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薬師チャティスと狂戦士と  作者: 白銀悠一
第七章 バーサーカーとベルセルクと
47/62

ベルセルクの意志

 フォーリアスと前以て示し合わせていた合流地点へと到達したクリスが目にしたのは、倒れているシャルとキャスベルだった。

 チャティスの姿はない。少なくとも、殺されたわけではないようだが……。


「シャル、しっかりしろ」


 手近なシャルを揺さぶり、意識を覚醒させる。

 苦しげな声を上げながら目を覚ましたシャルの第一声は、自分の体調の心配ではなく、友人の安否だった。


「チャテ……チャティスが……」

「何だ、ゆっくり言え」


 しゃべるな、と相手を気遣う余裕はない。

 事態は一刻を争う。狂戦士の奇襲を受けた人間が生き残る可能性はゼロに近い。

 だが、チャティスには魅了が宿っている。マイナスにもプラスにも働く不治の呪いが。

 賭けてみる価値は十分にある。それに、今この場にチャティスがいないという特異さもチャティスの生存確率を上げている。


(……以前の敵とは違う存在……)


 クリスの頭に渦巻くのは、ある生物に対する呼称だ。

 狂戦士ベルセルク。呼び方の差異はあるものの、本来は同じ者を指し示す呼び名だ。

 だが、クリスはあえて異なるものとして想像していた。

 通常の狂戦士バーサーカーとは一線を画す存在。

 殺すべき対象を選別することができる理性を持つ者。

 すなわち……自分。


「チャティス……チャティスは……」


 クリスが相手を分析する傍らで、シャルは声を捻りだす。


「攫われた……」

「やはりか。いや、そうであってくれなければ困る」


 クリスは立ち上がり、血まみれで倒れているキャスベルへと目を移した。

 正義の暗殺者を信じていたアサシンは死にかけている。

 シャルも死んでこそいないが弱弱しい。

 だが、そんな同行者たちに目をやっても、狂戦士であるクリスには治療できない。

 彼らを救えるのはチャティスだけだ。狂戦士である自分は、敵を殺す役目しか果たせない。


「フストは近い。馬車を使って移動しろ」


 薄情とも言える指示だが、シャルはむしろクリスが早急にチャティスの救出へ赴くことを望んでいた。

 地面で血の海に沈むキャスベルも同じ気持ちだろう。

 ならば、クリスは自分の行うべきことをするだけだ。



 ※※※



「食わないのか」

「敵に出された食事を食べますか」


 牢屋の外に出されたチャティスは椅子に座りながら素っ気なく言った。

 今、チャティスはテーブルに置かれた食事を振る舞われている。汚らしい地下牢だが、食事は囚人に出すとは到底思えないほど豪華なものだった。

 だが、むしろ、チャティスは何かしらの裏があるだろうと警戒を強める。対面に座る男はそう睨むなと呟いて、


「殺すつもりならわざわざ攫ってきたりなどしない」


 パンを口にし、呑み込んだ。差し出されたパンを受けとり、男が口にした反対を齧り取る。

 美味しかった。チャティスの中の疑念が増える。


「何が目的ですか」

「聞いた話と違うな」


 男はチャティスの質問を無視して言う。無表情のままに。


「何がです?」

「お前は常に騒がしく、悪目立ちする少女だと聞いた。……情報が誤っていたのかはたまた状況が状況だけに平然とはできないか。まぁどちらでもよいか」


 納得した男は残りも食え、と急かしてくる。

 食欲は沸いているが、敵に見つめながら食事を摂るのも無警戒が過ぎる。

 ちびちびとパンを千切って咀嚼しているチャティスに、男がまた口を開く。


「先程の問いに答えよう。狙いはお前ではない。……当面はな」

「どういうことで」

「お前の仲間。バーサーカー殺し」

「ッ!」


 がたりと椅子を倒す勢いで立ち上がったチャティスを、男は無感情のまま、しかし声音だけはおかしそうに笑った。


「露骨な。密偵には向かんな」

「……なんのことだかわかりません」


 白々しく嘘を吐くチャティスに、男は特に興味をみせない。

 ただ自分の主張だけをチャティスにぶつけていく。


「あの男の目的は……まぁ、今は良い。重要なのは、奴がバーサーカーを殺し回っていることだ。己の特性を利用しての殺害は許容しがたい。同類として諫めねば」

「……同類、あなたもバーサーカー」


 疑惑を感じたまま言いかけて、チャティスは違和感に気付く。

 おかしい。もしこの男が狂戦士バーサーカーだとするならば、自分は死んでいるはずだと。


「違う……あなたは一体……?」


 改めて問い直したチャティスに、男は淡々と答えた。


「よく知っているだろう? あの男の傍にいたのだから」

「……っ」


 男の回答に息を呑む。

 薄々感じてはいた。クリスといた時に感じる奇妙な感覚を。

 感情が希薄で、それなのに、何か執念のようなものが垣間見えるあの感覚を。


「俺はベルセルクだ、人間。……チャティス、と言ったか」

「ベルセルク……」


 復唱しながら、椅子へ腰を戻す。

 男に対する警戒心は片隅に追いやられ、好奇心が頭を覆う。

 純粋な興味が、知的探求がチャティスの心を満たす。


「知りたがりの目か。……いいだろう」


 別に隠すことでもない、と男は話し始める。


「バーサーカーとベルセルク。両者の違いは無論、名前だけではない。前者は心を持ち、戦が起こると心が閉じる。後者は心を持たず、戦が起きても思考ができる」

「……クリスは心を持っています」


 これだけは譲れないとチャティスは男の誤りを指摘した。

 男は面白いと小さく笑みをみせ、自身にも感情が薄く存在することを証明してみせる。


「その通り。俺にも僅かだが情がある。しかし、理性を保持したままの狂化は、俺のような戦士にとって有り余るほどの恩恵を与えてくれる。同士討ちを避けることができるからな」

「同志討ち……バーサーカー同士の戦争」

「狂化戦争然り、だ。狂化すれば、狂戦士は敵味方の識別ができなくなる。……戦闘兵器としては欠陥だ。破壊力が凄まじくとも、コントロールが取れない兵器は用途を成さない……はずなのだが、どうにも利用できると慢心する人間が多すぎる」

「同意見です」


 奇妙な意見の一致だった。チャティスの考えと男の考えは全く同じだ。

 では、自分と似つくクリスとはどうなのだろう?

 そんな想いがよぎってチャティスは努めて意識から排除する。


「……やはり妙な、希少な人間だったな、お前は。お前のような思想を持つ人間は少数だ。大多数の人間は、狂人へと身を落としている」

「認めます。だから狂化戦争という理不尽な戦が起きている。ですが」

「良い、言え」


 促されてチャティスは想いのままに意見を口に出した。


「ヤクドの人々は狂化戦争に否定的な立場でした」


 つまり、この狂戦士ベルセルクは自分と同意見の人間を皆殺しにしたことになる。

 それだけではない。むしろ狂戦士側の立場だったフォーリアスまで始末した。

 傍から見れば、無用な殺人を行った哀れな殺人者であるが、


「構わん」


 と男はチャティスの言葉を一蹴する。


「構わないって……」

「そう驚くことでもあるまい。バーサーカーが人を殺してしまうのは止むを得ないことだ。ならば、その上位者であるベルセルクが人を殺すのもまた道理だろう」

「あ、あります! あなたは理性を保持できるのでしょう! なら、殺さなくても良い手段を思いつくはずです!」


 男のため、というよりクリスのために反論したチャティスだが、クリスとて敵を殺すことしか思い付かなかったという事実が言論を阻ませる。

 ぐ、と言葉に詰まったチャティスに男は強調した。理性を持つからこそ、と。


「理性を持つからこそ、自分の意志で殺人ができる。自分が殺したい対象を、自分の殺したい方法で、自分が殺すべき時期に、殺すことができる。狂化し、己を見失い、衝動のまま殺してしまうのではなくな」

「そんな……それはっ」

「揺らぐか、人間。それは誰を想ってだ?」


 問われるまでもなく、チャティスが動揺するのはクリスを想ってである。

 このままではクリスが殺人者のレッテルを張られてしまう。クリスは狂わないのではなく、すでに狂っているのだと、決めつけられてしまう気がした。

 違う。クリスは狂人じゃない。チャティスはクリスの優しさを知っている。

 自分を助けてくれた狂戦士バーサーカー、クリス。助ける必要もなく、捨て置いても誰かが咎めることはなかったのに、クリスは自分を助けてくれた。

 そんな狂戦士ベルセルクが、無差別に敵を殺す殺人者なはずがない。クリスが敵を殺すにはちゃんとした理由があるのだ。

 そこでチャティスは思い付く。もしやこの男も理由があって殺しているのでは、と。


「何か言いたげだな。言ってみろ」


 不思議にも、男はチャティスの心理を見透かすように催促してくる。

 まるでクリスと話しているような感覚に陥り、チャティスの頭は混乱し出す。

 ただでさえ状況に頭が追い付いていないのだ。この男は危険だと本能が訴える。

 だが同時に、相反する想いが胸中を巡る。自分の疑問をこの場でぶちまけたい衝動に駆られる。

 理性と本能。二つが対立し、熾烈なバトルを繰り広げる。戦いの結果、チャティスは言われるがままに口を開いた。


「あなたの目的はなんですか?」


 問われると、男はチャティスの目を見据えた。

 眼光に暗いものが伺い見れて、チャティスは身震いしてしまう。

 チャティスを視線で固まらせながら――男は自身の目的を語った。


「人間の殲滅。それに尽きる」

「なぜ、ですか?」


 捻り出すように訊き投げて、心が怖ろしさに震え、理性が緊張で凍りつく。

 一つの可能性がチャティスの中に出現していた。表と裏、双方が同じ推論を叩き出している。

 そうであって欲しくないと、チャティスは願った。願わずにはいられなかった。

 だが、男の口から紡がれた理由は、チャティスの推察通りのものだった。


「――バーサーカー同士の争いをこの世からなくすため」


 サーレが願い、クリスが実行しようとしている理想。

 チャティスが思い描き、実現しようとしている世界。

 そして、前に座る狂戦士ベルセルクの、人間を殺す理由。


「……っ」


 何も言えない。

 男の話を聞く前に、理由だけを見聞きしたならチャティスは高らかに謳えたかもしれない。

 違う方法があるよ。人と狂戦士とが争わないで済む……誰も狂しまないで済む方法が、と。

 だが、言っても無駄だろうと諦めていた。きっとこの人も、自分が何を言っても敵を殺すのだろう。

 世界は、人は、そこまで賢くないと。ヤクドの人々の予言が甦る。

 終わりは突然に訪れる。

 人は最後まで、なぜ終わったのか理解する間もなく滅ぶのだろう。自分が原因だとは認めることなく。

 自分の行為のせいで壊れても、壊れたもののせいにして、自分は悪くないと神に訴える。

 神は悲しそうに目を伏せて、あなたを救うことはできませんと宣告する。


「満足したか?」

「……」


 チャティスは答えない。

 呆けて、固まって、凍りついて、前の男を見つめるだけだ。

 なぜか男の姿とクリスの姿が交差して、チャティスは思わず目を反らした。

 この男は似ている。自分とではなく、クリスと。

 その本質がどうしようもなく酷似している。


「あなたは――っ。……あなたの名前は」


 本当に聞きたかった問いを飲み込んで、チャティスは偽りの質問をする。

 男は頷いて、自分の名を答えた。


「オリバー。……先程告げた通り、ベルセルクだ」


 初めて出会った時のクリスがそうしたように、自己紹介をする。



 牢屋は開かれたまま、チャティスは鉄格子の中で寝そべっている。

 オリバーなる狂戦士は、チャティスに荷物を与え身体を自由にして放置した。

 いいんですか? というチャティスの疑問にオリバーは何ら躊躇いもなく、


「どうせお前には何もできん」


 と言ってチャティスの元を去った。

 取り戻した荷物の中には、ピストルも含まれている。やろうと思えば、銃を撃つことだって可能だ。

 だが、男の言う通りチャティスには何もできない。ピストルが手元にあってもチャティスは無力だ。

 六連発のホイールロックで反旗を翻したところで、瞬く間に殺されてしまうのがオチ。

 ゆえに、不本意ながらもチャティスは牢屋の中で黄昏ている。外に何があるのかわからず、少なくとも思案をまとめてから行動を開始したいと思ったからだ。


「ベルセルク。オリバーはベルセルク……」


 大剣を用い、ヤクドの人間を虐殺せしめた男。


「クリスも、ベルセルク」


 直剣を使い、一部の例外を除いて狂戦士を殲滅しようと目論む男。


「方法は違う。でも、目指すところは同じ。バーサーカーが争わないで済む世界。狂化戦争を止めるため、要因となる者を殺す。容赦なく、全滅させる勢いで。短期的かつ、不確定要素はなく、確実に実現可能な手法だから。虐殺ほど有無を言わせぬ方法はない」


 議論の余地すらなく、殺戮は答えを導き出す。

 反対者の皆殺し。声を上げる敵対者の殺戮。原因と思われる要素の排除。

 狂戦士を殲滅すれば、如何に人が愚かでも狂化戦争は起こらない。狂戦士を使役してこその狂化戦争だからだ。

 人間を虐殺すれば、どれだけ狂戦士の呪いが強力でも狂化戦争は発生しない。狂戦士自体はそもそも争いを望んでいないからだ。

 だがそれでも、どちらも等しく死人が出る。涙を流す人間がいて、傷つく狂戦士がいる。

 ゆえに、チャティスはこう結論付ける。


「どちらも間違ってる」


 だがチャティスが大声で糾弾しようとも、二人は聞く耳を持たないだろう。

 クリスはわずかに殺害時期をずらすという譲歩をしてくれたが、基本的に方針は変わっていない。

 人間に手を出そうとする意志が狂戦士に確認された場合、花の効果で狂化が抑制されると知りながらも容赦なくその命を狩り取るはずだ。


「それでも、間違いながら行動する」


 クリスは死を恐れていない。例え全ての狂戦士に襲われようとも、剣を振るい戦い続ける。

 オリバーとて同じだろう。世界中の人間が集い敵の数が万や億を越えたとしても、大剣で敵をなぎ倒す。

 両者の激突は……確定的だ。ミュールの言った通り運命と言って遜色ない。

 そして、その激闘の末にどうなるかチャティスは想像できなかった。


「正確には、想像したくない」


 牢屋の天井は赤茶色に寂れ、不清潔さがありありと滲み出ている。

 時折、錆びの滓が落ちてきて、チャティスの身体を汚していた。

 雨みたいだ、とチャティスは想う。

 大地に恵みを与える雨。光と協力して煌めく虹を思い描く雨。

 そして、人の身体から溢れ黒い闇を発生させる、血雨。


「――いい気味ね、人間。閉じ込められて壊れたかしら」


 唐突に声が聞こえて、チャティスは身を起こす。

 鉄格子の先、地上と地下牢を繋ぐ階段には嘲笑を浮かべる女性が立っていた。

 初対面のはずなのに、妙な既視感がある。


「あなたは――?」

「人に名を訊ねる前に、自分から名乗るのが礼儀じゃないかしら」


 人を小馬鹿にした口調はともかく、その意見には賛同できる。

 チャティスは頷き、まず自分の名前を口にした。


「私はチャティス」

「まぁ家畜の名前なんてどうでもいいんだけど」


 人を家畜呼ばわりした女は、手にした杖を片手に鉄格子の前で立ち止まる。

 魔術師のローブに身を包む女性と睨みあうチャティス。

 ようやく、どこで彼女を目にしたか思い出した。


「ラドウェール軍の中に……がっ!!」


 杖で殴られて、チャティスは檻の中を転がる。

 壁にぶつかり、放心のあまり立ち尽くす。殴られた部分が痛いからではない。

 狂戦士に殴られたという事実に愕然としていた。


「アハハハッ! びっくりした? どうせバーサーカーには手が出せないと思ったのでしょう? バーサーカーが手を出せば狂化してしまうから。でもね、残念。私は姉さんとは違うやり方で、理性的に振る舞うことができるのよ」

「姉さん……ぐっ!!」


 頭を杖の先端で思いっきりぶたれた。血が左側頭部を伝う。女狂戦士は、とても愉しそうに嗤う。


「そう、あなたの言葉通り、ラドウェール軍の司令官と恋に落ちちゃった愚か者。あの方の思惑に背き、崇高な命令を逸脱し裏切った、恥ずべき肉親よ。まぁ、それに関しては同族殺しに感謝しなくちゃね。汚点を消し去ってくれたのだから」

「――く、クリスはあなたのお姉さんを殺した時うあっ!!」


 猛烈な殴打。チャティスは宙を舞い、壁に背中を強打する。

 息を吐き出し、血を流しながら、女を見て――女も苦しみ出したことに驚く。


「はぁぐっ……! へへ、こんくらいどうってことないわ……。私の名前はミーリアよ、人間。あなたが処刑されるまでの間、たっぷりと可愛がってあげるから……っ!」

「ミー、リア」


 なぜだろうか。苦しみ喘ぎながらも強がるその背中を見て、チャティスが同情してしまったのは。

 殴られた傷よりも、立ち去る背姿を目の当たりにして、心の方が痛かった。

 頭の傷を左手で押さえつつ、チャティスはよろめきながらも立ち上がり、同じように苦痛を抱いているミーリアに問う。


「あなたも……恋をしているの? 姉と同じように、姉とは違う存在に」


 ミーリアの肩がぴくりと震えたが、彼女は何も言わず階段を昇って行った。



 傷の治療はすぐに行った。

 この場は不衛生だったため、少しでもマシな場所へと牢屋外の見張り部屋へ移動し、頭に包帯を巻く。

 見張り部屋にもやはり誰もいない。数十人は収容できそうな地下牢に、チャティスはひとりぼっちだった。

 自分の傷を治しながら、シャルとキャスベルの容体が気に掛かる。自分がいれば二人を治せたが、自分が不在の今、彼女たちがどうなっているのか。チャティスは不安で仕方なかった。


「クリスがいればたぶん……。それに、フスト近郊だったから、アサシンやノアたちがなんとかしてくれるはず。……きっと大丈夫、うん」


 自分に言い聞かせて、チャティスは元気を取り戻す。自分がひどい目に遭ってもぼやけばそれで済むが、仲間が傷つくことは耐えられない。

 ましてや、ミュールやガルド、フォーリアスのように自分が至らぬから死ぬなどあってはならないことだ。


「むしろ、心配なのはクリスかな」


 きっとクリスのことだから助けにくるだろうと思う。

 以前よりもずっと明確に、チャティスの救出は彼の目的と合致した。

 チャティスを救いに向かうことは、敵である狂戦士を殺すことと同義だ。

 今までとは違う。不必要な行動ではなく、必要な行動。

 必要だから、殺す。狂戦士を。

 不必要だが、救う。チャティスを。


「戦わないで済まないのかな。同じ場所を目指してるのに。……ん?」


 呟きながら無理だろうという考えをもう一度繰り返していたチャティスは、見張り部屋の入り口から地下牢をうろつくひとりの少女を発見する。

 少女は何かを探すように目を凝らしている。チャティスより一回り小さい、幼い女の子だ。

 ポーチを仕舞い、動き出したチャティスは、部屋の入り口から声を掛けてみた。


「どうしたの?」

「――ッ!!」

「えっ!? 行っちゃうの!?」


 心底驚いた表情となった少女は脱兎の如く走り去る。

 どうやら目当てはチャティスだったようだが、チャティスが牢屋の外で自由の身になっているとは思っても見なかったらしい。

 慌てて逃げる少女と追いかけるチャティス。


「あっ!」「うっ!」


 二人は同時に悲鳴を上げる。チャティスも少女も仲良く一斉に転んだ。

 いや、少女はまだいい。足を取られる段差があったから。だが、チャティスはよくない。


「いたたた……何でこんなところに石が」

「……何もない」

「う?」


 少女は涙目になりながらも追及する。


「そこ、石なんてないよ。……何もないところで転んだの」


 少女の指摘通り、チャティスは何もないところで意味もなく転倒したのだ。

 小さな子に図星をさされ、チャティスは顔を真っ赤に染め上げ口答えする。


「い、いや! 見えない石があったんだよ!」

「……っ、痛い……」


 大人げなく怒鳴って、ハッとする。少女の膝は紅く染まっていた。

 おいで、とチャティスは少女を手招き。見張り部屋まで移動する。


「でも……」

「大丈夫、私は薬師だし、天才だからね」

「くすし……てんさい……?」

「とにかくすごい人ってことだよ。さぁ、座って」


 チャティスは少女を椅子に座らせ、傷口を治療し始める。

 聖水で傷口を流し洗い、薬草をすり鉢で潰す。


「フェニ」

「ん?」

「名前」


 気を許したのか、少女フェニはチャティスに名を教える。

 チャティスは手を動かしながら応じた。磨り潰した薬草を傷口へ塗布する。


「私の名前はチャティス。……ちょっと痛いよ……」

「チャティスお姉ちゃん……っ!」


 薬草付着の刺激で、フェニが顔をしかめた。ごめんねと囁きながらチャティスは包帯を巻く。

 前かがみになった時、フェニが驚いた声を上げた。


「お姉ちゃんも怪我してる……っ!!」

「あ、いや、お姉ちゃんドジだからさ、転んじゃって……」


 と真相を探られないよう嘘を口にするチャティスだが、幼い眼は騙せない。


「ミーリアお姉ちゃんにやられたんだ」

「いや、違うよ? この傷は私が自分で――」

「大丈夫だよ、ウソつかなくても。……仕方ないの、ミーリアお姉ちゃんは人間が嫌いだから」


 フェニは暗い表情でそう漏らす。

 反応に困ったチャティスは黙っていたが、フェニは聞いて欲しいかのように話し続けた。


「でもね、ミーリアお姉ちゃん、私たちには優しいの。ミーリアお姉ちゃんはいつもみんなのことを気に掛けて、下手なのに料理もしてくれる。一番おいしいのはオリバーの料理だけど」

「オリバー……さんは、料理をするんだ」

「うん。オリバーは何でもできちゃうの。料理も洗濯も……壊れた物を直すことだってできちゃう! なのにオリバーはいつも悲しい顔で言うんだ。俺は敵を倒すことしかできないって。だから、悪い人間をやっつけるんだって」

「悪い人間……」


 復唱したチャティスを気に掛けて、フェニは顔を覗かせてくる。

 何でもないというチャティスの答えを聞いて、フェニの饒舌に拍車がかかる。


「チャティスお姉ちゃんはいい人間なんだよね。だから、オリバーは連れてきたの。ここにはいいバーサーカーしかいないから。さっきはごめんね? びっくりしちゃって……」

「気にしてないよ、続けて」


 と促しながらチャティスは悩む。

 本当にフェニの話を聞きたいのかと。これ以上知れば、自分はもう引き返せなくなるのではないか。

 そんな想いも、無垢なる視線に効力はない。フェニは初めてまともな会話を交わせる人間とのおしゃべりを純粋な気持ちで楽しんでいる。


「うん。オリバーはね、みんなを守りたいって言ってた。だから、みんなをここに集めてるの。外は危険がいっぱいだから、このお城の中でお姫様になってなさいって。いつか、お前を連れ出す王子様が現れるからって。私はお姫様なの。みんな、待ってるの。お外に出れるその時を」

「そうなんだ……来るといいね、王子様」

「うん! ……ミーリアお姉ちゃんもね、本当はオリバーについて行きたいの。衝撃事実、ミーリアお姉ちゃんはオリバーが好きなのです! ミーリアお姉ちゃんにはもう王子様がいるのに、王子様は別の人を見てて、ミーリアお姉ちゃんがお姫様だとは気付いてないんだ。だから、ミーリアお姉ちゃん、たまに苛立って怒るの」

「怒る……か。そりゃあ、バーサーカーだって怒るよね」


 同調するように呟きながら、チャティスの胸中は複雑だった。

 やはりというべきか、ミーリアは恋をしていた。オリバーに。だが、感情が希薄な狂戦士ベルセルクに恋愛感情を抱くのは、拷問に近しい愚想だ。

 オリバーの目には、理想と敵と、フェニのいう別の人しか入っていないだろうと考えて、愕然とする。


「別の……人……?」


 疑念を振りまくように言い返す。フェニは笑い、真実を口にする。

 無邪気に。その言葉の意味を知らないまま。


「そう。前ミーリアお姉ちゃんとオリバーの口論を盗み聞きしちゃったんだけど、オリバーは、人間が好きなんだって。昔に別れて、よくわからないけど、二度と会えなくなっちゃった人間が」

「…………」


 ストン、と、チャティスは無気力に腰を落とした。

 衝撃が全員を打ちのめす。打ちひしがられながらフェニを見つめる。


「そこまで、同じなんだ」

「お姉ちゃん?」


 きょとんと首を傾げるフェニの愛らしい顔。だが、チャティスが見ているのは彼女ではない。

 クリスに想いを馳せていた。自分と同じ目的の心優しい狂戦士に。

 自分の願いを、心の中で強く想う。クリスへ届けと心から念じる。


「クリス……来ないで」


 だがその願いは、クリスには届かない。



 ※※※



「……そこか」


 目撃情報を収集し、遺された痕跡を頼りに、クリスはこの場所へと辿りついた。

 深く広い森と、その真ん中にそびえ立つ古城。情報通りであれば、あそこが敵の根城であり、


「チャティスの居場所でもある」


 事を静かに運ぼうと、クリスは森の中に侵入していく。

 スリングで掛けたマスケットと、腰に差したピストルを揺らし。

 左腰の剣に手を掛けながら。


「――待っていろ、チャティス」


 自身の目的を果たし、チャティスを救うため、自分勝手に動いていく。

 理由は単純だ。サーレのため。

 そして……放っておけないから、だ。

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