竹刀を手に思い出す事。
先日実家に帰った折、学生の頃使っていた竹刀を見つけた。
久しぶりに竹刀を振ってみるかと手に取ると、四十肩? 五十肩? なるもので思ったように肩が上がりません。それに、竹刀を持ったまま蹲踞の姿勢をとると、出っ張ったお腹が邪魔をして後ろに転びそうになりました。
何とも無様なものです。それでも、めげずに面打ちを繰り返しましたが、十分も持たずに息が上がり情けない思いで一杯ですね。
ところでこの竹刀なのですが、竹の部分は、オレンジの蛍光塗料が塗りたくられている、何ともその当時は派手だったと思わせる物でした。
今では塗料は剥げ落ち、色褪せた竹刀になっています。あの当時、私の住んでた地域では、こういった塗料を塗るのが流行ってましたね。
柄の部分からは、皮と汗が混じった嫌な匂いが、微かにまだ漂ってきます。
私はその匂いに少し顔をしかめましたが、同時にその当時の記憶が鮮やかに甦ってきました。
私は高校に在学中は、剣道部に在籍していたのですが、三年生の頃には殆どクラブに顔を出さず、幽霊部員と化していた記憶があります。
自分の才能に早々に見切りをつけたというのもありますが、あの当時は遊ぶ事に忙しく、ただ辛いだけのクラブなんかやってらるかと思ってましたね。
剣道をやる切っ掛けがまた、軽い動機だったのもいけなかったようです。
それはあの当時の漫画、村上もとか先生の『エーイ!剣道』や『六三四の剣』を読んで剣道に憧れたからです。
入部すると、最初は道場でひたすら摺り足をさせられる毎日。二、三日で足の裏の皮はずり向け歩行も困難な状態に。
そして、顧問の先生がまた厳しい。確か六段か七段のその地域では有名な先生だったのですが、いつもサングラスを掛け、お前はどこのヤクザだよと思う外見でしたね。
一度、煙草を吸ってるのを見付けられ、道場に連れて行かれました。私に竹刀を持たすと、鬼の形相で打ち掛かってきます。
もうこれは、試合形式を借りた制裁ですね。
この顧問の先生を指導した先生がまた有名な先生らしく、戦前の荒っぽい剣道を当然の如く継承しています。
ですので、足払いのように足は飛んでくるは、またその体当たりが半端なく強い。
現行剣道も体当たりで、相手の姿勢を崩してから打ち込んだり、鍔迫り合いで押し相撲のように押し合いますが、この先生は全てが荒っぽい。
戦前の剣道は組打ちもあり、当然投げ技もあります。相手を倒し面を取ったら勝ちとかもあったそうです。
ですので、顧問の先生の体当たりを受けた私は、当然の如く吹き飛ばされ道場に転がされます。
その後は、私の落とした竹刀を道場の隅に蹴り飛ばして、私を雨あられとめった打ちに。
今なら体罰で大問題になりそうですが、この当時はこれぐらいは当たり前でしたね。
あれは本当に恐かった。もしかすると、殺されるかもと思いましたからね。
ボコボコにされた後、道場に正座させられ二度と吸わないと誓わされました。顧問の先生は、誰にもその事を言わず、私も学校側から処分されることは無かったのです。
ですが、その後も私はちょくちょく喫煙を続け、今この歳になっても煙草は手元から離せませんね。
それにしても、若い頃の自分は、何とも図太い神経をしていたものだと、今更ながら思います。
それと同時に、顧問の先生の温情に感謝と、その当時は裏切っていたようで、申し訳なく感じてしまいます。
あの時、私が処分を受けて停学とかになっていれば、内申書などにも響き、その後の人生にも大きく影響を与えた事でしょう。
この歳になって、あの先生の温情が身に染みて思い返されます。
その先生も、人から伝え聞いたところによると、すでに鬼籍に入られたとか。
あの時の事を、一度は謝り感謝も伝えたいと思っていたのですが、それももう叶わないようです。
因みに、竹刀を振り回した二日後には、筋肉痛に悩まされました。
遅れてやってくる筋肉痛は、私も歳をとった証拠なのでしょうか。
筋肉痛の痛みと共に、先生のあの時の鬼の形相が、思いおこされます。