不穏な影
手持ちの火薬と弾薬を切らし、満足するまで銃を撃ったチャティスが銃器店に戻ったのは、日が傾き暁の使者が姿を現した頃だった。
夕日が黄金色に輝き、チャティスを黄昏に照らしている。健康的な汗をチャティスは布で拭き取った。
「はぁー! 楽しかった!!」
「そうか」
森の中、川岸、草原など色々なロケーションで射撃したチャティスはすっかり機嫌が戻り、ご満悦な表情で帰路につく。
「これさえあれば男だろうが魔物だろうが敵なしだね!」
「そうだな」
淡々と相槌をうつクリス。素っ気ないと思われるその態度も、今のチャティスは気に留めない。
とにかく、気分が良かった。今までのストレスが弾丸と共に吐き出されたかのようだ。
ピストル片手に上機嫌のチャティスはクリスの前へと走り出て、くるりと一回転。
背中に両手を回し、クリスの顔を見上げて訊いた。
「ねえ、結局買うの? それ」
「……利便性はある。弾丸を撃ち放った後、いざという時は投擲武器としても使用可能だ」
「な、なんていうかその、バーサーカーらしい考え方だね……」
突飛とも言える発想にチャティスは苦笑い。あくまでマスケットの先端部分に差しこんである銃剣は、近接武器として発案された刺突用刃物だ。投げて使うな、とは言わないが投げて使えるようには設計されていない。
クリスの腕力ならば疑うべくなく可能だろうが、そんなことしたら壊れちゃうよ、とチャティスは小声で漏らした。
っと、そうそう。チャティスは思い出したかのように呟いて、
「お金あるの? ピストルで金貨五十枚って言ってたんだから、きっと高いよ、それ」
「それについては問題ない」
クリスは即答し、マスケット銃の銃身を肩に置いた。
店へチャティスたちが戻ると、店の親父が熱中しながら語り、シャルが辟易とした表情でカウンターに突っ伏していた。
チャティスに手を出した狼、もとい青年店員のロードもまた疲労困憊という様子で椅子に座り込んでいる。
ロードや店長はまだわかるが、なぜシャルが意気消沈しているのか気になったチャティスがとんとんと彼女の背中を叩く。
「どうしたの?」
「……銃のお話はもういい」
恨み言のように呟くシャル。ちょっとでも興味関心を持ってしまったが最後、シャルは今の今まで永遠と銃の歴史から内部構造、さらにそれを使った戦術までを教え込まれていた。……頼んでもいないのに。
森の外はどれもこれも新鮮でシャルの心を躍らせていたが、威力と魅力を兼ね備える魔法の筒にはうんざりといった様子で、拗ねた幼子のようにそっぽを向いた。
「おう、お嬢ちゃんたち! お試しはもう終わりかい?」
「うん。クリスは銃を買うって」
「そうか! じゃあ、値段交渉といこう」
店長は嬉々としてそう言うと、クリスを手招きして交渉を始めた。
拗ねないで、ね? とシャルの背中を撫でるチャティスの横で、クリスと店主が会話を交わす。
「こいつは……まぁまけにまけて、金貨五十五枚でどうだ?」
「構わない。……ピストルの方も欲しいんだが」
「……いいが、とすると金貨百枚になるぞ?」
店主が確かめるかのように訊ねると、クリスは馬車の中から持ってきた金貨袋を雑に取り出し、置いた。
じゃらり、というコイン同士が触れ合う音が鳴る。
奇妙に思った店主が袋を開けると、大量の金貨が溢れ出す。
とんでもない額の金貨に、ふてくされていたシャルや疲労していたロードまで目を見開いた。
「な、なんて数の金貨……!」
「く、クリス! どうしてこんな大金を!?」
衝撃に耐えかねてチャティスが声を上げる。少なくとも、金貨がこれほど集まっているのは彼女の人生の中で一度も見たことがない。
それは店主とロードも同じだったようで、信じられないといった風に驚愕している。
ただひとり、シャルだけが、これって食べられるの? と無邪気に訊ねていた。
「……普段使う機会がないからな。君を助けた時、野盗から拝借した分もある」
「こ、こんなにあるなら少しくらい分けて――。……うん、なんでもないよクリス」
思わず本音が漏れ出たチャティスは、気まずくなって小さくなる。
金は使うものであり、集めるものではない。金の亡者になるということは金の奴隷となっていることに等しい。
チャティスは、金の恐ろしさを父親からよく聞かされている。
間違っても金に執着するな。金に固執したが最後、お前は神の鉄槌を受けることになるだろう。
実際、貧困層の苦しみを無視して金を巻き上げる貴族や王族は、暗殺者に暗殺されると相場が決まっている。
少なくとも、狂化戦争が起こる前はそうだったらしい。世の中そう自分勝手にはいかないのだ。
(ま、私は天才だし、富の独り占めなんてするつもりもないしね)
金が手に入ったら……まずは解呪だ。忌々しい魅了なんて呪いを消し飛ばし、次にするのは……。
(あの花をたくさん育てないと。そして、狂化を抑止する薬を作って、それから父さんと母さんにお礼をした後は、村人たち……キチュアやテリーにごちそうを振る舞って、ミュールに立派な墓を買って、シャルにも何かしてあげて、クリスにも――)
もし自分が大金を手にしたら。そんな妄想に耽っていたチャティスは、何度か呼ばれた時にやっとクリスが自分を呼んでいることに気が付いた。
「え、なに、クリス? ごめん聞いてなかったよ……」
「この先に宿屋があるらしい。今日はそこで休もう」
「もしよかったら明日も来ていいぜ? お嬢さん方限定だけどな」
調子よくロードが声をかけてくる。チャティスとしてはあのような思いをするのはもうごめんなのでロードの声を聞き流し、チャティスは店のドアに手を掛けた。
「……最後にひとつだけ訊きたい」
背後からクリスが店主に訊ねる声を聞き、気になってチャティスが停止する。
なんだ? と訊き返す店主にクリスが問うた。無意識に、剣の柄へと手を触れながら。
「この辺りにバーサーカーはいるか?」
ドアノブにかかったチャティスの手に緊張が奔る。
クリスはそんな彼女など露知らず、店主の返答を待ち続けた。
一瞬の間あって、店主がいや、と回答する。
「テェンソーは技術の国だ。武器職人や鉄砲鍛冶はごろごろしてるが、バーサーカーなんてのはいやしねえ。まぁ、紛れてなけりゃだが」
店主の言う通り、テェンソーは技術の国である。チャティスが手に入れたフリントロック式の銃などを筆頭に、各国ではなかなか開発できないような武器を作成、流通させている。
そのため、小国かつ狂戦士を所持していないながらも、他国から狙われることなく存在しているのだ。
ある意味、この国は成功していると言える。領土こそ大きいものの一気に瓦解してしまったラドウェールや、国王が野心に囚われた結果国が錆びれてしまったクレストなどに比べれば。
ほっと胸を撫で下ろし、ドアノブを捻るチャティス。がまだ店主の話は続き、気になってチャティスは体半分が外、もう半分が中という微妙な状態で立ち止まった。
「そうそうバーサーカーではないんだが、バーサーカーハンターとかいう男がお前さんたちと同じ銃を買っていったぜ?」
「バーサーカーハンター?」
奇妙な単語に、チャティスが店の入り口から口を挟む。
店主はああ、と頷いて、
「何でもバーサーカーを狩ったことがあるんだとか。真偽のほどは知らんが、とんでもない凄腕らしいぜ」
「人間がバーサーカーを倒したの?」
狂戦士を狩った人間となると気になるらしく、シャルも店主を見つめ直した。
店主はらしいぜ、と曖昧に応じつつ、
「きざったらしい男だったな。変なハットを被ってやがった」
「俺はあいつ嫌いだ。お嬢さんも気を付けとけよ? あの男は嫌がる女性に手を出すようなくそ野郎だ」
お前が言うなと視線でロードを訴えるチャティスをよそに、クリスは踵を返し始める。
「バーサーカーハンター、か」
仰々しい名前を呟くクリスに促されるまま、チャティスは店を後にした。
間違っても自分の天災に引き寄せられることがありませんように、と心の中で祈りながら。
※※※
人が寄らない廃屋というのは、密会する場所としてふさわしい。
騎士リベルテ・ドレックが廃れたボロ屋を待ち合わせ場所に指定したのは、誰にも聞かれたくない内容を密かに話したいがためだった。
ギ、とドアが軋み、ひとりの男が入ってくる。服装として下級市民だが、行動の端々に気品と優雅さらしきものが纏わりついている奇妙で滑稽な男だ。
「ラドウェールの……テイル派の者か」
「如何にも。私はテイル派の幹部……革命が成功すれば大臣となる男だ」
威厳を見せようとしているのか、後ろ手を組むその男は傲慢な態度でリベルテに接するが、リベルテとしては失笑を禁じえない。
この男は自分が偉大な人物だと信じて疑っていない。その姿があまりにもおかしく、リベルテはふ、と小さく笑みを漏らした。
「……何だ?」
「いや何も。……我々が同盟を結ぶためには様々なものが必要だ。まずは」
挨拶をすっ飛ばして話し始めたリベルテを睨みつけつつ、テイル派の幹部は封書を取り出して手渡す。
封を解くと、何も書いてない紙が入っている。リベルテはそれをじっと食い入るように見つめた。
すぐに、魔術で人物画が描きあがる。とても精巧な、まるで本人の写し絵と錯覚してしまうほどの人物画像だ。
浮かび上がったのは小柄な体躯の少女だった。リベルテは写真を見ながら訊ねる。
「この少女は? 俺が欲しいのは……」
「わかっている。この少女は奴の関係者だ」
「と言うと?」
テイル派はうむ、と一息置いて説明し始める。
「貴国が興味を抱き我々が必死に捜索した標的は、完璧と言っていいほど痕跡を消していた。残っていたのは死者のみだ。雲を掴むが如くの至難さであり、革命最中の我が国にとって捜索は困難を極めた。だが、我々の有能な斥候は見事手がかりを見つけ、このように魔術によって画像まで複写したのだ」
「それで」
さっさと核心に入れ、と目で促され、テイル派は眉を顰めながらも続けた。
「結論から言うと、標的はこの少女と共に行動している。この少女の痕跡を辿るのはいとも簡単だった。行く先々で面倒ごとと縁あるようでな。複数の人間から証言を得ることができた。……我が軍の兵士も撃たれたようだ。命に大事はなかったようだが」
「対象はどこに?」
テイル派は地図を取り出し、壊れかけのテーブルに広げる。指で地図をなぞりながら、一直線に引いた。
「少女は真っ直ぐ進んでいる。クレストから我が国ラドウェール、アリソン、その近くの呪いの森。恐らくはテェンソーに向かっているだろう」
「なるほどな」
リベルテは満足げに頷くと、では、とテイル派に手を差し伸ばした。
テイル派はやっと礼節を持った応対をしてくれたか、と機嫌を直して手を握る。
「これで我々も安泰だ。バーサーカーを持つ貴国が同盟を結んでくれるとなれば、他派閥も素直に我々の言うことを聞くだろう」
「全く以てその通り。……そう言えば、まだこの少女の名を聞いていなかったな」
リベルテは手を離し、紙をテーブルの上へ置く。彼の問いにそうだったな、とテイル派は頷いた。
「その少女の名はチャティス。何でも、天才なんだとか」
「なるほどなるほど。確かに貴公よりは頭が良さそうだ」
急な罵倒にテイル派の幹部が訝しんだ刹那、ナイフが一閃し幹部はあっさりと絶命した。
倒れた死体と入れ替わるようにして現れるフードの少女。その少女は何ごともなかったかのようにナイフを仕舞い、一礼する。
「これでいいのでしょう?」
「もちろん。バーサーカーを持たぬ国など端から敵ではない。目下の敵はバーサーカーだ」
「……その娘と関係があるのでしたね」
「そうとも。名はチャティス。……愛らしい少女だ。不思議な魅力があるな」
「年下に色目を使う趣味があるとは」
迂闊にも正直な感想を漏らしてしまい、少女はハッとする。が、すでに遅い。
少女は主人の不興を買ってしまっていた。
「口が過ぎるな、アサシン。……次に俺の不興を買うようなことがあれば」
「わかっています、騎士リベルテ。……我が主」
アサシンの女は深く頭を下げる。きゅ、と唇を強く噛み締めながら。
「さて、お前には伝令を届けてもらう。……狩人にな」
「……あのような男に、ですか?」
問い直すアサシンにリベルテは鋭い視線を向け、剣を抜き放った。
アサシンの首元に刃先を当てて、言い聞かせるように声を出す。
「そうだ。秘薬を持たぬ、無能なアサシン共よりもまだ有用だからな」
「……っ」
「……いいか? 俺はお前の飼い主だ。狗はただ主人の命令に従っていればいい。……いい具合に育ったな、キャスベル。……後で大人になる悦びを味あわせてやろう」
リベルテは高笑いし、颯爽と去って行く。
残されたアサシン、キャスベルが屈辱に顔を歪ませて佇んでいると、後ろから忍び寄る気配に気づく。
警戒しながら振り向いて、見知った顔に肩の力を抜いた。
「兄者か……」
「あの男は厄介だな。実力はないが、ずる賢さは人一倍だ」
「……そうね」
「血が出ているな。誰かにやられたのか?」
兄者とキャスベルが呼んだ男はフードの中からキャスの首元へ目を落とす。
が、すぐに誰がやったのか思い至り、憤慨してテーブルを蹴飛ばした。
「くそ、リベルテ!」
「いいのよ、兄者。これで里のみんなが救われるなら」
諦観の念を持って口にするキャスを不審に思い、アサシンが言い咎める。
「他に何か言われたのか?」
「い、いや……何も」
「……。その情報は俺が伝える。あのハンターだろう?」
「うん……」
男はキャスの先を歩き始め、一度立ち止まった。
「今は雌伏の時だ、キャス。……いずれあの男は俺が暗殺する」
「わかってるわ。兄者」
男が闇に紛れるようにして姿を消す。兄の背中を見送ったキャスはテーブルの地図へ目を落とし、自分の里を撫でながら呟いた。
「別にいいのよ、私はどうなっても。家族さえ守れるなら」
不幸なことに、彼女がどうなっても里を絶対に守れるという保証はない。
※※※
「ということだ。いいな、命令通り敵を狩れ」
「オーケー、任された。あの高慢ちきな騎士サマの命令通りにするよ」
フードを被った男に指示され、ハットを被った男が手をひらひらとさせて頷いた。
マスケット銃が立てかけられた椅子の上でふんぞり返り、ワインを呷る。
「……あの騎士が気に食わないという点では同意見だが、俺はお前も気に食わない」
「そう言うなよ。俺だってやりたくてやってる訳じゃない」
どうだ? とハット男が酒を勧めたが、フード男は拒否した。
「で、だ。この少女、あの騎士サマの不興を買うようなことをしたのか? ただの可愛らしい少女に見える。……一度見れば忘れられないような、不思議な魅力を兼ね備えてはいるが」
グラスを横の丸テーブルに置き、ハンターが写真に目を移す。
外套に身を包んだ少女、チャティス。少なくとも狩人にはわざわざ自分が狩らなければいけないような必要性を感じられない。
だが、アサシンは頭を振り、必要不可欠だと告げた。
「精確には少女ではない。少女と一緒にいる男の方が問題だ。……その男はバーサーカー。クレスト、ラドウェール、アリソン……すでに四人の怪物を屠っている強者だ」
「四人も、か」
深刻な表情でハンターが呟き、アサシンが意外そうな口を利く。
「いつも飄々としている男が珍しい」
「……俺でも緊張することはあんのさ」
「例によって部隊は送らない。……一体如何な方法でバーサーカーを狩るのか、一度教示してもらいたいぐらいだな」
「そいつは秘密さ。……もう行け。妹が心配だろ」
「言われなくても」
ハンターに促されるようにして、アサシンは部屋を後にした。
独りきりとなったハンターは丸テーブルの上にあるピストルを手に持ち、握りしめる。
「くそ、最悪な状況だ。何とかしなければ。……しかし、俺ならできるはずだ。この俺、ダニエル・ローレンスなら。バーサーカーハンターなんて異名を持つ、俺ならば」
自分に言い聞かせるように何度も何度も、ダニエルは復唱した。




