していない。

 奴の狙いは何だ――? そうオリバーが訝しんだ時、クリスが動いた。


「何?」


 オリバーが漏らす疑念。クリスは明らかにオリバーから銃口を逸らし、彼の後ろ……数歩下がったところに斃れている狂戦士を狙っていた。

 合間に煌めく手と足の連撃。だが、オリバーは人間ならならざる危険感知で防御を止めて飛びのいた。

 瞬間、爆発。狂戦士の死体に残されていた爆薬が起爆した。


「外れたか」


 爆炎を逃れたクリスはピストルを投げ捨て、事実を語る。

 寄せ集めの狂戦士たちの中にあまりにも特異な装備をしていた者がいたことをクリスは覚えていた。

 全身に爆薬を巻きつけていた太めの男。一体何を目的にそのような装備をしていたのかは全く以て謎だった。自爆でもしようとしていたのかもしれない。

 後々使えることを期待して意図的に残した爆弾男だったが、オリバーには通じなかったらしい。

 再度、振り出し。予想を超える相手の実力に、しかし両者とも譲らない。


「お前を殺すまでは幾度でも」


 オリバーはそう呟き、大剣を振りながらクリスへと接近する。

 十字切り。剣の動きに合わせ発生した十字架の如き刃がクリスを襲う。対してクリスが選んだ行動は回避ではなく防御だ。

 同じように十字を描き、風の刃を叩き切る。零れた風の残滓が地面を抉る。

 クリスは防御を度外視し刺突を見舞うという賭けに出た。迫りくる敵を迎撃せずに懐へ入り、左腕剣を左胸へと真っ直ぐ突き刺す。

 が、オリバーは剣から離した左腕で、クリスの腕を叩き落とした。衝撃に耐えきれず鎧と仕込み剣が砕け散り、骨が割れる音がする。

 しかし、クリスは顔色一つ変えることなく、右足で蹴りを頭部へ放った。

 右足に仕込まれていたブレードをオリバーは頭を後ろに傾けて避ける――はずが、


「ッ!!」

「――至近距離からの散弾ならば」


 クリスの足底には特殊加工された銃口が仕込まれていた。

 火薬の小爆発によって放たれる銃を身体に仕込むことは火傷を負う危険性すらある。それだけでなく、衝撃で怪我を負う危険もあった。

 だが、火傷のダメージを気に留めず、反動すら抑え込む狂戦士ならば、そのような危険火器すら操れる。

 オリバーの頭部を撃ち裂くべく、撃発する散弾。

 回避は不可能。オリバーはそう判断し、躊躇なく左腕を眼前へと突き出した。

 左腕に散弾が降り注ぐ。だが、致命傷を受けることなくオリバーは後方へ飛び下がった。


「よもや銃を使うとはな」

「これであいこだ」


 左腕を失いながらも狂戦士同士の戦争は続いていく。



 ※※※



 絨毯の赤か血の赤か、判別が難しい。

 刎ね返りにより重傷を負ったミーリアは、血を吐き床に倒れ伏せながらも、水晶から自分の愛する主を見上げていた。

 血をまき散らし、意識がもうろうとしながらも目を閉じずに見続けている。


「おり……バー」


 届かぬと知りながらも手を伸ばし、声を捻り出す。


「おり……さま……リバー……様……」


 我らが主が追い詰められている。

 “わるいてき”に、“たいせつなひと”が、ころされようとしている。


「ダメ……オリバー……にげて、ください……」


 だが、あの方は応えてくれない。

 最初からオリバーに逃げる気などなかった。クリスはオリバーにとっての悪であり、オリバーはクリスにとっての悪だ。

 善とはすなわち自分の庇護する対象。自分が守ろうとした存在を指す言葉。


「わたし、たちを、利用して。そうすれば、あいつにだって、勝てる」


 だがオリバーは耳を貸さない。あくまで、自分が奴と戦うことが重要だと決めつけている。

 自分勝手だった。独善的だった。

 手を汚すのは自分だけでいいとオリバーは言っていた。

 狂戦士が争わない世界を創ること。

 それがオリバーの目的で、それを果たすためには戦わなければならない。

 敵は多く狡猾でおぞましい。そんな相手を殺めて、オリバーは闇の中から帰還する。

 一度、ミーリアは訊ねてみたことがあった。怖くないのですか、と。

 恐ろしくはないのですか。寂しくはないのですか。


「そのような感情はない。……俺にはアイツの理想しか見えない」


 その言葉通り、オリバーは理想しか……自分を狂戦士ベルセルクに昇華させた人間のことしか見ていなかった。

 エリーシュ。それがオリバーに呪いを掛けた人間の名前だ。

 エリーシュは狂化戦争を愁いていた人間だった。人々の嘆きや悲しみ、狂戦士の苦しみを自分のことのように共感し同情し、頼まれてもいないのに解決策を模索した愚かな女。

 過ぎた夢を見る者は、その理想の大きさに呑み込まれる。

 エリーシュは傷付いたオリバーを救い、治療し、保護していた。そのことを咎められ、衆目の前で打ち首となったという。

 オリバーはエリーシュの処刑を目の当たりにし、狂戦士ベルセルクとなった。


「……わかって、いたはずです……にんげんはおろかだと。……あなたが、いちばん……ッ」


 ミーリアは再び咳き込み、吐血した。

 既に意識を手放し、気絶していなければおかしい段階だ。もしくは、狂化し、古城に隠れる狂戦士たちと狂宴を行うか。

 どちらも許容できなかった。

 まだ自分はオリバーを手助けしたい。あの方に、死んで欲しくない。

 恋が成就せずともそれでいいのだ。あの方の理想とする世界が構築されればそれでいい。

 それが、自分の唯一の望み。だが、クリスの存在はオリバーにとって最大の障害となっている。

 なんとかして、クリスの弱点を突かなければ。


「あっ――」


 ミーリアは歪む視界の中で、弱点と思しき存在を見つけた。

 ひとりの少女。茶髪で碧眼、戦場を、戦いの行く末を気丈に見据える人間。


「チャ……ティス……!」


 狂戦士を一網打尽にする絶好の機会にすらクリスを躊躇させた存在。

 人と狂戦士が共存する世界などという絵空事を本気で信じている愚か者。


「おまえ……おまえさえ……にんげんさえ……」


 ミーリアにはチャティスが全ての元凶に見えた。

 この女が悪いんだ。この女のせいで、オリバー様は私を見なかった。

 人間が、エリーシュが、チャティスが悪い。


「く……ベルセルク……私が、ベルセルクに、なれれば」


 理性を保持することさえできれば、あの女を殺すことができるのに。

 そう苦心したミーリアの元に希望は現れた。


「ミーリア、お姉ちゃん……!? どうしたの!?」

「ふぇ、に」


 入るな、と言い聞かせていたはずのフェニが執務室兼魔術工房に訪れていた。

 胸元に青い小瓶をぶら下げて、血を見てもクリスとオリバーの戦闘模様を目にしても理性を保持したままミーリアを心配している。


「そ、れは」

「大丈夫!? 今誰か呼んでくる――」


 と走り去ろうとしたフェニの足を、ミーリアは根気で掴み止めた。

 え? と困惑するフェニにミーリアは気力を振り絞り、立ち上がって詰め寄った。

 その気迫を前にフェニは茫然と、ミーリアの顔を見返している。


「フェニ、フェニ、フェニ! それだ」

「ミーリア、お姉ちゃん……?」


 フェニが問い返しても、ミーリアは笑顔をみせない。

 彼女の見たことない顔で、彼女の聞いたことのない声で、彼女の知らない邪悪さをみせて。


「それをよこせぇ!!」


 フェニの首から下げられる、チャティスの想いが詰まった花瓶を引きちぎった。



 ※※※



「……っ」


 風は吹き荒れ、剣戟の音は鳴りやまない。

 遠眼鏡で見つめるクリスとオリバーの戦いは正直はっきりと捉えることができなかった。

 しかし、チャティスは見続ける。それしか自分はできないから。


「心配? 不安?」


 シャルがチャティスを気遣って訊く。チャティスは否定しようとしたが、答えられなかった。

 無言の肯定。チャティスは不安で心配で怖くて悲しくて胸が張り裂けそうだった。

 だが、クリスはきっと何も感じていない。あるのはサーレの夢。見るのは己が斃すべき敵。

 だから、彼とオリバーの分まで、チャティスが代わりに感じるのだ。

 彼らが本来感じるはずだった感情を肩代わりする。

 だが、そう思っても、心の震えは止まらない。

 何とかならないものか。そう願って、それが無理だと理性に断言される。

 二人の戦いが止まることはない。戦の終わりは相手の死。どちらの手法が正しいか結論付けられる時。


「どちらも間違ってる、のに……」

「チャティス」


 キャスベルが何か気の利いた言葉を投げかけようと考えたが、何も浮かばず口を閉ざす。

 シャルもチャティスを不安そうに見つめていてチャティスは二人を安心させるべく口を開けた。


「大丈夫だよ、もう覚悟はできてるから」


 そう、覚悟はできている――。無力な人間でも、理想主義者の天才おおばかものでも、彼らを赦せるのは自分だけ。

 そう寂しく、しかし強固な意志を感じさせる笑顔をみせたチャティスの脳裏に、


 ――覚悟ができてる。そう、死ぬ覚悟はできているのね!!


 強烈な悪意を含んだ声が響く。


「な、なに!?」


 当惑したチャティスはすぐ気付いた。ミーリアの声。オリバーに片想いをしているという狂戦士。

 だが、元より人間が嫌いだったミーリアの声音にはより深い憎悪と怨嗟が混じり込んでいる。


「チャティス?」「ちょっとどうしたの?」

「い、いや声が……っ!!」


 説明しようとしたチャティスは頭を押さえた。

 頭が割れるようにいたい。すぐに息も苦しくなる。

 立ってられなくなり、地面に膝をついた。遠眼鏡が横を転がる。


「チャティス、しっかりして!」

「一体何が!? チャティス!!」

「あ、う、く――ああああああ!!」


 耐え切れず、地面に倒れる。慌てて、駆け寄ったシャルとキャスベルだが、


「きゃっ!!」「うわっ!?」


 瞬時に起き上がったチャティスに弾き飛ばされる。


 ――さぁ、決着を付けましょう。オリバー様のためにあなたには死んでもらう。


「あぐ……うあああああああああッ!!」

「チャティス――!!」


 叫んだシャルとキャスベルの目の前で、チャティスは光に包まれ掻き消えた。

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