表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

狐の嫁入り

作者: 子志

 天気雨が降ることを、狐の嫁入りと言う。

 天気雨の降る日には、狐火を提灯代わりに、狐の花嫁を擁した行列がしずしずと進んでゆくのだそうだ。

 但しそれは、地方によっては狐の葬列だとも言うらしい。


 優は霊柩車に積み込まれる棺を見送りながら、数日前の出来事をぼんやりと思い出していた。



 その日は快晴だった。窓ガラスには、抜けるように青い空が映し出されている。

 そこに細かい水滴がぽつぽつと当たり始めたのに気づいて、優は、あ、と声を上げた。

「狐の嫁入りだ」

「はぁ?」

 向かい合って座っている幼馴染が、思い切り怪訝そうに訊き返してくる。

「狐がどうしたって?」

「狐の嫁入り。天気雨のこと、そう言うだろ」

 優が言うと、幼馴染は窓の外を見、また優を見て、眉を寄せた。

「聞いたことねえ」

 そう言われて、一瞬、優は考えた。

 これは自分が間違っているのか、それとも全国共通ではない方言語彙なのか。すぐに後者は否定された。何しろ優と彼は幼馴染なのである。育った地域も喋っている言葉も同じ筈だった。

 だとすれば、自分の勘違いか、幼馴染が知らないだけか。

 恐らく後者であろう、と優は見当をつけた。幼馴染は言い伝えであるとか古い慣習、慣用句であるとか、そういったものに無頓着である。

「意味わかんねえし。何で天気雨が降ると狐が嫁に行くわけ」

 幼馴染はそう言って口をとがらせている。

「知らねえよ」

 優は窓の外を見るふりをして、目を逸らした。

「青空なのに雨が降って来るから、なんか狐に化かされたような気でもしたのかもな」

 狐。

 そう、昔から、人を化かす動物の代表格といえば狐だ。

「そういえば、夕方新しい靴をおろすと狐に化かされるってのもあったよな」

「何だそれ。迷信?」

 確かに、迷信なのだろう。実際に化かされたことなど、少なくとも優は無い。

 でも。

「ああ、そうか。俺、昨日夕方に靴おろしたわ」

 そう、口にしてみる。

 嘘。靴なんて、本当はおろしてない。

「だから、俺、今狐に化かされてんだ。そうだろ?」

 窓の外に顔を向けたまま、優は言った。幼馴染が訝しげな声を上げる。

「何言ってんの、お前」

 うるさい。わかれよ。

 優は奥歯を食い縛った。熱くなる目頭を誤魔化すように頭を振って、早口に続ける。

「だから、お前はアキじゃなくて、狐なんだ。俺を化かしに来たんだ。本物のアキは、今頃いつも通り呑気に寝こけてやがるに違いないんだ」

「……一体どうしたんだよ、ユウ」

 怪訝そうに、顔を覗き込んでくる幼馴染。

 相変わらず、ちょっと眉の下がった、間の抜けた顔。

 直視すると、堪えていたものが眦から零れた。

「は!?ちょ、ユウ!?何泣いてんだよ!」

 もう少し、話していたかった。

 一緒に居たかった。


 でも、駄目だ。


 階下で電話の鳴る音が、優の耳に届く。駆け寄って行く母親の足音も、はっきりと聞こえた。


 タイムリミットはもうすぐ。


「あのな、アキ」

 震える唇を、優は無理やり開いた。


 本当は、教えてやりたくない。でも、何しろ幼馴染は馬鹿なのだ。

 きっと、こんな簡単なことすら、自分では気づけない。

 自分が教えてやらないと、ここから動けないのだ。


 優は一つ深呼吸をした。吐く息が、一瞬喉に詰まって揺れる。

 ――こんなときまで俺頼みかよ、畜生め。


「お前」


 ――馬鹿野郎。


「お前、今日、どうやって此処に来た?」


 二人が居るのは、優の部屋。

 そこは優と幼馴染の、“いつもの場所”だった。


「は?どうやってって、普通に……」

 言いかけた幼馴染の言葉が止まる。

「……あれ?」

 その顔が、さっと青ざめた。そして、恐る恐る、縋るように優を見る。

「ユウ、俺……」

 ようやく、気付いたのだ。

「俺、今日どうやって此処に来た?」

 懸命に思い出そうと頭を抱えた幼馴染は、相変わらず、いつも通り、間抜け面で。


「……狐に化かされたのなら、良かったのに」



 半分、透けていた。



「ユウ、俺……」

 異常に気付いたらしい幼馴染は、泣きそうな顔で優に声を掛けた。

 彼としっかり目を合わせた優の頬には、次から次へと温かいものが伝っていく。

「俺……」

 母親が階段を駆け上がって来る足音が、どこか遠く耳に響いた。



「死んで、る?」



 その言葉を口にした途端。


 半透明だった彼の体が、一気に掻き消えた。


「最後までユウの手煩わせてごめんな。会えてよかった」

 そんな、微かな声だけ、残して。



「優、アキ君が……!」

 受話器を片手に持ったまま、母親が慌てふためいて駆けこんで来た時。


 優は既に、大声を上げて泣き崩れていた。


「アキの馬鹿野郎……!」

 ――自分が死んだことくらい、自分で気付けよ。何で俺が教えてやらなきゃならないんだよ、馬鹿野郎。


 心の中で、悪態を吐く。

 その悪態すら、もう届かない。


 ――しかも気付いたら気付いたで、勝手に消えやがって。

「俺だって、俺だって……」

 優は床を叩いて、声を絞り出した。


 ――俺だって、最後にお前が会いに来てくれて、死ぬほど哀しいのに、嬉しかったよ、馬鹿野郎。



 窓の外は、相変わらずの天気雨。

 まるで涙でも流しているかのように、青空は残された者達の頭上に雫を落とし続けていた。




「優、行くわよ」

 喪服を着た母親が、優を急かす。優は一つ頷いて、空を見上げた。

 青さが、目にしみる。

 ぽつり、と落ちてきた雫が、優の目尻を濡らした。


「本当に、狐に化かされてるなら、よかったのになぁ……」

 小さく、小さく呟いて。

 もう雫を落としはしない青空に、背を向けた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ