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薬師チャティスと狂戦士と  作者: 白銀悠一
第五章 守護騎士と邪悪な野心と
32/62

原点回帰

 狂戦士と人間が相対した時の対処法……それはたったひとつしか存在しない。

 諦めること。

 もう無理だと達観し、せめて苦しみを味わうまいと自殺すること。


「バーサーカーと戦って生き残った人間はいない……!!」


 重装甲に身を包む人知を超えた化け物を前にして、ガルドが苦々しげに吐き捨てる。

 この時点でガルドは詰みと言っていい。それほどまでに追い詰められた状況だった。

 初めて目の当たりにする狂戦士の恐ろしさに、怯えたノアがぴたりと寄りつく。

 だがすがられても、ガルドに立ち向かう術はない。ガルドは強者であるが、それは人間の範疇内での話だ。

 人間の中で如何に強かろうと、狂戦士の弱者にすら勝ち目はない。

 しかし、だからといってノアを見捨てるという選択肢がガルドに存在しないことも、また事実だった。


「ノア、私がこいつを引き付ける。その隙に逃げ果せろ」

「……っ、ガルド様!!」

「勝てはしないだろうが、時間稼ぎは可能なはずだ。その間にクリスが間に合ってくれれば――」


 ――勝負には負けるだろうが、戦いには勝てる。

 リベルテの戦略は次から次へと勝っても負けても問題ない人間を矢継ぎ早に投入する、というものだったようだ。

 リベルテにとって前線でクリスに敗れて戦死したもうひとりの狂戦士もどうでもいい存在だったらしい。

 変わりはいくらでもいる。死んでもすぐに補充できる。

 そんなリベルテの思考回路にガルドは反吐が出る。だが、やはりこう認めねばならない。

 リベルテは狂化戦争を行う戦術家として、自分よりも格上だ。


「早くしろ!!」

「で、ですが! ……無理ですよ、ガルド様。いくらあなたでもバーサーカーには勝てません。足止めだってできるわけがない」

「何をっ!!」

「――元々、私は死んでいる人間です。あなたに救われなければ、私は男どもに犯されて、暴行されて、道端に捨てられるようなゴミ同然の人間だったはずです。……どうせ死ぬなら、あなたと共に……」

「ノア……」


 その切実な瞳に射抜かれて。震える声に懇願されて。

 ガルドは悔しがりながらも、諦めるしかないと理解する。

 威勢よく抜き取った剣を目視して、致し方ないと、剣を手放す。


「――諦めるにはまだ早い」


 刹那、壁が切り壊される。

 もはや物理の法則すら歪ませる狂戦士の怪力が、頑丈に創られていた宮殿の外壁を打ち砕いた。

 砂煙と共に現れたその男は、血で赤く染まった剣を携えて、眼前の敵と対峙する。


「まだ死ぬな。チャティスが悲しむ」

「貴様……もう来たのか」


 クリスはただ黙して相手に眼光を注ぐのみ。

 連続で狂戦士との戦闘を行うというのに、その気迫は全く衰えない。

 むしろ戦いに赴く前よりも、戦士としての覇気が向上している。

 恐らくは……チャティスが望んでいなかった方向性に。


「バーサーカーと人とでは、違う」

「なに?」


 小さく呟かれたクリスの独白に、ガルドが問い返す。

 クリスはその問いに応えぬまま、狂戦士の斧を剣で受け止めた。衝撃で、室内の小物が吹き飛び棚が倒れる。

 転倒しそうになったノアを支えるガルドに、クリスは斧を剣で押し留めながら呼び掛けた。


「その子がここにいるということはチャティスも近くにいるはずだ。お前はあの子を護衛しろ。まだ敵がいる可能性を否めない」

「……だが」

「バーサーカーは敵を屠ることしかできないが、人間は人を守ることができる。違うか?」


 剣で斧を弾き左拳による打撃で狂戦士を打ち飛ばし、退路を創り出したクリスは視線でガルドに逃げろと促す。

 逡巡の後、ガルドはノアを引きつれて動き出した。騎士の証である剣を右手に持ちながら。


「化け物の相手は化け物が引き受ける。あの子に触れさせるものか」


 クリスの言葉を気に掛けながらも、彼の言う通り撤退した。


 

 ※※※



(連戦ではある……が体力的には無問題。それに、重装備相手の戦闘は既に経験済み)


 クリスはソダスに思いを馳せる。大槌を用いていた人を騙っていた虚構の王を。

 大抵の狂戦士の得物は剣か槍だ。ソダスのような鎚や現在交戦中の狂戦士が持つ戦斧などはあまり使われない類の武具である。

 その武器に応じた戦技など理性を失っている狂戦士に望むべくもない。芸達者な狂戦士というのもいるにはいるが、基本は野性的な勘と反射で動く魔物たちと変わりはない。

 だがそれでも、斧の一撃は驚異である。クリスが右手に構える剣は斬れぬモノは何もなく、折れることすらない“無銘の名剣”であるものの、衝撃は剣を通して伝わってくる。

 何より問題なのはフィールド――。フスト王宮が狂戦士の戦闘に耐えられるかどうかだった。

 ソダスが実権を握っていたアリソンの王城は、狂戦士用に調整された堅牢な城塞であり、せいぜいヒビが入るくらいで済んだ。

 しかし、ここもそうであるとは言い難い。クリスが宮殿内に突入した時も容易く壁を斬り抜いてしまったし、今も斧を受け止めた衝撃で室内の床が沈みかけている。

 宮殿内の損傷は、近くにいるかもしれないチャティスの安全を脅かす。最低でもこの部屋の崩落のみでクリスは決着を付けたかった。

 それに……まだ憂うべき事柄は山になって積み重なっている。


「一気に片をつける……!」


 咆えた狂戦士が、斧を一閃。クリスはその重撃を横へ躱しつつ、血濡れた剣で鋭く一突。

 厚い装甲に穴が開く。ナマクラ剣を使っている剣士ならまだしも、クリスの剣前では無防御に等しい。

 狂戦士が唸る。斧が横に流れる。クリスが伏せ避ける。空気が割れる。室内全体がぐらりと歪む。

 床が悲鳴を上げて崩れ落ちる。降下するクリス。落下する狂戦士。

 ガレキたちを踏み台にして、クリスは跳斬。反射的に狂戦士がガード。

 そこをクリスが一蹴。勢いが収まらず、下階の部屋すら落ち砕く狂戦士。

 さらに下へ。さらに深みへ。

 五階ほどの高さの宮殿内を、クリスと狂戦士は転落していく。ただ落ちるだけではなく、剣と斧を交えながら。

 確実に、相手へダメージを与えながら。

 響き渡る剣戟。震え唸る空振。

 一階どころか地下まで潜り、両者はやっと着地した。

 意図したよりも深い転落劇となってしまい、クリスは憂う。フストの宮殿を。

 近くにいるはずの、自称天才を。

 だがすぐにそんな暇はなくなった。


「グウウオオオオオッ!!」

「ッ!」


 叫んだ狂戦士が斧を投擲。地下室に轟音を反響させながら、クリスを裂断せんと斧が舞う。

 クリスは剣で防ぐが、完全に受け止めきれない。剣はびくともしないものの、衝撃を吸収しきれなかった斧の刃がクリスの左肩を抉り裂いた。

 血をまき散らし、だらりと垂れ下がる左腕。クリスは淡々と傷の状態を見やり、左手が使い物にならないと認識する。

 だが、表情に陰りは一切見られない。痛みは気にせず、攻撃幅が狭まったことだけを意識する。

 咆え叫ぶ敵に視線を飛ばし、次なる一手を予測する。

 恐らくは打撃。ガントレットを嵌める両手の苛烈な殴打。

 対してこちらの武器は剣。武器を持つか否かの単純な分析ではクリスの方が有利となる。

 だが――。


(斧があろうとなかろうと、奴の攻撃力では一発喰らえば致命傷。……左手があれば一瞬防ぎ、その隙に始末する方法も取れたが……)


 一瞬、左手を捨てて攻めるかとも考えたクリスだが、即座に戦術を立て直す。

 そんな方法を取れば今後どうなるか明白だった。喪った左腕は元には戻らない。

 いや、元に戻そうと奮闘するかもしれない。あの子が。

 世間知らずの、まだ人の悪意に疎いあの少女チャティスが。

 否、あの子が疎いのは人間の悪意だけではない。

 狂戦士。人の皮を被った化け物の悪意にすら気づいていない。

 彼らを可哀想な被害者だと彼女は妄信しているはずだ。その認識は間違いではない。

 だが、狂戦士にだって殺意は芽生える。反抗心は生まれる。憎しみが湧き育つ。

 ミュールやシャル、ダニエルのような狂戦士ばかりではない。

 アーリアのように人に恋をした狂戦士など、例外中の例外だと言っていいだろう。


(ああそうだ……俺だって例外だ)


 クリスは剣を構え直し、狂戦士を睨み視る。

 瞬間、敵が動いた。拳を振り上げ、わかりやすく撲殺しようと切迫する。

 クリスは呼応するように前方へステップを踏み、そのまま真っ直ぐ突貫した。

 狙いは狂戦士の胴体――ではなく、今まさに殴りかからんとする右拳である。

 人間だったら避けるはずの刺突を、狂戦士はまともに受ける。

 肉を裂き骨を砕き、剣に右腕を貫かれながらも、狂戦士は拳を突き進めた。

 骨と肉がぐちゃぐちゃに混ざって、突き壊れる音が暗い地下室へ響き渡る。

 狂戦士が腕の具合を気にしなかったように、クリスもまた意に介さない。

 剣を深く奥へと貫き刺して、ついに敵右肩へと到達した瞬間に、何ら躊躇なく剣を手放す。

 放すと同時に振り抜かれる左拳の応酬を右腕で受け止め流し、蹴りを脇腹へと見舞う。

 敵の動きが鈍る――刹那。

 クリスは懐へと入り込み、強烈な右ストレートを顔面へと打ち放つ。


「グゥ!? ウッウ、ウ、ヴ、う……」


 バキリ、と音がして狂戦士の兜が割れる。鼻血を噴き出す狂戦士が二、三歩後ずさり、耐え切れなくなって仰向けに倒れた。


「……息はある、か」


 先程交戦した狂戦士とは違い、男の息はまだあった。

 意識すら残っている。理性を取り戻した巨体の男は、素顔を晒しながら苦しそうに喘いでいる。


「う、ぐ……はぁ、はぁ……。……生きている、ということはお前が例のトクベツ、か」

「……俺の情報をどうやって入手した」


 男に苦しげな顔に目を落としながらクリスが訊ねる。

 以前ダニエルが漏らした情報では、クリスに関してはただ強い狂戦士であるというぐらいにしか噂されていないはずだった。

 しかし眼下の男は含みのある笑みをみせながら言う。


「リベルテとはまた違う……情報の出所があるのさ……ぐふっ……。ミレイナはどうした……?」


 男の発言が気に掛かるが、クリスはまず問いに答えた。


「バーサーカーのことを言っているのなら、俺が殺した」

「……くそ、そうかよ。……それほどの力を持ちながら、やることは同胞殺しか……。どうだ、自分が史上最強の戦士となった気分は……」

「そんなものになったつもりはない。それに、自分が強いかどうかはどうでもいい。……俺は俺のやるべきことをしているだけだ」

「やるべき……ことだと!? がふっ……く、くそっ!!」


 声を荒げた男は血を吐きながらも、憎々しげにクリスを仰ぎ見る。

 その視線を受け止めるクリスはいつもと同じ無表情のまま、男の叫びを聞き続けた。


「ふざけるな!! ……同胞殺しがお前の使命!? 理性を勝ち取りながらすべきことだと!? 冗談を言うな、お前がすべきことは我々を救うことのはずだ!! ……悪しき怪物にんげんから、我らバーサーカーを助けることの、はずだ……!」

「…………」


 クリスはただ黙り聞く。肯定も否定もせずに。眉根一つ、動かさず。


「……戦いの中で理性を保持することができる。その有利性はお前自身がよく理解しているだろう……! お前がその気になれば、国一つ容易く殲滅できるのだぞ! それも、同胞を傷付けることなく! 同胞を殺さずに、人間共を抹殺できる!!」


 そこで初めて、クリスの眉根がピクリと反応した。だが、男はそんなクリスの変化に気付く様子もなく、ただ吐くように言葉を投げつける。


「お前は自分の価値を誤認している!! お前は救世主になれるのだ!! 我らバーサーカーの!! 今からでも遅くない! 私を見逃せ! ミレイナは残念だったが、お前はまだ間に合う!! 罪を贖える!! あの方と共に人間を虐殺しろッ!!」

「――黙れ」


 その一言で、男が黙る。

 男から、一気に威勢が抜け消える。

 それほどの迫力が、クリスから放たれていた。

 燃え上がる烈火。狂戦士の憤怒。

 感情の色を表さない男が、今までより色濃く激情を露わとする。


「それ以上、しゃべるな」


 有無を言わさず言い放ったクリスは、男の右腕に深く突き刺さった血染めの剣を抜き取った。


 

 ※※※



 逃げていたはずのチャティスは、またまた宮殿へと足を運んでいる。

 ガルドから知らせを受けたからだ。クリスが狂戦士と戦っている、と。


「あの花をクリスに届けないと」


 信念強く呟いたチャティスだが、横に立つウィレムは何をバカなと説得してくる。


「君みたいなバカで哀れでどうしようもない子羊が行ったところで殺されるに決まってる! バーサーカーだぞバーサーカー!! 一騎当千の怪物だぞ!?」

「バカはウィレムだよ!! そもそも私はさっきのこと赦していないし!! 謝罪もせずに私のやることにケチつけるならノアといっしょに避難しなよ!」

「すまなかった、チャティス!」


 そうチャティスが怒鳴ると意外にもウィレムはすぐさま謝罪した。

 深々と頭を下げられて、チャティスは戸惑いを隠せない。


「そ、そんな……急に態度を改められても」

「今からでも遅くない。ガルド様と共に避難地点へ戻ろう! アサシンの脅威が完全に去ったわけではないし、バーサーカーなんてもってのほかだ。……天才である僕が謝ってもダメ、か……?」

「う、うるうるした瞳で見ないでよ! 私はただ私のやるべきことをするだけであって――」


 困惑するチャティスは目を泳がせながらも譲らない。

 ウィレムの表情は今まで見せたことがないくらい真剣で、チャティスはたじたじとなってしまう。

 本気で自分を心配してくれていることがわかる。薬で傷を治療し、体力を回復させたとはいえ、まだチャティスは完全復活と胸を張って言えないのだ。

 傷口はジクジク痛むし、あちこち走り回ったり、ぶったせいで身体中が泣き叫んでいる。

 だけど、それでもチャティスはクリスのところへ行かねばならないのだ。

 人と狂戦士とが争わないで済む世界を創るために。

 クリスがこれ以上誰かを殺さないで済むために。

 本当は人だって殺して欲しくないが、クリスは頑固なのだ。

 それに、認めたくはないが、人を殺さなければならない状況が今の大陸には多すぎる。

 もし戦場でクリスが敵兵を見逃した場合、それは別の誰かを見殺しにするのと同義だ。

 だから、せめて、自分がどうにかできる範囲では、クリスに殺人をさせたくなかった。

 例え独りよがりだったとしても。自分勝手な、自己中心的な行動だったとしても。


「ウィレムこそ避難してよ! 馬鹿者は役立たず以外の何物でもないんだよ? 私は天才なのだから!」

「……君、天才は僕であると何度言ったらわかるんだ! チャティスは間違いなく大馬鹿者だ! 馬鹿者ではないぞ? “大”馬鹿者だ!!」


 フスト宮殿まで後少し、市街地の真ん中で言い争っている二人のナルシシストたちは、こっそりと近づく人影に、声を掛けられるまで気付かなかった。


「違う、チャティスは“天災”」

「うっ!?」「むっ!?」


 慌てて声の方向へ顔を向けて、視線の先にいた人物に安心する。

 青い髪に赤い瞳。シャルが二人の元へ近づいて来ていた。


「何だシャルか……」「アサシンかと思った……」


 ほっと安堵の息を吐いたのも束の間、歩む速度を落とすことなく接近してきたシャルにチャティスは頬を思いっきりビンタされてむきゃっ!? と悲鳴を上げた。


「何する……っ!?」


 抗議しようとしたチャティスだが、シャルの顔を見て口を噤んだ。

 見事な泣き顔。初めてみせた、シャルの不安と安心が入り混じった涙顔だった。

 抱き着かれて、よしよし、と幼子をあやすように背中を撫でる。


「……ひとりで勝手に行かないで……っ。私がどれだけ心配したか、わかる……?」

「ご、ごめんね? でも、放っておけなかったからさ。……それに、前いなくなった時は心配してなかったし……」


 トランド山脈の奈落、浄化されし腐海に落ちた時、シャルは特に心配しなかったなどと平然と嘯いていた。

 だがやはり、あれは彼女なりの強がりだったらしい。チャティスは知る由もなかったが、シャルはチャティスがいなくなった時、茫然と立ち尽くしていたのだ。


「……チャティスには、いなくなって欲しくない。お父さんとお母さんみたいに……」

「うんうん。私はどこにもいかないよ。それに、私は天才だから大丈夫だし、今回もほら、ね?」


 何の根拠もなく放つチャティスの言い分に、シャルは笑顔をみせる。


「そうだね。うん。チャティスは天才だから」

「うんうん」

「だから私を心配させたり、不安にさせたり、胸を締め付けさせたり、するんだよね」

「……もしかしてかなり怒ってるのかな」


 シャルの言動と合致しない清々しいほどの笑顔に、チャティスは苦笑する。

 が、すぐにこんなことをしている暇はないと思い直す。


「急いで宮殿に行かないと! 戦闘音がしないってことは、もう戦いは終わってるだろうし!」

「……っ! 待て、このアホ!!」

「チャティスは天才という名の間抜けだから、しょうがないよね」


 走るチャティスの背中を、ウィレムとシャルが各々の感想を漏らしながら追いかけていった。



 まず目に入ったのは死体だった。

 見るも無残な惨死体。ここまで斬る必要があったのか、と疑いたくなるほどの肉の塊。

 てっきりチャティスの到来を待っている、と思っていたクリスは負傷した左腕をだらりと垂らし、無表情で立ち止まっていただけだった。


「これは、ひどい……うっ……」


 チャティスの後ろでウィレムが口を押さえる。

 シャルも吐くことはなかったが、眉間にしわを寄せている。

 顔を青ざめると思われたチャティスはその死体に目を落とし、茫然と呆けていた。


「……バーサーカーは討った。これでフストも安泰のはずだ」

「……え、うん。……そうだね」


 上の空といった様子で、チャティスが適当に相槌を打つ。

 何かを言おうと口を開き、思い悩んで口を閉ざす。

 喉まで出かかった疑念を、放つ寸前のところで飲み込む。

 訊きたかった。なぜ狂戦士を殺したの、と。

 訊けなかった。クリスの表情を見てしまったから。


「……俺は念のため、辺りを見てくる。ここにいろ」

「うん……気を付けてね……」


 薄暗い地下の中、薬師と狂戦士はすれ違う。



「元気出して、チャティス」

「え? 元気をなくしてなんかないよ? 私は天才だからね」


 クリスが立ち去ってしばらくして、励ましてきたシャルに答えるチャティス。

 天才は元気をなくすことなんてないんだよ? と胸を張って豪語していたが、少したって顔を俯かせる。


「ごめん……嘘、ついた。ちょっと悲しい、かな」

「わからないな、うぐ……」


 気持ち悪そうに口元を押さえつつもウィレムが発言。

 何が? と問うチャティスに顔を真っ青にしながらも説明する。


「バーサーカーがバーサーカーを殺すのは大陸全土で行われている普遍的な行為だ。そこには何ら異常性が存在しない。ごく当たり前のことだよ、君。だから悲しむ必要は――」

「だから、悲しいんだよ……。バーサーカーが人を殺すのは当たり前。バーサーカーが同胞を殺すのは当然。そんな世界ってとっても悲しいよ。クリスはいつも……誰かを殺す時悲しい顔をしてるの。ううん、今まで見たバーサーカー全部そう。人間だってそうなんだよ。やけに好戦的な人っているけど、その人たちもどこか、悲しい顔をしてるの。……本気で争いを愉しんでる人間、今まで見たことないよ……」

「……本当にバカだな、君は。せっかく天才である僕が気遣ってあげたというのに」


 ウィレムは嘆息して、うっ!! とまた吐きそうになりながらもチャティスに話し続けた。


「……思うに君は大馬鹿者だから、どうせ彼らには悲しい背景がある、とでも思っているのだろう? ……一理はある。一部の精神異常者を除いて、最初から殺人を好んで行う人間はいない。好戦的な奴は、よくそういう異常者であると誤解されがちだが、むしろ逆だと僕は思う。自分が壊れないための自衛方法として、殺戮を快楽として楽しもうと……最適化しようとしているんだ」

「…………」


 ウィレムの言葉を黙って聞く。

 自分とは違う自称天才の言葉に、チャティスは耳を傾ける。

 反論せずに、一つの考え方だと受け入れる。

 

「だがそんなことは――君のようなアホウが気に掛ける必要は微塵もない! そうだろう? 君はバカでマヌケでアホウなのだから、ただみっともない自己愛に浸って、偽りの中でふんぞり返っていればいいのだ! そうだろう?」


 ひしひしと感じるウィレムなりの気遣いに、チャティスは一瞬笑みを浮かべた。

 だがすぐに――険しい顔へと戻る。それは初めてチャティスがみせた、責務のようなものを感じさせる、義務感に溢れた顔だった。


「それはダメだよ、私は天才だから。……ちょっと外の空気吸ってくるね……こんな暗い地下じゃ気が滅入っちゃうし……」


 チャティスはクリスの言いつけを破り、外への階段を昇って行った。



 外の空気はあまりおいしいとは言えない。

 それはチャティスの嗅覚や味覚が異常をきたしているわけではなく、単純に彼女が気落ちしているからだった。

 ため息すらつくことなく、ただボーッと花畑を眺め見る。

 静かな庭園の中で、思考回路をフル稼働させる。


「何で殺したの、クリス。あの花があれば狂化を止められるのに」


 独り言をぼそりと呟く。と……。

 

 ――わかっているはず。全部。


 返ってくることのない返事が脳裏に響く。

 その声に、チャティスはわかんないよと言い返した。


「狂化を止められる方法を見つけ出した……! ならわざわざ殺さなくても問題ないはずだよ! ……もちろん、殺したくなくても殺しちゃう状況があることはわかってる。殺さないことは殺すよりも困難だから。でも……あんな……っ。あんな風に……!」


 ――クリスはバカじゃない。彼の行動には必ず理由が……動機がある。

 彼がバーサーカーを殺した理由、それは殺す以外に手立てがなかったから。今までは。

 でも、今回は違う。わざわざ殺さなくても、問題ないはずだった。狂化という問題点はクリアしたから。

 だけど、それでも彼は殺した。ミュールと同じように。今までのバーサーカーと同じように。

 それはなぜか? 本当はわかってる。でも、考えたくないだけ。認めたくないだけ。


「……っ。うるさい、黙っててよ」


 だがチャティスの想いとは裏腹に、頭の中の声は確信をついていく。


 ――あのバーサーカーは、狂化しなくても人を殺そうとしていた。

 哀れな被害者から、加害者に成り代わろうとしていた。あなたが一番恐れていた存在。

 ミュールの父ソダスといっしょ。人が憎くて憎くてどうしようもなくて、自分の意志で殺戮しようとする凶悪な殺人鬼。


「ッ!! バーサーカーは殺人鬼なんかじゃない!!」


 大声で叫ぶ。自分の想いを。

 自分が信じる狂戦士の在り方を。

 だが声は……チャティスの内面は、冷ややかに、事実だけを述べていく。


 ――なら何で、ミュールは自死したの?

 シャルはなぜあなたを殺そうとしたの?

 バーサーカーの問題は狂化するってことだけじゃない。

 狂化を止める薬を生み出したところで、何も解決しやしない。

 たまたま人を憎んでいないバーサーカーにあなたが出会えただけ。

 思い返してみなさい。あなたに仲良く接してくれたミュールは箱入り娘だった。

 シャルは森の中でひとりぼっちの無垢なる少女。増悪とは無縁な存在。

 ダニエルは自分をバーサーカーだと自覚していなかった。人として生きてきたからあっさりと受け入れられた。

 ほら、みなさい。あなたがわかり合えたバーサーカーたちは、本質的な意味でのバーサーカーではなかった。

 全員、どこか変だったのよ。みんな変わり者だった。


「で、でも……クリスは……」


 か細く呟かれた狂戦士の名前に、心の声は笑い声を上げた。

 そこでその名前を上げるのか。そう失笑して。


 ――クリスこそ一番の異端。

 彼は通常のバーサーカーとは違う特別な存在。

 理由こそわからないけれど、明確に違う。異質な、異なった存在。

 彼を基準として考えてしまうのは愚の骨頂。あなたはまだ基本となるバーサーカーにちゃんと出会ってすらいない。

 いや、死体には会ってるよね。名も無きバーサーカー然り、ソダス然り、アーリア然り。

 さっきの肉塊だって、そうだよね。


「……ッ!! それは――そうかも、しれない。あなたの言うことは確かに正しい! けど……でも……!! それでも、私は……!」


 狂戦士は人であると信じたい。ちょっと特殊な呪いを持った人間なのであると。

 ポーチの中にあった花の小瓶を取り出し、ぎゅっと握ったチャティスに対し、もうひとりの彼女はそうね、と同意した。


 ――そう。その妄信こそ必然。私は人を救わなければならない存在。そこにはバーサーカーも含まれる。

 恩を返すことが私の使命。人々を幸せにすることが私の役目。

 私は私のためではなく、他の誰かのために生きている。

 なぜなら、私は――。


「――天才、だからね。……クリス、あなたの考えが私と違っても、私は私のやるべきことをするよ。バーサーカーが争わない世界を、創り上げてみせるよ」


 決意を新たに、チャティスは立ち上がる。

 論理的な理由など存在しない。していてもしない。

 ただ自分がやりたいからやる。そうするべきだと思ったから動く。

 自分勝手に、自己満足に。自己中心的に。

 天才だから。

 放っておけないから。

 矛盾していようがしていまいが、ただ心の赴くままに動くのだ。

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