引き出しの中の空想
冷たい風が頬を掠める。
まだ気温も安定しない時期、薄い白の曇空の下で部活に励む生徒達が声を出している。
屋上までは無駄に長い。階段の設計をもう少しマシなものにして欲しいと思えるほど、足に重りがかかったような疲労がすぐに訪れる。
しばらくのぼり、最後の数段で俺は二歩三歩と足を大きく踏み出す。
扉を開けた先に彼女はいた。
遅れてやってきた俺に向かって、彼女はあきれ顔で口を開く。
「おっそ」
短い言葉だというのに、やけに耳に響き渡る。
俺はそれに魅了されるかのように屋上へと足を踏み入れる。
「遅れてごめん……」
右手で頭の後頭部を掻きながら、俺は彼女に謝る。
彼女はそれをどう受け止めているのか、まじまじと俺の顔を見つめた。藍色の髪を下げた顔から見える瞳は細く鮮やかな黄色い光を放っている。
それを見た彼女はにっこりと笑みを浮かべた。
「………はい、これ」
突然彼女が出してきたのは、ピンクを生地とした紙に可愛らしい赤色の模様が描かれている小さな小包だった。
「こ、これは?」
「ちょっと……今日、何の日か知らないわけじゃないよね?」
「え……?」
俺は彼女の言葉に戸惑い、うっすらと記憶の糸を張り巡らせる
「今日は確か……2月14日………………って」
「今更気づくの遅いし」
俺が我に返った時には、彼女の顔は見えなかった。
いや、気付かなかっただけだと言っていいだろう。
彼女からいきなり、飛びついてきたのだから。
「……っ! いやいや、お前、いきなり……」
俺の挙動を無視して、彼女は耳元で囁く。
「うっさい……ばーか」
彼女の言葉は刺々しくも、抱きつく体からは、深く温かみのある愛情が籠っていた。
「……なーんて恋物語があったら体験してみたいよなー」
窓の光がいやらしく目に突き刺さる中、俺は肘を机につけ、教室の雑踏をボケーっと眺めていた。
「とんだポエムだな」
しかしその妄想も、前に座っている友人の拓海が静かに突っ込みを入れたことにより、プツンと切れた。
「だってよー。ロマンチックじゃね? クラスの高嶺の花でもなく、かと言ってめちゃくちゃ美人でもなく……そこそこ可愛くて少しだけ喋ったことのある女子から、こう……ナチュラルなツンデレっぽい感じでチョコを渡してくるっていう最強パターン。俺一回でもいいからやってみたいわー」
「少しだけ喋ったことある女子が周りにいないお前にはもうアウトだな。だいたいそんな子がいきなり屋上で呼び出すという設定の時点でロマンありすぎだ。まぁ、ポエム大好きな春仁君なら普通の妄想か?」
拓海は淡々と刺のある言い方で俺を刺す。
「俺は別にポエムとか好きじゃねえし! つーか、そういう拓海はどうなんだよ?」
「愚問だな。俺はそういった夢希望を持ったことは一切ない」
「思いっきり現実主義だな……。あのさ、少しは女子に興味持ったらどうだよ? お前はなぁ『二次元は最高、現実の女はクソ』って毎度毎度うるさいんだよ……。いつも聴かされる俺の身にもなってくれ」
「二次元の何が悪い。彼女たちは三次元の汚れた女たちとは違い、天使のような純粋な心を持った子達ばかりだ。お前の妄想こそ俺には分からないな。そもそも普通にチョコをもらおうなんてありえない話だ。俺たちのような肉食系でもない人種が、そういう泥臭いリアルな恋を求めるのは、すっぽんが月を目指すようなものだろう」
「ぐぐぐぐ……うぅまぁ、わからないこともねーけど」
「ふっ。諦めてお前も二次元に走れ。心も体も楽になるぞ」
拓海は眼をギラリと輝かせる。この男……既に現実を諦めている眼をしている……。
「お、俺は諦めてねえぜ! バレンタインは過ぎちゃったけどホワイトデーは何か特別なイベントがあるはずだ!」
「ホワイトデーの意味が違うんだが……。クリスマスか何かと勘違いしているんじゃないか?」
「い、いやそれでもまだチャンスは……」
「諦めが悪いな……。お前は何事に対しても楽観視しすぎだ。……おっ、ここでちょうどいい所に……。春仁、あの二人を見てみろ」
「え?」
突然何を言い出すかと思った俺だったが、拓海は首を斜め45度の右方向に逸らす。俺はそれに釣られて見てみた。
一時間目の授業は先生が出張のため自習の時間になっている。教室内はだらだらとした空気で溢れかえり、隣同士でキャッカウフフなガールズトークをしていたり、教室の後ろ側で肉食系男子がたむろし、あれよこれよとふざけまわったりしている姿が見れらる。
と、その中。教室内で一組の男女が向かい合っていた。
なんのイベントだ? と思ったクラスの生徒一同の視線は二人に集中する。
その男子はクラスでもそこそこモテそうなリア充青年。対して女子の方はこれまた中々可愛い子で相手の男とは何度か話している姿を目撃したことがある。
教室内は至極当然『おぉぉぉ!』という勢いと共に女子の黄色い声援や男子の煽りが発生する。
「はい、これ」
女子がそんざいに男子に渡したのは、なんとチョコレートである。
「え、こ、これって……」
「チョ、チョコよ、チョコ」
「いや、バレンタイン昨日なんですけど……」
「は、はぁ!? うっっっっざ! 何そのリアクション!? イ、イチイチ細かい事気にするとか超うざいんですけど」
「別にうざいとか思ってねえし……。つか、素直に嬉しいんだけど……。あ、ありがとな」
「っ……! ば、ばーか! 死ねっ! ……ふん」
男子の言葉を遮るかのように、女子はフランクかつツンデレ心溢れる一言を言い終わったあとに、さっさとその場を去る。自習時間にも関わらず、クラス内は怒号なのか歓喜なのか分からない合唱に包まれていた。
どういう経緯か分からないが、先ほど起こったイベントの内容は大方把握できる。つまり、チョコの受け渡しである。
「見たか春仁。お前の大好きなポエム妄想が、バレンタインデーを過ぎたにも関わらず、普通に行われているという事態が発生している……まぁ俺達とは縁のない奴らだが」
「そ、そんな……」
「これが、リア充の特権なり」
「ぐ、ぐぐ……」
拓海に更なる一言を全身に受け止めた俺は体力をほとんど削られたモンスターの如く机に倒れこむ。
「ぐ、偶然だ!」
「ちなみにあの男子は、チョコをもらった女子と一定以上の関係はあったはず。何度か教室で喋っていたのはお前も見ただろ」
「うっ……!」
意識が放浪としている俺の肩に拓海の手がポンと乗った。
「わかったか? 現実とは呆気ないものだ。諦めてお前も更なる世界の住人に……」
「こ、こんなの現実じゃねえ……!」
「……どうしようもない諦めの悪さだな」
半分呆れている拓海をよそに、俺は涙を流しながら机の真横方向……ちょうど俺の席の反対側に座る女子に目が止まる。
「? どうしたいきなりぼーっとして……ってああ、彼女か」
拓海も俺の目線が示す方向に気づいたのか、その女子を見た。ちょうど俺の席の延長線上で、机三つ先の席である。
腰まで撫で下ろしている清らかな茶髪に、バランスの整ったボディと神秘性が溢れそうな胸は、白色を貴重とした制服にはとても似合っている。翡翠色の瞳は手に持っている本を捉え、その姿はまるで一種の幻想的な景色を生み出すかのような世界を映していた。
彼女は月島 暮羽。簡単に言えばこのクラスで一番の高嶺の花である。
彼女は何かと読書好きで、あまり人と会話する事が殆どない。
そのせいあって、彼女の周りには誰も話しかける人はいない。逆に話しかけるのが億劫で仕方ないといった様子を見せる生徒がほとんどである。美人オーラとはこの事なのだろう。
「グヘヘ……」
俺は彼女を見た瞬間、顔が40代後半のおっさんみたいなニヤケ顔になった。
「いかにも『私、はしたない妄想しています』といいたげな顔だな、春仁」
「いいじゃねぇかよ……ちょっとは現実逃避させてくれよ」
「どうせお前のことだ、頭の中で暮羽さんとイチャつくような妄想でもしてるんだろ?」
「な、なぜわかった!?」
「当たっていたのか……」
「い、いやぁだってよー。暮羽さんみたいな人と真面目な恋愛なんて想像出来ないしなー。それにあんなアイドル顔負けの美人だったら、一生しゃべる機会なんてないだろうし……」
「つまり、ポエムでセンチな願望妄想を彼女にあてはめるよりは、いっそのことラブホテル一直線な妄想をして毎日の夜を満足した方がいい、ということだな」
「ぶっ!? ま、まぁ意味合い的には間違えてないけど……」
「妄想だけにしておけよ? お前がそれを現実にするのは無理だ。妄想を実行しようとすればその時点でお前はセクハラ罪で訴えられて警察直行だ」
「う、うるせー!」
俺は拓海からぷいっと顔を逸らし机にだらりと倒れこむ。顔を横に向けながら俺は暮羽の姿をぼんやりと眺めていた。
全く喋ったことはない。というか近づけない存在であるが、もしそんな女子からチョコをもらったと考えたら……ニヤけない人はいないだろうと思う。少なくても俺ならめっちゃ喜ぶ。
そもそも、チョコなんて親からしかもらったことないんだよな……。もちろん、妹でもいいけど残念ながらウチの家族に妹はいない。誰か妹をください。
「……ん?」
そこで俺は、彼女の……暮羽の読んでいる本に目が止まる。
黄色く目立つ用紙で包み込まれた本の表紙には『引き出しの中の空想』と描かれていた。
少し変わったタイトルだな……。俺は顔を詩人のようにしかめた。そのタイトルはいかにも夢見る人が読みそうな匂いのするもので、かの妄想好きな俺も少し惹かれる表題であった。
彼女もそういう本を読むのか……ううむ、もし俺が彼女と少しでも喋っている関係だったら『あれ? 暮羽さん、君もそういう本読むんだ?』という流れから確実にバレンタインデーも驚きのチョコを頂く流れに……ならないか。というかこの喋り方はそこそこ女子馴れしている人じゃないと無理だ。それに俺は本を読んだことが殆どありません。
にしても……『引き出しの中の空想』かぁ……。
俺は手を顔の顎骨に当て、センチな気分に浸る。
今の俺が求めるのはチョコ。この机の引き出しに、そんなドッキリ間近なものが入っていたら最高だよなぁ。
いや……。
俺はセンチな気分にも関わらず、ギャンブラー顔負けの覚悟を決めた表情になる。
今はまだ一時間目の授業だ、机の引き出しには一切手をつけていない。もしかしたら、机の中にチョコ入っているかもしれない…………!
バレンタインデーが過ぎていようが関係ない。要は気持ちの持ちようなのだ。百分の一でも千分の一の確率でもいいから期待してみようじゃないか。
俺はダラーリとした体勢で机の中に手を入れてみる。どうせチョコなんてないけど、少しでもこんなくだらない楽しみで心がウキウキするなら、やらない事はない。人生の生きる時間は少ない。一分一秒でも楽しまなければ損だ。
「春仁? さっきから何をやっているんだ?」
「俺は今……人生の大事な時間を有効に使ってんだよ……」
「またチョコか。ご苦労様だな」
俺がしていることを理解した拓海は皮肉を交える。当の俺はもはや怠惰的に机に手をガサゴソとかき回していた。
まぁ、それもそうだよな………目の前の欲に忠実になったところで意味がない。これでは『もしかしたら当たるかもしれない』と言いながらも消費的にお金を投じるパチ屋である。
やはりここはいざぎよく諦めるしか……。
……ゴッ。
「……ん?」
俺の手が一瞬止まる。慣れない手の違和感で脳が一気に覚醒した。
「なんだこれ?」
俺はその物体に手を伸ばしてみる。
「おい、どうした?」
不意に拓海が訪ねてくる。
「いや……なんか机の中で変な感触が」
「変な感触だと? もしやエロ本か? それとも如何わしい品物か? もし後者ならならぜひとも見せてほし……」
「ちげーよ! なんかそういうのじゃなくて……これは」
俺は形を確かめるように、机の中で丁寧に触る。
これはもしや……。
俺はそれをゆっくりと取りだした。
そのモノが視界に入った瞬間大きく眼が見開かれ、五感を奮い立たすように脳が揺れい動いた。
ピンク色をベースとした小包に赤いリボンで可愛く結ばれている、小さな箱であった。
脳天に電撃が走る。
「こっ…………!」
「ん? どうした春ひ……。……っ!」
拓海は俺が机から引き出したものを見て、今までにないような大きな驚きの表情を露わにした。
「おい、春仁……! これは……!」
「ちょ、こ、これ、は、あ、ちょ、い、う!」
「とりあえず落ち着け……! そして声を低くしろ。ブツが見えないようにな……」
「お、おう……」
俺は拓海の冷静な指示で我に返る。周りのクラスメイトに見られないように、拓海が椅子を俺の方へ動かし、おしくらまんじゅうのような密着状態になった。
「ど、どういうことだ春仁……」
「おおお俺が聞きたいよ……。つか、これホンモノか?」
俺は期待半分疑惑半分の目でマジマジと箱を見つめる。
「春仁……お前いつから女子と交友があった……! 俺にも紹介してくれたって良いものを……!」
「仲いい女子なんていねーよ! つかいきなり紹介しろって、お前は二次元大好き君じゃなかったのかよ……」
「そんなことはどうでもいい!」
「移り身はやっ! ていうか待て待て。ホントに心当たりがないんだ……。もしかしたら全く関係ない物だったり……って、ん?」
と、そこで俺は小包の裏に何かが挟んである事を手触りで確認する。
赤いリボンとピンクの紙の間にあったのは、白い一枚の手紙であった。
俺は勝利を確信した。
やはり、神は俺を見捨てていなかった。
「拓海」
「ん?」
「これこそ、諦めない男の勝利ってやつ……」
「なんだその手紙は? いいから早く開けろ」
「お、お前というやつは……!」
この野郎……ちょっとかっこいい事言おうとしたのに軽くスルーしやがった……。
俺はゆっくりと手紙を抜き取り……綺麗に折られている紙を開く。
紙の中身は可愛らしいプリントがされたもので、黒いボールペンで横書きで書かれている。
内容の中身をみて、俺は仰天した。
『親愛なる春仁様へ。突然のお手紙申し訳ありません。私は以前から春仁様に心を奪われておりました。しかし私は春仁様と話したことが一度もないためどうやってこの気持ちを伝えればいいのか分からず……手紙と言う形での告白となってしまいました。……バレンタインデーは過ぎてしまいましたが……これで私の愛情が伝われば幸いでございます。二年三組 月島暮羽より』
「…………!」
「…………!」
俺たちは唖然とした。
どれくらい口を開けていたことだろう。
多分それは、銀河で例えると一光年はさらりと超えるレベルであることは変わりなかった。
「お、お、お、お、お……」
「お、お、おち、おちつ、落ちつ……落ち着け春仁……。こ、これは本当か? 間違いはないか? 本物か?」
「で、でも、これすっごく丁寧に書いてあるし……これは、マ、マ、マジで……」
理性で推測を抑えつけようとするが、心の底から来る高揚感がそれを許さない。
俺はビクビクしながらもゆっくりと、チョコの主であろう暮羽の方へ顔を動かす……。
暮羽は毅然とした態度で読書を続けていた。
……だ、だよな。そんなわけなかったよな。やっぱりこれ、何かのドッキリなんじゃなかろうか。……うん、そう考えた方が合点がいく。元々俺には女子の知り合いなんていないんだし……。これが他の男子のいたずらだってことの方がありうるわけだし…………。
すると。
「……っ」
暮羽はこちらに気づいたのか、ふっと顔を横に振る。
ぴったりと俺の目線が彼女と交差した。翡翠色の瞳は潤い日光を照らす輝きを持っている。見られた瞬間、俺は光の矢で心臓を突き刺されたような感じがした。
やばい……チラチラ見過ぎたか?
しかし……。
「……!」
暮羽は俺と眼が合った途端、急に頬の色を赤くし、つぶらな瞳を大きく見開く。その表情はいかにも緊張している様子で、しばらく俺を見つめた後、さっと視線を本に戻した。
その後の動きも妙にぎこちなく、本を持っている手は震えており瞳は何処か落ち着きがない……。
まさかとは思うが、この反応は……。
「なぁ拓海……」
「な、なんだ……!」
「これってガチなんじゃないの……?」
「まさか……お前に限ってそんな事が有り得るのか? というか、だったらお前はいつ、あの暮羽と話した事があるんだ? 彼女はクラスどころか校内でも知らない人はいないほどの有名美人だ。それに彼女は生徒会にだって入ってるはずだから、チョコをあげるとしてもその辺りの人物が妥当のはず……。お前本気で何処で知り合った?」
「心当たりねーってさっきから言ってんだろ! というかお前、何気に色んな情報知ってるのな! なんだかんだいってリアルな女子にだって興味あるじゃねーか!」
「今、俺の話題は関係ない。で、どうなんだ?」
「だから無いって……。それに暮羽さんっていつも思うけど殆ど喋らないし……もし話そうと思っても話しかけづらいと言うか……まぁすごい美人だからっていうのもあるけど………ん? 話しかけづらい?」
俺ははっと思い出し、チョコの入った小包に入っていた手紙をもう一度読む。
『春仁様と話したことが一度もない』
もしこれが事実として、先ほどの彼女の反応と照らし合わせると……。
「た、拓海………俺、わ、分かった気がする……」
「何が分かった? 彼女との関係か?」
「いや違う……これ自分で言うのも恐ろしい気がするけど……これって所謂……」
俺は唾を飲み、頭に浮かぶ文字を一つに繋ぎとめ、恐る恐る口にする。
「ひ、一目ぼれっていう意味じゃ……」
「お前……自分の身分を分かって言っているのか? モテモテな肉食系が言う言葉だぞ? それは」
「いやでも……それしか可能性が……あっ!」
「今度は何だ?」
突発的な思い出しに、拓海は焦りを見せつつもイライラと反応する。
俺の頭の中に浮かんできたのは、咄嗟に彼女が読んでいた本だった……。
「……暮羽さんが読んでた本『引き出しの中の空想』って本だった……」
「おいおい……気でも狂ったか? なぜいきなり本の話になる?」
「いやさ……俺と暮羽さんの席って、ほら、もう横に直線上になってるじゃん? おまけに席は三つ向こうだから本のタイトルが見えない事もないし……。確か暮羽さんはいつも読書をしているけど、あんな本見たのも、俺は今日が初めてというか……」
「さっきからお前は何をごちゃごちゃと…………まさか」
拓海ははっと眼を見開いた後、蛇がマングースを睨むかのように俺を見る。
「お前のその探偵気取りの推理を一発で当ててやろうか……? つまりお前が言いたい事は……『彼女が今日、その本を持ってきてわざわざ読んでいるのは、お前の引き出しの中にチョコを入れた事をアピールしたいため』ということか?」
「そ、そう……だと思う。だって暮羽さんの読んでる本が眼に入らなかったら、俺は引き出しの中をあさらなかったっていうか……まぁ俺、あんまり引き出しとか整理しないから毎日そのままにしてることが多いし……。それにあの本……結構目立つ外装してるからついつい視界に映っちゃって……」
「おいおい………春仁……お前のポエム妄想はいつものことだが、今回ばかりはいくらなんでも妄想が過ぎるぞ」
「でも、それっぽいんだよな……」
「まぁ確かに、完全に否定はできんな……」
「……」
「……」
俺たちは二人同時に、ぱっ!! と彼女を……暮羽を見やった。
これがなんと、暮羽もこちらを窺っていた様子で、ぴったり俺と眼があってしまった。
「……!」
先ほど視線を合わせた時と全く同じように、暮羽は俺を見た瞬間ビクっと体を揺らしたあと、顔を紅潮させる。そして再び視線をバッっと逸らし、震える手で本を支えながら読書を再開した。
もう断言できる程、分かりやすい反応である。
どういう流れかは分からないが……一目ぼれからの片思いチョコ、の可能性は濃厚であった。
「…………!」
驚き、さらに驚いた俺は一瞬意識が失せ欠ける。そのすぐ後、体の奥底から大きな幸福感が訪れる。
ただ、幸福感といっても『やったー!』と言えるようなものではなかった。なんというか『これは現実なのか?』と再確認しながらも実は心の内でテンションがハイになっている感じとすごく似ている。
「春仁……! こ、この裏切り者がぁ!」
「なんでだよ!」
全て理解した拓海はギギギギギと、ハンカチを噛み切る若奥様のように歯を鳴らして俺を見ている。
俺は拓海から放っておき、一人天井を見上げた。
「……」
パタンという軽い音とともに俺は椅子にもたれる。
バレンタインデーではないのに引き出しの中に入れられたチョコ、そしておまけにその送り主が自分の予想外の人間であったこと。
その双方とも、自分が予期していなかった出来事である。
あまりにも突然過ぎるせいか、そこには俺が日々想像していたポエム妄想とかそういう類のものは全て無かった。
ただそれは初めて体感する心地良さというのに、間違いはなかった。
「……ホント、いきなりだよなー」
自然に出てきたその言葉が宙を浮かぶ。煙が上に向かっていくに連れ消えていくようなゆったりとした時間の流れを感じた。
現実味がないせいなのだろうか……。
しかし、その心地は大変気持ちのいいもので……。
「……っ! や、やべ……俺は暮羽さんを使ってなんてことを……!」
ふと、昨日の夜まで暮羽さんとラブホテルに行った妄想ばかり繰り広げていた事に、顔から火が出る程恥ずかしくなった俺であった。
ここまでお読みいただきありがとうございます……。
短編書いてみました。チョコな話です。
幸せは案外自分の想像より予想外な方向から来る、的な意味合いで書きました。
ここ最近書けていなかったので、今回は自分の中で刺激になったかなと思ってたりと。
そういえばこの前知人がチョコを『誕生日祝いに』と言われてもらったそうです。もはやバレンタイン関係ない(^ω^三^ω^)