冒険のはじまり
気が付くと、血にまみれていた。
辺りに転がるのは、大量の死体。死屍累々の数々。
月明かりが、殺戮地帯を淡く照らしている。
真っ赤な大地。
かろうじて人肉と判断出来る、微塵に切り刻まれた人の欠片。
誰が行ったのかは考えるまでもない。
剣の柄を手に持って、茫然と立ち尽くしている自分だ。
「――」
意識を失っていた男は正気を取り戻し、周囲を見回す。
誰かを探すかのように、必死に。
目を凝らす。
「どこだ」
いない。どこにもいない――。
どこだ? どこにいる? 自分の愛した女は。
見当たらない。見当もつかない。一体どこに――?
男は咆える。小さく小さく呻くように。
「……こ、こ」
声が聞こえた。
愛する女の。とても、とても近くから。
男は失念していた。
周りに集中するばかり、正面を確認することを忘れていた。
だって、そこにいるはずはなかったから。
否、いてはならなかった。前には崖しかない。崖と男が立つ、ほんの僅かな空間しか。
「……ク、リス」
「――ぁ」
女が男の名を呼ぶ。
男は女の名を呼べない。
衝撃的な出来事に、唖然と立ち尽くしてしまっている。
「サー、レ」
かろうじて、声を捻り出す。
やっとのことで、名前を口にする。
「……い、たい」
「――ッ、何とかする!」
剣から手を離そうとした。
だが、その手は女に制された。
もう無理だ、と。今更足掻いたところで――。
「よかっ……た。あなたがぶじで」
「良くなどない! 今治療を――」
「あなたには……むり……」
達観したように、微笑むサーレ。
クリスは絶句し、固まった。事実ではある。受け入れ難い、最低の事実だ。
自分には人を殺すことができても、救うことはできない。
こうして……愛する人間が死に逝く様を看取ることしか。
「ないてる……あなたが……めずらしい」
「ッ、喋るな」
「むちゃ……いわない。……やさしい、あなたのことだからきっと……これもじぶんのせいだとおもうでしょう?」
図星……というよりも、客観的な事実だった。
主観的でもある。これを自分のせいでなくて誰のせいだと言うのか。
「俺の――せいだ」
「ちがう……ってば」
なぜなら。
クリスが剣を深々と突き刺している相手は――。
「俺が、君を殺した」
「あなたの……せいじゃない」
他ならぬサーレ自身だったからだ。
「出会わなければ……君があの時――」
「いわない。わたしは……なにもこうかいしていないから」
「――ッ」
「でも、こころのこりは……ある」
泣くクリスの前で、サーレは弱弱しく笑う。
あなたよ、あなた、と。あなたを放っておけないの、と。
「あなたはこれから、ひとりぼっち。あなたをりかいしてくれるひとはいなくなってしまう。あ……ぁ……どうか……このよから……バーサーカーどうしのあらそいが……なくなり……ま、す……よ……ぅ……に」
そう言い残して。
サーレはこの世から息を引き取った。
愛する男の慟哭を受けながら。淡い月明かりに照らされながら。
「サーレ……わかった。俺は――」
男の身を誰よりも案じて、解けることのない呪いをかけて、死んでいった。
※※※
壊れる馬車に背中を寄せて、ひとりの少女が震えている。
自分がこれほど神様に祈ったのは、おそらくこれが人生で最初であり最後だろう。
そんな風に思ってしまうほど、少女の前には絶望が溢れていた。
(あ……あ……神様……神様! どうかお助け……!!)
涙ぐみながら、必死に両手を組んで祈る。
今までごめんなさい。これからまじめに生きますから、と。
だが、そんな少女チャティスの想いも虚しく、狼藉を耽っていた野盗がチャティスに笑いながら近づいてきた。
空は真っ青で、木々からはたくさんの緑が溢れ、辺りを小鳥が飛び回っているのに、男は全く目もくれず、視線はチャティスに釘づけだ。
御者と客、そして馬がいなくなった馬車に背中をぴったりくっつけ、がくがくと生まれたての鹿のように震える。
野盗が一歩一歩と歩みを進める間も、自分を救ってくださると信じ神に祈り続けていた。
(ごめんなさいごめんなさい! 家出なんてしてごめんなさい! 冴えない幼馴染と結婚できるか! とか言ってごめんなさい! 薬屋とかつまらない! 人生には夢が必要とか言ってごめんなさい!)
チャティスはひたすら謝り続ける。あまりにも必死すぎていつのまにか、声に出していることにすら失念して。
「ごめんなさいごめんなさい! 何でもしますから命だけは助けてください……!!」
「おいお前……イイコト言うじゃねぇか」
ぐへへと気味の悪い笑みをみせる野盗。その獰猛な肉食獣めいた顔面にひっとチャティスは情けない悲鳴を上げる。
助けを求め祈りを述べていたはずが、いつの間にか哀れな子羊は火に油を注いでいた。
(ああ……なぜ神様は助けてくださらない!? 私はそんなに悪い子でしたか!?)
長旅用の外套から母親譲りの茶髪を覗かせて、瞳の色のように顔が真っ青になる。
どうやら、神様はチャティスを見捨てたようだ。
不幸にも野盗は齢十六のチャティスを完璧に女として見ている。
子供だから慈悲をくれてやる、などという義理堅い義賊の類でもないらしい。
子どもだろうと女である以上やることはやってもらう。瞳は雄弁にそう語っている。
その狼よろしい瞳で野盗はチャティスの外套に手を掛けた。
「ひっ!!」
チャティスが年相応の、恐怖に駆られた叫びを放つ。
だが、その悲鳴は野盗に乱暴されたからではない。
「うきゅ」
間の抜けた奇声。べちゃり、という血の滴る音。
声にならない断末魔を上げて、野盗の首が自分の上に転がってきた。
「ひ! ひいぃいいいいいいい!!」
すっぱり綺麗に斬り落とされた首の断面図から、チャティスの嫌いなトマトジュースのような赤い色でドクドクと真っ赤な血が流れ落ちてくる。
チャティスに流れ落ちる、あか、アカ、赤。
野盗は彼自身とチャティスの想定外の方法で彼女を犯した。
幼馴染からひったくってきた茶色い外套と、中に着ていた長旅用の丈夫な服が赤く染まっていく。
染物のように豹変した血だらけの服を纏い、チャティスの顔は蒼白となる。
(あ……死ぬ。……犯されるとか心配してる場合じゃなかった……。死ぬ首切られて死ぬ死ぬ殺される)
ドサッ! というわかりやすい転倒音。
チャティスが白目を剥いて気絶したのだ。
「……気絶したか」
剣を血で濡らす無表情の男が、顔色一つ変えずに呟いた。
※※※
狂戦士。
今この世に生きる者で、この生き者を知らない人はいない。
まともに育てられてる者も、外れ者として外道を往く者も。
チャティスも口酸っぱく聞かされていた口である。
――あいつらは危険だ。何せ、たったひとりで千人は殺す。
もし出会ったら……神に祈りなさい。チャティスがいい子なら、神様はきっと救ってくださる。
それが父親が幼い頃からチャティスに教えていたこと。
後は薬に使える薬草はどうとか、薬は毒にも転用できるから扱い方に気をつけなさいとか。
外は危険だから、村の外には出てはいけない、だとか。
当時は話半分に聞いていたチャティスだったが、暗いこの世とは思えない場所で後悔していた。
「父さん……ごめんなさい。ちゃんと言いつけを守らなくてごめんなさい」
闇の中でひとり、謝罪する。
返事はない。しかし、それも当然。
チャティスは自嘲気味に笑みをこぼした後、次は母親へ謝った。
「母さん……ごめんなさい。孫の顔を見せられなくてごめんなさい」
チャティスを勝手に幼馴染の許嫁にしたのは、彼女の母親だ。
婚約が決まった当時、こんなにも素晴らしい文句をのたまっていた。
――あなたはそこそこ可愛いからモテるかもしれないけど、お見合いとか面倒だからテリー君でいいわよね。
適当に自分をあしらった母親の顔を今でもよく思い出せる。
あ、やっぱ許せないかも、とチャティスは柔肌の握りこぶしを構築する。
そして、唐突に叫び出す。もはや我慢の限界だった。
「あぁーもう! 田舎暮らしなんてロマンの欠片もない! 父さんはいつも薬の話しかしないし! 母さんは母さんで勝手に私を婚約させちゃうし! 幼馴染ってなに! ただ近所に住んでただけでしょ! 何で恋愛とか結婚とかしなきゃならないのーっ!!」
一度不満を口にすると、チャティスの大好物であるチーズを頬張っているかのように止まらない。
悪態の対象はとうとうこの世を統べる者にまで移り変わる。
「だいたい神様も神様よ! 私は確かに悪い子だったかもしれないけどあの死に方はないでしょ! せめて病気とかならわかるけど野盗に犯されかけるとかなに私のことなめてんの私はこれでも村一番の秀才なのよーっ!!」
十人もいなかった学び舎で一番の成績を収めていた村娘、チャティスが大声で神官が卒倒しそうなことを息もつかせぬ怒号で叫ぶ。
だがそれが何だ。自分は死んでいるのだ。ならばどれだけ不満を言おうが問題なかろうが!
チャティスは物凄い剣幕で怒鳴る。
口を開き、自身が出せる最大の声量で。
「ふざけんなふざけんなふざけんなーっ! もちろん天国行きでしょうね私は! じゃないとあなた神様失格だよーっ!! 神様っていうのは誰に対しても平等で性格とってもよくて優しくて色々恵んでくれて、それで……それで……」
「誰の不満も汲み取ってくれる、などか?」
「そう……そーうっ! それが神様のあるべき姿で……え」
チャティスは呆ける。いつの間にか場面が移り変わっていた。
チャティスは今、木材由来のぬくもりを感じさせる床の上で寝かされている。
申し訳程度に掛けられた布が、毛布の変わりのようだ。だが、驚くべき部分はそこではない。
「あ、あ、あなたもしかして神様?」
「俺か?」
失礼千万にも指をさして、隣から自分を見下ろす男へと目線を上げる。
チャティスは知らなかった。
神様というのは重そうな鎧を着て、腰に剣を提げ、背中にマントを付けて、黒髪で、石像のように無表情な存在であるとは。
「ひ……ひ! ごめんなさいごめんなさい! 哀れな子羊の戯言ですどうかお許しを!」
「許すも何も」
「しゃ、謝罪が足りませんでしたか! そうですよね! 寝たままでは失礼ですよね! 今改めてお詫びを……」
真っ青で、誠心誠意の謝辞を口にするために立ち上がったチャティス。
はさぁ、と布が重力に引かれてずり落ちる。
露わになったのは、年頃の少女の肢体。
健康的でいて、美しい。そして、幼くも色気を感じさせる身体。
ほどよく育った胸、やせすぎず、太り過ぎないお腹、なまめかしいお尻……。
チャティスは一糸纏わぬ生まれたままの姿となっていた。
「へ……?」
「服を乾かしている。血で濡れていたから洗濯した」
「は……え……」
心理的に全く動じないように見える男。反対に、チャティスも物理的に動じない。
頭が状況に追いついていないのだ。
「寒くはないか? もう夜だ。暖炉があるとはいえ裸では寒いはずだ」
「……あ、どうも……」
チャティスは布を受け取る。身体に巻く。一呼吸置く。
そして、自分の身に何が起きたかをようやっと理解する。
「きゃあああああああああ!!」
チャティスは大きく口を開けて、渾身の叫びを部屋の中に響かせた。
「見られた……見られた……! もうお嫁に行けない……っ!」
「そんなことはない。客観的に見て君は可愛い部類に入るはず」
「あなたがそれを言う……! ……ま、まぁ褒められるのは悪い気しないけど……」
チャティスは怒っているのか喜んでいるのか不明瞭の複雑な表情をみせた。
とはいえ、暖炉をぼーっと眺めている男に比べればわかりやすい。
(何考えてるのこの人……とりあえず神様ではなさそうだけど……)
チャティスの裸を見た不届き者、もとい命の恩人であるらしい男は無表情で焚火に薪をくべている。
バチバチと火花が散り、男の顔を火が照らしているが、その男の表情を読み取るのは至難の業だ。
素顔を読み取り獲物を定める盗賊か、対象の感情を機敏にくみ取り仕事を行う暗殺者ならばまだしも、村を出たばかりの田舎娘チャティスには、男が何を考えているのか全くわからない。
ただ、チャティスの裸に興奮を覚えているわけではないようだ。
趣味で無いのか、暗に貧相だと告げられているのか。
当初こそ裸を見られたと悲観に暮れていたチャティスだが、欲情も興奮もしないとあらばそれはそれで気に食わない。
(……って、何を思ってるの私は。もし興奮し出して襲われたらたまらない)
そも、男とは欲望に正直な生き物である。おしとやかで楓恋なチャティスとは違い、いつこの男も本性を現すか知れたことではない。
近くに置いてあった旅用のポーチを手繰り寄せる。
そして、チャティスはポーチの中のある物品に手を掛けた。
(ホイールロック・ピストル……!)
鋼輪式のピストルで、火縄式の後継として誕生した最新鋭の拳銃。
ホイールの回転により火打石を刺激して火薬に点火する方式で、非力なチャティスに力を与えてくれる魔法の武器。鋼輪を回す手間はかかるが、火縄式に比べれば安定性も携行性も抜群な高性能品。
自称聡明なチャティスは、この方式がこれから主力になるものだと思っている。
かつての戦で火縄銃は風と水魔術により完封され、魔術がいかに優れているか証明されていたが、このホイールロック式ならば着火した種火を掻き消されることなく放つことができる。
速さでいえば詠唱を挟む魔術より上。利点はいくつか存在するが、やはり一番は魔術の先手を取れることだろう。この銃があれば例え魔術師の狼藉者だろうと、狂戦士だろうと、成す術なく果てること間違いない。
(フフ……念のために持ってきて置いて良かったよ)
フフ、フフフ……と怪しげにほくそ笑むチャティスを男が一瞥してきたが、男はただ不思議そうに眺めてくるだけ。
不思議そう、というのはやはり感情が読めないからであり、ゆえに油断できない。
この本来なら高価な銃をチャティスが入手できたのは、これまた男というケダモノのせいだからだ。
二年ほど前、チャティスの村に現れた上級騎士が、チャティスに一目ぼれし、彼女を妾にしようと強引に連れ去ろうとした。
もちろん、ただで言うことを聞くチャティスではない。
貴族相手と諦めていた両親とは違い、チャティスに諦める気などさらさらなかった。
傲慢な態度で下衆な笑い声を上げる騎士を相手に森の中に逃げ込んだチャティスは、不気味で気持ち悪い笑みをみせる騎士とのオーガごっこを制し見事逃げ果せた。
途中で足を滑らせ大怪我を負った騎士は報復するかと思いきや、噂が知れ渡ると名誉が地に堕ちてしまうと保身し、多額の金貨とたまたま持ち合わせていたホイールロック・ピストルをチャティスに贈ったのだ。
チャティスとしては苦い思い出であるが、このピストルさえあれば男だろうがオーガだろうが相手に不足なし。
敵なしで聡明であり、そして容姿にも優れている。
自分とはどれだけ完成された人間なのだろうかとチャティスがひとり悦に入っていると、男が急に呼びかけてきた。
「君」
「うっ……! なんです……?」
強気の内面とは裏腹にビクッとなったチャティスは、男が自分に服を手渡してきたのを見て納得した。
服が乾いたのだ。とはいえ、すぐに着替えるわけにもいかない。
男とは狼である。不幸なことに、チャティスは人生で何度も犯されかかっている。
先程の野盗といい、二年前の騎士といい、男というのは空恐ろしいものだ。
だが、同時にチャティスの武勇でもある。――男を前にして自分は貞操を守ったぞ、という。
……実は両方とも幸運の賜物であるが、そんなことを思うのは無粋というもの。
「着替えをしたい……んだけど」
「ああ」
だが男は不動し、焚火をいじくるばかり。
チャティスは銃を取り出すか悩んだ。普通ここは自分のために部屋を出て行くはずである、とチャティスは自分本位に考える。
否、それは当然なる社会の常識だ。自分の着替えに男が同伴していいなどとはチャティスは認めていない。
よほど教養がない田舎者なのかなどとと田舎者であるチャティスは自分を棚に上げて思う。
それとも、自分では欲情たるに値しない、ということか。もしくはその逆で、チャティスが着替えしようと油断したところをオーガめいて襲う気か?
判断つかぬチャティスは、勇気を振り絞り男に退室を願った。
「出て行ってくれないかな……?」
「……ああ、気が回らなかった。裸を見られるのが恥ずかしいということか」
(どういうこと!? この人仮にも男でしょ!?)
意外にもあっさり退席に応じた男のセリフを聞いて、チャティスは突っ込まずにはいられなかった。
何の未練も感慨も残さず男が出て行った扉を不審に見つめつつ、チャティスは粛々と着替え始める。
(……色々あったけど、無事に王都まで辿りつけるかなぁ……)
様々な想いが頭を巡る。
下着を身に着け、丈夫なスカートを履く。上着を羽織、念のため腰にピストルポーチを付ける。
(……結局、あの人誰なんだろ。ホントに私を助けてくれた? 野盗は十人ぐらいいたのに。手練れなのかな)
道具袋と薬入れ、弾薬と火薬袋を付けて、いつでも外へ出られるようにする。体としては家だが、ここはどう控えめに見ても廃屋だ。
何があるかはわからない。
魔物がいつ出てきてもおかしくない。嫌なことを思い出してチャティスはぶるっと震えた。
(……うぅ……狼に舐めたくられた時の感触思い出しちゃったよ……)
チャティスはなぜかよく魔物に襲われる。ただ、毎度チャティス自身の日頃の行いが素晴らしいからか、はたまた聡明な頭脳のおかげか、生き延びることができていた。
やはり私は選ばれし人間だ。きっと王都にも何もトラブルなく辿りつけるに違いない。
元気が出てきた。安心だ。既に最悪は経験した。これ以上何かが起こるはずもない。
「フフ、王都についたらいい仕事探して成り上がるわよ!」
と威勢よく今後の目標を声に出したチャティスの頬横の壁に、シュッ! という風切音を立てて矢が突き刺さる。
「は……っ?」
「気を付けろ。昼間の盗賊たちだ」
男の声がドアの向こう側から聞こえた。チャティスを射抜こうとした矢は割れた窓から放たれたようだ。
「い……は……野盗……? 追ってきた……?」
さっきの威勢はどこへやら。チャティスは顔を真っ青に染め、力なく座り込んだ。
彼女の内面にはただ一言、やばいの文字が敷き詰められている。
やばい、やばい、やばい。復讐に来たということは、たっぷりのお仲間を集めているはず。
チャティスの推測通り、外にはたくさんの盗賊が家の前に姿を現していた。中に入って来ないのは、剣士らしき男が立ち塞がってドアの前で足止めしているからだ。
(逃げ……どこに!? ここ街道の途中で村一つないはずだし! 憲兵や兵士が側を通るとも限らない! ああ私の人生終わったー!!)
結局は、こういう運命だったのか。
チャティスが犯され死ぬ運命は変わらず、むしろ先程よりも悪化しただけ。
みすぼらしい外見の男たちに自分の身体を貪られ、未来の盗賊を孕ませられる。
そして、納得がいくまで子どもを産まされ、道端に捨てられるのだ。
(ああ、嫌だ嫌だいやだーっ! 成り上がるどころかどん底とかふざけないでーっ!)
これならばまだ田舎暮らしの方がマシだった。
特に目立った争いも起きず、何の変化もない日常を享受していくだけの日々だったが……延々身体をいじくり回されるよりは何倍もいい。
だが、チャティスが田舎に戻りたいと願っても、魔術師ではないチャティスにはどうしようもできない。
チャティス秘蔵のホイールロックも、一対一の決闘用ピストルなのだ。集団戦には向いていない。
もう無理だ。終わった、私の人生。
そうチャティスが悲観に暮れたその時、その声は聞こえた。
「がぁっ!」
(悲鳴……?)
断末魔らしき声が、何度か響く。
気になったチャティスは、人どころか魔物に向けてさえ撃ったことのない愛銃を手に恐る恐る窓へと顔を近づける。
そして、その凄惨さを目の当たりにした。
「ひっ!?」
慄くチャティス。眼前には、首と胴が切り離された死体が転がっていた。
チャティスを狼めいて犯そうとしたあの哀れな野盗と同じだ。
ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ……。
まるで銅貨を数えるかのように、死体の数をか細い声で数えた後、急に聞こえたやりやがったな! という怒声に驚いたチャティスは肩を震わせる。
(今度は何!?)
開いた窓からちょこんと顔を覗かせているチャティスからは、斧を持った盗賊のリーダーらしき男が近づいてくるのがよく見える。
誰に向かって? その疑問には声が答える。
「……お前が頭領か?」
チャティスを助けた名前のわからない剣士。
その男は血に濡れた剣を手に持ち、全く表情の読めない顔で盗賊に訊ねた。
すると、盗賊はそうだ! と怒り狂った様子で答え、
「お前……やってくれたな! ぶっ殺してやる!!」
間髪入れず剣士に襲いかかる。
危ない! という声もすでに遅く、斧が剣士に振り下ろされる瞬間チャティスは耐え切れなくなって目を瞑った。
案の定、グシャッ! という血の飛び散る音が……。
「お、多すぎる……?」
一度や二度ではない。執拗に何回も切りつけているのかと思うほどに血が舞う音は聞こえた。
びくびく震えながら何とかして目を開けたチャティスは、
「え……」
と間の抜けた声を上げる。
なぜならそこには、真っ赤に染まった盗賊の死体が転がっていたからだ。
「え……え?」
いや、これを死体と表現していいべきか。潰れた果物のようにたっぷりの血を溢したソレは肉塊という言葉がふさわしく思える。
それほどの流血。吐き気を催すほどの惨死体だった。
「な、何が……」
答えを求めるように周囲を見る。
だが、周りにはチャティスと同じように顔を青くしている盗賊たちと、ずっと平静なままの剣士のみ。
何が起こったの?
自然に洩れ出たチャティスの疑問には、盗賊たちが回答する。
「……サーカー」
「えっ……?」
「狂戦士! バーサーカーだ逃げろォ!!」
巣を突かれたアリよろしく逃亡を図る盗賊たち。わーわーと喚くその姿は実に情けない。
それを見守る剣士。特に追撃するつもりはないようだ。
剣を払い血を振り落とし、鞘に仕舞う。
鮮やかなその動作。しかしチャティスはさっきよりも青くなりながら目視していた。
(や、やばい……終わった……ホントのホントに私の人生終わったかも……)
チャティスの悲観も当然のこと。狂戦士と真っ向から戦い、勝利した人間など存在しないからだ。
人の一生は短いと、村の老人はチャティスに言っていた。だが、こうも一瞬――まともな青春すら謳歌することもせず、狂戦士に殺されるなどとは露ほども思っていなかった。
「あ……こっち……来る……」
水たまりを歩くかのように血の海を歩く男はゆっくりと、だが確実にチャティスに近づいて来ている。
目の前に迫る死に対し、人は何ができる?
チャティスは必死に優秀と自称する頭脳を巡らせ、対応策を考える。
否、考えるまでもなかった。答えは既に手の中にあったのだ。
ピストルを構え、男に向ける。装填済みだったホイールロックの重厚な感触を手に感じながら、引き金に指をかける。
「生き残るには……私が生きるためには、こうするしかない!」
想いを込めながら引き金を引く。ホイールが回転し、種火に着火。球状の弾丸が銃口から放出される……。
パンカキンッ!! そんなバカバカしい音が夜闇に響く。
パン、という乾いた音の後に続くのは、血の滴る音でなければいけなかったはず。なのに、聞こえたのは金属音だった。
銃弾が剣に叩き切られた音。チャティスと剣士が奏でた、戦いの音。
「う……嘘……」
これ以上ひどくなることはないであろう顔色で、チャティスはおぼつかない足取りで後ずさった。
前に立つのは、剣を構えた剣士。一騎当千の狂戦士。
そんなモノと巡り会ってしまえば、後は兎にも角にも死あるのみ。
どう足掻いても無駄。どんな手段も無意味。無慈悲な戦士の前に、命乞いなど通用しない。
殺される。
惨殺される。
首を切られ、解体され、残るは人かどうかすら判別することも難しい肉塊だけ。
「あ、あ……あぁ――」
バタリ、と。
チャティスは驚くほどあっさりと、自分の意識を手放した。
※※※
「また、気絶したか」
剣士は、否、狂戦士は無表情で倒れた少女に目を移す。
不思議と引き込まれる少女……ではあるが、無視しても問題ない。盗賊は始末したし、いくら不運とはいえ、この後魔物に襲われる可能性も低い。
安全は確保された。自身の目的と照らし合わせても、下手に関わるよりこのまま放置した方が少女のためである。
「…………」
だというのに。
気付くと、男は窓から廃屋に入り込み、少女を担ぎ上げていた。
背中に背負い少女の荷物を手に持ち、しっかりとした足取りで、暗い草原の中を歩いて行く。
これが薬師チャティスと狂戦士の出会い。
チャティスにとって最大の不幸とも幸運ともいえる事態の……はじまりだった。