本当のはじまり
シャルの容体はチャティスの調合した薬と、彼女の狂戦士がゆえの回復力、そしてクリスが手加減していたという事実もあって、順調に回復していた。
もう外を走り回ることもできるし、食事を作ることもできる。
何か作りたいとシャルがせがむたびにチャティスは丁重にお断りしていたが。
「まだね、まだ万全じゃないからね」
「そうかな。もう大丈夫だと思う……」
不満げな表情になるシャルにチャティスは若干の罪悪感を感じながら言い聞かせる。
「念には念をいれないとダメなんだよ。だから、ね?」
「うん……」
しぶしぶ、といった様子で簡易キッチンから出て行くシャル。ふぅとチャティスは息を吐いて、調理に取り掛かった。
木の下では、クリスが馬の世話をしている。道中の村に預けてあった馬車をクリスは回収し運んできていた。
あの馬車で、チャティスはこれから冒険するのだ。今までの成り行き上の関係ではなく、本当の意味での旅仲間として。
(薬の研究もしないといけないからね。シャルは花を持って行っていいって言ってくれたし)
ここまでは順調。
残る不安点はシャルである。狂戦士である彼女は、これからまた森の中でひとりぼっちなのだ。
今までは人と触れ合うことなく過ごすことができた。だがこれからもそう上手くいくだろうか。
そう考えるとチャティスは不安になる。放っておくのは難しい。だが、連れて行くのも……。
「試してみようかな」
チャティスはサラダを皿に盛りつけ終え、壁に立てかけてあった火縄銃を手に取って小屋を後にした。
クリスに手伝ってと頼んだチャティスは、そのままシャルの捜索に向かった。
予想通りというべきか、シャルはすぐに見つかる。お気に入りの青い花畑の真ん中にシャルは佇んでいた。
周囲を飛ぶ蝶と戯れていたシャルにチャティスが呼びかける。
「シャル! ちょっといいかな?」
「うん。どうしたの?」
不思議がってチャティスに歩み寄ろうとするシャルを、チャティスが静かな、そして冷たさを感じさせる声音で制す。
「止まって。動かないで」
「チャティス?」
シャルが戸惑うように眉根を寄せる。困惑する彼女を見つめながら、チャティスは作業に取り掛かった。
火縄銃を構え、発射準備。
火縄に火が点いていつでも射撃可能なマスケットを、チャティスは不慣れな手つきで狙いつける。
標的はシャルだ。
銃というものを見たことなく、シャルはチャティスの構えるソレがどういう代物なのか理解できていない。
引き金を引くだけでひと一人を殺せる凶悪な武器であることを知らないまま、きょとんと銃口を見つめている。
「それは一体?」
「すぐにわかるよ」
チャティスは真剣な眼差しでターゲットを見つめると、息を吐き出して引き金を引いた。
乾いた音が花畑に響く。小鳥たちが空へと飛び立ち、動物たちは草木を掻き分け逃げ出した。
銃声が鳴った直後、シャルがショックを受けたような顔でぱたりと倒れ込む。
「シャル!」
銃を撃ち放った当人であるチャティスが驚愕し、シャルに向かって走り出す。
上手くいったはずだった。細心の注意を払って標的に狙いを付けた後、当たらないように狙いを外した。
しかし、シャルは倒れてしまった。顔を青く染めてチャティスがシャルの元へ辿り着くと、
「……きゅ、きゅう」
などという素っ頓狂な悲鳴を上げて気絶しているシャルが目に入る。
つまり、シャルは気絶したのである。今まで見たことがなかった火縄式マスケット銃から放たれた弾丸と、聞いたことがなかった銃声を聞いて衝撃を受けたのだ。
いくら初めてとはいえ、この程度で気絶してしまうとは。
チャティスは自分が何度も気絶していることを都合よく忘れ、目を回しているシャルにふふふと笑みを漏らす。
(シャルが気絶したのは予想外だったけど――)
チャティスは木陰から見守るクリスに手を振って、大丈夫だと合図した。
シャルが気絶したのは想定外だったが、シャルが狂化しなかったのは予想の範囲内。
この不可思議な花の効果が如何ほどであるか見極められた。
これならば大丈夫。
チャティスはシャルをよいしょと持ち上げて、クリスのところまで歩いて行った。
小屋の中で寝かせていたシャルは思いのほか早く目を覚ました。
ベッドから起きてすぐは何が起こったのかわからず放心していたが、すぐにチャティスのせいだと気付いて頬を膨らませる。
「チャティス、ひどい」
「ごめんね。はっきりさせたかったからさ」
はいこれお詫び。
そう言って、チャティスは青い花が入った小瓶をシャルへと手渡した。
首に掛けられるように紐がついており、シャルはん? と首を傾げるばかりだ。
「これは長期保存に適した小瓶なの。魔術によって補強されていて、内部の時の流れが違うんだ」
「む、う?」
「つまり、この中に花を入れておけば絶対に枯れないってこと。……森の外に出ても大丈夫だよ」
「……」
シャルが驚いて固まった。
赤い瞳を大きく開けて、ポカンと立ち尽くしている。青い髪が風で揺れている。
次の瞬間には、嬉しそうな顔となり、信じられないと涙が頬を伝う。
「ほ、ホントに?」
「うん。私の見立て通り、この花には狂化を止める効果があるみたいだからね」
「外に出てもいいの? ついて行ってもいいの?」
「もちろん。シャルがいないと私も寂しいしね」
感極まったシャルがチャティスに抱き着く。
胸の中で嗚咽するシャルはまるで幼い子どものようで、チャティスはよしよしと背中を撫でた。
「ひとりで寂しかったでしょ? これからはいっしょだよ。バーサーカーってみんな寂しそうなんだもん。放ってなんかおけないよ」
思えばアーリアもそうだったのかもしれない。
チャティスは遠目で見ていたクリスとアーリアの戦闘を思い出す。
クリスもそうだが、彼女も孤独だった。だからあのような野心を滾らせた男に恋をしてしまったのだろう。
狂戦士には味方がいない。いても自分で殺してしまう。
彼らは常にひとりで襲ってくる同胞と戦う。理由はそれぞれだが、大概が人に利用され、仕方なしに戦い合っている。
クリスは理性を保持し戦闘中も何が起きて自分がどう行動したか把握できているが、一般的な狂戦士は自分が何を行ったのか詳細を思い出せない。
彼らはいったいどんな気持ちなのだろう?
敵を殺し味方も殺して、誰もいなくなった戦場の真ん中で目を覚まして。
いったい、何を思うのだろうか。
チャティスには想像もつかない。きっと一生わかることはないのだろう。
チャティスは狂戦士ではなく、人なのだから。
だが、人だからこそできることがある。
特に天才で、そして薬師でもある自分にならば。
「私はね、シャル。そんなの嫌なの。誰かがひとりぼっちだったり、戦いたくもないのに戦わせられたり、生きたいのに生きられないとかね。私は我儘で傲慢で、天才だから、耐えられないの」
「ふ、ふ……やっぱりあなたは面白いひと」
シャルはチャティスから顔を上げ、目じりに残った雫を指で拭って、微笑んだ。
「バーサーカーに希望を与える……不思議な、ひと」
「私はこの世に生まれ落ちた神の子だからね。このくらい至極当然だよ」
十八番であるナルシシズムを披露しつつ、チャティスはシャルの頭を撫でる。
気分がいいものだ。誰かに感謝されるということは。
誰かに恨まれたり、誰かを悲しませるより、ずっと心地いい。
「さて、そうと決まれば、お昼にしようか!」
「うん。お腹すいた」
気を良くしたチャティスは腕によりをかけて、ごちそうを振る舞った。
※※※
クリスは木の上にある小屋から聞こえてくる楽しい声に背を向けて、目前の作業に集中していた。
まず、馬車内にあった荷物を整理して、二人用のスペースを作る。
何となくこうなる予感がしていた。あの花に関してはクリスも違和感に気付いていたし、上手く転用すれば狂化を抑えることも可能だと。
だが、あの花を使って狂化を止める薬を作ろうなどとは考えもしなかった。
恐らく誰も思いつかなかったことだろうとクリスは断言できる。
そもそも薬というものは治療に用いる物品である。確かにあの花を一目見た者がいれば、何かしらの薬に応用できると考え至る者もいるだろう。
しかし、狂戦士に対して薬を作ろうなどと考える人間はチャティスしかいない。
なぜなら、薬は人間に対して使われるものであり、化け物に使用するためのものではないからだ。
第一前提として、狂戦士を治そうなどと試案する人間がいない。
いや、もしかしたら他にもいるかもしれないが、大部分の人間は狂戦士を忌み嫌い、魔物の類として見ている。
魔術師が現れるまで天空を支配していたドラゴンか、腐海の中で生者を喰らおうと息を潜めている喰らう者と同類だと。
(あの子は希望だとミュールは言っていた。狂戦士を人だと思い接することができる尊ぶべき存在だと)
そんな人間は希少である。ほとんどの人間は狂戦士を嫌うか恨むか蔑むか。そのいずれかだ。
その反応は当然であるとクリスは考えて生きてきた。自分たちは不必要な化け物であり、“彼女”の理想を実現するために一匹残らず狩り殺すべき対象だと。
だがここに来て、その信念が揺らいでいる。揺れているように感じる。
はっきりと認識できないが、このままでいいのかという疑問が心の中で湧き上がっているように思える。
(俺にはもう、何が正しく何が間違っているのか判断ができない。かつての俺がそうしたように……そうしたかったように動くことしか)
――あなたは人なんだから、人らしく振る舞うべきなのよ。あなたは人殺しの化け物なんかじゃない。ただちょっと特殊なだけの人間なのだから。
愛した人間の言葉が脳裏によみがえる。
そう言われた時、自分は返すことができなかった。
言葉に詰まり、驚いて、ただ彼女を見つめることだけしか。
だが、今なら言い返せる。曖昧にではなく、明確に。
「それは違うぞサーレ。俺は人じゃない。バーサーカーだ。だから俺は……」
「クリス、どうしたの?」
不意に声が掛かり、クリスは独り言を止めた。
見ると、シャルの補助を受けてチャティスが木から降りて来るところだった。
手にはクリスが捕った魚の丸焼きが握られている。
「はい食事。他にも色々作ったから、後で食べてね」
切り株の上に皿を乗せ、パンやサラダ、スープなど様々な料理が並べられていく。
今日の料理は自信作だよ! とチャティスは得意げになって、
「じゃ私は薬草と花を採取してくるから!」
と言って森の中を進んで行った。
「自信作……か」
クリスはおいしそうな匂いを漂わせる料理の数々に目を落とし、すぐに荷物整理の作業へ戻る。
「食べないんだ。おいしいのに」
すると、また声を掛けられた。真後ろに立っていたシャルが訊ねてきたのだ。
クリスは手を止めずに答える。無表情のまま。
「後で食べる」
「……嘘をつくのは良くないと思う」
シャルがぼそりと呟いた声を聞き、クリスは手を止めて振り返る。
「……何の話だ」
「あなた、ここに来てから何も口にしていないよね。それだけじゃない。夜も寝てない。チャティスは気付いてないけど、私は気付いたよ」
「……そうか」
「食べられないし、寝れないの?」
シャルに訊ねられたクリスは、切り株の上に置いてあった魚の串を手に取った。
「食べられない訳じゃない」
クリスは魚を一口齧る。だが、もう満足したかのように串を皿へと戻した。
「寝れない訳でもない。ただ、必要がないだけだ。俺はもはや通常のバーサーカーとは一線を画している」
「あなたは普通じゃないんだ」
「特別になったつもりはないが、そうなのだろう。俺の代わりに食べてくれないか」
クリスは串を差し出して頼む。だが、シャルはううん、と首を横に振って拒否をする。
「それはチャティスがクリスのために作った料理。全部食べろとは言わないけど、食べられる分は自分で食べてあげて。……内緒にするんなら」
「そうか……そうだな。チャティスの元に行ってやってくれ。また何か不幸な出来事が起きるかもしれない」
「わかった」
シャルは了承すると、チャティスを追って駆けていく。
子どものような無邪気な背姿を見送った後、クリスは魚をまた一口頬張った。
「……おいしいのだろうな。おそらく」
他人事のように呟きながら、料理を食べ進めた。
※※※
研究に必要な分の青い花とこの先必要になるであろう薬の原材料をかき集めたチャティスは、機嫌よく森の中を散策していた。
ふんふふーんと鼻歌混じりに歩いて行く。森の中に潜む危険を失念しながら。
森には危険が紛れているということをチャティスが思い出したのは、クワァ! と肉食いカラスが鋭く鳴いた時だ。
「えっ!? 何でこんなところに……!」
ビクッと肩を震わせて、木の枝でチャティスを睨むカラスへと視線を向ける。
このカラスは魔物としては低級だが、それなりに恐ろしいのだ。鋭いくちばしで肉をちくちくとついばみ、徐々に徐々に肉を喰らっていく。
ただ、普段食するのは動物の肉であり、あまり人肉は好まない。下手に刺激しない限り、襲ってくることはない対処が簡単な魔物だ。
ゆっくりと移動して、やり過ごそうとする。
しかし、チャティスの不運がそれを許さない。
ひそりひそり……と歩いたチャティスの足は、見事落ちていた枝を踏み折ってしまう。
パキ、という音に反応してカラスが飛び上がった。同時にチャティスも跳び上がる。
「やっちゃった!? ひぃ!!」
涙目になりながらチャティスは走り出した。
だが、地面を走るのと空を飛ぶのでは圧倒的に後者が速い。
案の定一瞬で追いつかれたチャティスは、この森に迷い込んだ時と同じように転んでしまい、情けない悲鳴を上げた。
「こ、ないで……ひぅ!!」
クワッ!! とカラスがチャティスの柔肌をついばもうとした時、またあの音色が響き渡る。
独特の口笛に反応して、カラスが仕方なしにと飛び去った。
「大丈夫?」
「しゃ、シャル! 良かったぁ」
ほう、と気が抜けたように息を吐く。
結局、チャティスはまたシャルに助けられた。ピストルさえ直っていればチャティスとて立ち向かえたのだが、銃がなければ哀れな子羊同然である。
ピストルの修理が急務だと頭で思いながら、チャティスはシャルにお礼した。
「ありがとう、シャル。助かったよ」
「ふふ、いいの。友達だから」
ほっ、とチャティスは起き上がり、逃げる途中で散らばった荷物を拾い集める。
シャルに手伝ってもらいながら、ポーチへ仕舞っていると、唐突にシャルが話しだした。
「ねえチャティス」
「何?」
手近の薬草をポーチに突っ込んでチャティスが振り向く。
シャルは青い花を手に持ってチャティスへと手渡した。
「私ね、ずっとここで生きていくんだと思ってた。外に出ると狂化しちゃうんだって、両親に言われてたから」
「でも、もう大丈夫だよ。その小瓶なら」
「うん。とっても嬉しい。森も嫌いじゃないけど、ちょっと退屈だったの。初めてあなたを見つけた時ははしゃいじゃった。やっとひとが来たって。不思議だった。あなたを一目見た時から、何かいいことが起きる気がしたの。今を変えてくれるすごいひとが来たって」
「そ、そりゃあ、まあね」
照れてチャティスの頬が朱色に染まる。
「だから私、チャティスを守るよ。ただ旅について行く訳じゃない。あなたは私の希望だから」
「う、うん。気持ちは嬉しいし、たぶん実際に守ってもらうことになると思う。私はまぁ……天災だからね。でもさ、そういう考えでついて来て欲しくないかな」
チャティスが気持ちを吐露すると、シャルが寂しそうに表情を暗くする。
「ダメ、なの……?」
「ああうん、旅について来ちゃダメって言ってる訳じゃないの。かくいう私だって強引にクリスについて行くし、人のことを言える資格はないからね。でも、守りたいから付いて来るんじゃなくて、友達だからついて行くって言って欲しいかな……。それじゃあダメ?」
チャティスが眉根を寄せ困っているような顔で問う。
すると、シャルは一気に破顔して元気よく、
「うん! チャティスは私の、初めてのお友達!」
と答え、チャティスに抱き着いた。
成り上がるという漠然として目標で田舎を飛び出したチャティス。
彼女の目的は様変わりすることとなった。成り上がる、という目標は変わらないものの、もう一つ追加されたやるべきこと。
薬師という職業ならではの、薬で狂戦士を治す方法を探すという目標。
そして、危なげな雰囲気を漂わせる狂戦士、クリスを見守っていくこと。
シャルという新しい仲間を追加して、チャティスの旅はまだまだ続く。
当人が納得するまで。チャティスが止めたいと思うその時まで。
「さて、旅の準備をしなきゃ。明日には出発だよ!!」
「うん!」
チャティスはシャルといっしょに、これからいいことが起きますようにと祈りながら、クリスの元へ戻って行った。




